2024年08月11日

人の話は事実を語っても事実ではない(これさ過去と記憶との違い)

「過去を一人称で語る場合、それはほとんど物語である」
(裁判に置いて証人の証言は間接証拠の部類になるのはそのためだ《それはあなたの感想ですねの延長と取られる》←複数組み合わせて初めて証拠能力が担保されるが、だとしても物的証拠には及ばない。)

■理由は簡単で、他人の気持ちをテレパシーのように理解する超能力者は滅多にいないだろうし(この部分は推測だ)、仮に当事者がその場で本音を語ったのだとしても(精神分析的には)自分の思考を無意識領域まで自覚できる人など(自分で分析しない限り)いないからだ(本人の発言も極端に言えば断片的なものに過ぎない)。
なので、裁判劇などでは弁護人が「事件と関係の無い事象を質問し、証人には普段から偏見がある」などと立証し証言の証拠能力を失わせたりする。
 ↑
これをまた覆す検察の質問は、「その偏見が事件に関わる証言と関係が無い」ところに力点が置かれる(何故なら何から何まで客観視できる人間などいないからだ《どこかしこに偏見があるのが普通》)。
<と、考えればだよ>→「自分の記憶の証拠能力はいかほどか」
この論議の意味を理解いただけるだろう。
『心理学』の精神分析に”ネタバレ効果”があるのは、言うならば精神分析って「動機形成の構造論」だからで(当事者の心情も動機形成論的に証明する)、事実関係という”結果”があるのだから(物理で言えばどういう法則でそうなったを解析すればよい)その”結果”に収れんする動機形成の動きを見てるワケですよ。→なので当事者も自覚できていない深層心理や無意識領域の話が不可欠になる。
 ↑
無意識など無いとか意味不明の事を言う人は「忘れていた筈の記憶がふと甦ったり、なんとなくどういうことかわかってる中間テストの回答がどうしても思い出せない」などの記憶が”その時どこにあるのか”教えていただきたい(それが記憶なのか、今思いついた話なのかどうやって判断してるのかね?《あっ無意識から来たなとか、部分的に思い出したとか自覚あるものだ》→新規のアイデアだと思っていたら、後から考えたら元ネタあったかもって場合はあると思うけど)。

※もうひとつ憂慮すべきは、事実を報じるジャーナリズムや、ドキュメンタリーの監督は特殊な才能や訓練によってはじめて「一定水準のリアリズムを記録可能」なのであり、これに比べて一人称の過去語りがどれほど”限定的な記憶に過ぎない”かって事もわかるだろう。

■「人の話は事実を語っても事実ではない」
逆も真なりさ、
■「作り話をしようとしても、人は完全なフィクションを作れない」

簡単な話です、
小説読んで「なるほど作家はこう言う人なんだな」ってわかるじゃんww
下手な自伝より、フィクションの方が無意識的な領域含めて「作家の”自我”像」が現れる。
(設定が自由な方が「作品がセルフ箱庭療法となって」無意識的な部分が表に出やすい)

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タグ:無意識
posted by kagewari at 16:27 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月02日

これもまた書くといろんなこと言われそうだが(筋論としては特別なものではない)「人格と性欲」

(今回もかなり乱暴な論議になるので、推論の範囲で聞いてくれ。)
またぞろブッダの話をしようって事では無いが(むしろイスラム教の方かも知れない)、
記事リク規約記事の統計があるだろ
https://kagewari.seesaa.net/article/486298537.html

現代歩留り階層の『非婚・晩婚化』だとか、現代セックスレス夫婦(51%)の背景を示唆するものでもあるんだが、
この現代社会の状況と対立関係にあるのが「近代からの『共同幻想』適応者」ということになる。
対立関係にあるのだから、傾向も反対になる。
●誰でも御存知の事だが
「先進国になるほど少子化となり、比べて第三世界は出生率が高い」
この結果、第三世界から移民を多く入国させると、出生率も高いので20年後には有権者の人口構成が変わる可能性すらあり、保守派の多くがこれを危惧するよね(極端なこと言えば移民が過半数超えたらそこはどこの国だってなるから)。

●近代からの『共同幻想』モデルの特徴は
当時の時代背景(低文明、低所得、低寿命《乳幼児の死亡率も高い》、労働集約型経済)などから、「いかに多産と、相続によって世代を通じて社会の存続を図るか」がテーマだから、「狭義の性欲も強いことが期待される」←文明化していないとはいえ、古代だって散歩や冒険の趣味はサブカル的に存在するから(学問は特権階級に限られるけど)広義展開がまったくできないって事もないと思うんだが、ほとんどの庶民は生活に手いっぱいとなるので趣味の時間などほとんど無い。
何と言っても、電気が発明されてないので活動時間が限られる(自由な”自分の時間”も真っ暗なワケで)。

性欲(生欲:リビドー)の広義展開が難しいのだから
(人類進化の背景から言えば「広義展開してこそのリビドー」だろうって推定はあるワケなんだが)
近代からの『共同幻想』モデル適応人格の場合、狭義の性欲は相対的に強いことになる。
(※この辺は末尾の注1wiki引用を参照いただきたい)

ザックリ言えば、あくまでも自我分析の推論だが、
「現代歩留り階層に比べ、旧世代型の”社会適応者”は俗に言う性欲が強い」ことになる。
(ひとつ示唆されることがあるとするなら、戒律の厳しい宗教『共同幻想』適応者は《信仰者ではなく従う者としての適応者の場合》狭義の性欲が相対的に”より強い”ことが類推されるってこと)
即ち、性対象の斡旋を滞りなく行わないと、性犯罪も多発する。
●ここさ、”適応系社会”でセクハラが多発する事と背景同じなんだわ。
(まさかホイホイ性対象の斡旋等できるものじゃ無いので、近代からの『共同幻想』社会は判で押したように「女性差別史観」を持ってるんだよ。でないと斡旋の運用ができないからだ、)

これに対して次の世代に
 「草食男子」が登場した
説明するまでも無く、現代歩留り階層のことだ

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posted by kagewari at 22:41 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月01日

フロイト『心理学』がどうにもこうにも”社会適応人格”に理解できないことが理論的にわかる動画

ちなみに俺は、政治的発言したりする時の茂木健一郎氏はあまり好きではないというかww
特に関心のある人物ではないのだが(今時英語がどうたらいうのもどうかと思う)、
本業の話では、かなり真剣に語っているので傾聴に値する。
以下の動画は意識の話だが、『心理学』の理解において「無意識・自意識(或いは自我)」の認識無しに話を理解することは不可能なワケで、彼の「意識についていの論議を理解できる人格が限られている業界の話」はかなり参考になる(というか彼の専門性から言えばエビデンスにもなるだろ)。
 ↓
【人類最大の謎】未解決問題「意識」を30年探求する脳科学者・茂木健一郎が現在地を講義
https://youtu.be/A1YTIKAzvQY?si=GPZYaLHe_zFkGMnd


「これ以上言ってもわからない人は、ゴメンなさい退場してください(そういう人には何回言ってもダメなんだってことはわかりきってるから)」←ここに代表されているかな
※精神分析が伝わらないという意味じゃ無いよ?そこで使用するツールとしてのフロイト『心理学』の自我分析そのものが”適応者”には理解できないんです(自分の『共同幻想』が崩壊しちゃうから)。
茂木氏の言う、(彼はメタ認知とか言ってるけど)自分の自我を分析的に理解しても自我崩壊しないタイプの人格(たとえば『単独者』人格)持ってないと、フロイト『心理学』そのものが理解できないんだわ(自我崩壊を恐れて防衛反応が出るため→対抗するべく異論として臨床心理学みたいなのを必死で編み出してしまう)。

俺が科学的に意識について見解があるのかって、「わかるわけないだろ」ww
それが何かを考えるのは(無理だから)テーマにもなくて、
人が自分を自分と認識してる領域の中で(悩みなどのテーマはその領域の中の話でしかないから)「それがどういうメカニズムでどう動いているのか(主として欲求の経済原理)」までが俺のテーマだから。
ここのブログに関しては、誰にでも認識できる領域までの話だ、

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posted by kagewari at 04:21 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月30日

必要無いと思うんだけど、一応書いておくか「異性の友人は何関係?」(2)

<末尾に「よくある反論」URL追記>

「”社会適応系人格”には構造的に本当の友人はいない」
(勿論幻想としての恋愛も不可能です《構造的にその必要性があるんだわ》)
 ↑
この定理は簡単なことで
”適応者”=その分自分を殺して”合わせる人”
なのだから、当該社会で本音を語ってはいかんわけ(極論すると”予定調和”以外の私語禁止)、「友達だよね」に合わせているのであって、本当の意味で友達ではありません。
●そもそもが、自分を殺して(或いは「抑圧」して)隠してるんですから、「友達って誰の友達?」ってことになります(その場では自分も”同調圧力”シナリオを演じているんですから=「目の前にいるのは演技中の俳優だよ」)。

実際には”完全適応者”などあり得ないですから、少々の歩留りは誰彼となくあるもので、
(歩留り率6割以下なんてならないと「歩留り」とは呼ばれない)
適応者でも数%の本音を残してます。
プライバシーというのは、この本音の領域のことですから、
仲間内では表現できませんね、
「抜け駆けして裏でこっそり誰かと会った」などの非公式な状況(=個人的な状況=プライバシー)で語れる相手が、ようやく友人となり(”適応社会”ではこれを親友と認識)、その関係は当該社会に対して秘密にされます。←「公式的にはいない」ってことです(笑

「そんな筈はない」とか言い出すひといるかもですが、
これ”適応者”達の間では、暗黙の常識です。
だからこんな台詞があるんです→「誰それさんクラスの男子で誰が好き?」
(本音は隠されている”非公式”な見解である《尋ねるってことは適応社会はそんな非公式な個人的意見を容認しておらず、公開と共有を迫るシステムであることもわかりますね》)


●構造上”適応者”の本音やプライバシーは大きく開発されることがありませんから
(なので凝った趣味性はなかなか難しく、流行他マスプロダクトに流通されているもに対する偏り程度の個性化にしか至れない)
逆に、感覚的には親友を見つけやすい特典があります。
(この表現もどうかと思うけど、、、)
個人的な話もちょっとできれば十分だからです(そもそもプライバシー領域が狭いから)。
しかし、この逢瀬にはリスクがあり、
仲間の誰かに見つかって、「なんとかさん裏でこそこそ誰かさんと会ってるらしいじゃん」などバレると、一発でもろともイジメの対象になる場合があるので、運用はケースバイケース。
 ↑
この話、「同性の友人でも」です

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posted by kagewari at 22:07 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月29日

必要無いと思うんだけど、一応書いておくか「異性の友人は何関係?」(1)

答えは一発で決まる
「セックスレスの夫婦は、異性関係と言えないのだろうか?」《終わり》
この話の前提というか大枠は以下(既読マストでお願いします)
https://kagewari.seesaa.net/article/501005218.html
※相手が本当に親友の場合は例外事項になるので、これは次回末尾に書きます

■まず、動物の生態で類似の物をと言えば
「狼の群れ」になるが、
狼の群れが異性関係を前提にしていないのでは無い。
(ちなみにライオンの群れは、群れと言うより血縁のメス家族がベースである《用心棒のオスは入れ替わり制》)
「狼の群れ」は雌雄混交でもあるが、性交できるのはリーダーのつがいだけである。
(配下のものは性交できない《生物学専門ではないので配下の繁殖期衝動がどうなってるのかは知らん。基本構造下位グループは子孫となるので若い個体という意味ではないか?:リーダーの寿命も約10年だからな》、早く育った個体の一部は自ら群れを形成するべく群れを出て旅に出るものも多い《一匹狼》勿論、配下の個体はリーダーの子供の世話係でもある。)
哺乳類には珍しく一夫一婦制に近い構造の群れもあるが、
育った子孫に群れを譲り、雄が去るパターンの方が主体とされる(この場合No1のメスは相談係として残る《メスが基本去らないのはライオンと同じ》)。
 ↑
ザックリ言えば、性衝動が勝つ状況(リーダーとの年齢差の関係)などにおいては、一匹狼として流浪の旅に出ると考えるのが合理的かも知れない。
(あまりメスが去るパターンを想定していないのは、あらゆる哺乳類でメスがオスのような性衝動本能を持っていないからだ《性交したくていてもたってもいらなれないなどの状態がメスは弱い:性衝動のピークが緩い》)

■さてここまでの話で一つ参考になることがあるかなと思う
<あえてここから意図をもって、女だ男だのスラングを使います>
「恋愛関係抜きの異性の友達がいる」←こういうこというのは大概女だ、
(男性も言わないとは言わないが、ニュアンスが異なってくる《男性が言う場合は、行為には及んでいないが俺はモテている誇示的な意味合いになりがち》←これは模範例があるからで、「妻との盟約を守るモテる妻帯者」の行動だ。)

上記括弧に対して、
「恋愛関係抜きの異性の友達がいる」←こういうこという女が全部独身と言う事も無いが(なかなか既婚者では考えにくいことだからな)男性社会的には女にマウント取られている形になる。
理由は実に生理的なもので、男性の性衝動は「ご飯の前のイヌ」と同じようなものであり、できる我慢は「待て」ぐらいのもので、これを自力で「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏じゃないけどさww」散らせるなどのそれなりの努力が必要になる。簡単に言うと男性が性衝動を抑えるのは容易なことでは無いってことさ(やおらそれを考えるって意味じゃネーぞ、生理的ストレス反応が派生するってこと)。
※何故南極探検隊のエピソードから”ダッチワイフ”のエピソードが登場したのかね
※何故軍事活動では、繁華街もあるベースに帰れるローテーションが重要なのかね
 ↑
何が言いたいのかって、
「恋愛関係抜きの異性の友達がいる」←こういうこという女が、(極端に言えばだが)友人だかなんだか知らないけど、その場で「ご飯の前のイヌ」状態で我慢してる男性達の心理(ストレス)を慮ってるのだろうかってことだよ。
友人ならさ、相手の気持ち考えるよね?慮るよね?
あろうことか、そんなこと気にしていないのだとしたら随分だと思いませんか?

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posted by kagewari at 23:28 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月28日

「被害妄想」という概念の勘違い(実質そんなもの無い)

以下の話がその背景事情である
「特徴」とコンプレックス
https://kagewari.seesaa.net/article/503860355.html
https://kagewari.seesaa.net/article/503871165.html

起きているのは「何でもかんでも被害であるという認知」であり、
『心理学』無知ある第三者がその様子を見ると、妄想としか思えないという話。
(偏った認知も認知だが、それが妄想としか思えない側もたいがいだ)

■話を原理原則に戻せば
主体的『抗う(あらがう)』認知で「これが俺の特徴だ」(個性)と主張するものは、どんなネガティブなネタでも自慢話になる。
これに対し、
受動的『被る(こうむる)』認知で「いつもそう”言われる”」などの認識は、どんなポジティブなネタでも全てがコンプレックスとなる。
後者がそれを人に話すと「全てが被害話」になるのさ。

『心理学』に知見の無い一般人がその話を聞けば(あまりにもあり得ないので《どこに被害があるのかすら理解できないこともある》)、妄想としか思えないって話です。

■話の根本は『被る(こうむる)』認知さ
何でもかんでも主体性の反対と考えなくてもいいと思うが
ざっくばらんに言えば、強迫的、依存的、受動的(或いは影響受けやすい)、やむにやまれぬ事情がある(失業中にやっと見つけた就職先など)、などで起算された行為の時に、発生する自分の風評(噂)や評価は「ほとんどが被害的に認知される」ものなんです。
 ↑
だって当事者にはいわれなき事情でその場にいるワケで、何を言われる以前に立ち位置が既に被害(受動系)だから。
※もっと端的に言えば、他人に強引に勧められて参加したパーティーで何かいいことがあっても釈然としないというか「なんだろうな」ぐらいにしか思えないのです。自覚的な行動ではないため、何が起きても全部想定外ですから。
(この現象は、強迫的な参加でも依存的でも起きる。)

「え?だったらギャンブル依存諸は?」←これな、アルコール依存症で考えると早い。
アル中が陽気に楽しく飲んでる図思い描けますか?
ギャンブル依存症もその最中、目が座ってそうに思いませんか?
(もう飲む《やる》しかないんだと、)
だからギャンブル依存症は負けたことを理由に止めることができないんです(アル中も健康を害してもやめられないんです)。←変でしょ「儲けるの楽しくてギャンブルしているなら(そんなギャンブルありませんが)、負けることはもうやめたと投げだすほど不快な筈です」。
※勘のいい人ならわかると思いますが「快・不快原則」も関係してます
 ↑
いやむしろ、今回の法則から言えば
「何をやっても負ける不快しかあり得ない(被害しかない)」とわかってるんです。
好きでやってるのではなくて、依存症ですからね。
ある意味、中の人は「自分を被害者だぐらいに思ってる筈です」
(或いは、自分ではもう止められないなどの体感)

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posted by kagewari at 19:24 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月09日

”社会適応者”達の認知構造(記事リク補助用に記事として起こしておくことにした)

「ブス《附子》誤用論」はその代表格かも知れないけども、
https://kagewari.seesaa.net/article/500401218.html
基礎的に、『共同幻想』社会適応者の現実認知は偏ります。
 ↑
■偏らずに”適応者”になることは不可能だからです。
”適応”とは人に合わせるということで(予定調和)、個別性などの認識は重要視されません(社会心理のことになるので)全体としてどうなのか?その認識を多数で共有可能なのか?が重要になります。
個人的趣味性を”適応元”にすることは不可能ですからね。
(「マスメディアの論議VSマニアの専門誌」そのままです。勿論”適応社会”の論議としてハマるのがマスメディア的論議なのは言うまでもありません。)

簡単に言っちまえば、細かい事や難しいことや個別性が含まれてはいけません。
端的にいって”適応社会”にとって個性は悪であり、
日本の採点評価『偏差値』がどれほど”適応社会”で好評だったのか考えればよくわかると思います。
※『偏差値』:元中学の理科教諭桑田昭三氏が進路指導の指標とするため発明

わかりいいとこで、「ブス《附子》論」で言えば、
(美人も極端な個性で偏差範囲の埒外ですから)
美人女優として有名だった木の実ナナさんは、あまりにも外国人顔であったため(出生地などいろいろありまして)子供時代は当時ハーフの蔑称だった”あいの子”と呼ばれ激しいイジメにあっていたそうです。
『偏差値』の俗称は「平均的、平均以上、平均以下」などの概念指標として広まっており、個別性の評価には適していません(数値化できないため:一点ものの価値《個性》は相場から離れる)。
 ↓
つまり”適応者”の俗に言う価値観は「平均(最強多数に共有可能な)」をひとつの指標にしており、これが彼らの常套句でもある「普通」を意味していたりします。
(本来の『偏差値』は母数の多い中間点の平均値を測るものではなく、自分の学力に応じた志望校を判定するものなんですが、「平均最強、普通こそ普遍」みたいな概念に結び付いていった。
※典型的な用例でもある「顔面『偏差値』もブス論同様に誤用であるのがわかりますね?」←しかも暗韻として踏まれているのは「ヴォリュームゾーンの中央値を普通の価値基準とすること」であり、美人評価の指標では無い(簡単に言うと「平均以上」を指標にしている)。

■時にこれが極端に転じて謎ワードが登場します。
「僕は普通でしょうか?」←ほぼ言語として崩壊してますね、
素朴に常識的な国語で読解しようとすると→「何言ってるのかわからない」
まず確認が必要になります
「その普通は常識的な意味のことですか?はたまた『偏差値』認知の中央多数のボリュームゾーンこそ正義(数学界の”適応すべき予定調和数式”)みたいなイメージですか?(そもそも造形を数値化して関数でグラフにするとか不可能ですが)、はたまた「最近どう?」みたいな”適応者”特有の調子のいい話のことですか?」
 ↑
ちょっと解説すると、
普通も何も、誰もが人類ヒト科であり「あなた普通の人間ですよ?」
(魔物とかそういう風に見えません)
「いやそうじゃなくて」
「じゃあ何が言いたいの?」

そもそも数値化して関数グラフに乗らないものを『偏差値』的に考えることは不可能だから。

●逆説的に言えば、趣味性や個別性の高い事象には「ブス《附子》論誤用」みたいな話は最初から登場しません。
昆虫採集の専門家が珍しい個体を発見して「これはブスだな」とか言いませんから。
(勿論、人を性の商品化として見た時の競争力みたいな話は一部可能ですが《この段階で差別的なので現代で表立って言える話では無い:ポリティカルコレクトネス》、私が女衒などの風俗の人買いだとして、どう思うかって《類似に芸能事務所のスカウト》、これはもう一般論ではありません。←むしろこの世界では一般的という意味が”素人”として語られる。)

私は「この世にブスなどいない」とか左翼みたいな綺麗ごとを言ってるのではなく、
本質的意味は語源の《トリカブトの根:附子》「無表情、不愛想、物調面などのこと(略して言えば”笑顔の無い様”)」であって、
でなけりゃ「愛想笑い」なんて言葉はこの世に無い筈です。
そして美人なんてのも想定外であり「基本誰しも一般素人(普通)だ」が”適応者”に期待される認知の本質です。

上記の認識は”適応者”の一般論であってだな、
(変な言い方になっちゃうけれど、”適応者”を相手に好感度を上げるなら笑顔で十分ってこと)
性別でもそのイメージは若干違ってきますが、性別に分類しただけで(ちょっと分岐しただけで)もある種個別性のフラグが立つからだろう、
※男性におけるカッコつける様に「ニヒルで無口(笑顔の反対)」なんてのがあるのは何故だろうってさ、男性社会には「血で血を洗う競争社会」みたいな「勝手な男社会のイメージ《男性誇示:マチズモ》」とかがあるから、←しかしこれは男性社会におけるカッコいいであり、男性営業マンに置き換えれば男性でも好印象が笑顔であるのは同じ。

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posted by kagewari at 16:28 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月04日

こないだのアイデンティティー論の続き「特徴」とコンプレックス(2)《オマケ》

■前回記事よく読んでくれたらわかると思うんだけど
https://kagewari.seesaa.net/article/503860355.html
自分が関与した覚えのない外形事実を「特徴」として他者に認識されると、その行為の構造が鬱フラグとなり、極端に言えば何を言われてもコンプレックスフラグとなる。
(わかりやすくいえば「何々と言われた」などの認知《極端な場合何でも悪口に聞こえる》)
これが「ブスガー」の正体でもあるんだけれど、

前項論議のアンチテーゼが「些細なアイデンティティー論の展開」だったけれど、
当該人物がやる気満々の「意欲的選択者(たとえば『単独者』)だとどうなる?」
これさ、まさに、
「悪評すら褒め言葉に聞こえる」んだよ(笑
ブログ読者の方にはわかるでしょ。その意味と仕組みが、
(コンプレックスの反対なのだから”自慢話になるのさ”《言われたではなく言わせた》)

「このクソトンデモが俺は好きなんだよな、そうだホニャララしてみるか」
(この段階で彼は、その様子が第三者に驚かれたり否定されたり場合によっては嫌悪されることが織り込み済みで《そこも余興のひとつにすらなってる》)
「お前いい加減いしろよ、そりゃなんだ」←これ聞くと嬉しくて仕方がないワケだよ。
(どうだい俺のバカな考えに驚いたかって)

■『単独者』があんだかんだと自分の考えを持つのは「面白いから」であり、
関係者からそれが悪評であっても全然いいワケで(全てが賞賛に聞こえる)、
下手すると好評のが落ち込む(え?驚きもしない平易な発想だった?)
ここに「ブス《附子》論」あてはめて比較してみ?
(附子の本来の意味は?「無表情、不愛想、仏頂面」《主体的に面白いこと考えるなどの要素は皆無で『被る(こうむる)』受動系認知や依存系である》)
「ブスガー」を解決するルートは、「主体的に堂々と好き勝手に面白いこと考える(自分の考えを持つこと)」であり、
間違っても美人になることでは無い。

(※類似する話が「コンプレックスのパラドックス」でさ→「コンプレックスの解消とは、要因をそのまんま解決することでは無く、それをコンプレックスだと思う事を解決することである」)


●時にこの自分の考えってのは、欧米の教育における「自己主張しなさい」と勘違いされるが、単なる自己主張ってのは(そこに考えがあるのか問わず)自分の利害を押し出すことなので全く違うものです。
だいたいが、そこにしっかりとした自分の考えがあれば(見りゃわかるんだから《或いは少し話せばわかる》)、それをイチイチ他者に圧力かけて主張を押し付ける必要性がどこにも無い「”個性化”と自己主張はむしろ対立概念に近い」。
(「考えがある=根拠がある」なので、この考えに他者の共感や理解などは必要が無いからだ。「理解できない奴はバカだと思えばいい」)

『単独者』の日常ってのは、そこに関係する他者になんらの影響受けず(争うことも無く)、
考えてることが面白ければ(或いは面白おかしく好き勝手な事考えてる人は)それに比例して上機嫌になるという、シンプルな人格モデルだよ。故に『単独者』は殊更にイベントも求めない(てか日常が大事なので邪魔)。


posted by kagewari at 15:21 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月03日

こないだのアイデンティティー論の続き「特徴」とコンプレックス(1)

まず、先日の記事から引いて考えると
https://kagewari.seesaa.net/article/503783254.html
https://kagewari.seesaa.net/article/503792631.html
思う以上に本人が自分だと定義してるものは些細な選択結果の結果や分岐の行き先であることがわかる。しかし、外部がそれを認識する時ってのは「わかりやすい特徴」から視覚情報に入るよね。
(脳の現実認知はボケっとしてる”無意識状態”だと、情報伝達速度に比例するので視覚情報が優先される。)
「なんとかさん、背が高いよね」「なんとかさん細いよね」「ナントカ課長はハゲだから」「なんとかさん髪黒いよね」「誰君は声低いよね」、、、、そのままあだ名のネタになったりもします。

 ↑
■ふと思いませんか?俗に言うこの身体的特徴は(自分で選んだものでは無いので自覚的には誰しも『被る(こうむる)』系認知になるため)「ほとんどが当人にとってはコンプレックス」になるんです。
(記事リクで以前大変な事になった「ブス《附子》ガー」思い出してください。今回の論議はそこをひも解きます。)
 ↑↓
■これに対して(ここで先日の記事アイデンティティー論)
「髪型ツーブロックなんだね」「髪染めたんだ、その色いいね」「課長髭似合ってますね」「ひょっとしてジムとか通ってます?」「洒落たバッグをお持ちですね」、、、場合によると”その人物を語るトレードマークになりませんか?”
そして俗に言うこの個人の趣味は(全て自分で選んだものなので自覚的には誰しも『抗う(あらがう)』系認知になるため)「ほとんどが当人にって、自慢の”○○だろ?”」になるんです。

ほらね、だから些細なアイデンティティー論を規制されると、当人のメンタルがダメージ受けるんです。
(せっかくの『抗う(あらがう)』系が『被る(こうむる)』系にダウンすればそれだけで鬱ポイント+10)

 た し か に

「お前野球選手だろ?試合も出て無いのに鏡の前で髪型チェックしてる場合か?」←これもよくありますね。【その意図は何か】
■上記のネタバレは簡単で(一種の『共同幻想』合理性認知でもあるんだけど)、
「もっと存在理由(レーゾンデートル)に近い選択肢が目の前にあるのに(自己存亡の緊急事態に類似)、今”日常の(平時の)些細な(ほのぼの)アイデンティティー論”をやってる場合か」
 ↑
これはアイデンティティー論というより、現実認識レベルの話なので別論議なんですよ
たとえばね「震災で大変な時なので、○○とか言ってられない」(いかにも『共同幻想』合理性認知でしょ)。
なので、前述の野球選手への苦言の定番台詞は「真面目にやれ」なんです。
この意図は
「真面目に(或いは真剣に)『自意識』立ち上げて状況見ろ(平時では無いから)」

■さてここで、些細なアイデンティティー論に戻ると、
醒めた目の批判派論旨が「学生の本文は勉強だろ、真面目にやれ」だということがわかります。
この台詞が説得力を失ったのは、現代の義務教育が自己の存亡に関わる重要事項ではなくなったからです(しかもテストの評価法からして「これがマトモな勉強か?」の疑義もある)。
学校生活が「豊かな時代の平時になった」んですよ。
そこで、何かガツンと集中力を喚起(『自意識』立ち上げさせる)するには、プロ野球選手にとっての試合のような状況(個人が本気で関心もってる授業など)の設定が先で、
「アホみたいな記憶しただけで高得点」みたいな(しかも誰もが知ってる常識レベルの内容で)構成じゃ、野球選手にとっての試合みたいなインパクトはありません。
(中間テストなる概念の重要性が昭和時代の10分の1ぐらいになっとんのさ)

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posted by kagewari at 20:40 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月28日

アイデンティティー論「些細な違いが”大きな違い”」(2)

たとえば子供の誕生日プレゼントで
「あら何子ちゃん、大好きなぬいぐるみ買ってきたわよ、ほらクマのプーさん」
「、、へ、、、違う、違うもん、好きなのはテディベアだもん、、、」
(うわぁーで号泣しますよね)
「それが好きなのは自分じゃない、それは誰へのプレゼントなの?」となるからです。
(アイデンティティーをないがしろにされたと思うから号泣するのさ)

やれ僕は水蕎麦でも平気だとか、俺はすしはねたを一枚一枚はずして醤油派だとか、珈琲はブラックで、カレーは中辛で、みそ汁の具は野菜系で、パンはトースターでカリカリに、お米はササニシキと決めている、ジーンズはリジットデニムに限る、我が家の車は土禁だから、漂白剤は酵素系、紅茶の銘柄はキームンで、音楽はライブ音源一発取り希望、、、、、こういうの無限にありますね。
そして、そういう違いがアイデンティティーなんだわ、

そしてこのアイデンティティーを語る御託がレーゾンデートルみたいなものさ。
(だいたいそういう選択には随分御大層な一家言があるものだ)
 ↑
●更に日に日に『共同幻想』崩壊の影響で、所得や社会的地位の意味が失われようとしている。
極論すると、「パンはトースターでカリカリだろ」のが大事なんだよ(笑

だから前回の論議の「少し前の校則論議」において、髪型ごときが重要なテーマになったのさ。
「丸坊主の僕は考えられません」
(※はい、アイデンティティーを同一性で論じるなら、上記の心情が性同一性障害と類似する事態であることがわかっていただけるだろうか。)
更にだ、
世論調査を行うと、一般に人は「他人を外観で評価している」と答える例が多いのだが、
よく話を聞くと、「外観の何を見てるのかって、(美醜の話では無く)総合的に(ファッションから髪型からスタイルから歩き方まで)”その人らしさ”を観察してるってことなんだわ(”何系の方?”みたいなことさ)」

■ちょっと前の原稿で個性化の自然現象説明したけど
https://kagewari.seesaa.net/article/503700303.html
しょうもない選択肢でも『自意識』が全面に出た(自己責任を担保した)”その選択”は、自分を定義している(或いはそれを象徴する)”何か”であって、
 ↑
ちーともこの論議はおかしくないの、
近世とかさ、民族学なんてあった時の話どんなだった?
「男性の服装はかくかくしかじか、女性はこうで、特有の髪型をしており、、、」←ほらな?
民族のアイデンティティーになっとるやん。


俺がこのブログで、『単独者』の所以を「今日の晩飯に何食うかみたいなものだ」と説明することあるけれど(その飯が晩か昼かとか『共同幻想』だろという指摘は横に置いておいてくれww)、
マジもので言ってるから。
「常に、こうと決まってるものなどない、俺ならこうする」という分岐があった場合、
半端になんでもいいとはならないよな?

先進国になるってことはさ、そういう(しょっぱいかもしれないけど)自己選択の命題があちこちにあるのだよ。それを自覚的に認識する個人は、生きてるだけで無限に個性化分岐するのさ。

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タグ:個性化
posted by kagewari at 10:13 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月27日

アイデンティティー論「些細な違いが”大きな違い”」(1)

アイデンティティー(identity:同一性、一致、同一人であること、本人であること、正体、身元、独自性、主体性、本性)語源はラテン語の「idem(同じ)」
※言えば「変わらないもの同じままのもの」から本性
identifyは、本人であることを識別
IDカードのIDだよ(identification:身分証)

いかにも近代などで典型的なところから言えば
「出身や身分」→転じて帰属や所属先という意味あいもあったが、
意図は「あなたは誰なのか説明するもの」となる(身分証の説明欄)
 ↑
ね、出身地などに殊更の意味など無いだろ?(しかも自分で選べない)
本人を特定するものや記号と考えれば、何でもいいことになる。

 し か ー し これを疎かにすると「自分を定義するものを失う」

レーゾンデートル(存在理由)と混同されがちだと思うけど、
理由が何かもへちまも、何が存在しているのかわかってないと始まらない。
存在理由に対してアイデンティティーを”自分らしさ”みたいに捉えることもできるかもしれない。
(※ちなみに俺はイカレタとこあるから、自分の名前に同一性障害があってだなww《自分で名乗った覚えはないからだ》、誰それさんとか言われても「はーそれは俺だったかな」みたいな微妙な違和感がある。あまりにも一人称が”俺”であったからかもしれない。)

さて、そうなると
人の違いなんざ、「歩留り」の”緩い保守性”論と同じで(いちいち自分専用の新言語を作る奴はいない《実はいるんだけどねwwそういう記号学みたいなの真面目にやってるドヤ顔教授がいたりする「論理物理学の派生かもね」》)、基本どこにでもいる一般人に違いが無いのだから、殊更の違いは無いのだよ。
つまり探すとさ、やれ「住所がどこで生れはここです生れはどこで何歳の性別がどちらで」みたいな無機的な登録情報が真っ先に出てくるぐらいで←この部分は自覚性が乏しい、
故にアイデンティティ―としても弱いわよね(歳は50代だが気分は30代な方もおられようww)。

■よーくかんがえてくれ、ここ微妙なとこだから

これといった特別でもない些細な選択肢の分岐が、”緩い保守性”の中で自分を定義しているんだよ。
 ↑
昔さ、中学高校の校則問題って論議があったじゃん
(髪型や制服の話だよ)
現代的には、ほぼほぼ人権侵害の枠に入りかけてるが(高野連すら野球部丸坊主をいかがなものか言い始めた)。
●現在を含め第三者は思うさ「たかが髪型がどうとか何言ってんの?」ってな、

ここまで読んでいただけたところで、これがいかに微妙な話になっていくのかおわかりいただけただろうか?
<長くなりそうなので、つづく>


タグ:個性化
posted by kagewari at 15:51 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月06日

現代社会における旧『共同幻想』適応社会(メインストリーム系)と、「最低でも歩留まり以上」ネットワーク社会(サブカル系)が関係すると起きる避けようの無い悪循環

相性最悪なワケ。

(前記事こちらの続きです、)
https://kagewari.seesaa.net/article/503542530.html
■近世だったらユグノー戦争やらフランス革命やら南北戦争やら明治維新みたいに内戦になっとるから。対立の深刻さは”宗教戦争並み”だと理解しておけば話が早い。
「日本の戦後はスムーズだったやんけ」仰る人がおるかもだけど、
これは昭和天皇がマッカーサーと並んだ写真に代表されるように、権威自らが米国秩序への適応を示す事で(陛下が本土決戦から日本国民を守った)、連なる『共同幻想』適応社会が丸ごと”戦後”という枠組みに接続先を変えたからできたことで(陛下がGHQを自らの上に置いた)、
日本の戦後はある意味、「命あってこそ」という極めて『共同幻想』的な合意の中にあったワケ。

”欧米コスプレ”って言えばいいのかしら(それに”適応”を選んだのさ)、
つまり、日本の戦後は『共同幻想』崩壊プロセスでは【無い】。
日本の欧米化は、フェイカーとしての偽物の欧米化だった。
(その後のポピュラーミュージックにおける”歌謡曲”だの”フォークソング”含め《最たるものがジャニーズ》、誰が見ても明らかなことだったでしょ。《悪く言えば”模倣者”》←自ら盗みにいったものではないから”パクリ”とは違う。偽のリスペクトによるオマージュコスプレさ。)

そして彼が人間宣言を行い、象徴となることで権威性上部構造であることを放棄した結果、
構造としての権威の裏付けは崩壊し、ピラミッドの下部構造が(正統性の無い)単なる”同調圧力”するだけの群れみたいなことになる。これが”崩れ”の始まり。
組織は崩壊していないが、依って立つ正統性が無いの(現代におけるそういう組織の典型が”反グレ”)、日本の広告業界やTV局大会社なんてのも同じ。
(表立ってGHQはいないのに、米国『民主党』系のイヌであるってのはなんちゃってさ。”偽物”であるからこそ、米国の権威があるかのように振る舞ってるんだわ。”俺達CIAごっこ”だよ、《この派生が「欧米ガー」》)
 ↑
■■■<ここ重要なところだから>■■■

1)正当性の無い暴力は→ただの犯罪だから
2)近世から近代『共同幻想』における同調圧力やそれを半ば強制する習俗ってのは、当時は(国によっては宗教、国によっては権威性、国によっては貧しさなど)それを合理的であると正当化可能な正統性があったの。
3)しかし、その正統性を担保する上部権威との関係が切れると(欧米などにおいては宗教権威の世俗化)、下部構造の『共同幻想』適応社会は、自らの習俗の正当性も失うワケだよ。
「単なる他者に、誰だか知らない組織との関係や、論理への適応を強要するだけの”反グレ”集団みたいなことに堕ちるのさ」←これを現代の歩留りさんは”DQNとかブラック”とか呼んでるの。
(口語調で言えば、「望まぬ関係の強要」だから不同意性交=レイプなのさ《セクシー田中さん事件で言えば「原作レイプ」》)

4)かといって既存の秩序の中には保守的社会資産もある(文化や伝統)
上部構造となる概念を(昔で言えば坊さんのように)自らその本質を学んで再接続することも可能で、これが”保守系再選択者”と呼ばれるもので、単なる下部組織では無く、自らの組織を何に依る何者なのかを再定義するモデルさ。
凄く典型的なものに「剣道」があると思う(もうサムライはいないけど剣道は残ってる)。
戦国武将がこぞって茶室を作る時代は終わったが、「茶道」も残ってる。

●逆に「その目的に何の定義も無く、社会適応(手段)だけが横行したら、単なる人権侵害だから」←意味わかる、社会全体がイジメの構造を使って”適応社会”なる手段だけをデッチアゲしてるってこと。
上部権威との関係切れてるものだからさ、
「何が目的」って(勿論わからないので)、やおら昔から『共同幻想』社会が勧誘ツールに使ってたインセンティブを持ち出してきて、「金なんだってさww(いやいや、オマイ、金も手段だろ、、、、)」←”家幻想”で横行した決め台詞は?「あなたそれで生活できるの?」(いやいや、それでもなんだかんだ生活できそうな先進国になったからそういう発想ができるようになったんだが、、、)
 ↓
場合によっては、裏設定の「性のインセンティブ」もな(昔の”家幻想”で横行した決め台詞は?「あなたそれで結婚できると思うの?」《は?》)←だから現代の歩留りのアンチテーゼが、ミニマリストや非婚晩婚やらセックスレスだったりするのさ(俺らにはそのインセンティブ効果ネーからって挑戦的意図が見え見えだろ?)

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posted by kagewari at 11:10 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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