(仰々しいものでも無いので「『自営業』の雑感」ぐらいの意味で読んでくれ、、)
心理学の担当外と言うか、番外編の話でもあるので、
これを心理学的見解だとか思わないでいただきたい(プライバシーに及ぶ部分に過ぎないので、知り額的には「勝手にしてください《終わり》」なのである)。
あくまで某『単独者』の類論の域を出ない話です。
社会学的に『共同幻想』論が性対象の斡旋を権力のインセンティブとして使用し、
そもそも心理学的に、人類ヒト科の異常ともいえる旺盛なモチベーションは進化の過程で(巨大な頭蓋を得たのが先か二足歩行が先かは置いておいて)樹上生活ができない環境に置かれ進化した人類ヒト科の一派が「40キロに及んで(当初はナウマンゾウか知らんけど)マンモスを追う」的ビッグゲーム無しに種族の存続が不可能となった状況に呼応し、このモチベーションの源泉を繁殖行動に関する部分の異常とも言える進化により(繁殖期年中無休全開放)性本能を大広義展開するという発明が後の文明化に至る(この活用可能な欲求の総体をフロイトは”リビドー”と定義した)。
”狭義”か”広義”か、問うまでも無く
厳密なこと言えば(人類ヒト科の進化前とか正確に確認できていないのでワカランのだが)
サルの繁殖行動のそれを”厳なる狭義の性本能”と呼ぶのだとしたら、その本能は完全に機能不全となっている(繁殖期を知らせる赤く腫れた性器だフェロモンだって現代でやらかす人類は皆無だ)。
■「自らの生存に関わる、能動的或いは衝動的なあるいは性的な欲求の総体」
(と考えれば、他の生物が類を見ない食文化なども”食欲本能の域を超えており”←確実にリビドーとの結合《或いは融合と言うかもう切り分けできない状態》が見られている)
【これまた各方面から批判の嵐だと思うが】
現存する人類ヒト科ニンゲンに、”厳なる狭義の性本能”など実行不可能なのであり、
霊長類ヒト科の一般例から見た場合、
「人類ヒト科の行動に変態倒錯していない性行為など存在しない」と言ってもいい。←そのために(繁殖期を特定できない体質に)DNA変化させてるのであってだな、
(ソドムとゴモラを焼き払った神が、渋谷のファッションホテル街みてどう思うよってw)
●実はどんな保守派の習俗も(彼らが伝統言い張ってるだけで”厳なる狭義の性本能”などではない《それはひとつの形式主義・様式だ》)「サブカル展開の一種」であることから逃れることは不可能で、
そこに意図されてる背理ってかな、、、
「言えば、全部幻想なワケ(ワカラナイので考えたお話ってことさ)」
でだ、その”お話”の完成度ってのは、「いかに肥大化した人類ヒト科の生存欲求から、”狭義の性欲”を切り分け合理的に(過不足なく)燃焼(代謝)できているか(逸脱者が大量発生することなくパレート最適が得られているか)」程度の話なワケ。
「食堂文化って、だいたいこれぐらいでいい?」←全寮制の食堂規格で(逸脱者:欲求不満などによる脱走者が十分に抑止され)利用者の狭義の食欲が「まあまあ燃焼(代謝)できてる?」みたいな合理性でしか論議ができないの。←そこに正しいやらいいの悪いのもクソもあるかっての。
(ここから”狭義の性”ここから”広義の性”とか線引き無いんだしさ《「反動形成」かまされて係数倍化しちゃえば社会制度ではカバーできないのだし→後は個々人で》:行動の定義すらできないんだぜ?)
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