2022年08月09日

近代の『共同幻想』社会が人権侵害級なのは”これ当たり前”で必然だった

集落が生きるか死ぬかってことに対峙するために構成されたのが『共同幻想』です。
個々人の人権無視してでも共同体の存亡を重視するために設計されており、
(なので経済的に豊かになり先進国となって以降は必要が無くなるんですが)
「いかに全体が生き残るか」その一点に集中しているのが『共同幻想』で、
それだけではありません。
封建社会から近代までは”戦乱の時代”であり、
中途半端な『共同幻想』社会は滅ぼされるため、バトルプルーフされた強度の高い『共同幻想』社会のみが生き残り、たとえるなら軍国主義的なことが正義であった。

50年代の米国の繁栄がアンチテーゼのようなとこありますが、
これは地政学的に「安全なとこにいたから」であり、
且つ、英国独立・フランス・スペイン・代理戦争のメキシコ・南北戦争内戦と、そこに至る以前は戦争に明け暮れていたのであり(江戸300年の前に戦国時代がったようなものです)、
『共同幻想』社会とは生存のため戦う集団であると表現しても間違いではありません。

経済学的には至極簡単な話で、
限られた繁栄を奪いあう過当競争から、先進国に至るほどの高度成長を経た状況はファンダメンタルの比較にもならない話で、「土地を奪い合うのではなくて、生産そのものを捨てるほど成長させればいんじゃない?」って転換です。
●「平和と経済成長は等価である」(経済成長の無い平和など無い)
→「経済的破綻を目論むものは戦争(や全体主義の復活)を期待している」

ですから現代の若者達が、
現代社会にも残存する『共同幻想』系慣習を「ブラック」と位置付けるのも当たり前で、
欧州キ印のフェミにスト過激派が「男性は死ね」とかやってますがw
発端となる着想は理解できます。
行き過ぎた論議のひとつに、大女優カトリーヌ・ドヌーブさん炎上騒ぎがありますが、
(男性が女性を食事に誘う行為はそれだけでセクハラであると論じるフェミに「それかどうか」と発言したカトリーヌさんのSNSが大炎上し謝罪に追い込まれた事件)
ファミニスト大激怒心理の背景には事情があるんです(彼らはそこ自分で説明できないから、、)
 ↑
奴ら(過激欧州フェミ)が何にカチンときたのかと言えば、
■『共同幻想』社会における暗黙のゲームの論理「仲間同士は全員OKルール」(告白された側が断る時に「ゴメンナサイ」と謝罪しないといけない《キモチワルイ恋愛リアリティーショー》=基本ルールは《同じ社会の仲間の告白は》OKの筈が前提となっている)、ここを勝手な思い込みで(『共同幻想』崩壊後も同ルールがバリバリ有効とノリノリで)「今日食事にどう?(僕と性交オッケーイ?:断る場合君が謝罪するんだぜ)」と声をかける行為は、「そういうルールとか現代にはもうネーから主義者」にとってはガチのセクハラとなるためです。
※しかもそこに”同調圧力”かかっているという、、
※奴らが感じ取ってる不快はこの社会の論理のギャップというか、現代と『共同幻想』残滓(ブラック社会)との関係性の論議で、個別に「食事の話では無い」んですわ。

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2022年08月04日

「友人論で誤解しているケースがあるようなので」補足

■「人に合わせる」=自分の個性化を失う(他人に同一化させる)
 ↑
基本こういうこと言ってるだけだから

社会やコミュニティー重視となれば(全体主義)
個性重視となれば(個人主義、『民主主義』)
 ↑
難しいことは何もないよね

●保守派の勘違いは『単独者』だらけになれば社会性が崩壊するとかなんとかだけど
”愛国心”や”災害”などに関係するマターでは、
「近代の集落としての生存圏に関わる」必然性が概念では無く事実として突きつけられるので、自動的に組織的安全保障が”個人的にも重要事項となる”
なので、ある意味『単独者』ほど献身的にチームプレーもこなすワケで(『単独者』編成による典型事例がプロスポーツにおけるナショナルチームやオールスター、軍隊なら「特殊部隊」)、仮にそういう事情もわからないバカがいれば別かもしれないが、論理的に『単独者』は認知にリミッターが無いのでそういう理解は『共同幻想』適応者より深い。
 ↓
これが政治参加における政策などへの強い関心になるのであって、
『民主主義』社会は、本来『単独者』有権者によって正常機動すると考えることもできる。

事実、人に合わせる延長で(それを縁として)友人になる場合、
それは”近しい人の関係を大事にする”って『共同幻想』慣習として知られているもので、
代表例は「近所付き合い」です。
●実際近代に近いほど大事でしたね。
現代でも地方農村部になれば慣習も残っているでしょう(近代までは近所と協力することで農業が営まれていた)。
しかし、現代の都心部で近所付き合いは昭和前期の頃のように盛んですか?
「ほぼ無いですね」→しかし、だからといって東京や大阪の治安がトンデモになってますか?
「なってませんね」(反社が仕切る地域とかはそりゃ例外ですが)

近所付き合いの濃淡と、所謂近しい人とは親しくしましょうの延長で友人になるってのは
同じ概念であり、
現代社会では、『共同幻想』系の友人(付き合いの延長上の関係)はなくてもいいと若い人に認識されていることは、「都会における近所付き合いの濃淡」と意図は同じです(東京では町内会費と言う言葉が聞こえなくなってから久しい)。

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posted by kagewari at 03:16 | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月29日

自称コミュ障な人へ「そこじゃないから」

前回の続きになりますが、
 ↓
心理学的に言えば、トラブルというか当人が悩みや不都合を訴えている場合、
その発端は「強迫心理」であり(自分自身の『自意識』で自問自答できない聖域化された前提条件)、コミュケーションの問題ではありません。

発端となる「強迫心理」がどういうものかって、
「強迫心理とは、(主として時制的に子供時代になるが《PTSDは別》)”家幻想”であるとか”閉鎖的子供社会などで《文科省の愚策でクラス運営が続いていたため》”、関係性の継続が自分の命運に直結してしまうという錯覚のこと《子供の場合必然的に大人に比べコンプレックスを派生させる環境にある》」←だいたいこんな感じの理解でいいと思う。
●前述のように、その社会環境は子供特有のもので、通常は大人になった段階で解除されるのだが(なにかこう適応し関係を継続すべき既存の社会環境などというものは大人社会には無いですから《嫌なら辞めるなり引っ越すなりできる》)、
仮に職場やなんとか教室でもなんでもいいですが、いきがかり上関係すべき社会があった時に、
「自分がどう思われているのかなど過剰に気にしてしまうこと」でもある。
 ↑
ちょっとわかり難いんだが、後者は二次派生的に起きている。
 ↓
前段の設定(「強迫心理」)があるために、
フラグの立っている社会で「好感なり、こういう風に見られていないとダメだ」などのように思い込み(設定上関係性の破綻は命運に関わるとされているため)、容姿のことを気にしたり(醜形恐怖もその派生)、絵にかいたような良好な友人関係が約束される認定に拘ってみたり(思いつく限り”やれ何々がダメだからそうなっていない”など誤解が連鎖)、逆に強面を装ってみたり(アクセサリーやブランド関係などに執着するのも二次派生)、とにかく「的外れなことに執着してしまう状態のこと」です。

■実際の話
大人になって得られる”快感代謝”の日常性ってのは、
何か殊更の幸福などある筈も無く(凄く単純な話だが「結婚すると自由恋愛できなくなる《不倫と言われる》」←何事もトレードオフであって)、何か気ままにいけないだろうかってそこは個人のアイデアであってだね(この辺で十分だと思えば「歩留り」選択もアリ)、
何かを約束される人格などありません(幸せそうに見える人にも気苦労あるのであってだな)。
【錯覚の背景】はだね、
子供の場合に限って言えば(ほぼ快感代謝を受益する側だから)家長権威に何らかの理由で特別に気に入られれば特別贔屓される可能性も無いじゃないでしょ(それも実際の話は本人努力もあってのことだと思うんだが、、)。逆に言えば”何をしても嫌われていたらいいことが無い”と思い込めるじゃんよ。
 ↓
そこで、「あー嫌われているからだ、好かれているからいんでしょ」みたいな落とし込みになるんです。
(「強迫心理」の派生で起きがちな錯覚)

するとね、「好かれるにはどうすればいいんだ」「何がどうだから嫌われるに決まっている」などなど、あられもない方向に執着してしまったりするワケ(現象としては「どうしてもそういうことを考えてしまう」など)

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posted by kagewari at 22:38 | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月28日

自称コミュ障な人が(心理学的には何ら問題無いと思うんだが)、仮に典型的症状があるとするなら、それは過剰に「友達ガー」「恋人ガー」とか思い込むことだ。

そもそもナントカ障害ってのも臨床系が言い出したことだと思うけど、
心理学としては「仮に本人困ってなければ全然OK」であり、病気とすら思っていないんだが(フロイト時代もそういうネタがなかっただろうし)、心理学的にそこに何らかの典型的な症状があるのだとしたら、それは過剰に「友達ガー」「恋人ガー」とか思い込むことです。

(※勿論だが、労災や障害認定など社会的には《法的にも》病気の認定があることに異論は無い。言語的にその状況なりを『共同幻想』的に説明するには他に方法が無いし、本人が困っている場合それは常に《臨床が病気と認定しなくても》それは心理学マターだからだ。)

<<話は戻って、どういうことかと言えば>>
自称「コミュニケーション障害」なんですよね?
まずもって、コミュニケーションすることが前提になっているけれど、まずその言語の意味です。
過去ログに書いたけど、
電車に乗る、コンビニで買い物する、他人と会話する、←これができていれば、コミュニケーションに何らの障害はありません。
だけど、そういう意味で使っていないよね?
(心理学でいうとこの「適応強迫」みたいなことでしょ=過剰に・強迫的に社会適応を気にする事) ↓
あたかも”適応すべきコミュニティ”が前提にあって(この段階で『共同幻想』適応があたかもノーマルみたいな設定なってるけど、、、現代は既に少数派だぜ?)、
そのコミュニティー内で友人関係なり異性関係なりがスムースにみたいな?
いやいやいやいや、、、それは『共同幻想』適応論で、無関係な人はやらんくていいことだぞ?

●ちょっと整理するけど、近代『共同幻想』ってのは
「オマエも立派な○○(地方名方言)人だ」みたいな、型にはまった同一性人格をインストールしたか否かを前提に(集落はほぼ全員同一人格になる)「同じ(人格の)仲間だから皆友達だ」みたいな村社会を形成してましたよって、昔話に始まる。
 ↑
私語禁止の世界です(極論「個人的意見を言ってはいけない」)

その近代『共同幻想』社会は敗戦と文明化により見事に崩壊しまして、
昭和に残ったのは、”崩れ適応社会”の残滓のようなもので、
全国世論調査的に言えば、地方や大企業の年長者のメンタルにそれが残存している程度で、30代以降の若い世代においては、”ほぼ少数派”に落ち込んでます。
【個性化を標ぼうしたゆとり世代以降、急速に『共同幻想』適応系は少数派に転じている】
 ↑
ちょっと保守派の方勘違いするかもしれないので補足しますが、
日本の文化伝統は上方でも江戸でもサブカル・オルタナ系であり(これが後の粋の文化やらアニメ・ゲーム・AV他現代の日本文化に連なる)、農村の村社会を例外にメインストリームは個性派重視です(単に日本の近代は欧米列強を前に明治維新でネジ巻かないといけなかっただけ→現実戦前戦中であっても日本は民主主義国家だったという論考もあった筈です)。


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posted by kagewari at 21:49 | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月26日

「(所謂『共同幻想』系の)友人などいなくてもいい」という論調の真意

これね、簡単な話
 ↓
昔はね「友達が塾に行くから僕もいきたい」だった(同一性)

現代は「量子論の話が通じる奴がクラスにひとりもいネ」←さて、どうするか?
(昔なら話の通じないことで自分の興味に自信が無くなって辞めていたんだが)
「ネットで検索したら量子論語ってる人がゴマンといるんだな、二重スリット実験youtube解説動画もゾロゾロどころか凄い視聴数になってる」←”これだな”
するとどうなる?
話の通じないクラスの誰かと仮に”付き合いで友人になって”全く興味の無いゲームの話に合わせることが(合わせるために同じゲームまで買って)、何か意味のある事に思えるのか?

※わかりやすくする上で量子論とかあげたけど、そらマニアックな民族音楽でも、羊毛からセーターを編むとかの話でも、特殊メイクでもよけりゃ、世界一辛い食べ物でも、ホンダのカブを全部バラすでも、レバレッジ無しに1万円から始めるデイトレでも、脂ぎってる菜食主義の研究でも、現実を意図的に錯覚させるVRでも、「ソーラー発電より光合成」インチキ農業で自給自足でも、ポーカーゲームの数学的なんとかでもいいし、winXPマシンの現代的使用法の研究でもいい、ネコの神秘的能力の研究でもいい、、、町で他に誰もやってなさそうなら何でもこの例示に当てはまる。
(これはレア度推奨話では無くてさ、その主体性が”俗に言う友人関係”に阻害される代表例としての話なので誤解の無いように。「”俗に言う友人関係”に主体性が阻害される状況があるからね」って話《しかもその個性の先は未知数なので全てにあてはまる可能性の論議になるじゃん》)

<えーと、話は戻って>

そら、SNSは推奨しないがどこぞのネットで量子論詳しい人と話してるのが(快感代謝の点で)10倍楽しいよね。
これね、別に直接話ができてなくてもいいのだよ、
その人物のコンテンツ視聴して、時々コメント残すとかでも”交流”だし、その人物に対する親和性というか親近感は通俗的意味の友人を超える。
(でさ、その関係は昔ながらの”付き合いで友人になった人”では無いだろ、というか通俗的にその親しい人物を友人と認識しない可能性もある。)

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2022年07月18日

記憶はどこまで正確なのか?

一個前あたりの記事かしら
「現実認知なるものも、一度脳内で再構成されているVRと違わない代物じゃないか?」って話
更に言えば、
ジェットコースター『興奮』を伴うエピソード記憶の場合、BGMがついていたり脚色されていたり劇画調に編集されていることになる。
(どういうことかって、地上波のキモチワルイ報道などの演出を違和感なく視聴しているケースが存在するだけでなく、普通に映画を観る時にBGMに違和感あって観てられないなんて話は無い《普通に映画音楽賞なんてのあるんだから》)
”だから”絵日記なるコンテンツが昔成立したワケだ。

他人の脳にダイブすることは誰にもできないが、
たとえば「ひとつの事象がどう見えたのか」って話を考える時、
当事者全員の見え方ってのも違うだろうし、
それがエピソードとならず、淡々とした”忘れてもいい記憶”の人の場合だとひと際見え方が違っていることになる。
(JAZZファンじゃない人が、マイルス聴いても特別何も残らないし印象も語れない)

■「記憶を作文だとは言わないけれど」
たとえばさ、左翼界隈にある「アベガー」ってあるじゃない。
(左翼の目には安倍首相がどう見えていたのだろうか的に)
先入観や余談がある時、視覚情報すら正確性が疑われるのであって(いきなり怒り出すことを周囲が不安げに見てる対象者がいるとしてさ、この人物は別に怒っていやしないのに、周囲が「怒ってるんでしょ」とか見えたりすることもあるでしょ《星野監督伝説とかさ》)、


それはさ、結果として「体験している事象そのものが別のことになることもある」ってことだよね、
●さて、心理学ブログだからさ、
ここはエディプスコンプレックスに関連させて考えてみようか。
「ある意味エディプスは(子供事情の)錯覚である」って話を過去にもしてきた。
たとえば、
人類ヒト科が本能壊れたか?ってレベルに異常に発育が遅くなったり、
未熟児かって出産に至った結果(サルの本能では歩ける設定なので)原始歩行してみるけど、歩けないことを知りショックを受けるように、
「ダメじゃんこのままでは死ぬ」って状況で、(目もよく見えていないので)後に神のイメージに錯覚するような親と対面することになる。
 ↑
これってさ、さっきの「いきなり怒り出すことを周囲が不安げに見てる対象者が、別に怒っていやしないのに「怒ってるんでしょ」とか見えたりすることもある」って話そのまんまだと思うんだよね。

フロイトはそんな話していないから、これは俺の私見なんだが、
「ほとんどのエディプス・コンプレックスは幼児事情の錯覚」だと考えてる。
(だから、特別心理学の知見が無くても通常営業思春期『反抗期』であらかたネタバレ可能なのだと《自分自身が子供では無く大人になったというだけの転換で『抗う(あらがう)』ことができる》→本質的には”幼児期錯覚のネタバレ”だからね)

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タグ:強迫心理
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2022年07月16日

しつこつ説明「エピソード記憶」と『興奮』

『興奮』を伴わない「エピソード記憶」は存在しないし、
「エピソード記憶」を思い出す時、『興奮』も追体験される。

それが快なら感動かもしれないし、思い出かもしれないが、
それが不快なら教訓かもしれないし、ルサンチマンかもしれない。
 ↑
無意識状態の脳にとってその区別は意味を成さず(『自意識』の判定が必要)
「エピソード記憶なのか否かに過ぎない」
=『興奮』を伴う記憶か、否かに過ぎない

■事実快感代謝を巡る「エピソード記憶」には、『自意識』が関与しても、快なのか不快なのか判然としないものも多く(激辛、わさび、珍味、ジェットコースター、甲子園の勝利と敗戦、性行為、出産、博打における勝利と敗戦《負けても又次やりたくなる》)、無意識下の脳にそれが主体的に判別できたらむしろ異常現象である。

更に言えば、PTSDやトラウマ現象或いはスポーツにおけるイップスのように、
「エピソード記憶」は、『自意識』に対して上位であり(何故なら『興奮』は脳内物質の分泌を伴うものなのだから言葉にするなら「我を忘れて」など”本能の残滓”にダイレクトに影響し《典型例、体罰や躾「俗に言う身体で覚える」》)、フロイト自我論で言えば”超自我”を構成するからだ。
また、「エピソード記憶」は非論理的な情報では無く、概念(それはどういうことか)と結合する。
(概念の結合することで記憶として意味を成す)
一見それは『自意識』の関与にも思えるが、
その場合の関与とは『被る(こうむる)』認知の従属的なものであり(ショックが先だから)、
 ↓
「エピソード記憶」の解除は、
後から「それは過去である」認識のもとで、”ネタバレ”(実際それはどういうことだったのか)によって『興奮』の”幻滅”によって行われる(申し送り事項や但し書きが付く)。
「歴史的解釈」みたいなことだ。
しかし解除のためには、その記憶と向き合うことが必要なので(デバッグ)、
PTSDは容易に解決しない。

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2022年07月15日

歯科医(医学博士)から興味深い話を聞く

<仮説も込みのかなりディープな話なので、学問として心理学に興味無い方はスルーでどうぞ>

かかりつけの歯科医が何の縁なのか友人っぽくなっており
(この人はリベラル系なのだと思うけど、話好きなのか診療時に1時間近くあれこれ話すことがある。俺は個人的に歯科に縁があるので《母方の家系》関係あるのやらそれは謎。)
先日興味深い話を聞いた。

■フロイトの夢判断を考える上でひとつの根拠になるだろうと思う。
テーマは歯ぎしりだ、
時に噛み合わせが狂うほど強い歯ぎしりってのがあるんだが、
医師の話だと「睡眠時には痛覚も落ちているため、ブレーキの壊れた自動車状態で通常は無い力で歯ぎしりを起こすことがある」って話から始まり、
そもそも幼児でも(歯が数本しかない時期にも)ナチュラルな歯ぎしりがあるんですよって話。
(ナチュラルな歯ぎしりとは、寝返りなどと同じ反射的動作として起きるのだとか)
それがどういう時に起きるのかと言えば、
「何か面白いことがあったとか、始めて何かをしただとか」そんな時である。

そうです、「エピソード記憶」
脳科学の分野で、就寝時にも昼活動するのと別の領域が活性化しているのが知られている。
これを研究者は俗称で”デフォルトネットワーク”と呼んでいるのだが、
何をしているのかと言えば、心理学で”昼の名残”と呼んでいる記憶の整理だ。
脳科学的にはあくまで概念としてではあるが、
「この時脳は、前頭葉近くのフラッシュメモリーから情報圧縮してハードドライブに相当する”過去野”とも言うべきところに記憶を整理していると考えている。」
【これが一夜漬けの試験勉強を本番で思い出せなくなる理由だ】
逆にサバン症候群として知られている”直観像記憶”は、このプロセスが何らかの事情で違う形になっているのだと考えられている(全てがエピソード記憶的に情報圧縮無しに記憶されているなど)。

※所謂記憶法にはデスクトップパーツと関連させるとかあるが(身体の部位に紐付けさせるなど)、
それは情報処理(圧縮)の逆説なんじゃないかしらね、


情報圧縮の意味を理解できない人に説明すると、
(これは覚醒時の話だが)
●典型例が「視覚情報の画像処理」
人の顔など情報量の多いものは、通常はザックリと〇△□などの(8ビットかって)簡略化された情報に分解圧縮されて記憶される。
これが絵の描けない人が、牛とかを「小学生の絵」みたいな情けない状態でしか描けない理由だ。
(脳内ではその「小学生の絵」みたいな二次元情報でしか記憶されていないため)
 ↑
同様の情報処理を、概念的記憶に関しても睡眠時のデフォルトネットワーク下で行われていると推定している(ここは各種情報突き合わせての俺の推定ね、)

この場合、何をしなければならないと思う?
「それはエピソード記憶として《デスクトップや前頭葉フラッシュメモリーに》残しておくべきか、圧縮処理して”まあ大概に忘れてもいい記憶”として格納処理するべき事案か、振り分けしないといけないよね」
 ↑
だとする場合、常に睡眠時に「エピソード記憶一覧を閲覧することになる(過去へと処理するべきか否か)」【この時、疑似的に追体験しているかのように観るのが”夢”だ】
■夢が時に、空想かってとっちらかっているのは(絵の描けない人の小学生並みの牛の絵のように)そものそも人の記憶ってのは「エピソード記憶であってもなんらかの一次処理(イメージ化)が行われており(時に”盛られていたり”時に簡略化していたり)」そのままじゃないからだろう。
「覚醒時思い出して語る」って時にはかなり正確に再構築できても(そんな時ってさ”うーん”とか”あー”とか言いながら何らかの処理するじゃん)、睡眠時には『自意識』がフラグを辿って再構築処理できていないのだから、「エピソード記憶ですらもちょっとカオス」なのだろう。

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 00:45 | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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