別に推薦図書では無いけど、昨今ラノベでよく売れた「俺ガイル」ありますが(アニメ化もされてました)←別に詳しい内容等は知らなくてもいいのであまりに気にしないでくれたまへ
それが指し示しているものは、現代『歩留まり』時代に若い人も「どうすりゃいいの」って考えている人多数って話ね。
(※このブログで紹介している実存主義哲学の『単独者』の概念ってのは、60年代70年代とかの昭和世代にはよく知られていると思うけど、若い人には全く知らないって階層もあると思われ)
話は戻るけど「俺ガイル」で画期的だったのは、
表向き『共同幻想』適応できてスクールカースト的代表者みたいなキャラクターもちっとも内実は幸福では無く、主人公にその内面を吐露したりするところで、
(主人公の設定は、あだ名だったかがボッチってぐらいに、ステルスモードなど活用して意識的に群れから離れて我が道を行く嫌われキャラの設定になっている)
↑
ある意味現代社会はコンプレックスの比重が下がった世界なんですよ、
昭和の小説などの設定なら、所謂社会適応エリートなキャラは単純に嫌味な悪役だったりしましたが、それは当時の社会においてコンプレックスの比重が現代より重かったからです。
(つまりネタバレ不足で、コンプレックスのレバレッジも強かった)
●現代の若者の親って言えば、俺と同じニュータイプ世代かなって思うけどww
えーつまり、この世代は「昭和の権威主義」に辟易としていますから(受験戦争のバカらしさもよく知っている)子育てにおいて権威主義的振る舞いは少ないと思うのね、
言っても『歩留まり』特有の打算主義をリアリズムとして説くぐらいじゃないかしら。
∴故にニュータイプ世代の子供達である現代社会の若者には環境としてのエディプイス的ハードルは低い
(ネタバレ幻滅するのも容易になります)
コンプレックス特有の現実の偏向(盛られたイメージ)が少ないわけ
読者に対し「なんとなくわかるよね」って感覚あるから、
昭和なら一方的な悪者だったり、イジワルなだけのキャラである適応エリートな脇役が、実はこんな立場にいることはちっとも幸福では無く(単独行動独立独歩な主人公へ)「君にしかこんなこと言えないけど」みたいな描かれ方をして通用するんです。
ええ、そこは読者のターゲットが現代社会の若者だからこそだろうと、
(そもそもこの話、ヒロインが確かトンデモ金持ちお嬢様じゃなかったかな。ド不幸過ぎる哀れなこのお嬢様を《単独故に相対強者である》主人公のボッチ君が、、、てな話。←作中でこの所得格差が階層としても意識されて”おらず”「面倒な稼業」程度の認識でどんどん進んでいくとこも”現代社会らしい《そんなのクソの意味も無いことが”あまりにも当たり前”なので説明すらされない》”)
■ことほど左様にコンプレックスがバリバリだと、現実は偏向し盛られたイメージにひっかきまわされます。
現代社会のように、それが社会的にも薄まるとリアリズムの置き所そのものが変容する。
単純なモデルで説明すると、
昭和なら、以下のような設定が幅をきかせてましたが、
「貧乏で車も買えない主人公が、金持ちの子息が乗り回すスポーツカーを見る。貧乏人キャラなど眼中にない嫌味なエリート君が水たまりをバシャ―んと車ではねていく、主人公がずぶ濡れ」
↓
●これが現代社会なら以下となる、
「貧乏でママチャリ乗ってる主人公に、金持ちの子息が(見栄えばかりで故障続きの欧州車)調子の悪い社内で歪んだ表情で悪態つきながら、「すいません、道を聞きたんだけど?」と話しかけ、主人公は(そこに何らコンプレックス的描写抜きに屈託の無い笑顔で)「どこに行きたいんですか?」とさわやかに答える」
↑
登場人物の設定が同じでも、現代社会では昭和のドラマみたいな話はもうあり得ないんだわ、
(コンプレックス強度の高い物語はリアリティーすら失った:現代ではそれコントでしかない)
『共同幻想』が設定していたインセンティブも効果を失っとるわけで(実家が金持ちとかクソの意味も無い)、
自動的に社会的成功や、地位や名誉、『共同幻想』適応の優位な立場ってものが全て、
「最近の若い人はもう車とかいらないと言ってる」←全部が全部こういう始末なのよ。
(必要ない、個人的幸福論に何ら関係が無い)
思うに、
「結婚適齢期」なる言葉も差別表現としてPC的に使われなくなってる筈、
(既に女性社員に「君は結婚しないの?」などと声かけるとガチのハラスメントですから)
<<<<思えばさ>>>>
コンプレックスなんてのは、物語を大袈裟に盛ってくれる調味料みたいなものだったのであり、
幻想バリバリで(現代劇なのに)ファンタジー展開すんだよ(笑
”持てるものは有頂天”に描かれ
”持たざるものはどん底”に描かれていても物語成立しちゃうからね。
↑
●心理学的にはここが大事なポイントで
「物語として成立しちゃう」ってどういうことか?
脳内では「現実がそう見えちゃう(或いはそれが可能)」ってことさ、
(現実の偏向であり乖離)
うーんこの説明でピンとこない人はこんな風に考えてくれ
小説なり映画なり芝居でも音楽でも「確かにそれある(ひょっとしたら現実世界に期待できる)」と思えるものしか楽しめないのだよ。
(特にSFものとかさ、ロボット漫画がどうしても無理とか、入ってこない恋愛ものなど、理由はなんでもいいけど各人にNGなものってあるでしょ)
それはつまり→『興奮』がレスポンスする条件や類似するエピソードだとかフラグ(ツボ)がある時、
「現実世界も物語と同じようにそう思う人(或いは思える人)」ってことになるのさ、
(行為としてでは”無く”ね→特攻隊の映画で感動する人は本当に特攻できるワケじゃないだろ?)
”思えてしまう”(「強迫心理」で言えばだこれだけで充分『自意識』の動きを封じ込める)
そして、にわかに(刑事や裁判で行うように事実認定が)確かめられないとしたら?
(関係者に直接あたるコネが無いとか、物的証拠は無く間接証拠や言った言わない程度の事象とか)
↓
「ふと、そう思ってしまったことを、ずっとそうなんじゃないかと思い続ける」ことになる
でー、ここまで一巡読んでわかったと思うけど、
コンプレックスをネタバレせずに放置すると、にわかにあり得ない(盛られた現実の)ファンタジーみたいな展開を真に受けて、ずっとそうなんだと思ってしまうって事さ。
(確かに強迫傾向の場合は『自意識』抑圧されてってから、若干の違和感や疑問は感じるが)
↑
加えて、小説や映画の話を思い出してくれ→俺さ””面白いと感じる”って書いてるだろ?
”快感代謝”が被る(脳内に『興奮』物質が出る)
「快・不快に関わらず快感代謝の成功体験は?→繰り返し再現しようとする」
こうなると抑圧で自信喪失してる『自意識』にはにわかに解決できない。てかほとんど無理、
だからコンプレックスってのはロクなもんじゃないんだよ、
あり得ないファンタジーが開幕しちまうからね。
(この現象は誰にでもあることで、猜疑心なんてのがその代表)
そしてコンプレックスってのは”偽物”だから、どこかにネタバレ幻滅の鍵がある
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