上記が機能する仕組みは基本同じである
「一度あることは二度ある 」からの
「二度あることは三度ある」幻想、
(もし三回あったらもう永劫回帰だわ)
※(1)ではここの補足で確率論がすっ飛ばされる件を説明しましたが、
「生物としてそれじゃいかんだろ」なご意見もあるでしょう。確率無視なら死んでしまうのでは?
そこはちゃーんと担保があるのです、
それが『退行化』(印象的な昔の成功体験の再現を試みる)、スランプになった野球選手が昔のフォームに戻す奴です。しかし残念な事に人類は妙な進化をした関係で「生まれた直後から広範に活動できる一般的動物と違い、『退行化』も行き過ぎると(おおよそ人類ぐらいにしかサンプルの無い)”幼児化”」というリスクがあり、「一歩後退の撤退線にも限度があります」→「あいつも失敗して随分大人しくなったな」なんて現象も退行による(子供時代の)依存や従属系に落ちた事を意味します(監禁洗脳事件のいくつかはこれ関係していると思う)。
付随する可能性として、子供時代の「強迫心理」も同時に復活するリスクがある。
■『自意識』が横目で「強迫心理」をチラッと見ることも無いケースの話<つづき>
想像するに難くないけれど、この中には知的エリート系サイコパスや、臨床で言うところの人格障害などと呼ばれるケースや、当人自身全く自分のメンタルに問題意識を持たないケースも含まれる。
前回触れたように、構造的にはオンザレールがガチっとハマった『共同幻想』適応人格にも”型番”が似ているので、
本人がメンタルに問題意識を持たないのであれば、
「何ら問題無く、ただエキセントリックな部分が悪目立ちする人」である。
ちょっと別の意味で誤解する人がいるかもだけど、
(臨床系の判断は別として)
心理学では、メンタル系の諸課題を「病気であると思っていません」
(明らかに遺伝病を含む”他の身体的病例の症状として発症している事例’を除く”)
少なくとも、「イップスになったプロゴルファーを病人とは呼ばない」←こういうくくりです(しかし恋わずらいのように心理的な何や社会的に「それは病気だ」って表現もありますよね)、
あくまでも問題とされるのは、本人が問題意識を持っている”その問題”であり、
例外なく、所謂臨床系が言うところの「ナントカ障害」なる事例は「100パー病気では無い(言うまでもなく障害ですら無い)」と判断してます。
(※勿論、医学上の病気認定と法的認定や労災などの社会的病気認定は”別であり”、公的支援やサービスなどを申請する場合は「堂々と病気」と主張するのが正しい:トラブルの発端は個人では無く社会にあるからです《『共同幻想』崩壊論など》)
ですから心理学は「強迫心理」がそれ自体固有に問題だと”全く思ってません”
(※冒険家などドン・キホーテ的な『昇華』現象は「強迫心理」抜きに説明できませんから)
同時に当人が自我に対して問題意識を持つ事例には必ず「強迫心理」が関与しているってこと
↑
つまり、当人がそれを問題だと認識していないなら”それでOK”であり、
心理学も何もコメントしません。
(「強迫心理」が介在して強烈な『抑圧』構造があったとしてもね)
↓
●冒頭説明のとおりで、仮にそれを病気と呼ぶなら、
オンザレールな『共同幻想』適応人格は全て病気です←自信満々なら重症
(ブラックジョークであえてそう説明する場合もありますが)
●そんなワケで、臨床分類のサイコパスなんて「医師、弁護士、政治家、会社社長」など、普通に社会適応しているケースも少なく無いというか、典型的事例であると説明されているワケ。
「何故『共同幻想』の共有部分に世俗化が入っていないのに適応できちゃうの?」
答えは簡単です、地位や権限を利用して「俺が『共同幻想』だと、周囲を強迫可能だから」です。
(うーん”歩くパワハラ的な”ww)
周囲を自分に適応させちゃうって話ね。
(一部『被(こうむる)』心理で発生する”被害者マウント”にも類似した傾向が観察される)
↑
質問やコメント求められりゃ心理学も発言しますが、
当人何も疑問が無いのなら心理学はノーコメントです。
(それが自己責任を担保した確信犯的選択では”無く”、幻想系であってもね)
※ちょっと話逸れますが、ここにもさ「俺が長年主張している刑法39条反対論」の根拠があるよね。
精神鑑定なんてことすりゃ、ヤバいですって事例が社会には(医師、弁護士、政治家、会社社長などの階層に)山ほど存在するにも関わらず、
何故犯罪者だけ精神鑑定して「責任能力無し」とかになるのかね。←完璧な論理矛盾だよね、
<<<話は戻りますが>>>
■そこでやっかいなのは「当人が自分の自我のメンタル面に問題意識を持っている」にも関わらず、
『自意識』が横目で「強迫心理」をチラッと見ることも無いケースだよ。
勿論『被(こうむる)』が関わっているんだからさ、
前述の:「俺が『共同幻想』だと、周囲を強迫可能だから」←と組み合わせると?
「周囲に道徳的問題があるから、私が損害を被っている」←となります(ここはオートマチック)
「100歩譲って、周囲に謎の慣習などがあって、齟齬として問題化しているなら”私も暴君ではありません”直しましょう。そういうことなら指摘してください、」←相当高いレベルで謙虚な人でもここまで
その状況でどうやって無意識下の「共同幻想」の動きを(当人へ)「可視化」するか、
大反論大会の様子を提示しても、
「また、無理解な外部が無茶なことばかり主張している(オカシイよと反論する私の身にもなってくれ)」←こんな感じで戦いは延々続くことになります。
↑
非常に不可思議な状況は状況なんですよ、ぇえ
「どうしてなんですかと相談した側が、答申側解説を凄い剣幕で”突っ返し続ける”」ワケでww
(だったら俺に聞くなよって思うでしょ?)
(頭ごなしに否定してくるクライアントに、繰り返し経営改善計画書を説明にいくアナリストみたいなものです:気に入らないなら他のアナリストに頼めよって思うでしょ?ここも同じ)
現実社会と心理学に違いがあるとするなら、
前述例なら、「質問なり相談する側は、その項目においては相手の知見を自分より上だと思っている」関係なので、説明するまでも無く「あんた何言ってんですか、この話は無かったことにしてください《終わり》」ですよね(ド・Mじゃあるまいし、そんなめんどくさい仕事したい奴などいない)。
●しかし心理学の対応は違います
何故って「どうしてそうなってしまうのか」わかってしまうので、
「あーまた強迫出ちゃったか」のように、この状況にショックを受けることなく、
というか、経緯で「そうなることも十分予想がついている」(現場は大変なんだけどさ、、)
「目には目を、歯には歯を、回数には回数を」じゃないけどさ、
前回記事冒頭のここに重なるってこと
↓
「一度あることは二度ある 」からの
「二度あることは三度ある」幻想、
(もし三回あったらもう永劫回帰だわ)
故に、どうすのるかってさ→”敵失を待つ”
(「強迫心理」は自立機関ではありません、『自意識』も”僕の戒律道徳本の決まり”を守っているような形に過ぎず必ずミスをします。論理構造上『自意識』マター全開は不可能なんですから。)
「どうしても正当化できない誤読や強迫傾向の証明に一度成功」すれば、
それを”ネタバレのエピソード記憶”として送り込めます。←思春期になって大人の論理なども知り「えっそうなの」「そうだったのか」「だとするとひょっとして」とかが派生するのと全く同じです。
(後は自分自身の『自意識』信じて馬なりに行けばよい:心理学が関わる合理性も低下する)
↑
そもそも「強迫心理」が思春期に勝っていたってことは=一般的大人の論理や社会的事象の刺激が(レベルとして負けており)「強迫心理(言えば子供の論理)」に堂々否定された(そんなことはこの世に無いとか・あったとしたら間違いだとか・それは特定の人達だけの話だ、など)ってことだから。
●理詰めで鉄板の証明を行い「否定できないでしょ」と刺激を与え続ける
楽観できることがあるとするなら、
「大人の『単独者』が真剣に考えてるのに、子供の無意識に負ける筈が無い」ってとこかな
故に「強迫心理」の反論は論理的なものでは無く、「私の知り合いは違う人もいます」みたいなさ(子供がやれば「なんとかちゃんだってそーだもん」って奴))
”相談者の反論”では【知人の話】を連発することになる(これ共通の知人でない限り論破するのは意外と難しいからね)、故にブログの看板に【知人の話はNG】とでっかく書いて先手打ってるんです。
(つまり、思春期がそうであったように、一般の『共同幻想』の論理は余裕で否定されますので、『共同幻想』適応系の人物には、その「強迫心理」に対抗できない。←『共同幻想』適応系の連中を取り巻きに従えている間「強迫心理」は無敵であり=不快『興奮』に悩む自我の防衛に成功するってことさ。)
(上記括弧の意味からも、「承認欲求」を原動力にフラフラと『共同幻想』社会に近づき、関係悪化を繰り返す仕組みは、「強迫心理」の温存って意味では実に合理的で理に適っている。皮肉な事に”永久に不快『興奮』獲得に成功する”って形でね、←当事者にっては最悪の状況)
↑
(※せっかくだからついでだ、支援者と称してメンタル問題に関わってくる左翼活動家みたいなのがよくいますが、こいつらは言えば「メサイヤ・ナントカ」みたいな代物で《彼らの所属は勿論左翼『共同幻想』》、彼等のような『共同幻想』一派が関わることで、メンタル問題が永久に解決しないことが既得権になってるんだよね。彼等の目的でもある「支援者ポジション永久に確保できる」からなww←彼らにとっては自身のメンタル問題に悩む人が解決しない方が都合がいいのさ、)
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コメント欄に問題となった同趣旨の投稿が続いたため、ブログコメント欄を閉鎖します。
詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
コメント欄の削除があった件(関係障害について)
http://kagewari.seesaa.net/article/402054291.html
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