ひとりシリアス映画を視聴している時にもそうですね。
ちょっとアレな話になりますが、トイレでうんこ中に話しかけられたら?
言うまでも無くですが、携帯電話で大事な商談中にしつこくからまれたら喧嘩になりますよね。
(そら地域性にもよると思いますが)銭湯で入浴中、普通話しかけませんよね。
↑
逆に言えば、上記状況ではプライバシーの確保が空間の満足度に直結している。
人間には「独りでなければ耐えられない状況」ってのがあるんです。
それは普遍的事実、
●近現代の政治において「プライバシー保護の法整備」が進んだのは
社会が大きく舵を切った転換点です。
そしてもう一点、プライバシー空間に共通することは→【重要事項】場面であることです
(ここには資本主義における”私有財産”などの概念も関係しており、この点からも経済発展と強く関連する社会現象だと思います。)
これに対して社会性(付き合いの世界)とは何か、
「公共とか、共有スペースとか、社会的ナントカ」などの世界、
(勿論そこには友人恋人家族関係も含まれます)
●原始時代で考えましょうか
そもそも一人でふらふら出歩くことは死を意味します
↑
注:対自然(ワイルド)って意味なら、こちらも文明の発達「銃の発明」により単独行動が可能となる(そら古代もドン・キホーテ的勇者は槍だけで行動したものもいるだろけどこちらは例外)
↓
話を戻して、
欧米や中央アジア中東中国全てがそうであったように、当時の都市国家は「要塞都市」です。
(一族や村全体が城壁で囲まれた都市に暮らす:『進撃の巨人』と同じですよ)
※この話、逆説的に考えりゃ、
「フラフラ出歩く異邦人や異民族や隣村の連中は躊躇なく殺してもよいの意」である、
↑
そこに経済の概念が入るワケだよ、
自分とこの集落に出入りする「商人」はむしろ歓迎で、道中を警護する場合もあったでしょう。
(そもそも商いのスポンサーが領主とかなんだから)
=連携すればお互い利益となる一族や異民族とは連携できる(経済関係による社会の拡大)
注:『家幻想』にも触れておきたい
前述のとおり、都市国家は=要塞国家であり(日本の戦国などは例外事項:日本には奴隷文化が無かったため、農村集落は半ば自治会運営で”戦の時には山に逃げ”→戦が終わると落ち武者狩りで《負傷兵をぶち殺した》金目になる武具などを奪い、関ヶ原のような大合戦の時には見晴らしのいいところから弁当持って見物していた)、
【領主をトップとする巨大な家(要塞)の中に入れ子構造で(要塞<門<詰所<家>詰所>門>要塞>)】世帯の家が成立しており、『家幻想』なるものが後の国家というピラミッド構造の末端セルであって、”固有に独立した存在では無い”ことがわかると思う。
(『共同幻想』身分制度などに組み込まれる事によって『家幻想』は成立する)
注2:例外的な日本にも要塞都市はありました→それが僧兵により守られる「宗教一門村」みたいな奴(信長が皆殺しにしちゃったりね)、勿論欧米教会権力にも同様の機能はあり(ちなみに米各州は事実上キリスト教の宗派により分かれている)、「山口組のシマ」みたいに考えるとわかりいいかな。
<などなど様々な『共同幻想』成立の条件が>
法治国家、自由市場、契約社会、安全保障、など近代以降の文明化により【大幅に意味を喪失】
↑↓↑↓
上記喪失と逆相関に「プライバシー(パーソナルスペース)」が浮上したワケ
※プライバシーとは近代以前であれば、王侯貴族しか持ち得なかった特権ですよ。
(だから近代以前は王侯貴族だけが楽しんだ音楽や芸術ってものが、一気に庶民化したのさ。)
■時に『単独者』をローンウルフのアウトローみたいに誤解する向きもあるが(これはそれを理解できない『共同幻想』社会からのレッテルね)、
間違ってもアナーキストですら”ありません”
何故なら、『単独者』として活動領域が広がったその原因は「法治国家、自由市場、契約社会、安全保障、など公的システムによって」であって(言うならば【文明が城壁を代替した】のだよ)、
※それこそ『単独者』の天敵は「共産主義、独裁全体主義国家」になるのさ、
『単独者』の拠って立つスタンスは構造論的に「保守リアリズム系リベラル主義」となるからね。
↓
故に、この概念がまだ黎明期で”よくわかっていなかった時代”には、
(これがまた近代前後の当時は、右派全体主義から左派全体主義まで全体主義もイロイロだったので)
(文体としてのハードボイルド創始者)ヘミングウェイなどが勘違いして、実は共産党系の反体制派として、ファシズムと戦う(スペイン内乱)みたいな姿が『単独者』なのかな?みたいなズレかたしたワケ、
(それでうっかり更に恐ろしい共産主義に加担しているとかわからなかったというか、敵の敵は味方だみたいな選択肢の無い時代でもあった)
↑
この勘違いは「反体制」では無く「反全体主義(特に共産主義)・反オンザレール」へ現代において修正されてきたと、
単純な話、
「近代以前では王侯貴族しか持ち得なかった特権、プライバシーを庶民が獲得した」のだから、
個人の利益を勘案するに
プライバシー(パーソナルスペース)の価値>>>>社会性(付き合いの世界)
↑
これが文明論として鉄板の普遍的法則
『共同幻想』適応人格において、それが時に逆転するのは、『共同幻想』適応人格自らが『自意識』の活動を(自由)『抑圧』し、最初っから”プライバシーが風呂とトイレの中だけに限定されるため”です。
(時に、意識的暴論で『共同幻想』適応人格を”奴隷根性”と表現したり、”リミッターがかかっている<インセンティブを効かせるため予め欲求不満する仕組みがある>”、と表現するのは上記の根拠があっての話ね。)
■現代社会において、各個人が”保証されたプライバシー特権の最大化(個性化)”を模索する中
(注:上記もシステムとして公的利益に一致しているんです→自由こそイノベーションの源泉であり、原理的文明科学が飽和して以降、小規模であっても前衛的な発見や発明は重視されるし、ネットワークを介してそれは即座に社会全体に拡散するパフォーマンスを有するため)
↓
暗黙の了解で「ひとまず社会全体を『歩留まり』階層化しよう」と各国政府は舵を切ったワケさ、
(様々な法整備によってね)
「後は自力で(自己責任で)テイクオフしてくれたまへ」と(各制度によりフェールセーフの確保に努めるから→だから将来の「ベーシックインカム」の論議が出るのさ)、
●”確信犯的保守系『共同幻想』再選択者(ネオコン:Neoconservative)”にも触れておくけど、
そら、個性の発現として「茶道を極める」みたいな在り方あるからね、
文化としてクラシックな概念は全否定されることは無い(それが社会システムの権力的象徴で無くなるだけ)、私的な趣向・美意識としての「特定『共同幻想』への拘りの再選択」って道も勿論残ります。
↓
極端な比喩で言うならば、
「これは組織に拠らず個人の決断なので、俺は道場には参加せず(白帯のままで)ひとり山で修業して、空手の道を極めたい」←これが典型的な”確信犯的保守系『共同幻想』再選択者”です。
(彼らも付き合い重視って話では無い:言うならば『単独者』のひとつ)
<まとめって話でもないけれど>
『歩留まり』用語に「友達より(あるいは”仕事より”)個人の趣味」って言葉がありますが、
その意味はとても深いんだわ、
上記で使われる”趣味”って言葉は(個人が命を賭けた勝負《レーゾンデートル》であって)遊びでは無いからね、
(なんか上記表現を大袈裟に捉える人いるかもだけど、歴史を振り返ればさ、ここに辿り着くまで累々たる屍の上に現代文明が成り立っている以上、現代社会で担保されるプライバシーってのが何世代にも渡る命がけの『抗(あらがう)』姿の先にあるって事を忘れちゃいかん。あなたの自由を実現するために何千何万と人が死んでんねんで。←《彼らも好きで身を投じているのだから》それに平身低頭することは無いが、リスペクトを忘れちゃいかん。→故に趣味ってのは命を賭けるから面白いって構造となっている=賭ける命の”私的所有”が認められたプライバシー社会)
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