インセンティブ、ノスタルジア・エピソード記憶(やトラウマ)「強迫心理」
上記が機能する仕組みは基本同じである
「一度あることは二度ある 」からの
「二度あることは三度ある」幻想、
(もし三回あったらもう永劫回帰だわ)
※あー重要な説明忘れてた、上記の概念には「西浦教授の42万人死ぬ説」とまったく同じレトリックが隠れており
「確率論がすっぽり抜け落ちてるんです」←なんせ確率なんてリアリズムを担当するのは『自意識』で、『自意識』抜きで(衝撃的だとか『興奮』を伴うというくくりで突っ込まれるので)無意識に刷り込まれる概念に冷静な確率論もクソも無いのです。
つまり、このネタは再現確率が0.001%しかなかったとしても「二度あることは三度ある」と”思ってしまう”人類普遍の心理現象な。
■過去用例主義とも、成功体験(=全く同じものに失敗体験)、ギャンブルにおけるビギナーズラックから、悲惨な戦争体験によるトラウマPTSDまで、全て原理原則は同じです。
「またあるかも?」の期待と「また起きるじゃないか」の不安は、脳内に区別がありません。
(無意識領域にも個別の主体性でも無けりゃ「ジェットコースターで絶叫している自我の様子が”喜んでいる”のやら”耐えられずに必死なのか”脳にはわからんのです」)
↓
稼働しているのは?
「再現性を匂わせる事象と(快でも不快でもいいので)『興奮』の結合記憶」
(総じて言えばエピソード記憶:情報圧縮やデフォルメ簡素化などが行われず《すぐに忘れてしまう格納状態では無く》、まんまイメージ化され当時の興奮の記録付きで格納される《にわかに忘れられない》記憶のこと)
●すんごくわかりやすい「強迫心理(幻想)」とそのネタバレ幻滅ってのは、
↓
「昨日UFOを見たんです、見てしまったんです!怖い、、私はさらわれるのでしょうか。あまりの恐ろしさで私は金縛りにあって、、、きっとあのランプシェードのような形をした飛行物体の中には小さなグレイ型の、、」
「わかりましたとも、是非現場を見せてください」
「ええ、自宅のベランダから北西方向に、、」
・・・・・
(カーテンをしゃー)
「これですか!」「キャーーー!!」
「この間接照明が窓ガラスに映って、なんと綺麗なUFOだこと、アリガタやアリガタや」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・あらまあごめんなさい気が付かなくて。お茶でもいかがですか、とぅっても美味しいチーズケーキがあるんですの」
「は〜そうですか、ちょうど小腹が空いたところでした。ありがたい」
<<<インチキや嘘だと言ってんじゃないからな←ここ勘違いしないように>>>
■「強迫心理」を考える場合(ゴルフのイップスや戦争PTSDを除き)
重要な共通点は「初回経験者が子供であること」だ
(三つ子の魂とは言い得て妙で、「強迫心理」の原型は家幻想時代の物語における『共同幻想』であり、あたかも”そう厳しく躾けられたかのように”道徳的プレッシャーと混成する形で《イメージ化》”インストール”される。←この現象も言うなら『被(こうむる)』だよ。)
現体験的な(いい場合も悪い場合も区別なく教訓的な)エピソード記憶
(それは常に脳内で)
「またあるかも?」の期待射幸心や、
「また起きるじゃないか」の不安ストレスとして恒常化する(両者は現象として同じ)
ハイ、世界全ての子供は周囲の大人より小さいですね、
その体験は「全ての人類において、大きくデフォルメされ記憶されるので、現実から乖離し過剰なもの」です。
それが「ランプシェードの映り込みとUFOを見間違えるほどの乖離では無いが」、
多かれ少なかれ、子供の賢しい知恵の範囲を超えない。
●大人の判断から見れば「100%の確率で、確実にどこかに(ガキ特有の)乖離がある」
↑
この子供特有の現実との乖離やデフォルメ感
(男の子は短小コンプレックスを持ち、女子は貧乳コンプレックスになるようなものさ)
それが”普遍的エディプス・コンプレックス”であり、
ネタバレすれば必ず誇張された現実認知があるワケ、
(子供時代遊んだ公園は随分広かった筈だが、大人になって訪れると随分ちっぽけな公園だったって誰にでも経験のあるギャップのことだ)
(男の子のマチズモ《男性誇示》で言えば、戦隊ものヒーローやスーパーマンに至るまで「そんぐらいで脳内父親イメージ」にやっと釣り合うと無意識に思っているのであり、『共同幻想』適応人格の場合だと後に反抗期世俗化を経てそれがCEOだの組長だの絶妙にスケールダウンするも”誇張が抜けきれないのが一般的”なんだからね)
本来「精神分析」ってのは自己分析も可能な難しいものでは無い、
だって、思春期『反抗期』ってのは一種の自己分析なんだぜ?
(『精神分析』の危険性同様に、『反抗期』にも”青春の危うさ”ってあんでしょ。そこも同じ)
とにかく、その仕組みは簡単で、
「大人となった自分目線で鍵となるエピソード記憶をネタバレ幻滅する」ことです。
↑
それがどーして簡単にできねーのって(『反抗期』にもエンスト起こしてるんだから何か理由がある)
頼みの『自意識』が「強迫心理」の『抑圧』で拘束具着せられているからさ。
「あーでもない、こーでもなって、インチキ教訓めいた概念で『自意識』が思い始めた事柄をかたっぱしから自己否定する。」
(人によってそれは「んなワケ無い」とか「考えられない」とか「許せない」だとか様々なご託となるが、結果自分の発案を抑制・否定する結果となることから《=エピソード記憶の保守》【その実態は同じ】なのだよ。)
↓
これが相談の現場では「意味不明の反論大会」という形で、外部に露出《可視化》されるワケ、
(当人もある意味初めてその姿を自分で見ることになる→ドグマが自分の『自意識』を抑圧する様子)
●なんだかんだと『反抗期』に(エンスト起こしたとは言え)十分に理論武装だけはやれている『歩留まり』に近い「強迫心理」獲得者は「実は薄々目の端に強迫心理の概念が見えていたりする」
(薄っすら自分の『自意識』にリミッターかかって抑制されている自覚がある)
十分な理論武装がある関係で(そのことの是非は置いておく)、解放後もそれが(自己選択の)『歩留まり』の枷となる可能性はあるんだけれど、このタイプの人は気が付くのは早いよね。
●しかし、全く自分の強迫心理の振る舞いが視界に入らない人もいる。
自分の『自意識』にリミッターが(”不思議な偏り”と言い換えてもいい)かかっている感も乏しく(「強迫心理」の筋書きでも《偶然当人の身体的特徴などから実行力もあり》激怒や大暴れなど反動系で”快感代謝”的に完結しているケースもある)、周囲の発言も漏れなく誤読する場合(ワザとかってぐらいの誤読をする:意味が180度逆さまになることすら頻繁にある)、
「それ(強迫傾向)が自分だ」と逆に自覚されてしまうケースがある。
このパターンは確かに難航する、
何故なら自我構造論的にオンザレールに『共同幻想』がカチっとハマっているのとほとんど同じで(「強迫的思考」も自分の中では”そういう性格だ”と自覚され)、構造強度が高いと言えばいいのかしら。
流石に別の論議となるので<つづく>
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