自分自身が囚われるなり強いられる(よく耳にする話だと「どうしてもそう思ってしまう」)特徴を自覚しているか否かで決まる。←これは決定的な差なんだよね。
↓
更に段階的に解釈すると
「ネタバレしていれば、無意識下の強迫系設定が崩壊しなくても可」
(だとすると、特徴的な行動や感情は前後で何も変化しないのだが《それでも》)
どういう事情で「どうしてもそう思ってしまう」のかを自覚した上で、
それを当事者が”個性”だと認識してるってことは→肯定しているとかそういう短絡的な意味では無く、「こりゃ自分のアイデンティティーの一部だと認める」ということなのだから、それは違いますみたいな防衛反応が終結してるって意味です。
ド級の暴論で言えば「あなたは変態ですね」などの指摘に
「御尤も!」と即答できる個性のこと。
(その典型例がフェチシズム)
更にこの話の重要な事は
俗に言う”適応者”社会のメンタル症例に対する無理解がその傍証になっている。
(皆さん御存知のとおりで、「昭和」の”適応者”はやれADなんとかだ、やれアスペルなんとかだ、それがどうした発達なんとかを→「全て詐病だと思っている」<<活用形は「病気のせいにしている」)
彼らがどうして無理解なのかって?
「自分達と、何が違うのかまったくわからない」からで、
(無理解な”適応者”のほとんどは→「え?メンタルなんとか?普通の人でしょ」と理解してる)
※同時にそもそも論として、『共同幻想』適応人格も、無意識下の強迫系設定を持っており(構造的にはそう違いが無い)、そんな強迫系”適応者”であることを自分のアイデンティティーの一部にしているだけだからだ(どうしても自分が適応系で思ってしまうことを「自分は平易な一派凡人である」みたいなアイデンティティーだと認識している)。
彼らは「あなた普通の人なんだよ」と言われても怒らない。
↑
●この台詞を怒らないのが普通だとか思ってるあなたは、何らかの無意識下の強迫系設定を持っている証拠です。
”普通の人”という記号は(現代的にはメタ設定みたいなもの)「存在の希薄なモブキャラだ(或いはエキストラみたいなものだね)」という意味ですよ?
本質的に誰だって、自分の人生物語の中では主人公なワケでだな、
現代ではトンチキの部類に入る”適応者”を例外に、
「私は私だ」と言わしめる個性がなんかあるのが自然で(それがアイデンティティーなのだから)その個性を見出されるとか認識されることが好感になる(なので前段の変態話で「御尤も!」と喜ぶシーンになっている)。
現代的には「なんとかさんって、こういうところあるよね」が外交辞令としても褒め言葉になっている。
今思えば(読んだの40年ぐらい前だけど)アンナ・フロイトが説いた「自我防衛論」ってのは、意外とキモなんじゃないかと思う。
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