仮にもの凄い脳でトンデモなドーパミンを出せるのだとしても、
今度はそのドーパミンに『限界効用』が発生するので(受容体もドーパミンインフレに対応してしまう)正比例で”快感代謝”が増大することは【無い】。
「アル中患者の虚しい泥酔」みたいなこととなる、
中毒性から禁断症状にも至るが、これは1で説明した「例外事項の生存を損なうほどの欠乏状況」を逆転する反動形成で、自作自演したもので、
「先進国の豊かな生活も文明も捨てて原始時代に戻りたいのか?」という事態に陥ってると理解することができる(そういう趣味ならともかく、嫌ならおやめなさいよと)。
ある意味薬物中毒の離脱リハビリも『認知行動療法』なワケだから、
(車で言えば、改造でくっつけたターボチャージャー外しましょうねということだ)
(※ひょっとすると《俺は別に詳しくも無ければ推奨もしてないが》アドラー心理学の自己責任論の根拠も同じようなものかなと思うぜ。)
↑
■現実との関係性において重視すべきは
「今、俺は何やってるのかの理解に他ならない」
言うならば「強迫心理」とは、「物語のイカレタ設定集」のことであり、ドン・キホーテにおける「水車を怪物だと思った」←こういう設定のことだ。
水車に立ち向かうドン・キホーテは「自分が何をしているのかという局面で、怪物と戦ってると思っているのだが(本人がどんな理解をしてもそりゃ自由だが)」←現実との関係が破綻する。
ファンタジー世界の住人になるってことです、
現実世界に帰ってきたいのであれば、何をやってるのか知ることです。
●さて、これはまた別に現実認知論において、人の認知はほとんどVRだと説明したことがあります。更に、松尾芭蕉が詠んでいるものは何なのか?
宇宙の動物全ての認知において、”そのまま現実を認知することは不可能”です(脳内で何らかの解釈を行う)。更に地球上の生物でわかっていることは、脳が各種五感などから得た電気情報信号から必要なVRを展開し、それを当事者が現実だと認識する生命構造なってますから、
「リアリズムや、リアリティー」或いは
芭蕉が「現実が表す本質を十分に言葉で表現できていないもどかしさ」みたいな部分、
これは、「決して到達できない”そのままの現実”に、以下に自分の脳内シミュレーションをリアリズムやリアリティーを担保する手法で近づけるか」ってことで、
人類ヒト科に限らず、あらゆる生物は「一歩間違えばあっちの世界の住人」なっちまうんです。
(※これの対立概念が「地に足を付けた」などと呼ばれる記号)
↓
「リアリズムやリアリティーを担保する手法のひとつが”論理性”なのよ」=自我を構成するロジックのことだ。言い換えれば自我とは、「不十分ながら現実を語る者」のことであり、
論理性がギリギリ当事者と現実との関係を繋ぎ留めいてるのさ。
そして論理性は手法のひとつだから、芸術性や芭蕉のような抒情性や他にも手法はあるだろうねって(後者の場合自我の構造がかなり拡張してると思われ)。
論理性とは現実を言葉で表す写術表現のようなものさ。
だから「描けるか?」ってのはスゲー大事だ分水嶺だと思うし、
箱庭療法に限らず、児童がトンデモ抽象画のようなドスグロの絵を描くと「この子大丈夫かしら」と周囲は心配するだろ?(何かのトラウマが表現されているのかしらとかって)
■これは実験したものでも、統計エビデンスがあるのでもないのだが、
”適応者”の絵は丸三角四角だけの「8ビット”イラスト以下」が一般的であり、
「君達は本当に現実世界の住人ですか?」が転じて『共同幻想世界の住人』と解釈しているのさ(その世界のかきわり背景は4ビットだみたいな)
↑
あくまでこれは比喩表現で(絵だと比較しやすいから)、
言語認知としてもこれぐらいの差異があるってこと。
「自慢話では無いが、俺は『有料相談』の返信で、8時間あれば2万文字ぐらいはアドリブで書ける(400字詰め原稿用紙50枚)」←”一晩で卒論かよ”と思う事もある。
脳のテーブルに展開してる情報量がそれだけあるということで(頭いいとか言ってないからなww)、絵画に表現するとかなり微細な解像度で捉えているっことです(書くこと多いから文字数が多くなるだけ《デッサンの手数が多いのと同じ》)。
ところがどうだ、”適応者”の場合?
「はい、この件で意見ある人は挙手して」→”シーーーーン、、”(文字数”0”)
(”適応者”個人に能力が無いとかの話では無くて「能力もろとも自分を捨ててる」。これを心理学的には「自己の「抑圧」」と説明してるのだよ。)
”適応者”自我の場合、リアリズムを『共同幻想』が保証するので、これに適応することで個人は何もやらなくてもいいシステムになってる。
(「普通そうでしょ」で終わり《”適応”しているので「どうしてなのかは知らなくていい」》)
さて気が付きませんか?
「強迫心理」というのは、現実を認識する手法の(赤本)解答集みたいなものでさ、
授業に教師が持ってる(回答が赤字で書いてる)赤本使って「こうだと思います」とかそれなぞってる様があると思うけど(『単独者』のアドリブと正反対)、
まだそれが、正解の赤本ならいいが、トンチキな児童の書いた設定集の場合「トンデモになるだろ」
●あのさ、『限界効用』論の大事なことは、
人類ヒト科のパフォーマンスに「それ以上の悩みなどない」という基本性能は”全員ほぼ同じ”ワケ、(先進国において社会的地位の上下が意味を失うのと同じ)無理でもなんでもそこに凄い悩みや凄い落ち込みを演出するために「例外事項の生存を損なうほどの欠乏状況」物語を必要としているのであり(フェイクだ)、これをでっち上げる設定集が「強迫心理」となる。
↑
これいうと俺の命に危険が及ぶヤバイことでたとえるとさ、
『聖書』とかも、一種の設定集なワケ=『共同幻想』な。
「強迫心理」とは児童が適当に思いついた『共同幻想』を模倣した”偽書”なんだよ。
■最も現実との関係性において重視すべきは
「今、俺は何やってるのかの理解に他ならない」
(精神分析における”ネタバレによる「強迫心理」崩壊作戦”ってのは、ゲスな週刊誌記者の暴露記事みたいな側面もあるだろねって話。)
※ここでは省略するけども、物理学の量子論持ち込むと更にこの話は長くなるww
だからやめとく
『限界効用』論から言えば文明の意味は?だとか経済成長ってのは?などのマル系の陰謀みたいな話もできなくもないが(所謂ガチ保守論)、『共同幻想』崩壊論では「実は『単独者』の”再選択者”が登場する」流れがあるので、ま〜ね、ブルジョアがどうしたこうした考えるのか、それを神の手(レッセフェール”laissez-faire”:アダム・スミス「神の見えざる手」)と見るのか、まあそれも認識の違いだ。
個人的には電気あってのオーディオだしさww
人類ヒト科の「趣味性エンタメ」ってのは、広義の性欲論で言うところのかなり健全な根源的なものだと思ってるけどね(PCにしろインターネットにしろ人類ヒト科の知的欲求と知見の拡張ってのは止められないでしょ)。ガチ保守界隈が神輿に担ぐ古代の偉人だって、同じ目線で(彼らの脳内シミュレーションが半端なかっただけで)思いついたものだと思うから、原始『共同幻想』を聖典のように持ち上げるのも無理があると思うよ(今そう考えることができているガチ保守論壇の知見も「趣味性エンタメ」の中で獲得されたものだろ《印刷技術も無く書籍も読めずにあなたは保守論壇になれるのかってさ》)。
それは「神秘主義」であり、知見の独占による独裁でしかないと思うぞ。
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