実際にネコに育てられたハスキー犬が猫座りするなどの実例があるので間違い無い。
人類ヒト科以外の(ここもあらゆる生物確認できてるワケでは無いが繁殖期が壊れてる哺乳類は人類ヒト科以外の実例は無かったと思う)『繁殖期からの養育、母性本能が一致してる一般の哺乳類の場合』生存に関わる一般的なスキルを会得すると、親離れして(長くても数年以内に)成体として独立する。
人類の場合もサルとしての本能が効いてるのは長くて数年であり(母性本能もそのタイミングで第二子出産に繋がらない場合一旦途絶える)、後は本能ではなく家族の社会性の中で教育は行われるにしても哺乳類の摂理からは外れた(考えて会得する)教育というレベルの話になる。
※保育園や幼稚園がこの辺の年次で設定されているのはいちおう合理的な発想ではある
■「昭和までの社会性」で言えば、親は口を開けば「ちゃんと先生の言う事をききなさい」などと、自分は中間管理職に過ぎず、権威の上部構造があることを自分を通じて叩込んだわけだが(勿論この辺も現代社会では壊れてるけどね《たかが教師などに権威性など誰も感じない時代》)、
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はい、ここが鍵です
「親が自分を通じて」←何故親が自分を通じると権威性刷り込みの教育効果が効くのか?
そら、本能レベルも効いてる哺乳類の養育期間までの間(生まれて数年まで)親は子供の生殺与奪の権を有する絶対者であるから、子供から見れば”その間絶対の権威”だった記憶がある。つまりこれは”親が”というより、自分が生存能力を欠く不遇者だった時代がそうさせてるワケ(御存知のように人類ヒト科はネオテニー進化の影響で著しく幼年期の自立的生存能力を欠く)。
※この場合の記憶とは赤ん坊の記憶があるとかとういうこっちゃなくて、親の言う事に従う従わないで善悪感情が揺さぶられる仕組みが自我に構造化してる様それ自体が記憶の産物ってことさ。
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■ある意味その時代のノスタルジーを利用して(にわかに逆らえない親が言うのだからと)
「親が自分を通じて誰それのいうことを聞きなさいだとか、何何のルールに従いなさい」と叩き込むことで、”にわかに逆らえない”(逆らうことに罪悪感や嫌悪感を伴う)ルートができるわけ。
この権威の投影ルートみたいなものが”いい悪い論の元ネタ”だよ。
※勿論親の実像が思ったものと違い、反面教師で(記憶の中で勝手に美化された権威に対し)「きっとこうだ」と反動形成される”いい悪い論”もあるだろう。
この話は”そのまんまかどうか”は論議になっておらず、誰もがそんなルートの影響下にあるってことがポイントで、フロイトはこれを『超自我』と定義した(『自意識』adomin超える管理者権限:善悪や倫理の執行者)。
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