「あー常識って言えばそのまんま『共同幻想』により共有されている”権威上位者の博識水準偏差値”mたいなものでしょう」←なんてことになると思います。
<それじゃ話は終わってしまうのでww>
「俺にとっての常識」だとか「特定専門家集団の常識」のようなモノって何?
それも時代の変遷で変わるの?
みたいな事を考えてみよう。
(※一義的には冒頭説明の総論で問題無い事も抑えておいてください)
■そんなワケで”あえて個別各論で考えてみる時”「常識のは、文字通りの(ことさら共有の意味を外れ)常に知っておくべき知識」となるのかな。。
(てかさcommon senseからの明治あたりの翻訳造語?だとすると《コミュニティーやらコモン・ローの”コモ”だと思うけど》全てに及ぶ知識・良識が正確なのか?)
※言語学は全然専門外なので適当に推定してるだけだから勘違いしないでくださいなww
うーんこの辺考えると
そもそも論として”公共”であるとか”社会”などの概念そのものが時代の変遷で違うのだから、
(欧米語語源時代の概念が国などの『共同幻想』登場とかを対象としている場合)
国是からして『個性化の時代』であるとか、
同じ社会という概念も「特定小集団の意味からネットワーク型への変遷」があるので、
(ほらネット社会なんて概念になると、国境を離れ「特定の論議を行う参加者の合意」みたいなことになるので、”国民社会の”なんて概念を突破してしまう)
個別各論で考えると、
ウィンドウズで言えば”クイック起動に何入れてる?”みたいなことかな。
何故って、単純に知識だけを知っているだけでは論議にもならないし(ナクヨウグイスなんとやらとか年表覚えてるだけだとクイズの回答ぐらいにしか使えない)、
”その知識は何をどうする(動作させる)時に必要となるものなのか?”
■うーんとたとえばだ
「銃の狙い方は(相手がどう動いてもどこかにあたる確率が最も高いので)身体の中心を狙え」
ダブルタップで言えば
「コンバットシューティングの一派では、前述の相手が動く可能性や自分自身の初動の正確性を考えれば、常に2発速射で(バッバッ)撃つのが効果的である(自力2点バースト的な)」
これPCソフトの使い方で言えば、
クイック起動にも入っておらず”常時使用せず”年に1回ほどしか起動しないソフトは「あれ、どうやって使うんだっけ」状態になることありますよね?
↑
「このソフトを頻繁に使う事は俺の常識に無い」とか?
「俺の常識にはこのソフトの使い方は入ってない」みたいな?
元ガンマニアなんで、たとえ話が偏りますがww
銃保持の手法的には
「今すぐに撃つ予定に無い場合、いかなる時にもトリガーガードに指を入れてはいけない」←これ絶対の銃を保持する時の”常識”です。
■反面、
「Chiappa Rhino(チアッパ ライノ)のスナブノーズって何グラムだっけ?」
「お前それ700gって常識だろ〜」
「それはお前だけの常識だ」
↑
実際ライーノの357を撃つにあたって重量は予備的事項ですよね?
(※1ライーノの常識を語るなら、マテバのデザイナーなのでシリンダーの下側から撃ちだされることとかの方になる。)
(※2ライーノと関係無く(モバイルPCの運用知識的に)”携行装備する銃”の選択知識として考えるとライーノ700gが常識となる。)
■やっぱ”常識”ってのは(あくまでも個別各論で言えば)
「何々をどう動作・運用させるのかって時に”知っておくべき知識”」
ってな”まとめ”になるのかな。
<ここで現代社会を考える上で重要なこと>
各個人が「何をどう動作させたいのか?」という自由意思の個性化が進むワケだから、
『個別各論としての”個人的常識”』は、無数に分岐し、広く全体に共有される事が難しくなる。
↑↓
話を単純化する方がわかりやすいかな?
”どこどこに旅行する場合何を持っていくべきか”←この常識論で考えれば、
昭和『共同幻想』時代の日本なら、スーツケースから中身に関しても”かなり画一的な常識論”が通用しただろうと思うけれど、
現代社会においては「誰それならどんなバッグで何を持っていくのだろうか」←にわかに想像つかない時代になってきていて、今後その予想できない”各人の常識”は更に細分化していく。
↑
※この話しの重要なテーマは「昭和なら一定の均一性のあった”概念としての旅行の意味”」が「現代社会においては”各個人でそもそも旅行の概念そのものが違う”」ってことだよね。
(言語も『共同幻想』なワケだが、現代社会における『共同幻想』崩壊プロセスの中”語彙の共有は残るが概念の共有は解体される”←ってこと)
■原理原則ってとこから言えば
プラトンの「常識を疑え」なる話が出てくると思うんだけど、
アレなんじゃネーかな?
(common senseの更にその語源が何かは知らないけれど)
よっぽど古代は「周知しておくべき概念の一覧」みたいな(リファレンス的な?)、
限りなく「集団的固定観念(既成概念)」みたいな部分が大きかったのではないかと思う。
プロ野球の”ノムさん”もこの話をよくしていたけれど、
■なんつーか教養論的には、
「俺にとってはこれが常識」への分化って、
↓
●「このソフトにはこ〜んな機能もあるんですよ」
「え?知らなかったですって」
「いやいや常識ですよ」
↑
こっちの常識論が後退して、求めらる動作が個人的単機能に特化してしまう弱点がある。
■ここの心理学論として
●確信犯的『共同幻想』保守選択者の話をする時に、彼らは”幻想”では無く名文的な文化や伝統を深く知りこれを憑代として自我を確信犯的に適応させていく。←と考えているワケだけれど、
そういう意味でも、不快教養と文化の継承者はこの「確信犯的『共同幻想』再選択者」が担っていくのだろうと思う。
(※『単独者』ばかりだと、細分化単機能化して教養としての常識は解体されてしまう→その一種が”ミニマリズム”ではないか?)
更に付け加えると、
幻想の共有化による「オンザレールな『共同幻想』社会適応者」に対し、
”幻想”では無く名文的な文化や伝統を深く知りこれを憑代とする「確信犯的『共同幻想』保守選択者」は専門性の高い個別の文化に特化・分派化していくことになるから(専門性が高まる)、
彼らが総合的な教養ある文化人みたいな姿ではなくなるのかも知れないけれど、
継承される文化の中身というか、深い認識でそれは保守されるのだから、それらがネットワーク化された時の”なんちゅうか全体のヴォリューム”はより豊かなものになると思う。
えーこの”志願兵的ペイトリオッツな方々”が今後の世界でいかほど残存するのだろうか?
俺にも皆目わからないのだが(笑
トランプ現象に代表される
「グローバリズムの解体と好意的な意味のポピュリズムの台頭」
これって、そんな現象の一断面ではなかろうかと思うのね。
なので、たいして根拠はないけれど、
将来の展望は明るいと思うww
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