この話には確率論も大きく関係していると思う、
「確率と心理」ってテーマです
東京都宝くじ、当選確率が何々%とかありますよね?
この宝くじをA氏とB氏が同数購入する場合、当然確率は同じ。
ところが、「当たるかも知れない」と思う心理は激しく個体差があり、
=つまり、人類ヒト科の心理は”確率”に比例しない
何からの背景事情で、確率を踏破して(無視して)なんぼでもあーでもないこーでも無いになるんです。
(あまりご存じ無い方いるかもですが、法的に宝くじは明確な”ギャンブル”です)
「あなた、また宝くじ何枚買ったの!もういい加減にして」
「いやいや、お前わからないだろ、当たるかも知れない」
(ちなみにギャンブルとして見た時の返金率は、競馬やパチンコのが遥かに良心的とも言われる)
↑
合理的に考えれば(普遍的論議では無く、他のギャンブル比較の相対論として)
●「宝くじは滅多にあたらないというの判断が合理的」
前述のやりとりとしては、以下のような投げかけになると状況が変わります
「あなた、また宝くじを買ったの?もう勘弁して確率が悪いんだから、パチンコや競馬にしてよ!」
「ええ、、、そうなのか?、、、」
※確率論を無視したポジティブ解釈は躁状態に過ぎず、ポジティブ・シンキングとならない
(根拠の無い楽観論は『抗(あらがう)』では無く、「承認欲求自己陶酔」に過ぎない)
合理的なオルタナティブを提示すると”曲げられる”
■その反対もありますね、
「気分転換で今日は何々をしてみましょうか?」
「何もいいことなんかある筈無いんで興味ないです」
↑
あくまでも前者の投げかけは(前例の無い方向の動機形成提案なので)
十分に根拠のあるものです(不明の確率可能性)
→提案には「ダメが出ているとか無いだろ」程度の根拠はある
ところが、その可能性を予知能力でもあるまいし全否定できるのは(いわば鬱状態)、これまた確率論の無視です(お前は自然科学も踏破した超自然の存在なのかと)。
<<<さてみなさん、躁状態・鬱状態これら判断の出所は何か?>>>
『エピソード記憶』です(二度あることは三度ある効果)
マクロ経済学とミクロ経済学の話にもなるんですが、
「今日仕入れたホウレンソウが売れるのか?」と、
「現在日本におけるホウレンソウの流通」は概念として違いますわね、
(かといって今日仕入れたホウレンソウの販売に全国統計が全く無関係と言うことも無い)
つまり?ネガティブ(後ろ向き)とポジティブ(確実な間違いの無い)論で言うならば、
個別に(社会性をすっ飛ばして)自己中心的に考えるド・ミクロ論と、
自分を社会のひとりとして見る場合と(実は『単独者』ってのはネットワーク型社会性に拠る存在なのでマクロ的なんだわ)、
そこに分岐ポイントがあるだろうと考える。
一見すると『共同幻想』社会適応こそ社会人に見えると思うけれど、
これは全くの間違いで、『共同幻想』社会は”排他閉鎖系イントラネット”だからね(故にピラミッド型の上限関係がある)。
これに対して『単独者』社会ってのは、”開放系インターネット”となる(故に関係性に上下が無い)。
■躁鬱を考える場合『共同幻想』専用語である「孤立」が関係してくる、
そもそもイントラネットで実はマクロ的着眼に乏しい『共同幻想』社会で(『共同幻想』に見切をつけるでも無く)「ただ孤立する場合」イントラネットの中で更に退行(内向→自己中心方向)するため、認知がド・ミクロ志向になってしまう。
●『共同幻想』系において(せいぜい産業別ミクロ経済的発想のこと)「俺だけは」と言えば孤立した個人を意味し、もうこの段階でネガティブなんだわ(確率論から離れてその日の気分で躁になったり鬱になったりを繰り返す)。→そうならないため『共同幻想』社会適応人格の場合、現実との関係を維持する方法が「無限に上昇志向であること」となってしまう(『共同幻想』専用語の「前向きに」って奴)。
●これに対し『単独者』社会は、そもそもがネットワーク型の社会性を持つので(マクロ的確率論の延長上で事象を認知する)「自己都合含む個別各論に左右されない」、現実から乖離しようがない概念になる。
存在の在り方がポジティブと言えばポジティブであって、
(エンタメとして悲観論などが消えるワケじゃないけれど)
俺は思うんだけど、
だから『共同幻想』社会には”奇跡や神話や終末論まで”あり得るのだろうと(現実との乖離も上等だから)。一見常識的に見える『共同幻想』社会は(常識って言葉も『共同幻想』専用語なんだけどさ)、非現実的なのですよ(笑
『単独者』における常識はその語彙が違っていて、(内輪の論理では無く)確率論から見た現実性のことだから。
現代社会でも、左翼リベラル界隈『共同幻想』社会において、保守系『共同幻想』を批判する時に「欧米ガー」ってのあったでしょ。彼らは人類全体の確率論や合理性で語るのではなく、勢力争い的論争になりがちなんだわ。
■かと言って一見バラ色に見える『単独者』社会が盤石かと言えば全く違う話で、
『単独者』社会成立の条件は「先進国、高学歴、自由、生存権の保証、インターネットなどの情報媒体のインフラ・社会の特性としてサブカルへの寛容さ」などが条件になる。
(※昭和の共産党が敗戦革命じゃないけれど、経済失政による大失業社会などを意図して引き起こし、組織拡大を狙う戦略を持っていたことを忘れてはいけない。)
その条件を満たしているのは、日本と米国や欧州・中東の一部以外には存在しない。
国家単位では、日本だけかも知れない。
方向性として社会進化論的に間違ってはいないと思うけれど、
少なくとも”先進国化”という条件を見るだけでも、世界的に順調な経済成長が必須となる。
「流石にその確率は未知数だ」
コロナの件もそうだけども、
「何故日本だけ違うのか」←これを異質論では無く、論理立てて何らかの概念にして拡散することは”それこそ世界の平和の実現”なんだわ(間違っても憲法9条では無いっスw)。
2ch文化論みたいなものは、90年代2000年代にはあったけれど、似非『共同幻想』であるSNSの反動的拡散で昨今は軽視されがちになっている。
(※2ch的な言論はネットワーク型確率論の中で極めて重要で、「こんな考え方もあるよ」という思いつきの《違う考えを持ち寄るDATAベース》集積なんだわさ。)
■「”快感代謝”総生産のシェア争い」ってのはさ、
「退行系『被(こうむる)』」VS「実存系『抗(あらがう)』」の戦いなワケで、
これは
「非現実ファンタジー(提供されるエンタメ性大)」VS「確率論的現実認知(エンタメ性維持には”思いつく”個別の働きかけが必要)」の戦いでもある。
ぐるっと回って、米国臨床系が言い出しっぺだと思われる「ネガティブなんとかポジティブなんとか」ってのは寸止め(歩留まり)論議で、やっぱ中途半端なんだわ。
そらフロイト心理学への『共同幻想』論的抵抗から派生した学派だからな。
<<<<はてさて>>>>
ようやく、
ここで、
この事務所で
「個別各論には意味が無い」「知人の話はNG」と規定している意味がおわかりだろうか?
自己中心的ミクロ経済学的認知には
「その認知スタンスそのものに強迫性がある(現実の確率論との乖離がある)から」なんだわさ(=『被(こうむる)』)
(『被(こうむる)』のシェアが大きくなる=強迫傾向)
逆に言えば?
「(個人の特殊性や個別論はどうでもいいから)社会的確率で論じること」←こっちに行かないと「強迫的思考」から抜け出せないワケよ。
(※精神分析における情報取得として個別論は重要だけど、それはまた別の論議な。←そもそも精神分析ってのは「その自我の強迫性の実態や構造を分析する話」なので《動作の検証や予測をするため》、強迫性の手がかりが必要になるからね《精神分析時の情報取得は個人のバランスシートを見るような話》、そこ根本的に違うので誤解しないように。)
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