攻殻的に言えば「フォークダンスコンビ・コンプレックス」かな。
これは俗に言う「恋愛幻想」の矛盾として、主として近現代の『共同幻想』の中で、「縁組において”仲間は誰でもOK”(近代ならよそ者との縁談は禁忌)」の暗韻であり、自由に相手を選んでると思ってるのは錯覚で、むしろその縁組を許容しているというもの。
※俺のインチキな計算だと、偶然個性差を含む最初から(双方が相手に合わせる妥協無しに)完全一致のカップルが成立するためには「4億人の選択肢が必要」であり、
現代の自由恋愛においても(昭和の婚姻の多くは社内結婚であり、近代は縁談が7割を超えていた)、選んだ気になってるだけで「限定的なパイの中でフォークダンスコンビのジレンマが繰り返されているだけ」を論じたもの(相性の非適合性は”社会適応”の中で無力化されている)。
↑
※補足するとそこそ個性化した『単独者』の場合、何かと自由選択分岐が多く「その人物と接触するだけで既に数万分の1」の分岐であり(仮に7万分の1とした場合《これは俺の経験からエビデンスのあるもの》)単純計算で4億分の1が500万分の1ぐらいになる→人口1千万を超える大都市に行った場合「どこかに誰かがいるかも」がまあまあ成立する
■さてこの時何故『共同幻想』世界では”非適合カップルじゃね?”が許容可能なのか
経済学で説明してみると(勿論これを可能とするために近代では女性差別史観が常識であった《無理でもフォークダンスコンビのジレンマに従わさせるためだ》)
『心理学』含めて簡単な解説すると、
上位概念の大きな選択肢があると、そこにぶら下がる選択肢は使用末節なので妥協可能となる
●典型例は古代の「ここの集落にしか人類はいない」(生存権とフォークダンスコンビが不可分《最初から選択肢など無い》)
この設定が人類社会の経済力、豊かさによって変化していく
●「わが民族はこの宗教信者であることが絶対、異教徒との婚姻は許されない(ユ○ヤ教)」
(個人である前に民族としてのアイデンティティがデカイので、その結果発生するフォークダンスコンビのジレンマは意識すらされない)
↑
事程左様に
たとえば「私は地元から出たくない」と言った場合、自らの生存権を上位概念として選択しているのであり、下位フォルダにおけるフォークダンスコンビのジレンマ(地域限定)は矛盾として認識されない。 ↓
単純に『単独者』が主として都会に行く理由は、自分の個性化が最上位なので(地域性他全ての『共同幻想』系上位概念より優先する)可能性を考えると選択肢は多い方が実現性が高くなるので(フォークダンスコンビのジレンマの矛盾に対するレスポンスも高い)都会に暮らす場合が多くなるのさ。
「彼の死の間際、そこに”死ぬほどの後悔”がある場合、それが嫁のスリーサイズなワケが無いだろ」
(暗喩も含む比喩で表現すると上記みたいなものかな《一行で収まってるかしらね》)
■そしてIT情報化社会を迎え「地域性すらあまり認識されなくなった現代」
大都会という地域性を超えるのが「無限の選択肢ネット社会」となる。
(流石にそこはヴァーチャルなので「マッチングアプリ?それは違うだろ、、、」って話だが)
これはリアルな対人関係を超えてヴァーチャルな関係性が(個性化を最上位とする場合)それを超える概念だと認識されることになるので(つまりオフ会の否定だ《ネット社会が台無しになるからさ》)
そもそも現実に対峙している自らの実存とは何か?
(しかもヴァーチャルなネットワーク《社会》が、生物学上の都合で《五感で》認識される現実を超えることになる)みたいな哲学的なテーマに突入している。
とっくの昔に「恋愛幻想」の彼岸にあるってことだよ(カッコよさげに言ってみた)。
※文化人類学的に『共同幻想』論は、社会学の偉人テンニースの社会進化論に限らず「地政学」とも密接な関係にある(離島集落における『共同幻想』などを個別に論じることができるからだ):安全保障だとか心理的リスク管理事項に密接に関わっているからだ。
生物として人類ヒト科も個人の選択より、自らの生命の存続が上位になるからだ
(生命の存続に不安を感じない強者や変人、或いは先進国後に生命の安全が確保された先進国社会にのみ『単独者』は存在できる《ここはペットの自我萌芽論に被ることね》)
↑↓
本来的に人類ヒト科の過剰な欲求は(モチベーション)、生存を可能にするための能力だが、生存可能性に余裕が出ると(豊か)、この過剰欲求が高度な自我を成立させる(理由は簡単で自我はハイレベルな動機形成《余ったモチベーションを代謝する》を可能とする生産手段だからだ)
すると?高度な自我は余剰な知的欲求から更に文明を進め社会はより豊かになる、
→それ以上に自我は高度になるので、もっと余剰な欲求は拡大しそれ以上に文明化が進む、無労働社会並みに社会は豊かになり→人類ヒト科は全人類的に固有な進化の結果獲得した過剰な欲求を全てパーソナルな目的に代謝することが可能になる(既に現実社会と生存のリアリズムから解放されており)→IT情報化社会の中でバーチャルが五感で認識する現実を超えてしまう
(※こんな感じの循環だよ《確かに原初的な過剰欲求を文明が超えることは無いと思うけどね》:原理的には『単独者』がMAX。筋の外れた方向に”見かけ上欲求が過剰化する錯覚”《強迫心理》はあるけども、これは本物の欲求ではなのだいから「どこかで帳尻が合わずに不均衡になる=安定しない」←いくつか前に書いた「本当に実現してどうする」って問いさ《知らんけど》)
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