映画評論から着想した『共同幻想』合理性変動の法則ですが、そもそも明白なことで、
近代以前までの寿命なんて概念すら無い(新生児の半数は亡くなる時代の)あまりにも死が近い時代に「(個人の自由なんてあんたそれどころではない)集落が生き残ってこそ」として発明されたのが『共同幻想』社会であり、主だった特徴は「よそ者は吊るせ」です。
※これがあるから、日本の村社会の場合「村八分=一族全員の死」を意味してました。
(村八分とは追放されたものに何も売るな与えるなと地域一体に発令することで、餓死に追い込む風習《欧州におけるユダヤ人差別に似た部分もあり、故に村八分とされた家族が旅芸人一座となって生き残るなどしていく→ユダヤ人に芸能人や音楽家が多い理由も同じ》)
さて、『共同幻想』社会の代表的なモデルといえば?「軍隊ですね」
故にこのブログでは『共同幻想』のルールを知りたければ、キューブリックの映画『フルメタルジャケット』を観ろとよく言いますが、軍隊において『共同幻想』社会の合理性が成立する理由は言うまでも無く「生きるか死ぬかを前提とした組織」だからです。
※上官の突撃命令で(=死を意味するのに)やらねばならぬとなるところは、近代までの”家幻想”さながらです。
何やら『共同幻想』社会を甘く見ている人いるかもしれませんが、権威上位者から死ね言われたら喜んで死ぬぐらいの忠誠が前提となってる強烈な組織なんです(親分の身代わりに刑務所行くとか常識でしょ)。
■さて人類の相当数が過去にその経験を持つ”家幻想適応”ですが(通常人類ヒト科は親属性の個体から生れますので《帝王学を学ぶ特権階級や産後に捨てられるなどの極限環境や極貧を例外に》)、近代前後まで何が横行しておったかと言えば、
不作や飢饉になれば、女の子は女衒に女郎として売却され(しかも子供は貧しい家のため喜んでいってまいりますなどの不条理ものともしない適応を見せ)男の子は丁稚奉公に出されたりなど余裕でOKなワケです(昭和初期近代においても「子供を親族に”あげる”」などの”もらいっ子”は日常茶飯事の普通のことでした)。
武家階級や豪農などにおいても、「男系・嫡男総取り」が原則ですから(そうしなければ先祖の土地や領地が後継者の数だけバラバラになってしまうため一族の資産を守るため、長男が全資産を相続する形を取った)、次男坊などは長男権威を守るために”ワザとバカな出来損ないのフリをする”ことすら道徳だったのであり(時代劇に登場する「退屈旗本男」であるとか《暴れん坊将軍のニュアンスは少し違いますが》”遊び人”などは何のことかって、長男を立てるために次男坊などがわざと出来の悪い人格を演じるところに始まります)、そういう不条理は不条理では無く『共同幻想』社会においては合理的な道徳とされます。
●その末裔が近代『共同幻想』であり、当時の合理性背景事情は(安全保障の危機)”帝国主義と戦争の時代”です
言うならばWW2(第二次世界大戦)後の世界ってのは、世界的な『共同幻想』崩壊の始まりであり(個人の人権などの概念は『共同幻想』の対立概念です《言い出しっぺはフランス革命=教会権力『共同幻想』打倒の武装革命》)、本来「以降の世界は”社会適応”とは危機下の必要悪であり、豊になった先進国で”社会適応”を奨励するのは禁忌」という認識が必要だったんです。
(※権威性の崩壊や合理性を失った『共同幻想』社会適応論は、その途端に”社会の不安要因”に切り替わってしまうため《大規模なメンタル問題の発生要因になってしまう》)
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ところが米ソ冷戦の設定もありますが、民間企業の過当競争など(戦争はまだまだ続くよ的な)危機や不安ノスタルジーを投影するような設定もズルズル残存しまして、
”家幻想”に対しては「婚姻の自由」や「児童労働の禁止」など【既に意味を失いつつあった親権に法的規制】をかけますが、ドラスティックな崩壊を勧めたのではありません(ある意味保守的改革ということね)。
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●ここに考え足らずの保守派が【家族の解体かーっ】とか反動化したりしますが、→「いやいや、、大人になっても親族と無駄に争う人とかいなだろ、、と」。同じ釜の飯じゃないけど、”家幻想”の終わりってのは「第二次反抗期あたりの子供時代から(”小学校高学年は大人扱い”じゃないがそれっぽく)個々人を尊重した大人同士の関係を構築する家族法人」にシフトしてくださいねって意味だから、、(ここには高寿命化との関係で”親もあんまし老けない”ってところも関係していくと思う《昨今は母娘で買い物行くと「お友達ですか?」とか言われることが、アンチエイジング派の自慢話だからね》)。
とかなんとか、なんだかんだ”家幻想”を引きずりながら各国は先進国へシフトしたと。
この近現代の状況を「『共同幻想』崩壊時代」と私は呼んでおりますが
<<<メンタル問題が世界的に激増します>>>
これは言い換えれば「豊かな時代にシフトする際の代償です」
■どうしたってそれは起きます、
理由は世代間の認識のズレが(なんせ時代が大きく変わるから)激しく大きくなることで、それは=親世代の著しい自信喪失となります(正統性権威がもう無いワケで《飢饉で村が全滅してもいいのか?とかもう言えないじゃんw》)、親世代も何が理由で自分に圧倒的強権があるのか説明がつかんのです。「ぽっかんと”社会適応”ってお題はあるんだけど」(あんたさ核家族も進んで前も後ろもわからない20代の親に何がわかってるって、お察しください)「親って何をすればわからない」←こうなってしまう方が自然でしょ。
かといって、人類ヒト科普遍的な「エディプス・コンプレックス(=言い換えれば人類ヒト科に限って、赤ん坊がいきなり立って歩けないというサルとしての奇形的進化のこと)」、幼児や子供が普遍的に体感する”死の恐怖と不安”はなーんも変化しませんので、親世代が時代的不安の中で”家幻想”の運営が不安定になれば、子供の動揺も大きくなりますし、ガツンと思春期『反抗期』かます流れもメリハリを失います(言うなれば広範な親世代が時代的理由で不安神経症みたいなことなんだから)。
さらにグズグズに崩壊しかかってる『共同幻想』はなにがなんだかワケのわからない鵺(ぬえ)みたいなものとなっており、元気に”適応ー”とかしているのが、DQN堕としにあった一部階層だけなんだから(自分の家だけ明治大学野球部みたいな運営とかできないのであってだな)、不安などが原因で思春期『反抗期』が無駄に荒れたり一時撤退すると(ハイ、撤退する場合「反動形成」起きますから快感代謝ノルマが課される欲求は係数倍化します《悪く言えば刑が重くなる・借金がエライことになる》)、
これが自動的に『退行化』するワケだが、年齢的にホームシックってことも不自然過ぎるので(一時代はホームシックにトライして「子供部屋に引き籠る」なんてチャレンジした世代も発生)、【漠然とした”社会適応”強迫】みたいな状況が多発する。
↑
臨床系にナントカ障害などと診断されている多くのケースもこの過渡期の心理状態の類型のひとつじゃなかろうかなどと(心理学系としては)思うワケですよ。
※場合によっちゃ「強迫的に田舎のDQN『共同幻想』社会に適応しないといけない」などという(想像の斜め上を行く)勘違いも起きるんです。
<つづく>
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