■端的に言えば自らのアイデンティテイーを何らかの権威による承認に求めること
(受動系『被(こうむる)』式に”認められる”)
なんだけれども、
そもそもこの話が依存系欲求なので、それを主体的に解決する方法は”無い”ワケだ、
”無い”って事もないが、それは「承認欲求そのもののをネタバレ崩壊させる」事なワケで、メンタル問題であればいざ知らず(この場合は自らの意思で強迫心理の崩壊を意図するのだから)、『共同幻想』境適応系自我においては逃げようが無い。
確かに、そのストレスを契機として
現代社会は『共同幻想』崩壊過程なワケだから、彼ら自身が『共同幻想』適応人格もどうよって考えることもあり得ると思うけれど、既に社会適応しちゃっている場合、獲得した地位なり順位なりってキャリアもあるだろうから(それを唐突にバカみたいな事だと転換するとか)容易な事では無い。
「承認欲求なんかバカらしい」なんてのは『共同幻想』の間でも(各人”それこそ”の暗黙の了解的『共同幻想』において)60年代から”共有”されており
植木等のスーダラ節です(演奏は勿論クレージーキャッツ、作詞は青島幸男)
(それこそ立派に立身出世みたいなネタに対するナンセンス認知は裏『共同幻想』だったワケだ)
●逆にメンタル問題の場合は
その設定が(何にどう認められればいいのか)「強迫心理」なワケで、パチもんってか現実世界に実存する権威を対象と”していない”のだから(あくまで暗韻として想定されている権威は脳内設定だけの世界)、ネタバレ崩壊も何も予め獲得されたキャリア自体存在しないので”そこからの離脱”及び、「強迫心理」そのものの解体は望むところなので(難易度はともかく)論議すべきポイントは無い。
※補足【重要なことだけれど】
「強迫心理」が関係する自我問題ってのは、当事者が自身のメンタルに問題意識を持つ「メンタル問題」に限らない。所謂心理的に起きている現象は【同じ】な訳で、
多数決共有化による自我設定を普遍性と錯覚してしてしまう分(故に問題意識に至らないのだけれど)、『共同幻想』適応系自我における場合の方が「問題意識そのものを認識できない」とも言えるので(だとしたらそれは問題では無いってレトリックも成り立つんだが)、心理的負担が過剰に感じる場合は(下手に自分で理由を考えると防衛反応で自動的に何でもない事にもされ兼ねないので)「ひとまず何かおかしい」と理解する方がベターだと思う。
ある意味『共同幻想』適応系自我における過剰な心理的負担って、問題意識レベルでは”無く”外部現実に関わる事件や問題に発展するまで放置される場合が多いとも言える。
(なんせ『共同幻想』適応系はデフォルトの自我モデルが「強迫系」なので判断が難しい)
■その両者において「どんな感じにめんどくさいことになるのか」考えてみよう。
「承認欲求」のキモは対象となる権威への依存関係に集約されている。
わかりやすく言えば、自らのアイデンティティー(実存証明)とレーゾンデートル(存在証明)が対象となる権威(この対象となる権威はその都度それらしい相手に投影される)に承認されないと(認められないと)、不安からグラグラになるって事で、
・軽度の場合は「それが不可能なら他は何をしても無駄だ」となり
・重度の場合は「それが不可能なら死んだ方がマシだ」となってしまう
↑
それが軽いか重いかって左は梃子の原理(レバレッジ)そのまんまなので、
対象となる権威との関係におけるコンプレックスやその関係性に関わる反動形成などなど。
「承認欲求」がある事自体=それは「強迫心理」なワケで、
根本的に【全く意味が無い】(概念として意味を成していないってのが正解かも)、
(『共同幻想』がそれを予め組み込んでいるのは、権力に対する恭順や社会の生産や安全保障上都合がいいから←悪く言えば「奴隷根性」)
言うならば体感される不安や切迫感も【一種の錯覚】であって、
自我に実ネタとしてその切迫性があるのでは”無く”
●脳内設定上の結果に過ぎない(シナリオ進行上のお約束)
●もちの論だけれど
仮にその「承認欲求」が達成された場合も、
(躁鬱病における裏返しそのまんまで)
地位の保証や何らかの立場の確保に「意味の分からない誇示や興奮」を示し、場合によっては家庭内における父親のトンチンカンな亭主関白への”無駄な自信過剰”の原因にもなる。
(不相応な分譲マンションの購入もそうでしょう。社会的セレブにおけるサイコパス云々論議もそうでしょう。)
■■■「メンタル問題の場合にも違った意味でやっかいなことになる」■■■
それって、たとえば、
初歩的なところでいえば、
「”みんな”友達と青春時代を謳歌している」だとか、
「”みんな”恋愛関係に興じている」だとか、
「”みんな”仲間とのイベントで幸せを独り占めしている」みたいなだ、
どこの誰の話なんですかって、、、
(単純な構造の「承認欲求」がひとかどの人物として認められないと落語者だみたいなパターンだけれど、これ事実上権威の設定するご立派性に一切批判的視点を持たないことを意味しているため、権威の設定する幸福モデルなどへ無条件にそれを肯定することと同義なワケね。←主体的批判の視点を許さない。)
意味も無く(依存的に)『共同幻想』にフラフラ近づく欲求の原動力になっとるワケです。
↑
この話が”たいがい”なのは、
現代若者の実際の行動などを統計DATA添えて「そんな広告会社や雑誌のたわごとみたいな世界はこの世にありませんよ」と何度実DATAを添えて説明しても、全力で無条件反論される事にある。
(道理も論理も事実もクソも無く、”違いますみんな幸せなんです”←そして定番「周囲の知人も”みんな”そう言ってます」パターン)
●そもそも論的にさ、
「承認欲求」(何々として認められる)ってのは「椅子取りゲーム構造」にあるのだから、
「嘘のネタで勝負を煽って(勝者は上位カーストにしかないのだが)、強迫的に(権威なり権力者なりが設定した)生産目標や安全保障に(とち狂って錯覚した)全体を邁進させる集団暗示的レトリック」なワケで(ギャンブルとしての宝くじの反則方法も同じ)、
「オイラは一抜けた」と舌ベロ出して自分の主体性を回復するスタンスこそが勝ち組なワケだが、
(3千円で宝くじ買うのをやめて、豪華盛り合わせ定食でも食う方がどうしたって合理的)
ここでも「パスカルの賭け」的なさ(笑
(インチキじゃないんだけれど、、)
「妄信すると、もう”そうなのだ”としか言えない」
それを覆すことはなかなか容易では無い、
「バッカみたいだからやめよう」って言えばその瞬間崩壊すんだけどww
「コレクターのフェチシズム的欲求」にも似たとこあるけれどさ、
(アレを持ってないと、なんとかコレクターと言えない的な)
趣味趣向の領域は『自意識』寝てるとか無いので、
頭オカシイとかじゃなくて、ナントカ狂を自認する(賛美する対象を自らの意思で選択している)『自意識』マターの仁義を切っているので(確信犯的選択であればどんなド変態でも自我自身がそこに問題意識を持つことは無い→メンタル問題と自覚されたり悩んだりしない)、
そのままでOKなんです。
↑↓
ここで話はグル―っと回るワケよ、
「トンチンカンな話でも、ええこれはとち狂った話なんだが、そこを承知の上で俺はバカだからそれが大好きなんです」←このような『確信犯的再選択』があればどんなにトンデモ論でも自我問題とはならない(心理的に悩む事はおきない)。
↓↑
逆に言えば「なんだか知らない間にそうだと思っている(もう”そうなのだ”としか言えない)」事項は、単なる「強迫心理」に過ぎないって事だわね。
(●オンザレールな『共同幻想』適応人格が「強迫ベースの人格」である証明←結局事の本質は『自意識』マターにおる確信犯的再選択時に自己責任を賭ける”仁義”の有無にある。)
<<<今回のオマケED>>>
前回の本格JAZZならぬ、”JAZZっぽい”と言えばTVドラマでOPがとにかくカッコ良かった事で覚えているのがこちら、
イギリスのTVドラマ『ロンドン特捜隊スウィーニー』('75〜'78)
(確か小学生の頃観てたように思うのだけれど、タイトルも忘れていたがなんとか調べて判明)
■驚いた事にyoutubeにop・edが残っていた
(マジカッコいい)
おっ?これサントラなのか?
(聴いてみるとエレキのマイルス時代を彷彿とさせますな、他の刑事ドラマにも影響与えてんじゃないかしら、、、しかしこの時代の音楽っていいですな〜)
「映画とJAZZ」の本格派と言えば、
マックイーン主演、ピーター・イェーツ監督、映画『ブリット』('68)がその筋(ハリウッド的JAZZ風映画音楽)では最強かも
(サントラ持ってます)
音楽は当時多くのアクション映画(ダーティーハリーなど)でお馴染みのラロ・シフリン
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