2023年09月21日

”性の嫌悪”が『退行化』局面で展開する理由(丸めて言えば腐女子論)

基本原則としては、
思春期『反抗期』における自立モチベーションの核は「性的(繁殖)能力の獲得」です。最も顕著な部分は(それまでは”快感代謝”を権威者《典型例親など》に依存してきましたが)、”快感代謝”の中でも最高ランクの行為を自身単独で可能とする事を知り(厳密に言えば性対象が必要ですが、この獲得行為は確実に単独《これが複数でとなれば”性倒錯”です》)、自分が子供では無く個として存在するだけで価値を持つことの自覚に始まります。
R20上等の表現をするなら「快感獲得能力そのものが(逃げられない個としての)価値」なんです。
 ↑
これの意味わからない人がいたらそれも相当なものですが、
いちおう解説しておくと、
「高価な松坂牛でもなんでもいいですけど、旨いなどの快感獲得値が価値を成していること」だれでも認識できますね。
性欲というのは(1円も持っていなくても)自分の性能力を獲得した存在単独で最高位ランクの快感値を獲得可能な能力が自分個人にあることを示すもので=「さあ主体的に自由を獲得に行け」←はい、これが思春期『反抗期』における原初的な自立心です。
※繰り返しますが、ここで重要なのは(性欲がプライバシー価値の発見であること)この獲得行為が単独で行われることです《これが複数でとなれば”性倒錯”です》。

■つまり瞬間風速的に、誰もが一瞬『単独者』を経験する
(『反抗期』にあれこれ考える自分時代は”自分探しの旅に出る”など関連エピソードは『単独者』系である。)
オンザレールな適応者の場合は(権威者側も何気に性行為の秘密を隠していたことを詫びてというか、大人になったから公開しましょうかと懐柔にかかり)、”家幻想”終了後の”社会適応”は大人の社会適応であり、言うことをしっかり聞いていれば性対象も斡旋しますよというオファーに応じるものです(社会契約説的な”適応”ってイメージかな)。
(※ここから「仲間は誰でもOK暗黙ルールに基づくインセンティブゲームが始まる」《社会的成功と性対象斡旋を紐付けしてインセンティブとする》←大事なことは相手は仲間からしか選べないのでこれがゲームだってことです《設定されたゲーム性の中だけの自由》)
 ↑
わかりやすい事例なので、このまま旧世代のオンザレール”適応者”をベースに話を進めると
●『退行化』ってのは、『反抗期』に大人として自立する方向に(端的に言えば親と自分をタイマンに置く《合理的に性交可能性が担保された何らかの決着をみる》)、交渉が決裂するというか、或いは”家幻想”と一般社会との物語の引継ぎがどうにもうまく行っていないなどで、
「このままでは性交可能性も担保されない」←ということなら、『反抗期』のまま荒れ続けるか、一時撤退(子供時代の物語設定に後退)する他ありませんね。→この一時撤退が『退行化』です。

うんで、この時邪魔になるのが?
(自立の裏返しなので)”狭義の性欲”です。
図式としては”そのまんま”です。
個人が主体的に自立する動機の根底には「性能力の獲得」があるのですから、
自立を留保して、子供時代に撤退するには「自分の性能力を否定しなければなりません」。

(昭和時代の女子に”カマトト”って存在がおりましたけど、これは”プチ性の嫌悪”のこと)
なんでしょうね、「アイドルはウンコしないから」みたいなファンタジーとして「自分は性行為とかホニャララだ」のように認識の外に置こうとする。←このアイデアが”性の嫌悪”(わかり難い人は”性欲の嫌悪”でもよい)

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タグ:性の嫌悪
posted by kagewari at 18:14 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月16日

記事リクで頻繁に登場する「美人論の錯覚(或いは”可愛い”として薄々これネタバレしてんだけどさ)」

過去記事で論じた
「男子のイケメンはホモフラグ《そもそもこれ新宿2丁目用語だから》」
これに反発ある人いると思うんだけど、性差を前提とする個性の強調で言えばさ、
女性における”グラマー”なる部分が男子の”マッチョ《マチズモ:男性誇示》”ですが、
この”マッチョマン”からしてゲイグループだったビレッジピープル(ある意味邦訳ハッテン場の男達)のヒット曲タイトルで知られるように(所謂ハードコアゲイ)どちらに転んでもホモフラグなんだよね。
何故なら外見容姿と言った場合(これも現代的には総合評価のことなんだが)
最初に目が行くのは性的評価じゃん(”セクシー”って奴だ)←この段階で”受け”になっちゃうのさ(評価される側だから)

これまたフェミな人が激怒することになると思うんだけど、
男性社会の歴史に脈々と伝わる競争力が「暴力的強さ」などに象徴されるものであり、
これが近代『共同幻想』適応社会において、「社会的地位」に代入されているんだわね。
(この時代の男性のファッションにおいても、センスでは無くて、どこの有名テーラーの高価なスーツを着ても様になる地位と中身があるのかが問われていたから、「やっぱ社会的地位のこと」だったのだよ)
だものだから、簡単に「社会的地位不安(要約すると女性からの承認不安)」が一発でDVに転じるワケだ(概念としては同じもの)
同時に、社会的地位を誇示するパワーエリートがトロフィーワイフをゲットするという女性差別史観丸出しの論議になってきた。
●少なくとも男性の外見容姿なるものの評価は現代的な「総合評価」的方向いかないと、どうしたってゲイフラグになってしまう傾向あるのね=それは女性の美を判断する行為そのものが”ミスコン的な女性差別史観的な概念”だからなのだと思うよ。


<前段が異様に長くなってスマンのだが、ここから本題>

■ちょっと地上波を見る機会があってマジマジと確認もしてみたのだが、
女子のチアリーディング全国大会において、造形的な美人の分布は(体力的エリートの選抜でもあるので)一般例より多いかなという感触ありつつも、36人に1人いるかいないかだった。
レギュラーの選抜制から言えば、100人に1人説と大きな開きは無いと思う。
(というか偏差値的に100人に1人じゃないと、希少価値に達しないので美人にならんの←意味わかる?)

そしてチアリーディングという競技において重要なのは(ユニフォームや揃ったダンスなどが特徴なので)競技としても求められる笑顔を見せる競技中は「ほとんどのメンバーが同じ顔に見える」ところだね。
これは『共同幻想』論を語る上での”同じ人格をインストールする様子《適応》”を絵的にもよく見せてくれる(誰でもOK原則の背景でもある)。

■さて美人論と「フォークダンスコンビのジレンマを突破する、暗黙の誰でもOKルールなインセンティブゲーム」について考えてみたいと思う。
・前述のチームのように「複数名で特定グループを形成する場合(ひとつの社会が固定される)」、自動的というか無意識に「誰が一番美人かな」みたいなインセンティブゲームが各項目で自動発生する(性格は誰、金持ちは誰、センスがいいのは誰、頭がいいのは誰、、、、)→インセンティブゲームというのは”選んだ感を演出する八百長の意味”なんだけどさ(個別性を認めない『共同幻想』社会で何かを順番で並べてってのもオカシナ話で《ガチで違いが発生するのは階級でありカーストと呼ばれるものだよね》→彼らが一喜一憂しているのはまあエンタメの範囲内である=八百長)、
 ↑
このゲームの特徴は「推理小説の密室劇」さながらの世界観になる
ほんの6人なり9人なりの中で、ちょっ〜と目立つところがあると、すごーい違いに見えたりします。

美人論で語ると、見え難いとこあるからさ、
●”頭いい”で置き換えてみようか?
(こういう体験というか感覚は誰でもお持ちだと思う《同じ現象が美人論でも起きる》)
6人ぐらいのグループがいるとして、その中で一番頭のいい奴が何気に誰君は知的だとか頭いいよねって風評が固定化する。←するとこの群れは全体として”誰君は頭がいい奴だ”と認識し、誰君も頭のいい奴担当みたいな振る舞いをし出します。
 ↓
この誰君が東京に進学して、周囲がダントツで自分より頭のいい奴らばかりになったとする。
彼はサークルなどでここでも6人ぐらいのクループを形成するが、そこで彼の役回りが頭のいい奴になることは無く、宴会担当になったりする。
 ↑
ハイ、この現象をどう見るかって
■地方などの特定母集団が存在すると、「本当に美人かどうか無関係に、その中で一番誰が美人かしらみたいな順位つけが行われ、(社会的に公平に見て美人と言える人物が存在しなくても)誰それさんって美人だよねの位置づけ《配役のことだよ》が行われ、この群れはその人物を美人と認識する。」
 ↑
この様子を適応強迫系の非適応者が外部から観察すると、「どこにでも美人がいて、美人はどこでもいい扱いを受けている」みたいに錯覚するワケ(この認識がさ順序が逆さまになってるのわかりますよね?)。→「私もそんな美人になるにはどうしたらいいですか」などの問いがどれだけナンセンスかわかりますよね。
(まず劇団に入ってからの話だし美人の配役は本当に美人だからでは無い《風俗店のNo1にも似たところある→昭和の言葉で言えば「村で一番の」や「街で一番の」の意味を考えてみろってこと:そこには前提があんだよ》)
(この人物が観ている幻影は、『共同幻想』適応社会のインセンティブゲームであって、組織構成員に適応した時にだけ、半ばお約束で誰かが美人役や頭のいい奴に設定されている様子に過ぎず、本当の美人や頭のいい奴では無いから←ゲームのルール上そうなるみたいな展開だ《どの劇団にも美人登場シナリオの時にはこの人かなって配役があるのと同じなのさ》
 ↑
●で、観察対象が、現代では少数派に転じた『共同幻想』適応社会だからさ、
(適応社会の中の人もさ、これはゲームだって何気にわかってるとこあるので、美人って表現はな〜ってことで”可愛い”を使用することも多い《彼らの本意は「本当の美人じゃないけどねの意」》)
その様子を外部から見ているので、適応強迫系の人には(適応社会が美人と可愛いをどう使い分けているのかもわからず)「美人=可愛い、同義」みたいな勘違い設定になったりする。

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posted by kagewari at 23:03 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月13日

記事リクで触れた言語学系の話「言語とは暗号である」(2)

前回からの続き
■『共同幻想』論としての言葉は「多くの含意や暗韻を含み、『共同幻想』適応とは<所詮”適応”なので鵜呑みだが>習俗全体の中でその用法を習得している」となります。
、、、、、、、
■たとえばね「言った言わないの話」ってありますよね、
実はこの話、トンチンカンなぐらい矛盾してるんです。
どういうことかってさ、考えるまでも無いのだけれど

指示ミスみたいな話は例外として(そら言った言わないは責任論になるけど)、
「言った言わないの話」の典型例は違いますよね。
 ↓
「何々をするのは常識的におかしいと言いましたよね」
「いいえ、言って無いというか僕はそんな事言いませんよ?《私にはそんな常識無いし》」
「いいました。確かに聞いたんです」
「だったら聞き間違いだろ。あのさ、その当事者が今目の前で違うも何も私にはそういう考えが無いと言ってるんだが。あなたの脳内の誰を私と混同してるのか知りませんが、目の前に本人がいるんですよ?(一体誰に向かって話してるつもりなの?)」
 ↑
●一応は「あなたは嘘つきだ」という(指示ミス例外的)イチャモンにはなるんだけれど、
■こと、”考え”がテーマになると嘘も何もその都度論理性が全てで、「前は違うことを言った」とか意味無いし、反論にもならない上に「会話として成立しない」じゃん(笑
 ↑
■若干わかり難い話になってくるけど、
ロボットじゃないんだからさ「言われた」って何?って話。
(どうして受動系になるんだ?論議の話だから一方通行になったら変でしょ。)
何故だか、表面的な文字面で攻撃されたかのような理解になってるのさ(命令されたみたいに)。
いやいや誰かの意見は個別に誰かの意見で、どんな考えを持っていても自由だろ、、、
(《前回記事で紹介した》勉強のように絶対分数の割り算をそのまま理解しなければいけないとかの話でも無い。)
 ↓
●これがサイドバーにも解説コンテンツのある『被る(こうむる)』って心理です
「自分と違う考えは全て私が攻撃されたことになり、私は被害者である」
そうなっちまうのは自立性が無いから(簡単に言っちまえば「子供が大人に言われた」という構図)
端的に言えば、この人物は自分の考えと違う意見に接する度に「上から叱られたように感じる」という事です。=「論議を前提とするような会話が成立しない」
(この現象をコミュニケ―ション障害と言えば、全然構造が違う事がわかると思う)
 ↓
■上記を前提に、謎の「言った言わないの話」が起きるんです。
(この矛盾劇は、存外どこにでも起きていると思います)
 た と え ば
命題:嫌だってのに、無理やり遊園地に連れていかれてジェットコースターに並んだとする
ハイ、その場で
「こんなに並ぶのなら、ジェットコースターやめればよかった」
「何言ってんのさ、お前が乗りたい言ったんだろ」
「言って無いから」
(どうですかみなさん、こういうのどこにでもあると思いませんか?てか皆さんにも経験あるでしょ。「勿論後者のジェットコースターに特別乗りたかったとか無い」が正解です)
 ↑
■何故上記の心理になるのかと言えば、
前者の人物が「そもそも嫌々遊園地にきているから」です(受動系ですね?)
この段階で(もう嫌々なので)どのアトラクションに乗るのか全然興味など無く(論議する気はなく、お好きにどうぞと相手のいいなりでいいと思っている)、真剣に相談して決める意思もないしめんどくさいので”連れが無意識にアレいいね”とか言った程度の発言に反射して(ハイ、命令、ワカリマシタから別になんでもいいよと)「じゃジェットコースター乗ろうか」となってんです。

つまり乗り気じゃない話に追随している時、
人の心理は誰でもこの矛盾した「言った言わないの話」をやらかします。
・乗り気じゃない話に追随している時
・主体的に何も『抗う(あらがう)』ことなく、乗り気じゃない話に追随している時
=主体性の欠如(最初から嫌なら嫌と言えっての、それができずに仕方なくやるってなら、自分の考えデッチ上げても主体性を担保して実行しろ」→でないと『被る(こうむる)』に堕ちる)
※さて「この、乗り気じゃない話に追随」の事案が「結婚」だったらどうします皆さん(事あるごとに荒れる荒れる、荒れ続ける、、、)

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 13:08 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月12日

記事リクで触れた言語学系の話「言語とは暗号である」(1)

古池や 蛙飛び込む 水の音
夏草や 兵どもが 夢の跡

(by.松尾芭蕉)

吉原花魁道中などでは、その豪華絢爛の衣装から
「首から上で家一軒」なんてのもあります
(勿論四文字熟語なんてのもそうでしょう)
■この話はむしろ『共同幻想』論になります
少し補足すると、左翼リベラルな”意識高い系”を揶揄する時に「聞いたことも無い横文字ばかり使って、自分が頭いいと思ってるだろ」なんてのがありますが。
 暗号含みの伝統言語用法と横文字←何が違うんでしょう?
言えば横文字本国では同様に(言語ってのはそもそも『共同幻想』なのだから)含意や暗韻含む用法ってのがある筈なので、横文字表音文字が味気ないって意味では無いと思います。
 ↓
では何か?
言うまでも無く、インテリ気取りが使用する横文字は「どうせ辞書に書いてある1、2行目でしか意味を知らない言葉だろ(含意や暗韻は代々その国に暮すネイティブにしかわからない)」ということを揶揄しているんです(母国でもない癖にってな感じ)。
 ↓
■ここから逆説的に『共同幻想』論としての言葉は「多くの含意や暗韻を含み、『共同幻想』適応とは<所詮”適応”なので鵜呑みだが>習俗全体の中でその用法を習得している」となります。
時に、文学や論壇で保守系論者が英米文学や古語や母国文学者だったりすることありますが、正にそれは自然現象です(言語を学ぶことはある意味保守的作法だからです)。

ですから”適応者”の使用する言葉ほど多くの含意や暗韻をもっており(当人は適応鵜呑みでそれが何かまで説明できないので「空気、雰囲気」みたいな感覚だが)、文字面だけ追っても心情は理解できないのです
【極論「言葉が通じるだけでは意味までわからない」《てか彼らも無意識なので説明できない》】。
保守系が移民政策に反対するのもそこ被っており、適応者同士は無意識に暗号的やりとりができるってものだが【阿吽の呼吸】、いくら日本語話せますって言っても異人さんの理解はチゲーだろってな具合。
 ↑
あれ、どこかに類似の話を聞いたことありませんか?
「ナントカ障害」の通俗的理解に「適応者のように1のことを聞いて10を理解することができない」
(俗に言う「空気が読めない」)ってのありますね。
論理的には同じ意味です(言語は暗号であり用法や文脈の中で含意や暗韻を伝えている)。
●これは何も致命的な話ではなくて、冒頭松尾芭蕉の句を読んで「字面だけ理解すれば十分なこと」と思う人は滅多にいませんね。
単純な話、適応者の使用する言語には常に言外の意味があり、忖度と言っては何ですが研究理解する認識があれば、それを連発で誤解することは無いからです(ざっくり言えば『共同幻想』論を理解すればよい)。
むしろナントカ障害俗説に被る部分は”学習障害系の話”だと思います。
 ↓
ここは脳科学者の養老氏が面白い説明をしていて、
「わからない人にこうだからと説明しても、それは倫理的に受け入れられない」ってのあります。
(分数の割り算が理解できない場合なんかの話しだったと思います。)
心理学で言えば、アンナ・フロイトの提唱した「自我防衛論」のことです。
それが勘違いだとしても、その理解や物語設定がアイデンティティーを構成する論理に被ってる場合(分数で割るって何だそれ?いかがわしいインチキなんじゃネーかのように)、いかにその説明が合理的なものでも”倫理的反発”により拒絶される。

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 03:33 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月09日

「コンプレックス(複合)の裏側には必ず苦も無く幸福に満ち溢れる妄想がある」

昔の黒沢映画に天国と地獄だっけ、原作のエドマクのストーリー展開は知らないが(読んだけど忘れてるだけかも知らんw)、丘の上の金持ちを見上げて「金さえあればああやって優雅な暮らしが」と勝手に思い込んだ下層階級の男が靴メーカー専務か社長の息子と勘違いして運転手の子供を誘拐するが、専務か社長はとてもいい人で運転手のために全財産を身代金として用意して、、、
というお話で、話の中でこの専務か社長は貧乏からの叩き上げであり、大変な苦労人の上、運転手の子供であってもという背景が語られる。

つまりダウンタウンから邸宅を見上げている男の妄想は「トンデモ勘違い」であり、
(どうせいいとこの生れで学歴も高くコネでいい生活をして俺達を見下しているに違いないと”設定”したものが動機になっている)
全体通して「バカなのか」みたいな様相を体していくんだが、

■仮にあなたにコンプレックスがあるなら「必ずそうなるから」
(構造的に誰でもそうなることになってる)
前回の説明読んでいただければ自ずとわかることだと思うけれど、
https://kagewari.seesaa.net/article/500673378.html
「かくかくしかじかコンプレックスがあるのだから、何をしても俺はダメなんだ」という設定がある場合、
これ自動的にその裏に
「このコンプレックスさえなければ、何から何までうまくいくに違いない」という設定が自動生成されちゃうワケ(ロジカルの必然)。

<もうちょいわかりやすく言えば>
「俺にもあんな美しい妻がいたらどんなに幸せか、モテない俺は何をしてもダメなんだ」という設定がある場合、自動的に
「俺があの美しい妻を手に入れれば何でもうまくいく筈なのに」という裏設定が自動生成されます。
 ↑
自動生成される裏設定は「特に何も考えることなく、勝手にそうなる」の。
(たとえばさ、躁鬱状態ってのもそんな感じに説明できるワケ=ロジックは同一)

言うまでもなくだけどさ、その誰だかしらない美しい妻の世帯の実像など知る筈も無く(表には見せていないが借金あるとか夫の浮気だとか何があるのかなんてわからないじゃん)、←幸福に決まってるってのは、だから俺はダメを導くための単なる設定なので、それほど考えたものではないのだよ。
●極論するとだな、
コンプレックスってのは(始まりが不安だったり嫉妬だったり謎のプライドだったり多種多様な要素が複合し)「何々だから、俺は何をやってもダメなんだ」というダメなんだ結論を得るためのロジックなワケ。前段部分は辻褄さえあれば何でもよくて、当事者にキャッチーなネタが(自信の無い特徴など)そのための設定として選ばれるのさ。

そのことの始まりのコレ《不安だったり嫉妬だったり謎のプライドだったり多種多様な要素》、一次動機を止めさせたり躊躇させたり、実際にうまくいかない状況が先にあったりして、「どうしてなのか」を説明しなくちゃいけない状況なんだわ(解決しなければ「退屈したら死ぬ病」が迫ってくる《欲求の代謝ができずに発狂すること》)、すわ「反動形成」『退行化』”その前に”、とりあえず現状を固定して(コンプレックスが原因だを設定することにより諦めたのでは無い)ってな事なのね。

コンプレックスのまま留まっていれば、反動形成による欲求の肥大化までには至らない。
(以下は試論で、心理学界などでどこまで論議されているのかわからない話になるけれど)
■自分の欲求が肥大化するのではなくて、肥大化する欲求イメージで”成功者の話が盛られる”状態までで止まるって感じかな。

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posted by kagewari at 04:35 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月08日

「コンプレックス(複合)なるものはその名前のとおりで一面的なものでは無い」

時にルサンチマンとイメージ重なることもある。
(これもまた一部方面から激怒されると思いますが)
韓○の時に意味のわからない反日(ところが観光客含めて背後に大親日)
「これは日本に対するコンプレックスが凄いだとか、近代までの中華思想で自分の方が上なのにの根拠が思想だけのプライドがあったりなどが、複合的にルサンチマンを形成している」←なんてな説明されることもあり、類似のもの含めて耳にしたことあると思います。

つまり”何が主体なんだかわからん”のです、
丸めて言えば”何をどうしたいのか不明瞭な拘り”のことが「コンプレックス」である。
言えば「何のためのコンプレックスなのか『自意識』にもようわからん」ものなんです。
自我内の構造で言えば「強迫心理」を構成する”設定”のことで、

た と え ば(わかりやすい典型例を展開すると)

「身長が低いから何をやってもダメだ」←(ここんとこの記事リクの”ブス”をあててもOK)

何をやってもって、、、何をしたのか何がダメなのか不明瞭であり、
この言葉の主眼は最後の「だから俺はダメなんだ」なんです。
それ以前の話は、言語的に末尾の結論に至るための設定に過ぎない。
 ↓
どういうことかって?
「お湯を沸かしたので、今沸騰した」←文章になってますね?
「放置しただけなのに水が沸騰した」←文章以前に科学的にあり得ないですね
(これシナリオや台本で言えばリアリティーが担保されないってこと)
この物語の台本としてどうなの?は重要で、なんだかんだ人の現実認知を支えているのは”筋読み”であって(東京地検などの捜査方針のこと)「世の中ってこういうものだ」の前提無しに個別具体的な対応することなどできないワケです。

■わかります?
「身長が低いから何をやってもダメだ」が=「世の中ってこういうものだ」の前提になってる
これがコンプレックスであり、その筋で特定方向に思考や欲求を強迫する心理が「強迫心理」です。
 ↑
ですから「気にするほど背が低いと思わんぞ」など言うと、
(これ本人背が低い事に悩んでいるんですから、応援というか励ましに聞こえてもいいようなものなのに)→何故か言われた側の多くは(それがコンプレックスを形成しているなら)”激怒”します。
自我内的には、「どれだけ悩んでいるのか理解していない」などと怒るんですが(いやいや理解してないもなにも目の前でいかほどのものか見てるんだが、、)、何故怒っているのかは重要ではないというか、まず怒りが先にあって、得意の台詞がスラスラ出てきているようなものなのです。
●何故怒るのか?の本質は「世の中ってこういうものだ」の前提を批判されたように捉えるからです。
(「世の中ってこういうものだ」→これ洗練されると何?=『宗教』)
これが脳科学者養老氏の言う(この場合学習障害の話なんですが)倫理的抵抗って奴です。

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2023年09月02日

記事リクの(実はナンセンス)「ブス《附子》論」を補完するというかまとめてみる(2)

必ず先に前編読んでおくこと
https://kagewari.seesaa.net/article/500579763.html

■「歩留り」階層や『単独者』はどうなんだろうと言えば、
そもそも同じ村社会ではありませんから、暗黙の異性関係合意などのフラグが”全くありません”から、『共同幻想』社会は『単独者』の外見容姿を特に”判断しません”(どうでもいいから《俗に言えばどんな様子でも面白い人”ダヨネ”〜など》)。
ちなみに『単独者』にとって”適応ダヨネ社会”はどうでもよく、DQN社会は「ワザとバカなフリするゲームなのか、罰ゲーム(これが旧約聖書の原罪か)」ぐらいに思っている(変わった宗教デスネ)。
●現代多数派の「最低でも歩留まり階層」はその中間点となりますので(答えを求めてさ迷うなかでかなりの数が左翼リベラルな”意識高い系”黒歴史時代を過ごしている可能性もあります《現代の欧米各国で一時期左翼リベラル政権が続々成立した背景はこれだったと思う→こちらが再選択保守に絶賛転向中》米国のMAGA)、
歩留りが狙っているのは、仲間ではあるが固定メンバーではないとか、その周辺の人のような位置取りかと思われですね。
(概念として「歩留り」階層は高齢者に至る過程の中で『単独者』を問われる構造なので、生涯歩留りというのはなかなか難しい作業だと思われ。)
立ち振る舞いが上手であれば(都会で生活するなど)、『共同幻想』社会から「あまり関心を持たれない」状況の確保に成功しているでしょう。

■簡単に言えば、
間違えて、急速に崩壊が進む『共同幻想』ブラック社会への適応などとか考えなければ、女性がブスとか(男性の場合キモイでしょうか)言われることは無くなります。
※みなさん街を歩けばわかると思いますが、美男美女など通常「ひとりもおりません」よね(笑
=美男美女である方が異例:アブノーマルなんですから(ちょっと個性的なのがナチュラル)
美男美女以外の外見容姿に呼称がある方がオカシイ(これじゃほぼ全員になっちまう)
(ちなみに”不細工”って言葉もありますが、そういうあなたは細工《ミケランジェロのような彫刻》がわかるの?できるの?→細工を判断できる能力も無い人が大半なのです《そういう言葉は美大を出てから言えと》←つまり”言葉のあや”に過ぎない《”不細工”とは”普通だね”の意である》)

■学校などのイジメにおいて頻繁にブスなどの表現が横行するのは、
文科省が時代遅れの意味不明な『共同幻想』社会運営(クラス=階級、運営)を続けていたのが理由です。大学のような解放的アプローチ(大学ではイジメが問題化されることはほぼ無い)を考えていない小中高校は全て「ブラック社会」なんです。
<意図的に「鳩の檻」(通常だと飛んで逃げられるものだから、檻の中だと殺意は無いのに”あっちいけ”だけの動機で同種を突き殺す)を作ってるのに等しい>
更に言うと、都合の悪いことに教育なんざを専攻したり関心強い人格は”多くが『共同幻想』適応者”であり【現代的には”個性化”教育を語る上で”不適格な人物”《全体主義系人物》が多いってこと】。
市井では『共同幻想』崩壊が次々と進んでいくなかで、学校制度などの運営は著しく遅れる結果となった。(高校野球で、丸坊主以外の選手登場したのは「やっと最近の話」ですぜ、)

●学校制度におけるイジメ事件は「ガチで人災です」(文科省の責任)

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2023年09月01日

記事リクの(実はナンセンス)「ブス《附子》論」を補完するというかまとめてみる(1)

■話の始まりは、近現代の「結婚制度」が女性差別史観を前提にしていたことだ。
(戦前などは嫁ぎ先の男性の顔も知らぬまま縁談がまとまってなんて結婚も珍しくなかった:ちなみに戦前の結婚は見合いも含むだが、確か7割程度が『縁談』である。→これが現代の社内結婚・友人の紹介へと変遷《戦後の自由恋愛は幻想に過ぎない:なんだかんだ相手は「同じ村社会の誰かである」》)
この制度が運営できた背景を更に心理学的に突っ込むと、
『共同幻想』社会のある暗黙ルールに突き当たる、
これは、ブログで再三登場するフレーズ「フォークダンスコンビのジレンマ(特定集団で意中の人と《しかも相思相愛で》コンビになる数学的確率が著しく低くなる件)」←これをいかなる手法で突破しているのかに繋がる【鍵は”馴化”】
 ↓
それが暗黙のルール「仲間は誰でもOK」
その証拠に、所謂恋愛シミュレーションやらセミドキュメンタリーにおいて、告白された相手が断る時の定番フレーズが「ごめんなさい」となっている(この慣習が定着している証拠でもある)。
【おかしいでしょ、何故謝らないといけないの?】→暗黙の前提は「仲間なんだから基本OKが前提だよね」「だよね、そうだよね」って構造にあるワケ(いちおう個別に断る権利はあるが、断る時には謝罪しなければならない)。
 ↓
●つまり大事なことは、そこに『共同幻想』適応社会(だよね)が展開されている場合(現代用語では”ブラック”)、仲間になるってことは性対象として「仲間は誰でもOK」への暗黙の合意を求められることになる。
「そんな理不尽な」と思う方いるかもしれませんが、
これは実に合理的に可能となります。
・人物像は、そもそも『共同幻想』適応により”共有人格:ダヨネ”をインストールしてますから仲間の人格に個人差は少なく
・年齢階層は社会性で概ね同世代などでくくられており
・外見容姿は流行ダヨネで服装も類似する上、容姿も”馴化”(簡単に言えば見慣れること)により、大きな違いを認識できなくなります
 ↑
ほらね、暗黙のルール「仲間は誰でもOK」は合理性に担保されています。
(この手法で『共同幻想』社会はフォークダンスコンビのジレンマを突破します)

■するとどうなります?
「長く仲間として安定的な関係(馴化が確実に起きる)を想定できるメンバーは誰でもOKな人」
「仲間としてどうだろ、関係の破綻もあるぞな(馴化に失敗)個人はNGな人(ごめんなさいは必要無い)」

 ↑
『共同幻想』ブラック社会に限った話ですが→「無意識に上記の設定が行われます」
なのでイジメなどにおいて、「仲間は無理な人」のことを暗号として”ブス《附子》”のレッテルを貼りパージしようとするのです。
(そもそもが生物学的に、見知らぬ個体は全て忌避される《初めて見る個体にシャーとか威嚇しないネコいますか?犬に至ってはもっと強烈ですよね》)
→●ちなみに歩留りの社会性は”ネコの集会”同様に(特定の集団では無く)環境としてそれを理解していることが先で(ネコが集会で互いに目を合わせないように)各人のプライバシーエリアに干渉しない慣習で担保されます→だから【歩留まり社会はハラスメントを許さない】んです(他人にはプライバシーに及ぶことを言及する権利はない)。

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2023年08月05日

前回論議を引き継いでみる、「恥辱」ってなんの事だ?

「大失敗をして大恥をかいた」
失敗だから過失だよね?(誰にでもあることだから別にいいじゃん「こりゃ失礼」で)
●単純に数学的に考えると「プライド高い人ほど恥ずかしい行為が増加する」←あってるよな
正反対の状態が「無敵の人」かな(ちょ〜っとニュアンス違うと思うけど)

プロ野球選手だから平凡なライトフライを落球することが恥辱になるけどさ、
同じプロ野球選手でも、最初からあまり守備を期待されていないMLB助っ人の場合(たとえばヤクルトのサンタナ)それは恥ではなく「ここでやらかしたが残念」で終わる。
大人の世界じゃケースバイケースだ(草野球に至ってはやらかしエラーも酒の肴になるぐらい)、

■さて『退行化』と構成される「強迫心理」を考える場合、『退行化』前の、児童期現在進行形の状況はどうかと言えば、過去記事で説明したように(”家幻想”の環境もあって《”個性的家族”って言語が無いことからわかるように多くの親は親業する時にステレオタイプなイメージに頼る》)、何気に子役として”子供っぽい共有自我”の適応インストールを求められるガキってのは、往々にして『共同幻想』適応を迫られる(結果さ、どのガキみても同じに見えるじゃん《多くがガキっぽい人物像だ》)。

そこに調子こいた文科省がクラス編成(子供階級社会)するものだから、
子供達の社会に適応できないと(法的にも行動選択が限られているため)→「退屈したら死ぬ病」に追い込まれるよって設定が行われる(子供社会によくある典型的「強迫心理」だよ)。
いつものようにそこにはゲーム性のあるインセンティブが用意され(こぞって参加いただきたいからな)、やれスポーツできるとか勉強できるとか”よく適応できた子には褒美がでるよ”って、暗黙の設定があり、逆に”よく適応できない子には罰があるかもしれません”(通知表見せた親に殴られるとかな)なる筋書き。←そう言うゲームシナリオって意味で八百長なんだけどな、
 ↑
ガキにとってはこの強迫設定は大スペクタクルであり、八百長ゲームといえどもそこで(アホみたいに踊らされて)競いあうことになるんだが(笑

●現代の子供達ってのかな(その多くが子供時代から「最低でも歩留まり以上の自覚あると思う」)、彼らの本音は「まあ適当に表向き合わせておけばいいか(本質的にはどうでもいいものだ)」ぐらいのものでしょう(なんつったって人生の大半は、大人になって以降の話ですから《小学校でチャンピオンになってどうするって、、》)。→塾で本気出す奴もいれば、習い事で本気出す奴もいたり、興味あるものあれこれお試し中もいるでしょう。

がしかし(今現在大谷君《今29歳》と同世代前後〜年上世代の場合)
大谷君がパイオニアだったぐらいですから、まだまだ文科省のトンデモ運営はバリバリで(その結果イジメが横行《イジメに関しては現在でも増加中だった筈→文科省もクラス編成廃止までいってないからね》)、現代の子供みたいにすかした事言っていられない切迫感が演出されていたと考えるべきでしょう。

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タグ:『退行化』
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2023年08月04日

コミュニケーション障害を揶揄する俗語”コミュ障”なるものの正体は何か

俗語の”コミュ障”は(実際にそういう診断があるのではなく)『共同幻想』”崩れ”(DQN)社会におけるイジメ時レッテルのワードであるとか、2chなどにおける自虐的ブラックジョークなど昔の言葉で言うところの「話が通じない、ノリが悪い、空気の読めない」などの人物像の総称だったりしますが(仮に臨床系でその診断があったとしても”そういう症状”という意味で病気ではありません)、
 ↑
基本ココミュ障なるものは(共産主義が”コミュニズム”であることでもわかると思いますが)
本人気にしてないのであれば個性です
(現在の基準から言えば昭和の高倉健《無口に》「不器用ですから」人気CMはコミュ障ってことになっちまいます。子供の場合でも”人見知り”は単なる個性です。)
2ch的には「それを殊更気にする様」込みでブラックジョークになっている。

■コミュニケーション(Weblio 辞書)
communication
伝達、報道(すること)、(熱などを)伝えること、(病気の)伝染、通信、交信、文通、(伝えられる)情報、通信文、書信
(※国際会議などで締結される合意文書は”コミュニケ”ですね)
 ↑
えーつまり、日本語を話せればコミュニケーション能力に障害などありません。

●そこで、「それを殊更気にする様」がどこからきているのか考えてみれば、
前述の、現代絶滅が危惧されている少数派『共同幻想』”崩れ”(DQN)社会における、「イジメ時レッテルのワード(暗韻は話が通じない、ノリが悪い、空気の読めない)」=イジメにあって気分のいい人などおりませんから、「そうなったら嫌だな」から転じたものに思いますが、
文中記載のとおりで、現代『共同幻想』社会は”ブラック”とも呼ばれ、絶滅が危惧されている少数派に過ぎません(社会的には都会より地方のが残存率が高いと推測されますが)。
 ↓
転じて考えると、今や少数派で彼らに合わせる必要性とか特別考えなくてもいい対象との関係を殊更に心配していることになりますね。
 ↓
では「それを殊更気にする様」があるとするなら、
『共同幻想』社会”ブラック”に合わせる必要性が、別途”個人的事情である”ことになります(”個性化”志向の現代ではその必要性は低下するばかりなのに)。

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2023年08月03日

そもそも「悩み(葛藤)とは何か」

■悩みの無い人っていますけど、何も困った事の無い人なのか。
そんな事は無いでしょう、”悩みの無い人”ってのは個人の特性の話で、やれ高額所得者だとか既得権益者の代名詞ではありません。

悩みがなければ何でもいいのかって、これもまた話は別。
悩みが無いだけなら、カルト宗教の信者にだって無いのであり(『共同幻想』論の特性のひとつです、”適応し従えばいいだけ”なので、自分で考える事が無いんですから)、この場合の悩みってのは(どの場合って”悩みの無い人”と称される時の悩みと比較すると)「解決可能、或いは考える余地のある悩みはOK」って事です→「それは悩みではなく困難とかでしょ」って言われればそうなんだけど、「悩ましい、どうしたものか」など悩みって言葉は軽い意味でも用いられますからね。
 ↓
※信者という自我選択が必ず悩みが無くなるものではありません(カルトの信者の大半が妄信だったり原理主義だからです)。一般の『共同幻想』適応では(風呂とトイレの中の本音と行違うことだって頻繁にありますから)表向き悩みが無いように”適応”しなければいけないだけで、実際には悩みあります(悩みではなく”我慢”に代わるってこと)。


とかなんとかで、
■”悩みの無い人”って言葉を少し詳しく書き直すと、
「解決不可能だったり、出口を考える事のできないような悩みの無い人」となります。
説明の必要も無いと思いますが、(前述の高額所得を意味しないと同じに)処理能力だとか優れた能力のある人って意味では【使用されませんね】。
”能天気で楽天家”な人などもその一部は「悩みなんてないんだろうね」など言われることがあるぐらいです。個人の特性の話だってこと。

●何かここでわかることはありませんか?
「解決不可能な悩み」ってのは、個別具体的にその事象が大変なのではありません。
対峙する自我の特性で「解決可能だったり、不可能だったり」するのであり、
 ↓
”悩みがあるのではなく”→「私は”悩みのある人”なんです」ってことですよ、

その意味は(能力の話ではなく)個人の特性として「私は”悩みのあるタイプ”です」ってこと。
※少し前のコンプレックスの記事でも同じ事書きましたけど
悩んでる個別具体論のテーマを外部的に解決しても→【極論ですが、何の意味も無い】んです
”悩んでる事象に困ってるのではなく”→自分の自我タイプが”悩みのるタイプ”でることに困ってるんですから(目先の個別の話を外部的に解決したところで”モグラ叩き”になるだけで、”そういうタイプ”なんですから”次なる悩みでが出てくるだけ”でしょう)

■でね、考えるべきテーマを処理する機関はどこ?→『自意識』
だとすると、(人類ヒト科の能力に言うほどの差がある筈もないので)
『自意識』が自由に機能できるか否かってことですよ。
(何らかの規制やら、抑え込まれる《抑圧》構造があるんじゃないですかと)
  ↓         ↓
(そのままエディプスと「強迫心理」ですね)

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2023年07月30日

前回に引き続き、いっそのこと「道徳野(これ脳の言語野など真似した造語ね=フロイトで言う超自我のコア)」この構造を説明してみようか(3)

前回までは主として”悪い事”の導入話がメインでしたが、
「さて”いいこと”の方はどうでしょう」って”基本構造は同じ”だよ。
言うならば悪い事ってのはガツンと衝撃的にたしなめられるなど(無難な表現で言えば)不快な『興奮』体験がエピソードフラグとなり、刷り込まれるなり構造として刻まれるよね。
いえば、その反対なので
”いいこと”は快感の『興奮』で刻まれることになります。
(流石に私も記憶の彼方ですが、子供時代にも褒められるなりで”フワ―っと気持ちよくなる”ってあるでしょ《たぶんドーパミンなり出てる》)
実際母子関係の多くは、入浴時子供が身体洗ってもらうだとか(サルのグルーミングと同じだよね)、頭を撫でると気持ちよさそうにするのはネコも同じです。
或いは「褒美に甘いおやつがもらえる《ドーパミン関連》」とかな、

子供の性感というと(保守派が怒鳴り込んできそうだが)全く無いのかって、そういう意味なら子供なりにあるんだよ(だからフロイト幼児の性欲論も全ては否定しない《原則”生存欲”だと思うけどね》)。子供なりの”性愛代謝”が快感の『興奮』として存在するのも事実。
●「気持ちいいことしてくれる事項がある」←【まず先にこのコアができる】
(人の自我は覗けないが、この構造は”悪い事”と表裏一体か同一のものだと推定してる《常にその反対が悪い事になるからだ》)

「具体的に何がいいことになるのか?」(何をしたら気持ちいいことがありそうだと定まるのか)
<前記事コピペ一部編集して引用>
●つまりね、「普遍的道徳など無いの構造上の根拠そのままです」
何が”いいこと”なのかは、後から経験や知見で入ってくるもので(極論”偶然”)、
「何がよくて善行だ」の定義は(群れで生活していれば類似するけど)安全で自由な環境の場合、かなりランダムになります(道徳性も個体差が大きくなるってこと)。

※例外:宗教『共同幻想』文化圏の場合は、”親が伝導役”を兼ねる場合が圧倒的多数であるため、「いい悪い」の定義の戒律的部分は親からガッツリ導入される。←大人になって改宗するなんざことを考えればそのプロセスにエディプス・ハードルに対する『反抗』が必要なこともわかると思う。

<<教育論でさ、「叱るがいいのか、ほめて伸ばすがいいのか」よく論議になるけど>>
 ↓
どっちもどっちというか、、同じことなんじゃね?

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