「あら何子ちゃん、大好きなぬいぐるみ買ってきたわよ、ほらクマのプーさん」
「、、へ、、、違う、違うもん、好きなのはテディベアだもん、、、」
(うわぁーで号泣しますよね)
「それが好きなのは自分じゃない、それは誰へのプレゼントなの?」となるからです。
(アイデンティティーをないがしろにされたと思うから号泣するのさ)
やれ僕は水蕎麦でも平気だとか、俺はすしはねたを一枚一枚はずして醤油派だとか、珈琲はブラックで、カレーは中辛で、みそ汁の具は野菜系で、パンはトースターでカリカリに、お米はササニシキと決めている、ジーンズはリジットデニムに限る、我が家の車は土禁だから、漂白剤は酵素系、紅茶の銘柄はキームンで、音楽はライブ音源一発取り希望、、、、、こういうの無限にありますね。
そして、そういう違いがアイデンティティーなんだわ、
そしてこのアイデンティティーを語る御託がレーゾンデートルみたいなものさ。
(だいたいそういう選択には随分御大層な一家言があるものだ)
↑
●更に日に日に『共同幻想』崩壊の影響で、所得や社会的地位の意味が失われようとしている。
極論すると、「パンはトースターでカリカリだろ」のが大事なんだよ(笑
だから前回の論議の「少し前の校則論議」において、髪型ごときが重要なテーマになったのさ。
「丸坊主の僕は考えられません」
(※はい、アイデンティティーを同一性で論じるなら、上記の心情が性同一性障害と類似する事態であることがわかっていただけるだろうか。)
更にだ、
世論調査を行うと、一般に人は「他人を外観で評価している」と答える例が多いのだが、
よく話を聞くと、「外観の何を見てるのかって、(美醜の話では無く)総合的に(ファッションから髪型からスタイルから歩き方まで)”その人らしさ”を観察してるってことなんだわ(”何系の方?”みたいなことさ)」
■ちょっと前の原稿で個性化の自然現象説明したけど
https://kagewari.seesaa.net/article/503700303.html
しょうもない選択肢でも『自意識』が全面に出た(自己責任を担保した)”その選択”は、自分を定義している(或いはそれを象徴する)”何か”であって、
↑
ちーともこの論議はおかしくないの、
近世とかさ、民族学なんてあった時の話どんなだった?
「男性の服装はかくかくしかじか、女性はこうで、特有の髪型をしており、、、」←ほらな?
民族のアイデンティティーになっとるやん。
俺がこのブログで、『単独者』の所以を「今日の晩飯に何食うかみたいなものだ」と説明することあるけれど(その飯が晩か昼かとか『共同幻想』だろという指摘は横に置いておいてくれww)、
マジもので言ってるから。
「常に、こうと決まってるものなどない、俺ならこうする」という分岐があった場合、
半端になんでもいいとはならないよな?
先進国になるってことはさ、そういう(しょっぱいかもしれないけど)自己選択の命題があちこちにあるのだよ。それを自覚的に認識する個人は、生きてるだけで無限に個性化分岐するのさ。
「そういうものだじゃネーだろ」を掛け声に(俺には俺の考えがあるとなった時)
脳科学者の養老の分析がからんでくる、
この選択者にとって、”無条件な適応(自己選択の否定)”は倫理的な嫌悪感を伴うことになるので、
”適応”だけは到底受け入れられないみたいなことになる(「それは全体主義だ、フリーダーム!」みたいにな)。
(近代の『共同幻想』システムは『自意識』を「抑圧」していたので《庶民の多くは教育も無く文字も読めず》、最初から「俺には考えがある」などの状態を発生させなかったのさ。)
どうしたって近現代の「俺には考えがある」派は、旧来の『共同幻想』適応社会に対する敵対勢力になる(しょっぱい対立だろうがなんだろうが)。これは”社会適応”という一般論に対してもだ(フランス革命のような戦争まで勃発する《フランス革命を支持してるワケではないが自然現象として社会学的にそういう対立が起きるのだよ》)、
時代が落ち着いてくれば、選択者には”社会性”という個別の知識があって、これは”緩い保守性”により担保されるから、決して反社会では無い(ここがアナーキズムが=無政府主義者ではないって話に被るのかな)。過激な行動も似合わない(フランス革命はやりすぎ以外の何ものでもなかったのは事実)。素朴なリベラリズムは左翼じゃないし(だから保守リベラルってのは矛盾した言語のようであり得るのだよ)。
■そんな時代を先取りしていたのが「野村野球」であり、
野村監督ってのは、必ずプレイの選択に根拠を求めた。
個人的に考えがあるなら(結果が悪くても)OK
根拠も無しに「そういうものかとか、普通そうかなみたいな考えも無しのプレイを許さなかった」。
野村野球は”社会適応の反対”であり、社会性は”セオリー”として知識で持っておくものだろうと、極めて現代的な組織運営をやってたんだわ。
そこで何を選択するのか?=「自分がどういうプレーヤーなのか?」
アイデンティティーは何だ?「お前はプレーヤーとして誰なんだ?」って在り方だよね。
(彼はそこを「なぜあのカウントでスライダーを見逃したのか?《そこ勝敗に関係ないようなところでも》」などの細部に求めた←些細な事にも大きな違いがあるのだから、その都度そこに個人としての考えを求めたのさ)
タグ:個性化
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