(時に『宗教』が何が幸福なのかを語れるのは、何が幸福なのかをその『宗教』が決める事だからだ《権威性認知思想》)
仮にだよ、
「”ネコ飼い”の私にとって、何が幸せかと言えば穏やかなネコとのひと時です」と言った場合、
「生涯ネコを飼う機会の無かった、何飼いでも無い人は地獄なんかい?」
んな訳無いからさ(笑
(『宗教』を批判する意図は無いが、人の幸福を上から論じる時にはどうしたって《誰にもそれが当てはまらないと論理が破綻するので》『共同幻想』論法を使わざるを得ない。)
『心理学』としては「(上記含む)『共同幻想』論だろうが、歩留りだろうが『単独者』だろうが、何があなたにとって幸福なのかなど予定するものが何もわからないので、そこはご勝手に」のスタンスになる。
↑
■ちょい補足すると
偉いインド人シェフを迎えて有名店が「ウチのカレーが世界一」と喧伝し、
物珍しさに集まったにわかカレーファンを集めて(無料試食会など振る舞い)、
「どうですかみなさん、○○カレーが世界一!はいっ御唱和ください」
「○○カレーが世界一!」《デスヨネ〜》「○○カレーが世界一!」《デスヨネ〜》「○○カレーが世界一!」《デスヨネ〜》「○○カレーが世界一!」《デスヨネ〜》と、ワッショイワッショイやるのが『共同幻想』社会で、御唱和するのが”適応者”。
(え、なんか違うと思うとか私語を挟むと一発でイジメのターゲットとなり排除される)
”適応者”の幸福とはそんなカレーフェスで大騒ぎすることで(実際そのカレーがどう凄いのかとか宣伝文句しか知らない)、次回5割引きのクーポンももらえたりする。
これに対して
カレー好きを名乗るバカ者が「俺にとってはさ○○のカレーが究極かな。冗談抜きで世界一だと思う」。これに対して調子に乗った知人が「だよね、俺もそう思う」とか言うと、
「10年早い、お前に○○カレーの良さがわかるワケ無いだろww冗談はよせ、知りもしないでわかったようなことを言うなって」と豪語するのが(”個性化”の行きつく先)『単独者』になる。
『単独者』の幸福とは(それでも”独自に”飽きなくカレー探求の旅を続け)ある店で「俺もまだまだ駆け出しだな」と不敵な笑みを浮かべそのカレーを口に運ぶのが至極となる。
(口癖は「アンタはどこのカレーが好きなんだい?」《同じとか許さない》)
<話は戻って>
■『心理学』の取り扱い事項は「どうしてなのかわからないが、どうにも思ったように(或いは考えていることに沿うように)自分が振る舞ってるように思えない。何か変」などの”課題”や”命題”や”問題意識”がある場合に、
「さて、何がありましたか?」と現実認知を無意識領域に及んで整理するみたいな話で、
自己治癒能力と同じに「結果、こうかも知れないと気が付くのはその人」なので、『心理学』という学問が何かしているのでは無い。
状況を解説し「お持ちの地図の見方はこうじゃないですか?」みたいな修正パッチを提供可能だってことです(解決というより自我の回復や再起動)。
<<<なのでたとえば相談の命題が>>>
「何が幸福なのかわかりません」である場合、
(実はこれパラドックスであり命題じゃないんだけどね)
「(あなたにとって何が幸福なのか知りませんが)それがわからないなどという状況があるのなら(いやいや自分の事だろ)、かくかくしかじかが関係してますね」って話を展開するのが『心理学』っつー話です。
■フロイト『心理学』を目に見える形で利用したのが経済学ですが(ケインズ)、本来実現するべきはずの古典経済学的市場原理が「どうしてなるべくしてならないのか」な要素を分析して(ここの判断で学派は分かれるが)市場原理(なるべくしてなる合理性)をどう自然に働かせるかって論議が近代以降の経済学だと言えます。
経済学に”あるべく幸福な状態”などの概念は無く、各プレーヤーの合理性が最適化する状況が「何かの要因で阻害されるならそこに対策を打とう」という学問です(その判断が学派によって違うだけ)。仮に労働市場において所得のインセンティブが効かなくなってるのであれば、それが労働時間なのか仕事の中身なのか、時代の変遷に合わせて判断基準を変えればよいのであり、
●「所得のインセンティブが機能しないのはオカシイ」みたいな論議は経済学にはありません(そもそも限界効用の概念が心理学的なものだから)。
↓
限界効用も何か経済学の学問的な着想とか勘違いする人いるかも知れませんが、
「いくら飯で人が釣れるにしても、世相が飢えてる状態ならまだしも、日常的に腹いっぱい食えてる人を相手に米が一トン食えるぞと誘っても(一度に一トンも米を超える人などいない)、インセンティブにならない(誰も釣れない)」ことは、小学生にでもわかることでしょ。
※これさ「エントロピー増大の法則」そのままだから(宇宙の定理)
■『衣・食・住』という単純なカテゴリでも、基礎的需要が満たされた場合(或いは飽和状態)、
個別の需要が多様化する仕組みは誰でもわかることで、
(素っ裸で震えてる人は、暖を取れる衣類は何でも嬉しいが、現代のファッション市場において何が売れるのかって多様なニーズに答えてこそでしょ《危機的環境を脱して以降の個人の趣向は自然現象で多様化する》=個性化)
衣類における「女服、男服」みたいな大雑把なカテゴリが多様な分岐で曖昧化することはあり得ても、「ジェンダーレス男女共同服」の登場には何らの意味が無い(それは多様化では無く人民服でしかない)。
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