これは認知における現象で、
事実を認知する時、人は様々な情報を元にこれを把握する。視覚や聴覚なんかの五感や客観的視点、常識論(共同幻想)的反射、判例主義(象徴的過去)的連想や投影、主観、特定他者への感情移入によるシュミレーション、背景となる状況判断、人間の脳はスパコン並の処理能力があるのでこれを瞬時にやるワケです、
その上で「火事になっちゃうじゃん」とか。
時と場合によっては「人に聞く」事でその裏取もします。
ここで認知が自意識(主観)に偏る(過剰)現象を『自意識過剰』と呼ぶ、
上記説明の最後に出てくる”裏取”に象徴されるように、そもそも現実認知というのは正確性を欠くものだけに、なんとかこれを他の人の意見を聞いて補完してでもなるべく誤差の無い様に確認したい(確認したいと思うほど不正確)と考えるのがむしろ自然で、生きているという現象は同じ一日をテープを繰り返し再生しているのではないのだから、その事実認知の確認こそが新規の記憶の処理=自我の変質にも直結している。
つまり、『自意識過剰状態=自我が保守形態である』
ここを逆さまから考えるなら、現在の自我を保守するために自意識過剰の状態が構造的に確立していると見る事もできる。
”現実”という記号も所詮は抽象概念なので、「現実を喪失」と考えるより「現実認知を構築するプロセスに無理がある」の方が正確かもしれない。
一番ナンセンスなのは具体的な争点で「それはこうじゃないだろう」的にそれを修正しようとする事で、むしろ効果的なのは”前提となる現実認知の修正”に他ならない。
結論と事実認定そのものには合理性があるのだから、そこには論議の余地が最初から無いからだ。
政治の世界には面白い言葉がある。
随分とひとり歩きしている言葉なんだけれども「女性の視線で考えます」「主婦の視線で参加します」とかなんとか、一見よく聞く台詞のようで実はこれ一般社会で使う人ほとんどいない。そして一番この言葉に矛盾があるのは使う人そのものが”女性や主婦”であることで、いかついオヤジ議員が
「私も女性の視点で考えます」「主婦の視点で今回の政策に!」等と発言した方が(別の意味で問題視されるかもだけれど)そりゃ言葉としてはよろしい感じがする。
根本的な問題はそこになるのだしね、
つまり自意識過剰というのは、極論本人が男性である場合なら「自分が女性として考える」であったり女性であれば「自分がマッチョな男性として考えてみる」のような多様性が”無い”状況の事で、随分乱暴な言い方をしてみると、自意識過剰か?な時には男性なら女言葉で・女性なら男言葉で考えてみるだけでもそれ以前の現実認知の偏りに自分自身でも気がつくのじゃないか?
あまりに「ちょっとどうなの」なアプローチだし、技術がいるので誰にでもできるってワケじゃないのでナンセンスだけれど、
「ちょっと同じ事を女言葉で話してみてください」みたいな投げかけが自意識過剰解除のキーには違いない。
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