2022年05月29日

「本音の会話(コミュニケーション)」はある意味で『単独者』にしかできない

『共同幻想』社会”適応者”は会話しているようで、会話していない
(どうせ「だよね、そうだよね」しか言わないからだ)
しかもそこには痛いトリックがあって、
『共同幻想』適応人格と、”確信犯的保守選択者(再選択者)”の違いは、
「その文化伝統はどういう意味か」を知っているか否かの差になる。
 ↓
”適応”ってのは「どうしてなのかを問わず」→従っておけ(そうだよね)って意味で
実際適応者向けのプロパガンダは、それ用に(どうしてなのかの説明を省き)結論だけ伝えるケースが多くなる
→「こうなりましたから」
→「こう決まったから」
→「今これが流行ですから」
→「知ってる?知ってる?今こうなんだって」
 ↓
「へーそうなんだ」「だよね、そうだよね」←これが”適応”ね

なので逆説的に言えば→”適応者”とは「何も知らない人」なんです
(情報として事実だけは知っているが、概念としては何も知らないみたいな)
 ↑
この人を相手に何の話をするのかね?
(だから彼らには理屈が通じないのだよ→だってどうしてなのか何にも知らないんだもの)


■先日珍しく『単独者』論を書いたけど、
https://kagewari.seesaa.net/article/488247539.html
https://kagewari.seesaa.net/article/488273927.html

音楽や、武道やスポーツでたとえるのが(目に見えるので)わかりやすいだろう
 ↓
音楽で言えば、会話とか”ジャムセッション”のことであり合奏では【無い】
武道でもスポーツで言えば、会話は”手合わせ”であり合同練習では【無い】

※どちらも会話(ジャムセッションや手合わせ)するためには、技能レベル(個性化レベル)が近似していないと難しい。
(譜面どおり合奏できるだけとか、練習に参加できるだけの”適応”では、ジャムセッションや手合わせのような「音楽や武道スポーツでの会話」はできない。)

『単独者』論において「プロフェッショナルという意味かもしれない」と書いたけど、
個性化って、技能や成果の獲得とは別だけど(心理学の原則”結果論には意味がない”)、趣旨としてはプロを目指すことと同じでしょ(youtubeなどで見かける視聴プロの素人評論家とかもアリアリなんだわ)。
→だから個性化している状態の褒め言葉が「プロ級ですね」「いえいえ、まだまだ」なんだよ。
(その個性化分岐に進んでより”個性化”しようとあくなき挑戦を続けるってことだから)
オタクにならなきゃエヴァの話もできんだろう(笑



posted by kagewari at 02:35 | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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