2021年06月23日

素朴な勘違い「コンプレックスの解消とは→コンプレックスが解消することである」(2)

<前記事から肝心なところ引用>

コンプレックスってのは(もうねそのネタが本当なのかどうかも怪しいってのに)
「かくかくしかじかだから、もうダメなんだだ!!!」←みたいな心理のこと
■■■【コンプレックスの本体は、実は結論の方なんだよ】■■■
 ↓
「もうダメなんだ!!!」的なことがまず言いたいワケ、
前段のネタは(やれ容姿がとか体重ガーとか貧乏ガーなどなど)、
結論が言いたいがための方便です。
(ぶっちゃけコンプレックスネタなんて”なんでもいいの”)

ということなんだわ、
でね、
「何故そんなことをするのかって話でしょ」

■はい、ちょっと前の記事を思い出してください
『共同幻想』とは「道徳」という上部構想で『自意識』を抑圧し、
(どうしろあーしろと)概念を導入する。
「強迫心理」とは「コンプレックス」により『自意識』を抑圧し、
(どうしたこうしたと)概念を導入する。
 ↓
コンプレックスとは「強迫心理」にとって道徳のようなものである。

典型例をあげるとさ、
子供時代などに”どうしてなのかよくわからないまま”自分ばかり叱られると思ったとする、
(不安ですよね?育児放棄一発で命失う子供にとって危機的命題です)
大人の事情はわかりませんので、なんというか”原因なるものを思いつくしかない”
「私が可愛くないからだ」←ハイ、これが「強迫心理」です、
うんで、「自分がブスであることにコンプレックスを持つ」ことで上記は機能します。
 ↑
ちょっと意味わからない人は、以下と相対して理解してくれ

『共同幻想』とは「道徳」という上部構想で『自意識』を抑圧し、
(どうしろあーしろと)概念を導入する。
「常識」とは「権威性」などを根拠に『自意識』を制し、
(こういうものだと)概念を導入する。
「強迫心理」とは「コンプレックス」により『自意識』を抑圧し、
(どうしたこうしたと)概念を導入する。

●一度「強迫心理構造のワンピースとなったコンプレックスは、自らの道徳を守るかのように保守(防衛)の対象となる」→何故ならコンプレックスの否定は、発端の”なにかわからないことへの危機的命題不安を再発”させてしまうから。
 ↑
それこそ無意識に、気が付いたら必死になってコンプレックスを守ろうとしてるんです。
周囲が何と言おうが、
「私は絶対ブスだ」と言い張り、
「そんなこと無いよ」と言ってくれる
(明らかにもっとブスな子に対して)
「どうしてそんな酷いことを言うのか」と激怒したり号泣したりの”トンデモ劇場”になったりします。

だ か ら

■まず一義的にさ
「コンプレックスとして認識されてる時点で”それ(程度の問題として)フェイク”だから」
(少なくとも世界でそこを一番気にしているのは御当人)
 ↑
これが結論です、




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2021年06月22日

素朴な勘違い「コンプレックスの解消とは→コンプレックスが解消することである」(1)

素朴な話ですが
「コンプレックスの解消って、コンプレックスの要因が解決する事では無く」
「コンプレックスの要因に変化は無く(問題はそこでは無い)、
同様のネタが”コンプレックスとして展開する構造が解消”すること」です

「体重を気にしてる人がやせることではありませんよ」
「貧乏を気にしている人が大金持ちになることでも無い」
(更にR18指定で言えば)
「短小を気にしている人が手術でデカくすることでもありません」
「社交性を気にしている人が、社交的になることでもありません」
「真っ直ぐの球速が140キロを超えることでもありません」
「禿を気にしている人が、ズラを被ることではありません」
「シリコンでFカップにすることでもありません」
「黒帯になることでもありません」
「マスチフ犬を飼う事でもありません」
(素人には絶対無理です)
ましてや「かけっこでビリでなくなくことではありません」(他の人がビリになっただけ)

解決って
●それをコンプレックスに思う事それ自体が解消することです
簡単に言えば「なんとも思わなくなること」=【気ままな(どうでもいい)目標に還元されること】
 ↑
なんかこの話を、勘違いされている方いるかもなので念押ししておきました。


<<はたしてこれ説明必要なのか謎なんですが>>

いやいやそもそも「なんとかであることが気になって仕方がない」状態がコンプレックスなワケで
(コンプレックス:複合ってことですからルサンチマンじゃないけれど劣等感だとか気後れだとか過剰に意識するとか、、様々な感情や欲求などが複合した”いたたまれない認識”のことです。)
 ↑
ですから、この解消ってのは「なんかたいしたことでもないよね」と理解することであり、
そもそもが半ば固定とは言いませんが、自分にまつわる属性や環境の話ですから、
(やたら気にしてどうにかなるものでも無し)
そもそも過剰に気にして「得する事が何も無いのです」
 ↓
●心理学で言うところのネタバレってのは、
【あえて暴論調で表現すると】
何の得にもならない意味不明のこだわりを何が面白くて拘ることになってしまったのかって、そこの謎解きであって→「気にしても(だからどうにかなるものでも無し)仕方がないことを、(バカなのかなんなのか知りませんが)やたら気にしている状態をいかに解決するのか」がテーマになります。
(※なので必殺技が「バカか俺」なんです・・・)

非常によくある勘違いの典型例を挙げると
(この話、勿論ですが機能障害や病例の回復は例外なので勘違いしないでくださいね:義手や義足などで現代だと逆に機能拡張する事例もありますが、こちらも例外。←例外でOKとなる事情も後述します。)

●自分の容姿に自信が無いというコンプレックスがあるとします。
間違ったやり方だと→「美容整形で解消作戦」になりますね、
何故間違いなのかって(繰り返しますが事故の傷他病例に挙げられているような障害は別ですからね)、「もう自分の顔ではなくなるから」です。
※凄くわかりやすく言うと「顔認証でエラーが出る」→アイデンティティーが保てない
美形な友人を褒める心情が台頭するだけで、整形後の美形を褒められても「それ自分の顔ちゃうやん(褒められたのは美容外科の先生の技術でしょ)」
そもそもが、自分の容姿を”自分自身で受け入れる”というか(そら自分の姿なんだし→これ言い出したらね、年齢問題とアンチエイジングの話にも及ぶワケ)、そこ肯定(いや”認識”かな?)できないと始まらないのであって、整形の全てを否定しませんが、
その条件は「骨格というか、本人を特定している主要な部分(個性)に変化がない事」です。

●男性によくある禿げでも同じこと言えます。
「ズラ被ってる俺は、ズラを被った俺であり(室内で帽子を被ることは不自然)、本来の姿では無い」
(一番の皮肉は、「素敵な髪型ですね」と言われちゃうことでしょ)
 ↑
誤解の無いように何度も言いますが、
ガンの放射線治療で脱毛した場合は例外です。
言うまでもありませんが、脱毛している状態が(ID的に)イレギュラーなのであり、
脱毛してない状態が本来の姿だからです。
(むしろアイデンティティーを保全するために帽子で隠すなりウイッグを使うなりして自然)

●貧乏の場合もそうです、
(物理的に生活に困窮している領域はコンプレックスでは無くて、本当に困っているということなので除外します。)
生活に支障はないが、現代的に言えば格差ってのですか?
どれぐらいの水準までが、コンプレックスでどこまでなら合理的な解決すべき所得なのは判断は微妙ですが(ここが曖昧=自由自在であることがこの話のキモ)、ままよで話を進めます。
「生活に支障が無い水準なのに、貧乏だからとコンプレックスを持っている場合」
あくまで相対論ですが
→「相場より少し高水準じゃないと許せない」みたいな心理があることになります。
(ハイ、この段階でもう現実から乖離してますね。「それが妥当である根拠がどこにも無いからです」←あるとするなら、「不安心理の構造」で説明した”同じにしようする心理”の影響で、周囲に対する認識にレバレッジかかって(プリン10倍の法則)「高額所得じゃないと許せない」に転じたってこと。)
 ↑
ほら、ここからわかることありませんか?

禿げにおけるズラの特徴にも通じるんですが(毛髪の密度高杉だろ、、てか長が過ぎないか)
上限が定まっているものでは無いんです。
(誰とは言いませんが、整形のやりすぎでもう人の顔に見えないだとか、、)
【極論】いくら稼いでも満足できない→瞬間大金に満足することあっても、取り巻きの誰かに貧乏フラグを刺激されるようなことを示唆された瞬間(そういえばこの前”孫さん”が、、)、貧乏コンプレックスはいつでも・何回でもリバイバルする。

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posted by kagewari at 03:00 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月20日

感情論の補足(てかオマケ)「怒れない男」

反対から考えるとわかりやすい
(別の意味で速攻変態DV化する欧米マチズモは例外な:←日本ではマイナーだから)
 ↓
逆に、躊躇なく激怒のスイッチが入りやすいのは?
(頑固オヤジじゃないが)オンザレール『共同幻想』適応自我です、
不道徳や非道徳な行為を見たり接した場合「神への冒涜だ」と、上部構造からスイッチ入るというか拘束具を解かれ、人類の残虐性まで解放されてしまうから。
(テロリストの心理から、『共同幻想』暴走による民族浄化大量虐殺まで、ベタに言うと「怒りっぽいから」ですww)
結論めいた概念に適応しているだけでその中身までは知らない(哲学的見解や史的合理性:近代以前は『聖書』は教会の独占で信者には閲覧させていなかった)ケースが、その人格適応プロセスの構造上大半であるため。→上の者の判断が変わると自動的に適応者の怒るポイントも変化する
(なので「歩留まり」人格が瞬間湯沸かし器的に激怒することは無い←半面合理性持って怒る時にはズルして普段のストレスものっけて厳しく怒られるなんてこともあるかもですが)


『共同幻想』論で言えば、怒る心理は権威をバックに自信の忠誠心も試されることになるので彼らも”適応者としての仮想実存を賭けた戦い”になります。
(聖戦、ジハードですよ→だから怒り過ぎると殺す)
先進国化し、貧困問題に起因する犯罪が大幅減した現在の日本において、殺人事件の6割は近親者間で起きます。
※不動産の皮肉ですが「もっとも防犯性低い暮らし方は”ひとり暮らし”」であり、最も殺人などの重犯罪に巻き込まれる暮らし方は「近親者との同居」って事になるんです(統計上マジ)。

さて、そんなヤバい話はともかく(笑

「怒れない男」=社会適応すべきか、独立独歩かまだ決めてないモラトリアム状態ってことです
(何がどう転んでも、聖戦みたいな心理が発動する事情が無い、仕組みが無い)
まだ、反抗期が終わっていないと言えるのかもしれません。
●上記で選択に悩んでいる時点で、基本”非適応個性派”なので、
社会適応選択する場合も「歩留まり」になりますが(悪く言えば偽善者w)
『単独者』覚醒するにしろ、「腹に決めるモノってのは(個人だけですので)権威をバックにすることなく、自らの実存を賭けたもの(自己責任)」となります。
 ↓
ある程度、「俺はこうする」って腹を決めるまでは「怒れないのが当たり前」です。
(人類ヒト科で言うとこの、怒るって生存を賭けた戦いみたいなデフコンワン《非常事態》ですから、《これはドリル(演習)では無いじゃないけど》、ここで引いたら俺は終わりだってレッドラインが予め無いとさ、怒るタイミングがわからんじゃんww)

まとめると
「怒れない男」ってのは、(反抗期未完で未だ進行中)中二病の一種かな

勿論、この場合の怒るってのは、”感情論では無く合理的選択として、
自覚的な(自分の意志でスイッチ入れる)”本音の表明”になります

(論議の中身は幾分薄っぺらかもしれないが、『共同幻想』適応とは違い”論理なり概念なりの中身を理解し選択した上での”判断なので、スイッチもクソも常に『自意識』マターはONであり《Administratorとして個別に実存する》、『共同幻想』適応(マスター:スレーブ方式 )タイプの人格に対し《個VS個なら》常に相対強者となる。←推論だけど、人類普遍のエディプスコンクレックスなるものに水平的に対峙することになるので《権威性の概念そのものを無効にするってか》、普遍的コンプレックスすら”めんどくさい程度の話”に還元する可能性を示唆してんの”かも”しんないが←これも過ぎると毒な気もするけどね《ここは勘です勘「フリーJAZZのパラドックスがチラ見してる」気が、、》)
 ↑
予告ってワケじゃないけど、次回「心理学テキスト」はコンプレックス論です


タグ:適応強迫
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2021年06月19日

感情論の大半は、(暴論覚悟で言えば)錯覚である

ほとんどの感情は「シナリオ設定に対してであり個別理解では無い」
<<<主人公が実は悪役でしたのどんでん返しに速攻入れ替えが行われる。>>>
勿論、死刑を望んだ殺人犯が→「実は無実で完璧な誤認逮捕である場合も」
 ↑
ここからわかることは、感情というものが「具体的対象では無く、設定や筋書きに反応したものであることがわかる」。
【この典型例がデッドボール】
投手が投じた理由、思惑の想定により(投手個人の人格と無関係に)様々なバリエーションが派生する。
あてられても怒ったことが一度も無い衣笠さんはある意味球界でも一番怖い部類の人だが(江夏と親友なぐらいに)、彼はどう考えていたのか?
何も特別な事は無いと思う、
彼は「殺害の意図が無い限り、野球のプレーのひとつ(ルール上あり得る行為)」と思っただけだろう(そう考え至るまでも屁理屈は山ほどあるのだろとうと思うけど)。
 ↑
時に、こんな姿勢を(怒らない)
「そんなことをするとかさにかかって次々あてられるだろう」と思う人もいるだろう。
●100%そんなことは起きない
ワザとあたりに行くので有名な(嘘もつけばあたった演技もする)達川選手をみればわかること。
生涯出塁率10割なら、喜んで監督は彼を1番打者に起用するだろ《終わり》。

※また、怒らないが「報復しないとは言って無い」から誤解しないように
勿論次の回であてた投手の4番が江夏に狙われるのはお約束な、
(故に、もし過失なのであれば《自軍の4番にどやされるだけなので》謝ったほうがいいぜって話。←投手の美学で決して謝らないってのもあるが、これは高度な攻め方の中”頭のいい人なら過失以外ありえないあたり方”してる場合に限られるので、一流投手に限った話だ。)
 ↑
こういうの聞くと、それは怒らないでしょと言う人いるかもだが、
そういうこっちゃ無いんだわ
(事実上記は全てのプロ野球選手の常識なワケ、)
それでも怒りまくる奴が多数なのは事実だからだ(怒る心理分析のサンプルに使えるってことさ)


■では、以下の勘違いは何がどうなっているのだろうか?
「そんなことをするとかさにかかって次々あてられるだろう」←実はこの心理分析が鍵だ、

これはノーコンでも知られていた江本投手の証言が全て
デッドボールなんて狙って投げたい投手などひとりもいない
(※これは厳密に言うと嘘だけどね、わざとあてる名人に東尾っているから←可能なのはコントロールのいい一流の変化球投手だけ《次の打者でゲッツーを計算できる》=あたってもまあそれほどでもって意味だけど)
本題は江本の話なので戻るけど、
ベンチの指示で(自軍の打者があてられた)報復なら最悪仕方が無いと思うが、
今日の試合の勝ち負け、その1点で人生失うことすらある投手という職業にとって、
戦術的に狙って「デッドボールでもいいから攻めていけ」なんて言われるぐらいなら、四球で歩かせるのが100倍マシ(結果逃げてるのはどちらも同じ)。
野球のセオリーとして「変な打者の出し方すると、大量失点のキッカケになる」ってのがあるので、
デッドボールは決して縁起のいいものでは無い。
 ↑
江本に言わせれば、マヌケなベンチの指示の被害者ではあっても、投手が加害責任を求められる状況(デッドボールあててへらへら喜んでる)などまず発生しないって意図です(ハイ、東尾投手を例外に)。

江本理論で言えば、デッドボールあてられて瞬間湯沸かし器みたいに怒るのは、
「バカか、勘違いしているのか、考える前に手が出るタイプ(これもバカの一種)だけ」となる。
その代表にデーブ大久保の、、(そういう原稿じゃなかった、、、)


●つまり大投手でもあり、経験豊富な投手代表の意見として
「怒るとかバカなの?」が結論だってこと
そこで話を戻して、怒る打者はどんな勘違いをしているのか?
(ちなみにこの話は、戦術関係無くバカみたいに怒って見当違いなファールからのフリーキックで一点入れられてしまう《乃至レッドカード退場》サッカー選手にも当てはまる話。)
 ↓
そら、どんな勘違いって?「被害者意識(『被る(こうむる)』)」です《終わり》
(いやいや、、終わりじゃなくて、、、)
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posted by kagewari at 04:12 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月18日

リビドー全開放の意味を少し考えてみますか(これさ動機形成論だよ)(2)

前回に引き続き

■時に前述のコンプレックスが動機形成の腰を折り、欲求不満状態に追い込んでからの、
待ってましたと、退行化スイッチで「強迫心理」を起動→反動形成力動論関数で倍加した欲求がコップもろともぶち壊すと言う流れにおいて
マッチポンプにも見える、コンプレックスと「強迫心理」の相関関係みたいなのを補足してみよう


今回R18指定なので、青少年の方は退席してください。
(「強迫心理」マターも大人の性欲も乗っかってくる深刻化前だからまだ早いでしょ)

勝手な『自意識』を抑圧し、
『共同幻想』を肯定するための同調圧力を「道徳」と言う

置き換えると、
「コンプレックスとは「強迫心理」が仮に『共同幻想』であったなら「道徳」のことである」
(論理を超えた権威の上部構造から自分を抑制し、行動選択を規制するもの)

■コンプレックスって言えばよくあるのが
「僕みたいな短小チンポ野郎は何をやってもダメなんだ」
「アタシみたいなAカップにも満たない女は何をやっても失敗しかしない」
「こんな禿げちらかしたオッサンもう終わりだ」
「ほうれい線があと0.1o深くなったらお歯黒にしよう(それは無いだろ、、)」
 ↑
そのほとんどは周囲「何言ってんの」とやきもきするネタですが、
(逆に『共同幻想』で「だよね〜」と言われると違う角度で反発されます)

自我における機能性というか、位置づけが「道徳と同じ」なんです。
(伝統宗教『共同幻想』で言えば、原理主義派の戒律レベル)
だーかーらー、周囲が善意で「そんなことないよ」とか言おうものなら、「無責任に好き勝手なこと言わないで!!」みたいに(悪者扱いされ)罵倒されてしまったりするんです。
(こうなると、一般の方はもうどうしたらいいのかわからないでしょう)
そらそうです、道徳と同じなんですもの
 ↓
言われた「強迫心理」家の耳には、
「泥棒っていけないのよ」
「そんなことないよ〜」
「あなたは一体何を言ってるの!!!」←こういう状況だから


●もうちょっと細かいこと言うと(さっきの話をそのまんま逆説にするとだ)
「ホームズみたいな巨根チンポは”神”」
「太っていようがFカップとか”神”」
「髪の毛ふっさふさでロックスターのような長髪とか”神”」
「お肌ぱっつんぱっつんなあなたは17歳だから”神”」
 ↑
このようにコンプレックスとは、権威性認知を前提とした道徳と同じ構図なの

<<<で、事の始まりは>>>

→続きを読む

タグ:強迫心理
posted by kagewari at 04:45 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月17日

リビドー全開放の意味を少し考えてみますか(これさ動機形成論だよ)(1)

一つのカギは「割り切れる」(数学モチーフで”スッキリ”とかの意味だよね)
「強迫心理」が必要となった理由は?→「なにかわからないことがある」
(それではスッキリしないので《なにもできなくなる=死ぬ》子供ながらに「こういうことなのだろう」と筋読みをしたもの《サンタも信じるガキの考えなので人類全てにおいて100%現実から乖離→都度反抗期によりリストラ含むアップデートが必要》)

「計算が立つ」って言葉もありますね(奇しくもこれも数学ですが)
「計算高い奴」って言葉もありますね、
 ↑
この人物の印象は?「サクサク動機形成できる奴」
(とにかく何らかの行動を企図して実行すると《ぶっちゃけなんでもよい》人類ヒト科のリビドーは代謝するので、動機形成が得意だと《いろいろ思いつく自我》論理的に「欲求不満」は発生しません。)

●誰でもそうですが、追い込まれた心理は自然とどうなりますか?
「起死回生の一手」を求めるだとか、
「破れかぶれで、竹下景子さんにぜんぶ(はらたいらはオッズが低すぎ)」←平成生まれの人には意味わからないと思うけど、いんだってのよカテーコト言うなw
単純に物理法則としてもそうでしょ、
コップに水圧かかってんだから、
本来は
「軽妙な動機形成で趣味のバルブ1、食事のバルブ2、筋トレのバルブ3、動画を楽しむバルブ4、淫靡な妄想チャンネル5、誰かの悪口バルブS、掃除洗濯バルブ7、入浴剤のチョイスで8、腹いっぱいで寝るに9、駅前100円ショップへ10、珈琲はやっぱりマンデリンに11、最近バーバリーの入手に困るねに12、、、、」←体感されるモチベーション水圧を知覚することで、「うーんとハイこのバルブ」と動機形成が軽妙に行われると、水位は一定です。

●さてここでコンプレックス(言い換えると「強迫心理」を肯定しろよって同調圧力)などで、ことあることに「よくわからなくて、軽妙に動機形成(バルブ開放)操作ができない場合」
→すわ瞬間ワープで退行化
「だから私が可愛くないからでしょ!」上映→0.1秒で「プリンの恨みは100人力」
バチーンとコップを叩き割ってしまい、中身が全部じゃじゃじゃ〜と放出してしまう。
(そしてしばらくの間まったく何もしたくない状態に戻る)


<<<話を軽妙な動機形成にねじ込んでみると>>>
割り切ったり、計算しているのは、モチベーション水圧とバルブの流量計算でしょ
「あーこんぐらいやる気がみなぎってる時には、バーベル30キロで(御名算)」
 「なんか最近もんもんとするんだよね〜」
「(ピコーン!!)君それはお肉が足りないんです、ズバリ、ロース肉」
 「なんかさすがです、そう だ っ た ん で す ね !」
 ↑
まあ、世の中だいたいこの水準で回ってるワケでww
何か特別なスキルなんて【ありません】(単なる”思いつき”なんです:それでOK)
ま、付け加えるとしたら「計算高い」ってのはインセンティブのセットが上手いのでしょう。

■時に前述のコンプレックスが動機形成の腰を折り、欲求不満状態に追い込んでからの、
待ってましたと、退行化スイッチで「強迫心理」を起動→反動形成力動論関数で倍加した欲求がコップもろともぶち壊すと言う流れにおいて《マッチポンプにも見える》コンプレックスと「強迫心理」の相関関係みたいなのを補足してみよう


<これは長くなりそうなので”つづく”>



タグ:強迫心理
posted by kagewari at 02:29 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月16日

「強迫心理」起動のプロセスを簡単に説明してみる

誰にでもよくある典型例から
■「強迫心理」と自我の関係とは
・事あるごとに(中間テストから、クラスの人間関係から、受験から、恋愛関係から、入社試験の面接から、卒業旅行から、結婚から、子供どうしたから、分譲マンションから、リストラ転職から、植木が枯れた件から、レコード店にストラヴィンスキーが無かったことや、ユニクロにサイズのものが無かった件や、有名カレー店のカツカレーがイマイチだったことまで、その【全てが】)
「入学式のあの時、霊柩車見たからかもしれない」←と思ってしまうような心理のこと

「ありそうだけど、めったにそんな人いないだろ」なーんて思う人少なくないでしょ
しかし『共同幻想』適応系人格などによくある
「宗教儀礼となると、途端に細かいこと言い出す人」はそれに近い心理状態が発生してます。
(血相変えて「いやいや、ここでちゃんとかくかくしかじかするかしないかが凄く大事なんだって!」とか←決まってこういう人は、ブツダの言っていた仏教哲学的知識は皆無だったりする。)

「強迫心理」の天敵が?→「バカか俺」である構造もご理解いただけるかと、

さーて、そんな「強迫心理」ですが、その起動プロセスはどんなことになっているのかと言えば、
●「懐かしのあの流行歌を聞いた時」のような仕組みです

ダンスや音楽、絵画から文学まで人類の発明したもので芸術ってのはまた特級にユニークなものですが、言い得て妙で「概念が自我に及ぼす影響」ってものを観察する上で格好の存在です。
(言い換えるとさ「お前随分うまいこと言ったな」ってのが芸術ですが、いやいや子供の考えなのはわかるけど「それは無いだろ」ってのが「強迫心理」であり、”なんか想像してみた概念”という部分では共通している。)


私が『単独者』だったからなのか知りませんが、
記憶の中でどうしても受け入れ難いキモチノワルイ流行歌が(ビレッジピープルのみなさんや西城秀樹さんをディスる気持ちは一切ありませんので誤解の無いように)「YMCA」です、
前述括弧のように歌が嫌なのではありません。
演出が、ミュージシャンに恥ずかしい踊りをさせ会場全員で「ハイ、みなさんもわーいえむシエ」とやるあのまぬけな政治プロパガンダみたいなんが小学生ながら嫌だったのでありまして(笑

何の話だっけ、、、
■あーそうでした、「強迫心理」起動のプロセスは、「懐かしのあの流行歌を聞いた時」のような仕組みです。どういうことかって、音楽はたった3分で感動から怒りから闘争や愛情までめくるめく感情を動員しますね?(ええ、勿論曲によってですが)
酒の席での会話にもちょっと似た寓話があります
「何から何まで”こいつ”で水に流してしまおうぜ」(SDGsな時代に不謹慎なww)
 ↑
ポイントは「何でもどんな感情も動員できる」マジックみたいなものなんですよ”概念”ってなものは、
逆に言えば、「なんでもかんでも全て”そのせいにできる”(原因がそれだと思い込める)」

「強迫心理」発動の流れは、一時的欲求行動が断念なり企画に失敗なりした”どんな微小な不快でも構わないので”退行トリガーとなりそうな事象を見逃さなければ、
(たとえば、喫茶店でコーヒーにスジャータのポーションミルクをちょっとこぼしてしまったその時!)
あの音楽が少しづつ音量上げてフェードイン!!
はい聞こえてきましたよ!
(末尾紹介の「YMCAを少しずつ音量上げながらフェードインしてみてください」最後は耳をつんざく最大音量で!)

「全部そのせいだ、もしこうだったら全部解決したのに!」
(はい全ての蓄積されてる【欲求不満状態】リビドー開放して!)
ドッカーーーン!!
 ↑
こういう感じの現象です。

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 02:38 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月15日

もうひとつのユダヤ陰謀論(欧州『共同幻想』社会で何が起きたのか)

つい先日も書いた話ではあるんだが、
(この時には人種偏見的展開で)特に欧州に顕著なユダヤ陰謀論と苛烈な差別です。
東欧からロシアにかけてのポグロムでいったいどれだけのユダヤ人が虐殺されたのかわからんぐらいで、
歴史はこの点触れませんが、
全ての時代トータルで言えば(スターリンの大粛清も含む)ナチスのホロコーストより多いぐらいじゃないのだろうか?
(そもそもナチスのマダガスカル計画に大賛成して頼みもしないのに地域のユダヤ人を喜んで殺害に及んだ地域も存在する。ナチスも表向きはマダガスカル島移住計画だったため、地域住民の狼藉が酷すぎると”人道的見地から注意した”なんて話もあるぐらいのレベルです。)

■もとをただせばディアスポラです
(故郷の地を追われ流浪の民族となったこと)
中世から近代にかけての『共同幻想』はまだまだ重農主義などの時代です。
その土地に根付いて営農などする行為それ自体が『共同幻想』適応正規メンバーを意味しており《生活基盤の共有や共存と一蓮托生だから”信用できる”合理性でもある》、
 どこに行っても土地を持たず主として第三次産業(金融、貴金属、法律家や学者、錬金術、製薬、商売、芸能他)しか生活基盤の無いユダヤ民族は「極論するとどこの国に行っても”村八分”の対象」だったと考えることもできます。

※『共同幻想』的発想としては、どこの地域でも暮らせる=「ここで悪いことして逃げる能力を保有している」となるたね、『共同幻想』システムにおける信用状(ここでしか暮らせない生活基盤の共有)が不足していることとなり、担保割れで信用が下がるのと同じ現象が発生するってことです。
(『共同幻想』を擁護しているワケでは無いので誤解の無いように。←システムがそういう建付けだから結果がこうなるって説明してるだけだから。)
だからユダヤ民族の辿る歴史を語る時「ディアスポラ」が重要だって話です。
(お前の故郷はどこだ?に答えられない=素性不明民族になってしまったということです)

※2:細かいこと言えば、同じユダヤでも東欧ユダヤ(アシュケナージ)と、ラテンユダヤ(セファルディム)は欧州においてみられ方が違っているともされ(流石にどういうことなのかわからないが、もぎせか動画に出てくる話)、ザックリとした理解としては「東欧ユダヤ(白系ユダヤ)アシュケナージ達が(偽ユダヤと呼ばれる場合もあるんだったかな)ポグロムなどで特に酷い弾圧を受けた」でいいのかな。


■先日書いた「経済成長と『共同幻想』の崩壊論」でも書きましたが、
ぶっちゃけ第三次産業(サービス業)ってのは、無いなら無いで誰も困らない産業です。
(無人化先進国無労働社会になれば真っ先にAIに代替される産業)
 ↑
当時の(土地に根付く営農適応)『共同幻想』正規メンバーから見れば、
最初から怪しい別の宗教系『共同幻想』民族となりますから、
(これがまた当時キリスト教徒はユダヤ教をカルト視していた可能性もあるでしょう:異教徒なんですから《カソリックは宗派の違うプロテスタントもテロリスト認定しており、ユグノー戦争やったぐらいです》)
どえらいことになったと(民族浄化に及ぶ虐殺)。

注:「ユグノー戦争」(フランス語:Guerres de religion, 1562年 - 1598年)は、フランスのカトリックとプロテスタントが休戦を挟んで8次40年近くにわたり戦った内戦である<wikiから引用>


●ある意味イスラエル建国までの間、ある程度安心して暮らせるのは当時でも「歩留まり」世俗主義の中心となる都会に限られ(この時代ならパリやウィーンでしょうか)、或いはカルヴァン派発祥の(人によっては無理やりにでも自由主義とか言われる)オランダ、
これに対し東欧ユダヤ人(アシュケナージ)は苦難の歴史を辿ったと、
※イスラエル以前までは、NYこそが(別名:Jew York→イーストコーストJAZZの背景には芸能を民族の稼業としてブロードウェイ・ハリウッドを支配するユダヤ人社会の関係もあると言われる)、安住の地みたいなことになっていた(そしてウォール街)。

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posted by kagewari at 00:30 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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