アダムとイブの楽園追放の神話を、人間に置き換えると
無知な子供のままいられれば永遠に続くと思った楽園が、不謹慎な有害図書を知る悪知恵つける年齢で追放され(アダムとイブのように裸でいる事が恥ずかしくなり《子供時代のように親と風呂に入るなどということがなくなり》”第一の性の嫌悪”)、子孫を残さなければ死の恐怖から逃れられない(という寓話だけど《つまり死の恐怖と”性の嫌悪”が背後で同義語みたいになる構造なの》)、そして生活のため働かなければならない(労役)原罪を課せられた。
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として見ればだ(”性の嫌悪”がエディプスコンプレックス関連である事は、性対象者の前では全裸でも平気である事から明らか《条件を整えると嫌悪は発生しない=本質的にそんな嫌悪は無い》)、
※冒頭がちょい難解だと思うので補足すると
”性の嫌悪”拗らせて「恋愛幻想」に執着して、それがうまくいかない時に何故か→「死にたい」とかに転換するでしょ。
変だと思わない?「”モテない”と”死”に一体なんの関係あがあるのさ?」
ここでその深層心理にさ「”性の嫌悪”を解決すると死の恐怖から逃れられる」という構造(設定)があるとした場合、
”性の嫌悪”を浄化したイメージが結婚となり(快楽としての性ではないからねって調子で)、
=子孫を残すための”相続”=永遠(自分の墓参りもしてくれるよね)←ほらね「性の嫌悪と死の恐怖」は関連付けられているんだよ。
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そこで無意識に(てかここまで『共同幻想』なんだけどさ)
「恋愛を謳歌してる人は、まったく死の恐怖など感じさせない”生きるポジティブ”なイメージ」
こういう幻想・妄想が刷り込まれている(悪く言えばプロパガンダだよ)。
■<話をこの『共同幻想』と戦おうとした最初のトンチキ話に戻すと>
所詮それはコンプレーックス!(負けるなじゃないけど)
『宗教』含む『共同幻想』が死の恐怖からの救済に家族(子孫)と結婚を教義にするなら、
逆説的に”性の嫌悪”コンプレックスからの解放は「(おおらかな性により)死の恐怖からの部分的な解放も意味するだろ」に転じ(=これ潜在的にアンチ『宗教』みたいになるワケね)、
<概念としては「生と死」を「性と死」に置き換えようって着想>
R20で極端に言えばさ60年代の前衛主義であるウーマンズリブの主題が(避妊の自由)「ピル解禁」であったことは象徴的である。
現代も残る米国福音派が「中絶禁止」を政治的スローガンのようにしている様子の意味もよくわかるって話です。
福音派は「それはヤバイ(君らの潜在的な発想がどこにあるのかお見通しだ)」みたいにね。
■前衛主義者の命題は「”性の嫌悪”コンプレックスからの解放は、死の恐怖で釣った『宗教』『共同幻想』からの解放であり(エデンのオルタナティブを求めて)楽園へ至るルートなのか?」に展開して登場したのが”ユートピア思想”だよ。
(そんなものあるワケ無いでしょってなww)
これまた、左翼の幻想だった。
※思うにさ、60年代のヒッピームーブメントが「やれドラッグだ」とかに転じたのは「性の解放は部分的に過ぎないので足りない部分をドラッグで補完しようとした」と考えることもできる。
但し、ことほど左様に「”性の嫌悪”コンプレックスからの解放」なんてーな発想が可能なのは、原始時代から見たらそら楽園でしかない先進国に限られる話で(女性解放が可能なのは近代からテイクオフできたからだからね)、「避妊性交が過剰な人類の性欲進化の全てを説明できる筈も無く(エロサル論みたいになっちまうじゃん)」、左翼的社会運動にしようとしたとこに矛盾があったんでしょ。
※マルクスの思想ベースが経済発展論だものさ
(と考えると60年代のヒッピームーブメントがフリーSEXとドラッグ上等であった心理もわかるでしょ《当時は恋愛を前提とする性交も”家幻想”の筋書きだろと忌避されたのさ》)
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だからこそ、『宗教』保守から見た時の楽園(ユートピア)のイメージは「ソドムとゴモラ」であり
(神罰下るぞって)
現代左翼がLGBT好きなのも、前述の延長にあって「同性愛は相続を前提としないから」(アンチ”家幻想”)、これを保守派が嫌うのも彼らにとって「罰当たりの”避妊性交者の王”」だからだろう(聖書的には「性交・繁殖・労役・家族」はワンセットの神の与えし試練という聖なる設定だかんね)。
●難解なのは「同性愛結婚」ってもので(いえいえ誤解です私たちは保守派です宣言)、前段読むと論理矛盾あるのがわかるよね?
当事者もその意味がわかっていないところあるんだろうと思う(人権派弁護士の思い付きじゃないかな?《結婚制度は権利じゃないから、勘違いだと思う》)。
思うにその動機は”異端者と思われたくない”なんだろうけど、
その場合、てか、それ以前に(矛盾した形だけの話では無く)左翼が真面目にやるなら『聖書』を書き替えるところからだろ?
(たとえば結婚こそ異端とかな→となると同性愛結婚の論議は消える)
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『宗教』保守が論理的に考えるとそうなるから→LGBTトンデモナイとなるのさ、
<同性愛結婚の矛盾に戻ると>
現代的には「いやいや異端=前衛でしょ、てか世俗派の果てなんだから何故保守的認識を前提に”異端者と思われたくない”になっちゃうの?むしろ前衛的である事(異端)を自慢する場面だろ」の筈で、
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実は上記に登場する「結婚したがる同性愛者は果たして本当に同性愛なんだろうか」の疑問に通じるのさ。
「それは”同性愛でも性の嫌悪”じゃね?」って=保守的な人格って意味になる
(何故なら、同性愛結婚の希望者=自分達の結婚式に親を呼びたい《自分の家族にも認められたい》ってな潜在意識があることになるので、これは自分達の同性愛性交が個人的性欲では無く、夫婦関係の日常であると《性の嫌悪を婚姻制度ルートで浄化する発想》←この発想自体が旧来の『共同幻想』”家幻想”下における典型的な”性の嫌悪”一般論だからだよ。)
■考えてみればだよ『心理学』的に言うところの”性の嫌悪”話はそこじゃないからww
人類ヒト科の過剰進化した性欲に合わせて話を盛った物語に(そういう意味では『宗教』『共同幻想』はかなり上手にそこをカバーしてる)、そのまま対抗しようとするから反動化するんだわ。
根本は生物学的な話でもあってだな、、「大袈裟すぎ」なんだよww
(死の恐怖?いやいや「欲求不満のことでしょ」by.心理学)
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