2022年10月26日

ここんとことの心理学テキストの論議ってのは

「主観というか感情も結果論じゃないか?」という着想かなと思う。
野球におけるパーフェクトゲームの意味を知らない人は、
佐々木朗希君の偉業を聞いても何のことかわからない。
(凄さを知るには知識が必要なんだよ)

過去ログ音楽論でよく出てくる話の
JAZZを楽しめるようになるには訓練というかJAZZとは何かがわかる視聴体験なりが必要だって話も同じで(知る前はソローパートの即興演奏のどこがいいのかワカラナイ)、もっとハードル下げると洋楽ロック系においても(間奏の手抜きもあるんだけどさ)「ギターソロをスキップして聞く」なんて輩が登場した結果、欧米バンドがギターソロを抜いて作曲することが増えており、
BAND-MAIDの楽曲聞いて「あーなんかギターソロパートがあるなんて、バンヘイレン以来な気がする」とか感想述べてるリアクターもいたりするんだよ。
ここにも著しく(欧米のロック人気低下は目を覆うばかりだったから)ギターリフなどの視聴体験が低下して、知見として「何がいいのかわからない階層」が登場してしまったからなんだと思う。

ピーマンの話じゃないけどさ、
JAZZの聴き所を知る前の俺の主観や感情(面白いのはテーマだけソロパートがつまらない)、
知った後の(テーマこそどうでもよくて本番はソロパート)主観や感情を語る上でどちらが本当(本音)なのかって話をだな、
●重要なのは、知見の差異こそ本体で(「お前のその知見は十分か」が問われ続けるのさ)、
「その時どうだったのかってのは幻想に過ぎない」って話だよ。

つまり何が本音を担保するのかってさ、
「JAZZを聴こうぜ」ってその知見を獲得しようとする個性化意思であり、
どんな知識を得るのかって自由選択のことなんだわ。
 ↑
これを他者に依存するとだ(誰それの薦めるだとか共調や付き合いで)
構造的に本音は抑圧され、知見の獲得が操作されるのだから、
その後の主観や感情も「(本音とは縁もゆかりも無い)ド・幻想になっちまう」って話さ。

<<あくまで仮説の域を出ないが>>

本音を反映しない主観や感情は「快感代謝も限定的になる」と思うんだよね。
(知見を獲得する際のエピソード記憶の関連が自己完結する個別性では無く、”適応”による対人依存性としたら《人任せだろ》:自己責任を担保できない事象は本音ではない《著作権すら発生できない》って構造になるんだから)
 ↑
はい、ここで『共同幻想』論に戻るんだよ(意味わかります?)

人の薦めに乗るってことはだ、薦めた人が何故それを薦めるほど気に入ったのか「その知見がわからないまま」なんだよ(人任せで)、しかも『共同幻想』の場合、その薦めた人も「TVで宣伝していたから」など伝聞で「何々の知見があるとそれがいいなと思えるんだよ」って知見を最初からわかっていない可能性すらあるのさ(人任せで)。「何がいいのか本質がわからないまま」→「いいね」って同調圧力に対し適応してるだけになっちまう。
●するとさ、この伝聞からの「いいね」は完全なド・幻想じゃん
(その主観も感情も一過性であり《適応対象が変化すると主観も感情も変化する》、且つ自分でその根拠《何がいいのか》を説明できないんだぜ?)
だから『共同”幻想”』って呼ぶんだが、
=「確実にそれは本音では無い」ってことだよ、
(だって、また他の人に何か薦められたら次の日違う事言ってるのかもしれないからだ)

※ちなみに近代までの堅い『共同幻想』ってのは、地域性含め文化伝統系であり「あまり変わらなかったの」(間接的だけど根拠も語れた「何々の生まれだから」って)、しかしこの旧来の伝統保守ってのは現代都市化文明の中で既に壊れており(お祭りや方言など一部は残っているけどさ)、
インチキ臭い地域興しの新興祭りが登場したり、方言より”その集団だけの若者言葉が流行ったり”、(同調圧力構造だけ残して)その正統性は《権威性》とっくに”崩れ”ているわけさ。



posted by kagewari at 03:00 | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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