2021年07月22日

「歩留まり」達の合理的選択(がどうしても付け焼刃になってしまう件)

そういう意味では”それでいい”んだけどさ
 ↑
いやいや、どういうことだよって、「歩留まり達の憂鬱」などと呼ぶこともあるけれど、
”意識高い系”なる言葉に代表されるように、
「歩留まり」選択な人生は、「なんかそれでいいじゃない」ってな快感代謝の合理的選択であり(個人的趣味性も歩留まりなんだわ)、
”意識高い系”の意図するところはさ→”信念にも似た確信犯的選択”の反対なのさ
このために、形だけ『共同幻想』適応することはコストも大きい話だから(得るものも歩留まってるのに)”実は非効率である”という根本的やり場の無さを、
「なんかそれでいいじゃない」って受け流していく生き様になる。
(「私に難しいこと言わないでよ!」←みたいなさ)

だってそもそもが「歩留まり」選択ってのは、
のっぴきならない事情他(血縁関係から近所付き合いまで)、あたかも妙な話の保証人にサインしてしまったみたいに「抜けようとすれば、できるんだけどそれもすごく大変」のような、
ほとんどやむを得ない選択なのであり、
●構造としては「そこから抜け出そうとする意欲も歩留まり不足するため」
なんか絶妙に不快だが、耐えられなくもない状況が継続することになる。


だいたいの歩留まり人格に「いつか選択の時がくる」ってのは、
退職や自身の高齢化により→「なんかそれでいいじゃない」ってな快感代謝のインセンティブを喪失するからだ(合理性を担保できず自然に対応を求められる)、
昭和後期に流行語となった「熟年離婚」がその走りかな、
平成に入ったころには、左翼系知識人が老後を寒村の農業生活を模索してみたり、
●「その時がきたら何かするんだよね」って事だけは何となく広まってきたのかなと、


<<<経済学的にはもっと簡単な話で>>>

「(誰かに雇われる)サラリーマンんって職業は労働力年齢時代しかできない」ってことさw
またそのサラリーマンってのも労働契約結んでる主体は自己責任なワケで(自分の労働力を経営しているのは個人事業主としての自分なワケでさ「自分ひとりが従業員の派遣会社を経営しているようなもの」)、

うーんと(先進国の場合)人間は自由なので
「基本全員が、フリーランスか独立事業主なんだけど(俺はサラリーマンだからだとか、俺は公務員だからって台詞は考えれば考えるほど中途半端なインチキだろ?)」
 ↑
この中途半端さも「歩留まり」だからってなワケで、
いったいぜんたいなにのどこからどこまでが「歩留まり」なのかもうわからなくなってきたけどw
●そういうところが「歩留まりらしさ」なんだよ
「退職してから気が付く”私は最初から自営業”」←要約するとこんな感じかしらね
(そういう意味ではそれでいんですよ、必ずいつか気が付きますから)




タグ:歩留り
posted by kagewari at 02:25 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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