●さらっと話すけど、心理学的には【とても重要】な論議になります
今から原稿量が超過しそうなので、シリーズもので、
(3)は「ノスタルジーの誤謬」みたいな構成の予定です
さて(2)となる今回は「ネコ論」で話を展開してみよう
■「承認欲求」の話どっかで書いたと思うけど、
『共同幻想』提供によるインセンティブの講師には「承認」が必要で、
友人などが「いいね、だよねそうだよね」の追従認定でGOとなり、
このGO無しに個人で勝手にやると、あたかも不正行為をしたような罪悪感や(抜け駆けのズルみたいな)劣等感みたいな困ったことになります。←ザックリいえばこれが『抑圧』
『共同幻想』社会では自由が制限されており、、、
あれれ不思議ですよね、『単独者』ならそんなエスカレーション演出されたエンタメインセンティブは必要が無い(むしろ”どんな罰ゲーム?”ぐらいに思っている)。
じゃあ『共同幻想』適応者も好き勝手な日常を過ごせばめんどくさい『抑圧』やらに直面せずお気楽にいけんじゃん。
と こ ろ が、
そもそも『共同幻想』に適応しちゃっていること自体が(群れで活動する草食動物みたいなもので)ストレスなんですよ、、適応すること自体が「欲求不満を拡大する仕組み」になっとんのです。
↑
ここに「待ってました」と、インセンティブが用意されている。
●ぶっちゃけ僕らの業界では(どんな業界か知りませんが)
ネコ(単独行動夜行性)を飼うのは『単独者』系
犬(社会性動物)を飼うのは『共同幻想』適応系
なーんて話があります。
●犬は散歩だけで無く、飼い主と一緒に行楽にもいけますからね(てかそういう飼い方していない犬飼いは何か間違っている)、『共同幻想』社会における友人同様の群れの仲間というカテゴリになります。
犬としてもチームワークや、業務執行のコミュニケーションあってこそ安心して暮らせるのです。
●ネコは散歩はおろか、知りもしないところに連れていかれようなものなら「殺されるー!」とばかり激怒しますので、ネコと一緒に行楽になんて世界は”ありません”。
(※ひょっとして母系社会行動が観測されるライオン級のネコ科の場合は行楽的活動はあり得るかも知れないが、そもそもライオンは単独行動夜行性では無いので例外事項とする。)
そこよくわからず、ネコのことも知らずに「友達と遊びに行くのでネコをペットホテルに」などという輩がいますが、ネコ飼いとして言わせてもらえば「何か間違ってます」。
「ネコと日がな日常を過ごすのが最上な人だからネコを飼うんであって、、意味のわからない旅行がそれより大事などという荒唐無稽な発想する人はネコ飼いではありません」
「犬の遊びはイベントですが、ネコのストレス解消は自由に動ける日常空間性が必要です」
(重要なのは”自由を体感できる難易度”などの成立→通り抜け難いルートや、やたら高い位置の観測点など”楽ばかりではない日常空間”が《演出では無く》リアリズムとして必要となる。)
「犬のしつけは”待て”(『抑圧』)と”よし(承認)”を原則としますが、ネコに待てもクソもありません。ネコは自由を制限されることは断固抵抗します。→てか取り立てて何か特別なことをしようとも思わないのです(ネコには『抑圧』構造が無いので過剰に欲求不満が蓄積すつような仕組みそのものが”無い”)。」
「犬の喜びは飼い主とコミュニケーションしながら、遊んだり仕事することですが、ネコの幸福とは飼い主がどこにいるのかはともかく、平穏で気ままな日常が続くことです(これがMAXの幸福):ネコにとって飼い主は生存環境でもあるので、できれば目の届くところにいてくれって感じでしょうか。」
■まーね、その違いは飼い主の人格タイプそのまんまですよ
ネコはまったくもって、多くを望みません(意味のわからないイベントなどくだらないからです)
ネコにとっては、自分の縄張り世界に全てが実存している(茶室に全宇宙が在る)
※特にネコの場合、肉食獣だからこその「動いた方がムダな時には沈静化物質出して、穏やかになる性能を持っており(欲求不満を蓄積しない)」その行動規範は本能により裏付けられている。
↑
時に、こういう話をすると、
犬派の『共同幻想』適応系から
「ちっさい話だ、そんなの自己満足じゃん、オタク最強ってこと?」←な批判がでるものです
↑
そういうこっちゃないんだわ、
ネコも個体差が大きく、イエネコ最適化する個体もあれば、意地でも屋外の縄張りをパトロール(飼い猫だと数10メートル程度の場合もある)って手合いもいます(だいたい子供時代の環境が大きいと思うけど)。ワイルド環境のネコだと縄張りは半径数百メールなんて場合もあるワケで、
●千利休も「茶室で暮らしているワケじゃネーからww」
『単独行動する人間の縄張り』なんて定義は無いけれど、イエネコと同じってこた〜ネーだろ。
(独房は刑罰としても機能してんだし)
俺が説明してんのは(日常のスケール感では無く)
→非日常イベント(インセンティブ)の必然性の論証してんだっての
(日常でイナーフがあり得るんだって話→人類ヒト科で言えば「ミニマリスト」だけが『単独者』ライフじゃないからな)
ネコ的人間ってのを考えるのなら「(ネコの縄張り的な)日常的活動領域が在る(自室に限らない)」
しかし、茶室じゃないけども自分固有の結界みたいな世界(プライバシーエリア=自由度MAX化)を重視しており(『共同幻想』で言うとこの”風呂とトイレ”の強度プライバシー空間をいかに日常生活の居室に実現するかみたいなさ)、意味のわからない旅行やイベントや食事会など(プライバシーの反対:公共性イベント)が大嫌いだってことであって、↓
出不精かもしれないが、外出が嫌いなワケでは無い(とにかく行楽イベントが嫌いってことさ)。
行きつけの喫茶店で、偶然会う人々とくだらない会話をするのも楽しいと感じる。
(飼い主の知らない家に入ってご飯もらってるネコの行動などを想像してくれたまへ)
『共同幻想』世界が贅を尽くした食事などが不味いってことでもない(必要が無いだけ)、
『単独者』にとって”日常”は、
『共同幻想』適応人格が考える100倍ほど重要なんですよ、
(●だから当事者の認識として意味のわからない結婚制度で自由が制限されると考えるなら、『単独者』は命がけでそれに抵抗する。→それこそ”ネコのように”ね→それを嫌いイエを捨て脱走することも選択肢となる)
『共同幻想』適応人格が、(何か月も貯金して)”よそ行き”用のファッションを楽しむのなら、
『単独者』は、普段着の改造やら性能調査に3日徹夜するみたいな違いです。
(『共同幻想』適応人格が友人とのBBQの準備に忙しい時、『単独者』はネコの出入り口作るのに1週間に及ぶ悪戦苦闘をしているみたいなさ、)
どっちがどうこうってことでは無く「人格選択の違い」だよ。
※社会学・経済学的には現代先進国は『共同幻想』崩壊過程にあり、近未来の『単独者』社会を見据えている形になるけどさ、「それがいいから」ってことでも無く時代の必然(環境の変化)なだけです。
<つづく>
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詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
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