「受け取った側がセクハラだと感じたら、それはセクハラだ」言うじゃん。
トラウマも同じ、
つーかトラウマ現象自体”事象の軽重と関係無く”という話じゃん。
『心理学』や精神科の世界でこれらの話が論議になったのは、WW1後の戦争後遺症で、当時の欧州での戦闘スタイルは塹壕掘った砲撃戦だったものだから、(閉所ってのも関係していたのかも知れないが)この体験が抜けきれず悪夢のようにって症例が多発し”外傷性心的ストレス”なる概念が登場するんだけど、「もちろん多くの兵士は終戦後さくっと日常に帰っている」。←この様子から個人差を追求するとか、そういう話にはならないのだよ、実際に症状のある人が存在するのだから「あなたどうしてですか」聞いてる場合じゃないじゃんよ(そういう話では無い)。
塹壕戦は極限状態であり、”外傷性心的ストレス”を受ける個人がいてもおかしくないのであり(それこそ普通に現場復帰できる人のが異例なのかもしれない)、
ということから転じて、
”外傷性心的ストレス”を受けてる個人がいる場合、「何がありましたか?その程度の事でどうして」という話にはならない。受け手がそう感じるならそれは”外傷性心的ストレス”であり、事象はトラウマなんです。←セクハラの認定と全く同じでしょ?
(※軽重では無く根拠となる事実が皆無とかなら別の話だけどね《セクハラ裁判の争点もそこまでだと思う》)
類する話が”いじめ”の認定でよく出るよね。
事件を隠蔽したい学校側の常套句だよね「(その程度のことは)遊びの延長や悪ふざけに見えた」←よく言えたものだと思うよね、セクハラ常習犯が「親愛のつもりでちょっとおしりを触っただけ」とか言ってるのと全く同じ恥ずかしい論法だと気が付かない神経が理解できない。
■大事なことなんだが(非常に大事なポイントなので繰り返し読んでくれ)
だからこそ、当事者まで勘違いしたらいかんのよ。
(このぐらいのことを気にする自分がおかしいのかとか考えてはいけない)
別に頑張れる事なら「外傷性心的ストレス障害」などなんのであって(せいぜいがスポーツにおけるイップスぐらいのものだ)、トラウマはトラウマなのさ、
だから、話を盛るワケじゃないが話の相手を殊更に悪性に見立てる必要も無い。
たとえばさ、
「相手はほんのちょっとした悪ふざけのつもりだったのかもしれないが、”ほにゃらら”は私にとって耐えがたい屈辱で、それはわたしにとって経験したことのない不快だった」
↑
こういう感じにリアリズム担保するの方が解決も早いの。
(同時に相手の法的責任を問う場合も上記のような表現の方が信憑性あるのさ)
悪手になるのは以下、
「心底悪意のある人で、私にあんなことやこんなこと、言葉にできないような、、」
↑
これじゃトラウマにならないのさ(「私は地獄の塹壕戦を戦い帰還したのであった」となるだろ?)
受けた側がそれを(事の軽重では無く)どう感じたのかが大事なワケ(仮に相手の法的責任を問う場合でもだ)。
そこを勘違いして「それじゃトラウマじゃなくて、地獄の戦場の話でしょ」てな感じで全く話が進まなくなる場合がある。それで押し問答になると、解決の道も遠のくばかりなんだよ。
●事実「受け取り手の事情が優先されるという点で言えば」
たとえば人種差別的ハラスメント
ハーフの人に対して「やっぱりお前は”あいのこ”《差別表現》だからダメだな」と言う場合と
日本人に対して「お前は本当に日本人か?」と言う場合、
悪辣な表現はほとんど同じだが(行為の個別性ではなく)、相手が本当に混血ハーフである方が受け取り手のハラスメント被害は甚大に大きくなる。
こういう言葉があるよね→「言っていい人とダメな人がいる」
ここではあえて加害者側と言うが、
加害者側の行為を個別に評価してこれこれのハラスメントだと評価するのは間違いなのさ。
(こういう言葉もあるよね「普通そういうこと自分の子供に言う?」)
行為や言葉を投げかける時に、当事者は相手見てるんだからさ。
意味わかる?
その言葉の効果を(或いはマウントとって調子に乗り)、
無意識だろうと意志的だろうと→「その効果差をわかって効果的だと思うから実行している」のであり
トラウマ論ってのは、受取る側の被害認定ベースで考えないといけないってそういうことさ。
(加害者側がそれを意識していないという弁解は無理筋である《認知に問題があったとでも?》)←ドスグロイ本質はここにある
●行為の責任ってのは「結果責任のこと」だからな
↑
だからハラスメントの論議がある場合の”加害側の情状酌量”ってのは被害者に対する認識ってことになる(相手を金持ちだと誤解したとか、相手を男性だと勘違いしていただとか、相手が混血の方とは知らなかっただとか、コンプレックスに悩んでいるように思えなかったなど)。
※しかし、上記は情状酌量であって免責となる話では無い。
<下世話に補足すると>
某芸能人の女子アナに対する強制性交事件で、受け取りてにとってその言葉の意味(効果)がどういう意味を持つのか意識していなかったなどの言い逃れはできんでしょ?(効果的だと《強制力を持つ》わかっているから言うんだからさ)
後から投げかけたのは常識的な誘い文句であって、「個別具体的行為に強制性は無い」という反論は”通じない”ワケ。
(これさ、イジメを隠蔽する時の学校側の言い分とよく似てるだろ?「からかいの範囲だと思った」)
てな話をすると、別途芸能人グループの不祥事じゃ無いが「体育会のノリで相手も理解していると思った」なんて言い逃れを許すことになる。
よくよく考えてみな?
現代では教育の場で体罰は犯罪です→体罰による問題が表面化しなかった昭和をベースに、現代では受け取り手に問題があるから違法になったのかね?(そんな論議は無いだろ?)
当時(昭和)、体罰の問題が表面化しなかったのは、受け取り手に対し「社会的人権侵害が公然と是認されていた」からであって、単に当時の受け取り手はそんな社会に理不尽な適応をしていただけだったのさ。→つまり、前述の芸能人グループの話における擁護論がナンセンスなのは(そんなことを言うならば)「当初からスタッフに対し、公然と社会的人権侵害が許されると思っていた」事になるからだ。
※主としてセクシャルハラスメントの論議で昭和世代が「そんな事を言えばもう何も言えなくなる」とかいうけども、
わかってないんだよ。『共同幻想』適応社会時代(ブラック)のような乱暴な社会認識が許されないという意味で、当時の人だって「赤の他人には、そんなことしていいのかいけないのか、わかってたんだよ」っての。
謎の内輪の論理(『共同幻想』適応社会時代の社会認知)←これがブラックで違法だってのが本質だから。
「だったら職場の仲間達のような一体感は悪性ですか?」な問いもあると思うんだけど、当時と違い現代では個人間で多くを語ることができる(これに対して昭和社会の先輩後輩はどうですか?「固まって何も言えない」が常識だった)、外形的で安易な囲い込みではなく、個別に意見交換するなかで意気投合することまで否定してませんよって話(そこではフランクな会話も許される)。
<追記>それからさ「大事な事だけど」
フランクな表現だろうと暴論だろうと暴言だろうと「自分の事なら何言ってもいんだからさ」
(軽率に相手に向かって外形事実だけで《どういう関係だと思い込んでいるのやら》気軽に声をかけていいものじゃないって事さ。ましてや影響力を意識していたなら「その段階でハラスメント」になる)
つまり、表現の自由(自己表現の意)が制限されると感じるなら誤解だし、そういう規制が始まるのだとしたら行き過ぎだ。
タグ:トラウマ
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