2005年07月06日

精神分析的視点(4)-1「ニート論」を考える。

前回の「政府が考える間抜けなニート論」の補足を書いておこう。仕事をするってことの意味についてになるが、前回の話は「意味不明の呼称ニートの諸君のポテンシャルは高い」って話だった。極端な例で話を簡単にしてみよう

芸術家の大半は「自称」であって、商業演劇批判があるように、芸術の世界では「飯を食うのに特化する」事は、むしろ芸術の本旨から逸脱する行為だと見られる。故に「エンターテイメント」という言葉すらある
いかにも社会に認知されるような事をする奴は「腰抜けだ」と言ってもいい。

歴史的哲学者や、思想家は当然“貴族”なる特権階級で、ご存知の通りクラッシック音楽の作曲家は貴族のパトロンがいないことには飯が食えない(なにせ元々が宮廷音楽家として飯を食っていたりする)、

クラッシック音楽にしても、庶民がそれを楽しむ風土のある土地(ウィーンやロシア等)なら食うチャンスも多くなるが、日本じゃなんとかしてN響にでも入りゃないかん「そう簡単には食えないので」職業としては“食うのが難しい”。
つまり重大なテーマは「どうやって(それらしい仕事をして)食うか?」難しい事は特別に無い。
どうやって食うのかだけだといってもいい。
だからフリーターってのはしのぐのに悪い商売じゃなかった、デフレの時代の雇用者側ニーズにもあっていた。

ある意味今問われているのは、そんなフリーランスの仕事の労務環境で国民年金だけでは心もとないし、実際低賃金に抑えられる事も多い、そもそも独立事業主をフリーター等という意味不明の呼び方(30数歳になると「スローワーカー」になるらしい)自体も困ったものだ、、
生きている事を肯定するって事が「どうやってしのぐ(ヤクザのしのぎ的意味)のか」であり、この際何だっていいのであって、妙に堅気の仕事を斡旋したところで、動機の面からミスマッチなんであってほとんど意味が無い。
タグ:メンタル
posted by kagewari at 18:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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