個性化の方向性として「伝統文化を”個人的に”選択する人」
(※音楽で考えるのが一番わかりやすい、高校時代はバンド活動とかしていたが一念発起して音大行ってクラシックの道に行く人とか、別にそういうのあっても自然でしょ。)
個性化選択のひとつとしての選択なのだから、
ここで言う伝統文化とは(その名の通りで)既に『共同幻想』として権勢を誇った姿では無く、時代遅れの中でマイナーな存在になる中で”伝統文化”として生き残っているものとなります。
だから往々にして、保守と言っても「かなり昔からの伝統文化」が想定されてくるかなと(絶対古来のものとは限らないと思うけど)、
●特徴としては再選択にあたって、当時の哲学や背景なども理解した上での話になるので「師範代みたいな存在を追求するスタンス」であり、その文化が『共同幻想』であった時代の”適応者”になることでは無い。
実例でたとえると、
農家さんが農協指導のもとでなんか適当に農薬も使いつつの流通米を作付けしているのに対して、”再選択者”ってのは伝統のナントカ米を古来の自然な有機差作法にのっとって再現することに命かけてるみたいな恰好になる(極端な例だけど)。←普段の衣服も作務衣とかでさ、
見たままだけど、前者の”適応者”は権威の指導や示唆に従うだけで(適応)、主体的に何かを選択しているのでは無いのね(言うならば適応することを選択している)。
後者は「それは何か、その神髄は」みたいなことを考えて、主体的に「俺は何をする」ってのを選択しており、それが(当人の体感は)偶然か何かの縁で”伝統文化”だったという人。
↑
勿論、実はそこには偶然も何かの縁も実は無くて、伝統文化足り得てるものは「古代の偉人たちが何世代にも渡り研鑽してきた哲学や知恵が凝縮されており」その魅力をサルベージすることで再現しようとするものです(なので個性選択の一種ね)。バークあたりの保守論で言うところの「”適応者”達は鵜呑みにしてきただけで知らないかと思うが、慣習としてそこまで続いた保守系概念の背景には替えの効かない歴史的価値が実存している」←ってところを”偶然”発見したという構造(最初から知っていたら発見とならないので当人の体感は偶然知ったという流れ)。
※しかしこれを外から見れば、その人物固有の自我構造に符合する何かがその伝統文化にあったということなので、蓋然。
そして、その伝統文化を選択するだろう個性があったとなるので「個性化の一形態」ってこと、
■伝統文化などへの再選択なのだから、
所謂団体などに所属することもあるが、かといってこの人物は”適応者”ではなく(オンザレールや囲い込まれたのではなく)”選択者”なので、素性は(団体所属で単独行動していなくても)『単独者』です。団体内部的にこの『単独者』の部分は「凄く熱心な人」と解釈される(これほど熱心なのはこの人だけ=孤高の存在=単独)。
なものだから、この”確信犯的再選択者”には、自分が『単独者』的な自我構造なってるのにあまり自覚が無く(興味の中心は自分のことでは無く”伝統文化”だし)、『単独者』的自由主義に話が合わないこともあるし、「『単独者』の自由主義は敵じゃ無いよ」をにわかに信じられないなど、理解が及ぶことは難しいのかもしれないが、まあ自我構造の論理は類似しているので論議を重ねれば話せる相手となる。
(※前衛JAZZはクラシックを敵視してるワケではないだろ?ww)
市井ののんきな『単独者』と、伝統文化の求道者みたいな人物の自我構造が同じってのも皮肉じゃ無くて、人類ヒト科にそうそう違いがある方がオカシナ話で、先進国化により可能性がひろがる『単独者』を「豊かな時代の自我のスタンダード」と考えれば(故に近代までは団体の頂点などの地位にいるものだけが”再選択者”の形で『単独者』でいられたのであって)、なるほどねって話だよ(”適応者”こそ社会が食えない時代の不遇な自我タイプだから)。→捕食獣の脅威があるから群れる必然性があるのであって、生存が保証される豊かな環境になれば草食動物も気ままに自由を選択できる(=単独行動の可能性)。
●現代の場合、伝統文化を選択することは求道者みたいなスタンスの方が自然なの。
但し”適応者”にはそこが理解できないから(理解したら”共有自我”が壊れちまうし)、”確信犯的再選択者”のことを彼らは”凄い適応者”なのだと勘違いし続けることになる。
●まあそもそも論だけど、伝統文化の言いだしっぺ(開祖)は、ひとりじゃん(笑
(典型的人物像は「宮本武蔵」)
これを追求して、”その同じ境地に向かおう”って話だから何ら矛盾していない。
適応者のように既存団体の権力闘争やオンザレールの頂点では無くて、”伝統文化”としての頂点を目指すって話(なのでタイトルには興味が無い)。
(”適応者”の場合は、まず既存団体の”一員になろう”や”弟子にしてください”ってことなので構造が全く違うのね。)
■時に皇室など皇位継承めぐる結婚なども関連する自由の無さってのかしら、そこを人権侵害だとか言う話も耳にしますが(皇室の人が可哀そうだとか《意味はよくわかる》)、しかし歌舞伎の梨園で子供たちのころから継承者としてデビューすることを可哀そうだとか言う論議は何故かありません。
実はこれBABYMETALにおけるYUIMETAL離脱時の残念論議にも被るんだけれど、
「既に勝ち組急に”快感代謝”がMAXレベルにある世界の継承権を持つ場合→極端に言えば世界征服の権利と解釈するとさ、『単独者』による自由がにわかにそれを超えると考えるものは少ないだろうって思うじゃん(この運命も蓋然性であり自分の個性なのだと《ひとりしか継承しないのだし》)」←”再選択者としての腹を決める”って表現はどこか矛盾しているかも知れないけど、それを人権侵害と呼ぶのはちょっと言い過ぎではないかと思う(言ってる意味はわかるし、勿論それを拒否する自由もあるのだろうし否定はしません《皇籍離脱とかも法的には可能なんじゃね:但しその人物が一般人となって議員に立候補するとどうなるね?》:だからYUIMETALも離脱後は表に出ないようにしてるよね)。←同時に保守言論人などが”継承を合理的”(この表現も怒られると思うけど)みたいに飲み込んでいるのも理解できる(そもそも『単独者』にしても自由選択からが本番にしろ”最初の頃”は単なる自分の個体差に応じるとこから始まるので《どうしたって日本人であるとかさ》、「自分にとっての皇室」という理解が及ぶなら”再選択”ではあるが、展開は『単独者』と変わらない)。
●つまり俗に言う「帝王学」ってのは”再選択者としての腹を決める”ことで(継承者はひとりなのだから)、『単独者』としての自我構造も求められるのが筋論だと思う(表向きは『単独者』ではなく、”凄い適応者”と理解されてるからこれ担当が説明間違うとちょっとアレな話にもなる)。
●なんていうのかな、保守側も考えていて「極度に貧乏くじの継承者」みたいな物語は聞かない(あったとしても割に合わないので誰にも継承されず途絶えちゃうんだよ)。
つまり、(選択肢があるのかの論議は横に置いておいて)再選択者として腹をきめられる合理性を”その歴史が担保してる”のは事実なのさ(合理性を担保する仕組みまで慣習などの文化に含まれている)。
※個人の資質は?などの論議はあるだろうけれど、だいたいにおいてこういう継承権のある場面には「門外不出」だとか「一子相伝」など、秘密にされている事があってさ(それを知る者は後継者に限られる)資質に関係無く制度として(後継者だけが秘密を知るのだから)それを保証できる仕組みがあるんだよ(団体である場合、それによってカリスマも受け継がれる)。
同時に『単独者』論の本質は「殊更特別な事をすることでは無い人」なのだから(どちらか言えば”些末な日常にもうんちくがある”タイプ)、保守性にも不都合はない。
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