そして、その特徴は「なんとなくそれらしく、妙に説得力がある」とこで、なんだかしらないが「いかにもあたり前の話をしている」的感覚になる、
これ話し手も聞き手もだ。
ここで、時折事実が「不本意にもデッチあげられる」
誰も意識していないのに
「私の犠牲的献身があったにも関わらず、なんの報いもなかった」
いかにもまともな言葉に聞こえる
「いっしょうけんめいやるということは、僕には苦手なんだ」
まったくそのとおりだ
「なんでこんなに嫌な目に合うのか」
大変そうだ
ここでもう一度考えてみる
「私の犠牲的献身があったにも関わらず、なんの報いもなかった」
誰のための何の犠牲なのか?
「いっしょうけんめいやるということは、僕には苦手なんだ」
何が面白くていっしょうけんめいやるって話なのか?
「なんでこんなに嫌な目に合うのか」
何が嫌で、こんな目ってどんな目なのか?
実はその前提の方こそ事実関係で、動名詞的表現は全て「それ以降の印象」に過ぎない。
しかし、話だけ聞くと「話していいるほうも聞いている方も、事実関係に疑いもなく、動名詞的表現以降の話がメイン」になり、なんだか意味不明の論議に終始して、なんかこれじゃダメだ的結論で話が「まとまって」しまう。
サクリファイズ:犠牲
これって、ほとんどカソリック用語で、神に対する自らの犠牲
実のとここれ「神」ってどこの誰だかわからないので、「不明瞭な何かに対する自分勝手な献身(この犠牲の内容が「ハズレ」である可能性があるので)」と言い換えてもいい。
「犠牲って言葉から何か随分と外れてない?」
そもそも具体的にこの言葉が使われる事は無い
「俺の犠牲になってくれ」とは言わない
文法的にもちょっとおかしいでしょ、
犠牲ってのは自分が選択して自分で言うか、その後で評価として使われるもので、「犠牲を頼まれる」のは変だからだ、第一頼まれたら犠牲じゃない。
「俺の身代わりになってくれ」これはアリ
ところが、その後「私は彼の犠牲になった」とは言わない。
言わないでしょ
「俺さ、右大学いこうと思って」
「そう、心配するなよ、俺は私立いかないからさ、問題ないんじゃない」
この兄弟の会話でなんとなくわかると思うけれど、上記の会話のように犠牲的であるためには「ほんとうは嫌で嘘をついた」方が犠牲っぽい。
これなんだろうか?
自意識とは自己のイメージでは部外者的存在である事を、何回か説明しているが、それはこういう言葉ややりとり、現象に現れている。「自分の事情に巻き込まれた自意識の気持ち」として、
この自意識の分離感は、自分を他人に思える自意識のエゴとしての独立性でもあり、
同時に自分を落ち込む渦に落とす加害者のそれでもある。
“そのサクリファイズ”なワケだ。
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