どうしようかと思ったが(過去記事に多数書いてきてるんでぶっちゃけめんどくさい)
サイドバーにまとめがあった方が今後も楽だろう。
ままよと、書くことにした。
<凄くシンプルにいえばこういうこと>
思春期『反抗期』の少女が、
「お父さん汚い」とかいいだしたり、
性的関係の反対を「清純なプラトニック恋愛(綺麗な交際)」と呼んでみたり、
児童が誤って両親の性行為を目撃した時ショックを受ける理由、
↑
これらすべては「あたかも人類ヒト科の性は悪性の穢れだ」などのような脳内設定があること
●説明するまでも無いが、「自分にも性欲あるワケで(自然な成長)」
どこをどう転んでも、いつまでもこれを嫌悪することは不可能で、
近代『共同幻想』権威はこの心理を自らの権力に利用しており(子供をもうける夫婦の避妊しない性交こそが聖なるなんとかであり、これを祝福できる権威は宗教権力にしかない=逆らうものは穢れたなんとかでソドムとゴモラのように神の業火で焼かれるがよい)、そして結婚式が宗教ビジネスになったぐらいだ。
70年代米国の女性の権利運動(ウーマンズリブ)ってのは、これが「俺らは常に処女のまま留め置かれ(綺麗ごとに終始するなら異性交際が無いも同じだ)、”家幻想”や地域の宗教権力の許可無しには相手を選べず、事実上”そこえ嫁に行け”みたいな命令を強要されるのか」という風に解釈され、
「避妊こそが女性の権利の象徴」となったワケ(主力は「低用量ピル解禁運動」)、
※これな、逆に言えば「性交しない男女交際などあるか!(恋愛とは性交のことだろ:英語で”make love”と言えば性交の事だ!)」に転じて、勘違いからネタバレし過ぎのフリーJAZZのジレンマに陥り、80年代にかけてのリベラル派フリーSEXブームなんてことになった(NYにはシングルズバーが次々出店《今夜の相手を探すバーの事》)←後に大いに反省する結果となる
■つまり、(ルネッサンスと対比してみな)”性の嫌悪”ってのは、
1)思春期に荒れてる子供か(反抗期を終える=性の肯定)
2)ゴリゴリの保守派権力の思惑か
3)メンタル状況などの結果『退行化』が発生し(過去の成功体験に戻ろうとする心理)、思春期反抗期時代の認識に戻ってしまった場合
↑
だいたい大きくまとめると上記のいずれかになる。
(勿論、これを大人が放置すると生物学的欲求総量のアウトプットが不足するため、”代謝不全”に陥る。それは欲求不満のレベルでは無く、緊急性のある「退屈したら死ぬ病」に近い心的健康問題に繋がることもある。)
https://kagewari.seesaa.net/article/499690927.html
※たとえば「空腹なのに食欲を制限されたらどうなる?」→無理なダイエットのアレだよ
●『心理学』ってか、『生物学』的に重要なポイントは
男性の性衝動が直接的性行為に傾斜するのに対し(快感のタイミングが射精だもの避けられない)、女性の性衝動は「これが無いとダメみたいな行為にピークが直結しておらず」(成長による追い込まれ型覚醒になり難い)、女性社会の各所に”性の嫌悪”的な習俗があちこちに残る事だ(時にこの部分を「女性らしさ」と勘違いされる方いると思うがそれは全く違います《”性の嫌悪”的習俗が残りがちというだけです》:「冒頭のウーマンズリブのスローガンを思い出せ」)。
↓
※ですから、「昭和」の青春群像ドラマのヒロインが、
相手役男子の性的なんとやらに直面した時の決め台詞は?
「 ふ け つ っ!(不潔)」
↑
これが遠因になったのか、
学校の風紀委員と言えば、”性の嫌悪保有者であることが条件”みたいな設定まで登場した。
(いちおう時期的に『思春期』なのだから成長期を描く点で間違いではないが)
※現代サブカル視点としては(そんな昭和を風刺する意味で)
↓
『監獄学園-プリズンスクール-』って事になるか
(昭和には確か「ハレンチ学園」ってのがあった筈《永井豪かな》)
TVアニメ『監獄学園(プリズンスクール)』
https://youtu.be/L5UUgGyNp9o?si=8nZZIOtFfxLrm5k9
※主題歌作詞は筋少の大槻ケンジ君です
海外のリアクション動画でも人気コンテンツだったよね(懐かしい)
<話が逸れたな、、、>
■サイドバーにあるけれど、
「恋愛感情の無い(何故か)ガチ性対象年齢男女間の友人関係」を”疑似性交”的な遊興として説明してますが(子供の遠足との違いは、肉とアルコール)、
https://kagewari.seesaa.net/article/501005218.html
性的欲求滅するほどの代替って言えば(実際は成功してないが)「宗教」や「哲学」や「武道」とか「茶道」とか「登山などの冒険」など、そういうのでしょ(対人関係では無く取り組む概念が命がけの案件《一部の芸能界エンタメもそうかもしれません》)。
言うだけはこれができそうなのは”命がけでやることだから”です。
(性的欲求→繁殖→生存欲求→生きる→生命)
フロイト『心理学』でも”広義の性欲(リビドー)”ってのは、文明化欲求から経済成長から文化芸術までありとあらゆる人類の「動物としては余計なお世話の欲求」の総称であり、
「性欲=生の欲求」という解釈さ(エロスとタナトスなど神話的解釈の話だから)。
※「libido. 本来ラテン語で強い〈欲望〉を意味する語《by.コトバンク》」弟子のユングの方が広義解釈してたようだが、、ユングの話は禁句としておく(フロイトは対する死の衝動が”デストルドー”と定義した=リビドーは生の衝動ってことさ)。
↑↓
つまり、性的欲求を完全に代替可能な生の欲求があるとするなら
その構成要件は?「命かけてる(生き死にに関わるスリリングな世界)事象」であることが条件です
ハイ、上記に対して
「恋愛感情の無い(何故か)ガチ性対象年齢男女間の友人関係」の遊興が、それに相当するワケが無い事から(お遊びなんだから)、”疑似性交”と分類してるワケさ。
●男性心理を補足すると、
昔の日活ロマンポルノのタイトルじゃないけど、
団地妻だとか人妻と言えばエロになるじゃん、この想定は「”性の嫌悪”をバトルプルーフした女性」という意味がフラグになってる。
これに対して「女学生」ってのは初心(うぶ)だとか経験が浅い転じて「性に興味津々の期待ww」というバカみたいな願望がフラグとなる。
だいたいこれで、全体的な構造わかったかしら?
<追記>
「”性の嫌悪”(リビドー《libido》の性欲部分の否定)」が=デストルドーではないぜ。
(そもそもフロイトのデストルドー論は彼自身これがこうとはっきりわかっていなかったと思う《むしろそれをデフレの事かと解釈した経済学者のケインズの理解のが妥当だと思う》)
「”性の嫌悪”(リビドー《libido》の性欲部分の否定)」=フロイト時代は「ヒステリーの原因」
(当時は《俗にいう蔑称の》ヒス女を揶揄して《フロイトのせいなのか》「欲求不満なんだろ」などと呼んでいた)
「”性の嫌悪”(リビドー《libido》の性欲部分の否定)」=前者を全て否定はしないが、現代では”鬱フラグ”となる
(フロイト時代と出方が違うのは女性の社会進出など社会情勢が異なるため)
【心理学テキスト「Why not」の最新記事】
- どうも社会学の社会進化論わかっていないひ..
- 「孤独」と「不安」は時々混同される
- 人の話は事実を語っても事実ではない(これ..
- これもまた書くといろんなこと言われそうだ..
- フロイト『心理学』がどうにもこうにも”社..
- 必要無いと思うんだけど、一応書いておくか..
- 必要無いと思うんだけど、一応書いておくか..
- 「被害妄想」という概念の勘違い(実質そん..
- ”社会適応者”達の認知構造(記事リク補助..
- こないだのアイデンティティー論の続き「特..
- こないだのアイデンティティー論の続き「特..
- アイデンティティー論「些細な違いが”大き..
- アイデンティティー論「些細な違いが”大き..
- 現代社会における旧『共同幻想』適応社会(..
- リクエスト関連(電気ガス代が高すぎるさん..
- 「イメージ」とは何か?
- 過去が改変する話をシンプルに野球で(今回..
- 真面目な話、過去は定まっていないと思う
- そもそも自我って代物が”本能のオルタナだ..
- 男性心理「マチズモ《男性誇示》」とは何か..