(それこそそいつは”デカい話”だ←そもそも論として俺はフロイトの昇華論に否定的見解です)
”表現”という動機形成においては「素人レベルでも何だっていいんです」。
(それを芸術の領域云々に判別するのはそれこそ偏差値認知であり『共同幻想』なのでどうでもいいことだし、自身の表現を”何だと思うか”なんて自由ですから。)
さて、ここから本題ですが、
事、人が音楽や芸術表現をやろうと思う時、ぶち当たる壁が『羞恥心』です。
(何故防音のカラオケBOXなのかって話ですよ)
わかりやすいので「音楽」における『羞恥心』ってものを考えてみましょうか。
はてさて、世の音楽家は全てこの羞恥心を乗り越えているのだろうか?
「違う」と思うんですよ。
さーて、何の話をしとんのかと言うと、
(書いていて、自分でこれから長文になることが予見できて嫌になってきておるんだが、、)
「それをいっちゃ〜おしまいよ」みたいな不文律の話。
●「絵画モデルとして全裸になることの抵抗感は、唐突に通勤時間帯に駅のホームで全裸になるのと大きく違う(これを温泉他共同浴場における全裸と比較すると更にその差は大きくなる)」
↑
”プロ”という称号はなんだかんだで人の羞恥心のレベルを後退させます。
●「盆踊りや阿波踊り、踊り表現の抵抗感は非常に低いですね(更にその中でも”専用の衣装の着用”などの差異はある)。しかし、唐突に通勤時間帯に駅のホームで奇妙キテレツな祖素悪ダンスを余裕で踊れる人はまずいない。」
↑
”文化・伝統”元祖『共同幻想』の共有あるところ、羞恥心のレベルは消失さえします。
(この辺は現代社会における”自由恋愛幻想”のなんちゃらの話もちょっと被っているかな)
さて、音楽と言えばすごくベタなところだけれど、
駅前のストリートで演奏や歌唱するって相当の決断です。
(冒頭のカラオケBOXの話じゃないが)
しかし”その表現固有の動機形成”における羞恥心レベルだけ切りだして考えれば、入浴中の鼻歌に抵抗感ある人は滅多にいない。
「ストリートミュージシャンは自己顕示欲求から”他人に聞かせてナンボ”なのだから全然話が違うだろ」←こんな疑問持つ人いるかもしれません。
↑
さーて、ここに重要なポイントが関わります。
自己顕示欲求だけなら「演目は何でもよい」事になりますが、
そうではありませんよね?
(ある意味そこは『共同幻想』承認欲求なのかもしれないが)
「この音楽をやりたい」って個別の目的があります。
ですから?
仮にですよ?
駅前で堂々と(ロック系の楽曲を)歌唱できる”彼”に対し
或は、シンガーでは無くアコギのインスト演奏している”彼”に対し
「今この場で、全力で氷川きよしのズンドコ歌って。松ケンサンバを踊りながら歌って。」
こう依頼したとしましょうか?
(そりゃ根性ある奴なら”おうよ”と応える可能性もあるけども、、)
得意としている”自分のジャンル外”の楽曲演奏には抵抗示すでしょう。
身近な例で言えば、
ファッションってありますよね?(衣食住的性能の話では無く)
「僕はミリタリー系しか着ない」「私はミニスカとか絶対嫌」「宗教的にこことあそこを隠さないと外は歩けない」などなど、
こう命じたとしましょう。
「チンドン屋の格好で」「ミニスカ・ボンデージで」「クルセイダーズルックで」
想像するまでも無く羞恥心全開で受け入れられません。
(抵抗なかったら米国のMLBの新人歓迎でやる「女装させるイタズラ」なんて全く意味が無いワケで)
ここまでの話をあれやこれや考える中で、
(この着想は次回の続編「欧米メタルファンにおける『BABYMETAL』とは何か論」が始まりだったんだけどww)
●ビジュアル系バンドってのは「あーいうースタイルじゃないと恥ずかしいんだろうな」と、
●ロックやっている彼ってのは「どこか反体制とか反政府みたいなスタイルじゃないと恥ずかしいってか恰好つかないとかあるのかな」
●今やすっかり米国のバンドみたいな事になっている”ONE OK ROCK”は「今更ジャニーズバリバリの楽曲やれないよね」(父である森進一の歌は案外抵抗無く歌うかもだが)
↑↓
さて、その対極ってのかな、
マーティ・フリードマンってご存知ですか?
ヘヴィメタル・バンド「メガデス」の元ギタリストですが(この話、実は彼がユダヤ人であるとかハワイ在住の子供時代から日系人の聴く演歌に影響を受けていることが関係しているのだと思うけれど)、彼は日本のポップミュージックへの”愛”から、現在日本在住でジャンルを超えて参加するに至っている。
「動機形成として何を面白いと思っているのか?音楽?特定ジャンルの何かだけってこと?」
■「この話が心理学的にどうだってんだ?」
ええ、そんなご意見多数と思います。
抜き差しならないほど重要だと思うのです。
人間のすることで、一番身近な表現って「ファッション」でしょう。
(能動的快感代謝の代表的なもののひとつ)
「こんな洋服着てみたいけれど私のスタイルでは」
「こんな洋服着てみたいけれどこの風貌じゃ」
(勿論関連には醜形恐怖の”恐ろしさ”のワケってのもある)
↑
この場面におけるポイントに「小説などの主役設定」ってのもあります
「何故主人公は美男美女の方が都合がいいのか?」
■確かに元祖じゃありませんが
繁殖期の生物の生存競争において、一歩間違えば自分が死ぬかもしれない舞台設定の中で余裕こいて堂々としていられるのは”闘争ジャンル”の行為に自信のある個体だけでしょうから、
存外に羞恥心なる概念の生物的根源なんてものはそこにあるのかもしれません。
(勿論フロイト心理学ではエディプス論の導入のところでそこいら辺ベースになっているのであり、)
と こ ろ が
『単独者』論まで話を広げなくても、
治安や憲法含めて表現の自由が認められ、所得的にも一定水準の余裕のある先進国の場合、更に加えて言えば「繁殖的目的に限らない表現(その服を着る事自体気分がいいのだなど)」とかに文明はシフトしていくのであり(異性の視線になんとやらなんてのも思春期限定のネタだし)、
「合理性を欠く羞恥心など馬鹿らしいことだ」←みたいになってなけりゃとも思う。
事実なんてーのかな、
(海外の反応動画などにおける、この人は面白いって人物は「人となりがもう顔でわかるどこか突き抜けたさわやかさ」みたいなの感じるんだよね。)
●過剰な羞恥心ってのは自意識過剰(視野狭窄)の一歩手前でしょ?
また羞恥心から自我を守る”スタイル”ってものは、そのどこかに『共同幻想』にひよる部分もあるのだろうし(あれですぜ?信念とかの話じゃなくてさ”日常”の話ね)。
↑↓
言い換えるなら「自我防衛的抵抗全般の話(それは能動性か?)」
<そんな訳で次回は>
海外メタルファンの自我を守る”スタイル”すら崩壊させる『BABYMETAL』とは何か?
へ続く
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