(あのね時給50円とかになると流石にもう返事は書けないから、注意事項に書いてあるけど物理的に生活を維持できない、、ましてや1時間で書けなかったら、、《真っ青》)
>ごめんなさいお仲間って何??意味がわからない。好きな相手だから自分の時間も命も捧げるくらいに尽くす。大切な友達なら自分の時間割いて親身になる。ごっこじゃなくて本気で真剣だから。どうでもいい人にそこまでしない。私も周りも歩留まりだけど?普通に一人でお店とかもある。でも常に一人じゃない。色んな人と関わると新たな発見や楽しさもある。常にぼっちなんて単調でつまらない。ただの寂しい人。統計の7割も「一生恋人友達がいない人」じゃないでしょうw友達も交際経験もないぼっちなんて一握りじゃないの(笑)
仮に相手の同意も無しにそれを行えばストーカーなんだけど、、、
↓
「クラスでフォークダンスやった時に意中の人同士がコンビを組む確率」
あなたの相対性理論では(量子力学でもいいけど)
どうやったら、相手がそれを喜んでいる事が約束されるんですか?
↑
■だから『単独者』論ならわかるんだわ、
誰でもいいとかではなく→「コイツでなければならない」
この場合、そういう局面なり状況は(地域のほぼ同年代間で友人関係を構築イメージを語るあなたの場合「フォークダンスの確率」になる、殆どの人に相手をあてがわなければならないからだ《この段階で圧倒的多数か全てのコンビが何らかの不一致を”調整”しなければならない》)、
「俺とコイツの固有のナントカ」という固有の個性の一致性を前提とする、
即ちこの段階で、この二人についていける奴は他にいないので(100人にひとり同士とか1000人にひとり同士の関係を暗喩し)「そういうコンビが可能なのはこいつらだけ」=99人には類似した関係性は模索できない(”殆どの人が”という関係性では無く”彼等だけが”って話になる)。
↑
●前項で話した「基本的に本当の意味の恋愛は『単独者』にしかできない」ってのは単純に上記のような数学的確率で実存しており(当事者である『単独者』達がそれを恋愛という言葉で認識しているのかは定かでは無いが《それぞれ他にない個性派だから》)、
※典型例:スポーツ界などにおける「宿命のライバル」
↑
この様子を「きぅとこうなんだろうね」と外車席が想像し「恋愛幻想」というのがうまれた
<話を少し変えるけれど>
■庶民が中世や近代から現代に”概念”を拡散していくという現象は、フランス革命に代表されるように(その結果フランス料理が庶民の味になったり、庶民がペットを飼う文化が普及する)、社会の大変革の中、当時でいえば庶民が「貴族の文化を模倣する」形で普及拡大する。
↑
”普及拡大”だけで考えても流れは同じ、
(庶民の間から発案されたのでは無いってこと、この場合シェークスピアでも近松でもいいけれど、文化芸能の流行の伝播の形で、特定階級のネタが《台本になるなかで幻想化され》劇画調に知れわたる=普及拡散する)
前のテキストで説明したように、
我々が相当正確に当時の状況を類推できるのは「明治、大正、昭和」となるが、
その時代の流行歌の歌詞などから、当時の大衆がどうのような”概念”に刺激されたり涙したのかを知ることができる(大日本帝国時代にはDQNのBBQなど想像お及ばなかっただろうことが文化人類学的に証明可能だ)。
●ご多分に漏れず、戦後日本の自由恋愛は実質米国占領軍GHQがもたらしたものだが、
(60年代にはにミニスカートの大流行など《大正デモクラシー時代のモダンガール・モダンボーイ文化とは大きく違う》)
↑
何がいいたいって、「恋愛」という概念は人類普遍の習性では無く、
物語性のある”概念”として、庶民の間で(きっとこういうことなのかなと)幻想として(実存経験は無いのだから)獲得・伝播したもので、
その証拠に「恋愛指南本」が存在したり、今回の記事リクエスト発端となる「菜の花さんリクエストに登場する、コミュケーション指南教師」が存在したり、「雑誌にお勧めのデートコース企画があったり」外部から導入(インスパイアや教えられる)されるもので、
「最初から内在していない」ってことがポイントなのさ
(※最初から内在していれば、教えられることなど無いからだ)
■たとえば前述の「雑誌にお勧めのデートコース企画があったり」を分析してみよう
(「フォークダンスコンビの確率」と合わせて考えてくれたまへ)
不足している言葉を補うところから
↓
「この雑誌読者(7万部〜25万部)全員に何気に抵抗なく”共有”できる(だいたい射程距離で)デートコース(この段階で相手も”だいたい許容範囲”)をマーケティング手法で解析してお知らせしましょう《大規模量販店の戦略的に》」
↑
これを読んでよかれと思って実践することは(ユニバーサルなアイデアを相手に「だよね、そうだよね」と共有することなんだが)
【以下と矛盾する】
↓
>好きな相手だから自分の時間も命も捧げるくらいに尽くす。
↑
「雑誌に書いてあったデートコースを参考に誘う」←命を捧げる行為ではないよね?
(誰もが目にする媒体情報のマーケティングを参考に、誘うなので《相手もユニバーサルな現代人のひとりとして取り扱っていることになる》)
これはDQNのBBQにもいえることだが、
説明するまでも無く、日本には古来からBBQの文化ではありません。
(※結構古めで続いてる似たものって北海道のジンギスカンぐらい)
雑誌媒体や、広告戦略の中で米国の文化を”模倣”したものです。
(※なので日本で流通しているアウトドア器具のブランドは米国製が多い《コールマンとか》)
簡単に言えば、
固有に自分に内在した(或いは自ら発掘学んだ)知見では無い、
ざっくばらんに言えば「どこぞの誰からから聞いた受け売り」です(人から聞いた話)。
↑
■本質的に米国人がBBQを行うのは
第47回 米国では初対面の人とBBQの話はNG!?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/352321/102000006/?P=3
<一部引用>
聞けば、アメリカには「初めて会う人との話題に選んではいけないもの。それは政治、宗教、そしてバーベキューだ」という社交場についてのジョークがあるそうだ。論争が巻き起こる可能性があるほど、アメリカの人びとはバーベキューにこだわりを持っているということか。
ではどんなときにバーベキューをするのだろうか。そう問うと、「みんなで食べる料理の象徴でしょうか」とレイチェルさんはいう。「アメリカでは自宅の庭で家族や友人とバーベキューを食べます。それは独立記念日や誰かの誕生日など特別な日だから集まることもあるけれど、単に日曜日だからやりましょう、という場合もある。共通するのは親しい人たちと食事を楽しむということです」
そうレイチェルさんがいった。そういえば小学生の頃、家族で「バーベキュー」をしたときに肉を焼くのはいつも父だった。いわゆる普通の焼肉でシメはやっぱり焼きそばだったけど、思い浮かぶのは家族の笑顔。料理などの文化が伝来するとき、そこの風土に合わせて変化しながら定着することが多い。しかし、大切な人たちとの絆を深めるというバーベキューの意義は、日本にもそのまま伝わっているのかもしれない。
↑
はい、宗教的伝統保守の概念があってこその文化です←記者最後の一文はトンチンカン
(家父長がお祈りを捧げ、一族介して食事を切り分けてもらう)
●DQNのBBQは「猿真似だ」ってことです
(たとえばね、ガンマニアの俺自慢じゃ無いけどさ、米国まで日本の警察官一生分超えるほど撃ちに行くとか、”その文化を知る”という”単独に特化したものが無い”)
勿論、日本に古来からある(焼きそばなどで知られる)大衆の鉄板焼き文化みたいなものを取り込みつつ地元なりのBBQ化しているのは認めますが、
↑
最初から内在していたワケでは無い(教わるまで知らない)
=それを知る以前の時代は必要性も何も「そんなことしようと思ってもいなかった」ということです。
「誘ったら相手も楽しいと思うかもしれない類推はどこからくる?」
私と同じように”みんな《直近母集団のこと》がそういうから””流行っているから《直近母集団のこと》”
↑
これって”あなたの考える最近の若い人の遊び方”って型に相手を類型化しているだけになる。
【以下と矛盾する】
↓
>好きな相手だから自分の時間も命も捧げるくらいに尽くす。
(※少々話を強調して言えば「インスタントラーメン《マスプロダクトな利得》を提供することが?」)
■つまり、仮の話だが”殆どの人が個性化『単独者』化し”、(それを恋愛と言う言葉で語るのかわからないが)各所で他の人には共有できない”何か”が(個性=レア=ユニバーサルでは無い=共有されない=流行では無い)横行してるとする。
勿論ここでも「フォークダンスコンビの確率」が関係するため、
その関係性は、年齢・国籍・言語・性別・容姿・他を超えたところで広範な(全世界とも言うべき)空間をベースに展開される(グローバリズムでは無い、国際化)
これが拡大していく一因は、IT・AI化インターネット社会があってこそになるが、
(事実私の副業の不動産で海外帰国組が比較的多いこともその線上にあるだろう)
意味しているのは「地域共同体なる概念の崩壊」だ、
(会社での仕事すら、リモートワーク自宅SOHO化が進んでいる)
↑
この様子をあなたが見た場合、
「”殆どの若者《=同世代同士》”が休日は友人達や恋人たちを遊びまわっている図」に見えますか?そして、みんなBBQが好きなのかしら?
何度も言うように
>私も周りも歩留まりだけど?普通に一人でお店とかもある。でも常に一人じゃない。色んな人と関わると新たな発見や楽しさもある。常にぼっちなんて単調でつまらない。ただの寂しい人。
↑
■私がいつ、どこの世界線で「常に一人」などと言った?
私は「殆どの人が、いつも(常に)休日などで外で遊びまわっている」(菜の花さんやら名塩さんなどの)”殆どが常に”とか現実には存在しないだろと説明しているんです。
※私が言ってんのは、「歩留まり」や『単独者』のことであり、コミュ障引きこもりの話では”ありません”
ところが、「常に外で仲間と遊んでいない人は、”コミュ障かひきこもりぐらい”です(そうに違いない!)」って名塩さんが言ったの!!
(だから話がややこやしくなってんじゃないか→思うに名塩さんは「道徳的反射」で私の論旨を誤読した)
それから
>統計の7割も「一生恋人友達がいない人」じゃないでしょうw友達も交際経験もないぼっちなんて一握りじゃないの(笑)
↑
あっ た り 前 じゃ ん
「あー(よく出演者自殺しちゃう)恋愛シミュレーションごっことか、DQNのBBQか、、、」と
(そういう交友関係の世界を知った上で)→日常は必要無い【今”殆どの時間”を彼らと過ごすみたいな習俗には適応していません】(能力が無いでは無く)
晩婚化などの世論調査筆頭も
「まだ結婚しない理由=(要約すれば)自分の時間を大事にしたい」です。
100人に聞いた!晩婚さんの「幸福」と「後悔」(東洋経済)
https://toyokeizai.net/articles/-/213256
何度も言いますが、 わ た し は
●「殆どの人が、いつも(常に)休日などで外で遊びまわっている」(菜の花さんやら名塩さんなどの話)
●「常に外で仲間と遊んでいない人は、”コミュ障かひきこもりぐらい”です(そうに違いない!)」
↑
などの発想が現実と異なる「強迫心理」だと言ってんの、
(自我選択を迷っている状態の、《『共同幻想』命名の》コミュ障だとか、引きこもりなどの「適応強迫」事例の話じゃないから)
統計などから現代「歩留まり」達の深層心理分析も交えて解説しているワケ
「ちげーだろ」って、
統計上の日常から言えば(個別では無く数値を平均化だと見立てて論じれば)
”殆どの時間(7割前後は)”友人と遊ぶや同世代との恋愛に費やすとか【無く】
「自分の時間を大事にしている」ということであり(現代日本の現状認識として)
「殆どの人は日常的に友人や恋人と遊びまわっており、それができなかった私の屈辱ガー」
という菜の花さんのリクエストは、確実に強迫的な偏向であることが証明される。
(7割前後の人、乃至《数値を平均化だと見立てて論じれば》7割の時間は「自分の時間として大事にしている」が正解)
↓
●そして究極、ココ
>統計の7割も「一生恋人友達がいない人」じゃないでしょうw友達も交際経験もないぼっちなんて一握りじゃないの(笑)
↑
あっ た り 前 じゃ ん
=「今でなくてもいい(過去にあったかも知れない、未来にあるかもしれない)」
↑
この点を、菜の花さんの屈辱論は矛盾してるだろと言ってんの
(依頼文が本当なら、現在菜の花さんは友人達と日常的な交流があるという話だし)
「何故なら、それが屈辱の記憶となる根拠は?殆どの人が日常的に《過半数越え》」だからだ、
ランダムに、期間を置いてもよいでのあれば(現代歩留まり7割の本音)
ひとりでいた当時を殊更屈辱の時代と表現するのは”オカシイ”ことになる。
↑
この点を強調し、追随した名塩さんの論調は特にここを強調して論じられいる
しかも(そういう意味で)私が書いている論調に、
(何ら矛盾を感じない筈の)自称なおさんが、名塩さんに加勢する形で、
反論的な?意味の分からないことを75円で送ってくる意味がわからない。
仮にあなたが、記述されているように「ひとりでいることも多い」のであれば、
菜の花さんや名塩さんの主張に対するヘンテコ違和感は同じになる筈だ。
<<また話は逸れるけれど>>
所謂(『共同幻想』言うところの)コミュ障やひきこもり、ナントカ障害ってのは
非常に広範に、菜の花さんや名塩さんのような「”みんなが”友人や恋人たちと日常的に遊びまわっている(いわば現代若者事情のステレオタイプ的なモノへの適応)」という錯覚を持っており、
(=「強迫心理」)
これは、明快に現代日本の統計(現実)から乖離しているもので
(この段階で、相対的妄想と断じてもいい)
↑
なおさんの言うように、「ひとりで過ごすことも多くそこに違和感や劣等感など無い」という設定では”無い”ワケだ、
(そう思えている場合”屈辱ガー”など必要の無いトラウマ認識を自ら発案することは”能力的にもあり得ない”ワケで)
■自ら精神病であることを発言した、名塩さんの場合
(最初に言ってくれれば、「所謂(『共同幻想』言うところの)コミュ障やひきこもり、ナントカ障害」に及ぶのにと記述したとおりだが=●私が「所謂(『共同幻想』言うところの)コミュ障やひきこもり、ナントカ障害」の話をしていたのでは無く、現代日本の「歩留まり」や『単独者』の話をしていた証拠、)
更にそこに突っ込む形で『共同幻想』と「強迫心理」の関係と背後の快感原則の話に及んだってことです。いったいどこに反論する部分があるのかさっぱりわからない。
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