ここねぇよく勘違いされる向きもあるんだが、
精神分析的な位置付けにおける実存主義は、精神分析捉え方の中における”非常に有効な定義”の事で当然哲学的な意味を標榜している等そういう話じゃない。
「コンプレックス」って言葉が精神分析を説明する上で重要な概念であるのと同じような話。
実際この実存主義の概念なるものは、まー平たく言うところの「禁欲主義や快楽主義やペシミズムだのヒューマニズムだの道徳主義や伝統保守思想やら」何かこう”するといいよ”的なベクトルがある話じゃない。
wikiからそれをよく現している部分を引用すっと
人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。実存(Existenz)の元の邦訳は「現実存在」であったが、九鬼周造がそれを短縮して「実存」とした。語源はex-sistere(外に立つの意)。
実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張する思想である(「実存は本質に先立つ」)。時間の流れの中で、いまここで現実に活動している現実存在としての「私」は、ロゴス的・必然的な永遠の本質を否定された自由な実存として、あらかじめ生の意味を与えられることなく、不条理な現実のうちに投げ出されたまま、いわば「自由の刑に処された」実存として、他者と入れ替わることのできない「私」の生を生き、「私」の死を死ぬことを免れることはできない。
のような生を、絶望に陥ることなく、いかにして充実させていくかが、実存主義にとっての課題ということになる。
(これだけでも面白杉だわな)
ま、言い換えると「そういう考え方」って事さ(笑
考える手法とか、視点とか”立ち位置をさす用語”だと考えてもいい。
その状況を発見ってか「気がついちゃった人」を実存主義者と捉えても遠からずなんだが、、
なんちゃら主義者の成立には、その気がついちゃった考え方を頻繁に利用する事を由とした人って背景が無くちゃいけないのは言うまでも無い。
が、しかしね、
精神分析的には、これに気がつく人格構造には特定環境みたいなんがあって、おおよそ気がついちゃう人は滅多にこの立ち位置のプライオリティーを低く見る事はできない。
とまーいうワケで実存主義的発見とは「精神分析的に何の事か」って話、
これまた実存主義的世界から見ると、アルベール・カミュを外して語れない(「本人も実存主義者とみなされることを強く否定」なんだけれどもなんせ比較対照がサルトルだから、、)。
その著作『シューシュポスの神話』等から論議を呼ぶ事になる「反抗的人間(”反抗的に生きる”と言う場合もある)」の構造は、実存主義を語るのに欠かせない。
そもそも何が実存しているの?って、『自意識の介在』の事
特に欧州の場合にはその共同幻想の背景にカソリック的宗教性を外せないので、この実存主義の話の背景には(この前のパスカルの話じゃないけれど)神との関係の話がしょちゅうでてくるんだけれど、この際そこいらへんは彼らのビヘイビアがそうだからってだけで、意図されているものは精神分析的には”共同幻想”であると言っていい、
さて、概念としての”普通の人”の場合でも概念としての”単独者”であっても『自意識の介在』の証明とは、与件や共同幻想に担保されないユニーク(唯一の、特異)でしか無く、その時『自意識の実存は証明されるが同時に、その正当性は自分自身が生きる(能動性・外向性)ことでしか成し得ない』、
言い換えるなら、「〜〜される的評価」として構造的に正当性が証明されることは無く、そこにあるのは常に「主体的な仮説である」となる。
故に、その構造が即ち単独であり同時に共同幻想的正当性に対する孤独な反証として”自意識は実存する”って話。
難しく考えなくても、そうなるでしょ(笑
なんてことは無いロジックなんだが、これね、なかなか「自然にそういやぁそうだな」と思う人はいないんだなこれが。
そもそも共同幻想的な切り口から最初から”離脱気味”じゃないといかんし(この時点で構造的に少数派)、その正当性を担保できないので、思いついても「根拠鮮明なるも正当性はゼロ」な概念を「そりゃまったくそうのとうりだ」と思ったら→「あんた実存主義がわかってないよ」って事になる(笑
まーなんていうかね、会話として成立する言葉を弄するとどうにもパラドックスみたいな形にならざるを得ないところが実存主義の宿命みたいなものなんですな、
何故そうなるのかって、ここを分析してみると
自らの実存をユニークによって証明された時、比較級としてその実存を正当性への反抗として認識する時の”正当性への認知”は何に拠っているのか?
ほらね、
つまりね「完全なる実存主義はその時点で実存主義として構造的にその形を保てない」んですわ、言うなら「そいつをみつけた事に意味がある」代物。
「うんうんうん」とか「アーッ、えっとへぇー」みたいな”感嘆によってOK”なる困ったアイデアなんですな。
ところが
このロジックが精神分析における認識論的話に不可欠なんですわ、
この様子は正に「反抗期におけるテイクオフする自意識の有様そのままの形」でもあるからです。
自我の確立や”バランス”って話を考える時、強迫的傾斜に抗する自意識の橋頭堡というか”自意識の領地”ってものは反抗によってしか獲得できない。
これは「主体的反抗を意図するのではなくて、構造として反抗の形にならないと構造論的に証明できない」って意味ね。
ここで見えてくるのは
強迫構造を語る時に俺が個人的に頻繁に使う表現『被(こうむる)』
ここの対立概念はまさに『抗(あらがう)』
になるって話なんですよ。
時に「自意識マター」として語られる強迫へのカウンターは『抗(あらがう)』形になってなければ有効性を欠き、その感覚を保てない時それは強迫的保守性の抵抗に取り込まれているとか懐柔されて在るべき自意識は既に”スポイルされた”と考えてもいい。
なので、ここにはどうしても強迫構造の自我防衛的な『抵抗』にいかに対峙するのかってスタンスが常に求められている事になる。
ある意味、この抵抗(見方を変えれば”共同幻想”そのものと捉えてもいいかもしれない)の暴風雨に抗して自我が立つって有様がそもそも自意識の置かれている『実存』なんじゃないだろうかって話しっスよ。
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