2018年08月26日

コメント欄が解放されていますの方(ご指摘ありがとうございます)

コメント欄が解放されていますの方(ご指摘ありがとうございます)

(※前記事予告の「小さい事と大きな事」は次回の更新時アップとなります)

■時々やらかすのですが(ブラウザの誤作動により記事投稿設定ミスがありました)、
某記事のコメント欄が解放されていたものですから、
”コメント欄が解放されています”氏より指摘がありました。

先日同様に、かなり長文のコメントとともに書き込みがあったものですから
(内容的に放置はできないため)
●誤って解放していた記事のコメント欄は修正し削除した上で、一部引用で返信つけておきます

以降、昔馴らした『公開掲示板』みたいなやりとりになってますが、
興味の無い人は任意にスルーでよろしく
(ドエライ長文になってますから)


>一部の企業は潤っているのかもしれませんが、内部留保で還元されていなかったり、下請けや小さな会社などは厳しい状態ですよ。
と記載されていますが
以下URLの「平成27年度(2015年度)の中小企業の動向」グラフを参照ください
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H28/h28/html/b1_2_1_2.html
toukei1.jpg

toukei2.jpg
ざっくり言えば、第二次安倍政権になってから目に目えて大きな改善が見受けられます
(大きな改善が見られる中規模企業に対し、グラフにおける小規模企業の件数については大きな変化が無いのは、小規模企業全体に景気と関連性の無い廃業や倒産があるためと推定されます。)

そこで次の統計
以下URLの「全国商工連合会」小規模企業景気動向調査一覧
http://www.shokokai.or.jp/?page_id=172
ページ中の最新の調査結果(PDF形式)を表示し参照ください
小規模企業の景気観のグラフがあります
toukei3.jpg
財務省による強引な消費増税の影響はありますが(そもそもこの三党合意は反安倍派による合意だったワケですし)、
2012年度からの安倍政権下で着実に改善してきています

(※ちなみにネット右翼論壇の風評とは違い、私は民主党政権を言うほど極端に政策的否定をしていませんが、前述グラフにあるように政権的には第一次安倍政権後期から福田政権時代《リーマンショックがあった》が景気動向もっとも悪く、麻生政権の財政投入政策が効き出す年次からそれを引き継いだ民主党政権も数字を落としているワケではありません。)

印象だけで、あたかもそれが事実であるかのように話の前提条件に設定することは、
”フェイクニュース(偏向プロパガンダ)”と同じです。
経済などの論評は統計など事実(ファクト)に即して論じなければなりません。

>そして共同幻想適応者を持ち上げていませんよ。事実を言っています。
印象だけで、あたかもそれが事実であるかのように話の前提条件に設定することは、
”フェイクニュース”と同じです。
社会動向などに関する論評は統計など事実(ファクト)に即して論じなければなりません。

以下より各論について「心理学的根拠の明示」もしくは”事実(ファクト)”に基づく「昭和『共同幻想』の崩壊論」なども明示し説明の補完を行います。


>>『共同幻想』社会適応している人格は(その分プライベートな自我を放棄しているのであり)、本質的な意味の親しい友人は「ひとりも持つことが”できません”」
>共同幻想で適応して過ごしてても普通にプライベートはありますし、プライベートも親しい人と過ごしますよ。親しい人が一人もいないというのはその人の人間性にも問題があると思います。結婚すると遊ぶ暇はなくなりますが、子供が巣立った人達も親しい友人と食事したり、旅行行ったりして、老後の生活を楽しんでいる人もいますよ。

まず、有料メールや公開掲示板過去ログなどで頻繁に出てくる注記事項ですが、
なんらかの話の筋立ての論旨に”知人の話”を根拠とするのはNGです(生産性が全く無いだけでなく事象として根拠気迫で印象論でしかないため)。
そのまた根拠を更に付け加えれば、
ブログ・サイドバーのカテゴリ『基本用語』の
10)「取り巻きとスカウティング」
http://kagewari.seesaa.net/article/459719625.html

ここの記載内容を参照ください

各論として何か付け加えるとするならば、
あなたは「共同幻想で適応して過ごしてても」の意味を全く理解していません。

『共同幻想』論を代表的なところで説明するならば、
「たかが紙切れ」に過ぎない”紙幣”という種類の”紙”を「お金」としての概念を共有することで、お金お金と(なんだかんだと)大騒ぎになる様で、その背景にあるのは”必要とされる物資”や”必要とされるサービス”(経済学的に言えば”具体的な消費財”や”財産”)の実質的内容や、個人的な希求性が「名目上の紙の枚数論」の中で埋没してしまうことを指していて、
(※更に言えば、外貨取引や外債投資など慣れている人には、紙幣価値が相場で前後し、ジンバブエやベネズエラのようにハイパーインフレにより「文字通り紙切れと化す」事も知っています。)

あくまでそれは、”概念の共有”であり、仮想上の価値と何ら違いが無いのです(紙切れと化す可能性を持つ幻想である)。
(※言うならば現代的意味の確信犯的『共同幻想』選択者であれば、紙幣が紙切れと化すリスクも十分承知の上で、幻想論込みで現実を視野に入れる人。)

一般論としての『共同幻想』適応者(所謂”オンザレール”)
彼らは仮想現実に過ぎない”概念”の共有に「普通そうだよね」と疑念や疑問を感じていない依存的適応者であり(国際為替取引における貨幣暴落などのイメージは無い)、
確信犯的『共同幻想』選択者のような”批判的視点”を持てない人達を指します。
「紙幣の価値を疑いようも無く信じている人」
前述までの論議で明らかなように、そもそも紙幣は権力なり統治機構なり社会などが利便性や合理性のためその幻想を発明し、その概念を共有化することで実現させてきたものです。
(原始社会の文明化から近現代にかけてそれは合理的なことだった)

しかし(伝統宗教がそうであるように)、所詮それは幻想ですから、
(※故に、この概念の共有がアバウトな発展途上国など、発展の水準が低い国家ほど株式相場の下落や為替変動で”暴動”が起きたりする。←その幻想の本当の意味の根拠となる仕組みは知らず、”概念”だけを共有しているため。)

■ここには明解な社会学的背景事情があります
そもそも論として、
『共同幻想』とは何か?保守思想とは何か?って話になりますが、
原始社会や封建時代、社会の民度や経済的豊かさとして「庶民は文字すら読めない」状況を始まりとしているので、知的特権階級としては「社会通念や公衆衛生、経済的取り決め」などを学問レベルそのままで普及することは”絶対に不可能”です。
そこで、
神話や宗教的色付けにより「こういうことだから」と話を丸めた概念を共有化させます。

(※欧州キリスト教のルターの宗教改革の”大きな目玉”は、聖書の印刷普及です。←ここからわかるように、この『共同幻想』の概念は《その本質的意味を知的特権階級が独占する事で権力を更に強化してきた》大衆を支配するためのツールでもあり、ネタバレを許さない不文律にもなっていた。)

(※現代でも残る「いかにも『共同幻想』の代表例が”円周率”です」、社会的に認知として「何故円周率は3.14なのか」の論議を突き詰めてやることは大学で数学でも専攻しなければほとんど無く、「何故そうなのかとか考える必要無いから、円周率3.14と覚えておいて」って形で成立しています。←ここも現代における『共同幻想』崩壊論そのまんまで、国民の過半数が大学進学する時代においても円周率3.14の根拠が一般教養の範囲には入ることは無い。)
 ↑↓
(※専門性の高い幻想は、既に幻想では無く”定理”であるため、文明化・高学歴化によるネタバレ崩壊の範疇には含まれない。)
 ↓
逆説的に言うならば、社会通念やアバウトな道徳論や「普通こうだから」などの文言で語られる『共同幻想』は、社会の文明水準において”先進国”となった時からガタガタと崩壊を始めます。

同時に保守思想などにおいて、文化伝統の認定により金科玉条よろしく「何故そうなのかなど論じる必要は無く、ひたすらそれを保守することこそ徳である」的な話になるワケです。
(※勿論そこには保守論壇などの根拠があります。たかだか先進国化した程度の”にわか知識”で、『共同幻想』設立当時の知的特権階級が何を思ったのかの真意までは汲み取れないのだから、浅はかな知識で文化伝統を毀損すべきでは無いという考え方です。)

■概ね前述までを背景に考えれば誰でもわかることですが
基本的に『共同幻想』適応者とは(民度や教育などの事情で)、その発祥から辿れば「それはどうしてなのか」などの批判的視点を持てない「(原始時代などの経済的事情で)無知蒙昧なる大衆」を指す言葉であり(←言いだしっぺの原始文明社会の知的特権階級的には)、
それに類する話は近現代でも普通に目にすることができます。
 ↓
たとえば、
日本の近代において、初めて西洋医学が普及し始めた頃、
健康診断などを拒否する農村社会などにどれだけ苦労したかなんて話があります。
現代においても、
アフリカにおいてエボラ出血熱などの治療に向かった国籍の無い医師団みたいなNPOやNGOが、逆に悪魔だと罵られ暴力の被害を受けたなんて話もありました。

すべからく、現代社会においても、
●「それはどうしてなのか」などの批判的視点を持てない(学術的に理解しているワケでは無い)「とにかく普通はこうなんだから」
この図式により成立している『共同幻想』と、それにオンザレールに(盲目追随的に)適応(信心)しているって事は、
自らの意思で「それってどうなの?」の思考を走らせておらず(学術的知見に思考が及んでいない)、自我論で考えれば(経済学でもいいですが)
 ↓
自らの自由意思で「それってどうなの?」の思考を走らせず(個人的意見により上書きや代替されず)、
同じその領域を「考えなくていいから普通そうだから」の概念が占有(既成概念の固定化)している事になります。

結論、「個人的自由意思として分化(個性化)する筈の思考が欠落する」事を意味しており、
(自分だけの個性化した自我を実現できない)
前述までの『共同幻想』論で明らかなように「歴史的始まりの理由であった”無知蒙昧な庶民のために丸められた話”を鵜呑みに固定化させている人」となりますから、
一般論としての『共同幻想』適応者(所謂オンザレール)とは、
”本当の友達”とかの論議以前に、
個人としての個性化が”自我論として行われていない人”を指すんです。

「こいつは気の合う友人なんだ」←の気の合うって部分は共有化されている『共同幻想』なワケで、
俺はお前と違うって部分の個性化が不十分なんですから。
「あんたが(”鵜呑みのいかにも普通そうだよね的話に終始している”そのレベルの個性化で)気が合うとか言われてもね、、、」って話になるんです。


●ブログで再三説明している”確信犯的”『共同幻想』再選択者とは、
上記に反して「一度その概念を根本から否定・批判した上で」、自らの美意識や文化的判断で「この文化伝統には深い意味がある(きっとその探求には一生かけても時間が足りない)」好き込んで(それが幻想であることを誰よりも十分承知した上で)それを”再選択”する人のことで、
現代の軍隊組織などで言えば「特殊部隊などに志願する確信犯的軍人」のような存在を意味します。

ですから、
「実際に『共同幻想』適応者にもプライベートもあれば親しい友人もいるんです」
みたいに、ザックリ表現されても、
全くその着想が(私の説明している論旨に対し)的外れであることが理解できる筈です。



>>「会社帰りの飲み会を断る部下」が続出し、
>私が言っていたのは「プライベートで親しい友人や彼氏(彼女)」と食事をしたり、遊んだりして、楽しんでいるという話です。特に若い頃は毎日のように遊び回って楽しんでいます。
>可哀想なのは友達がほしくてもできないとか、遊びたくても遊ぶ相手ができないコミュ障の人やメンタル問題を抱えて老後の生活が上手く行っていない人でしょう。

元記事が削除され現在は概要したか表示されませんが
イマドキの中高生&大学生の恋愛事情をのぞいてみたよ/高校生の9割&大学生の7割が「恋人なし」と回答
http://news.livedoor.com/article/detail/9679749/

残っている概要は
高校生では9割、大学生では7割が恋人なしという結果となった
交際中の8割が同い年カップルで「好きな人がいる・いない」の割合は半々に

シダックスがカラオケ事業撤退、カラオケ利用者は増加しているのになぜ?
https://thepage.jp/detail/20180614-00000018-wordleaf

<一部引用>
かつてカラオケは、サラリーマンや学生などがグループで行くケースが多く、食事をメインにしたシダックスの形態は利用者のニーズにマッチしていました。しかも、カラオケの市場そのものは絶好調とまでは行かないまでも、利用者数の増加が続いており、普通に考えればシダックスは順調に業務を継続できるはずでした。ところが、同じカラオケといっても、その利用形態はここ10年ですっかり様変わりしてしまいました。もっとも大きな違いは「1人カラオケ」の台頭です。

1人カラオケは文字通り、1人でカラオケを楽しむことですが、こうした利用形態の場合、大量の食事や飲み物をオーダーすることはありません。このため食事で利益を得ることはできず、店舗のコストを徹底的に絞ることで利益を確保しなければ採算割れしてしまいます。
業界最大手でシダックスのライバルでもあった「ビッグエコー」(第一興商)や「まねきねこ」(コシダカホールディングス)は、こうした流れにすぐに対応できましたが、食事で稼ぐ構図だったシダックスは対応が遅れてしまいました。


日本人の「海離れ」が止まらない理由
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180705-OYT8T50008.html

<一部引用>
日本観光振興協会によると、翌05年には国内の海水浴場の数は1277だったが、10年に1203、15年に1128、17年に1095と減少の一途をたどっている。

「レジャー白書」(日本生産性本部発行)によると、1998年に海水浴はレジャーの中で18位だったが、99年以降は20位を下回るようになった。海水浴客数は2011年に1000万人を割って910万人、15年には760万人まで減少した。



そして2chなどの代表的「一種の慣用句」が
●「DQNの川流れ」です
http://dic.nicovideo.jp/a/dqnの川流れ
(内容がかなり刺激的なのでここではURLの紹介に留めておきます)
この言葉は昨今のBBQをする人などの水難事故事例などにおいて必ず出てくる用語です。
(「今年も季節の風物詩DQNの川流れが始まったか」など)

及び、関連する項目が後半に出てくる「リア充」の解説に出てきますので
合わせて理解していただければよくわかると思います。



>>恋愛も社会的には妥協の産物ですし
>しかし恋人や夫(妻から)に恵まれて幸せに暮らしている人もいます。
>むしろ何らかの強迫観念で妥協婚をしてしまった人の方が可哀想な人だと思われます。

恋愛事情の統計は前項で説明したとおり
加えて、社会学・心理学的な恋愛なる概念の推移と背景を説明しますが
動物本能の世界から言えば、繁殖期の生殖行為は(人間のように年中毎日性交可能な仕組みになっていない)その時限りの生存競争を賭けた闘争であると同時に実行行為についてはレイプも同様のお約束みたいな構図にあります(雌の許可が必要なケースも多くありますが初見で即行為に及ぶわけで)、
鳥類の一部や魚類などつがいが長期継続する種もありますが、
少なくとも霊長類にそのような傾向は無い(ゴリラのハーレムのような安定性は有り得ても)。

一部仮説ではありますが、人類の発展は直立歩行により(繁殖期に雄を刺激する臀部などのサインも見え難くなる)サルの繁殖期に見られるそのサインを模した口紅を塗るであるとか胸の発達、或は直立歩行により子宮に対する到達距離の問題や、遺伝子的に最も近いチンパンジーが乱交系であることなどから過剰な精嚢に至る要素など、なんだかんだ(本来繁殖期は雄にとって生死を賭けた雄同士の闘争などを発生させるため)忌むべき地獄の期間でもありますが、魚類や鳥類の繁殖期でもお馴染みのようにその時だけは餌を雄がプレゼントするなど、社会性にも似た(個人の生存に必要なそれ以上の”労働”)過剰とも言えるパフォーマンスを可能とする機関を”年中無休に拡大”する事により、他の生物には有り得ない文明化推進のエネルギー(これを広義の性欲としてリビドーと呼んでますが)を獲得します。
 ↓
それが幸福なことなのか不幸なことなのかはともかく(男性は誰でも知る行為後の”賢者モード”により意識せざるを得ない要素でもある)、哺乳類としては異例な性欲を抱えることになります(勿論それは心理学的には”ストレス”の一種)。

この行為を酒池肉林状態や殺戮などに至らない形に落ち着けることは社会全体の利益にもなる(聖書でいえばソドムとゴモラにならないように)。
そこで、
原始社会より、権力の始まりとは「性行為の許認可権」みたいなところを源泉とします。
組織の長の判断であるとか宗教的戒律などにより、都度行為の許可や儀礼がおこなわれ、統治者や権威者により行為対象の選別や紹介も任される形です。
(何歳になったらなになにの性的儀式があり、服装や髪型など大人と明示される習俗に変化され、行為の相手なども事実上上部構造社会が斡旋し決まり事で組み合わせが成立する。)
構造上、権威上部構造がその決定権を持つ形になりますから、個人が好き勝手に別れるなどの選択権も無い。

現代でも某キリスト教一派(カソリック原理主義派)においては、子供を作る目的以外の(個人的快楽目的の)性行為は禁じられており、結婚時儀式により関係性を神に誓いますから離婚も中絶も認められません。


さて、日本の習俗はどんなものだったのかと言えば、
wikiで『衆道』を検索してみてください。
これはたとえるならローマ文明時の”恋愛”感にも似たものですが、
(ある意味当時はLGBTどころか男性がバイセクシャルであることは”半ば常識”であり)
文明的に女性が差別階級であった事と被ります。
(そんな意味では日本が紫式部により世界最古とも言える小説(恋愛小説ですわね)執筆に至る日本はそこから”更に”異例な習俗があったワケですが)
勿論当時の男色志向は結婚では無く(ローマや日本の武士における衆道なんかにおいては”恋愛の対象は男性・子供を生産する結婚の対象は女性”みたいな認識もあった←ある意味現代腐女子におけるBL文化は着眼点として”それはアリ”なところもある)、

更に制度としての結婚は(欧州王家においてもそうであるように)支配階級にとっては政略結婚であるとか名家を継ぐ後継者を得るためのものであり、江戸時代の大奥よろしく妾も推奨される中での話で、民衆においては宗教権威への信心や忠誠と深く関係しているワケで(故に現代社会においても結婚式といえば”宗教の出番である”)、
 ↓
欧州においては(王家よりも上位の)教会権力と支配される民衆との関係でもあったため、
(これに反撃の狼煙をあげた)「フランス革命」以降、
「性行為の対象選びを(権力や権威の干渉を排し)自由に」みたいな闘争の中から出てくるわけですが、
(※故に本家のフランスでは事実婚の方が一般的なぐらいの勢いで、正規の法的婚姻は”保守派の人達の習俗だから”みたいなところがある。)

そもそもが、
■封建社会などの権力や権威による「配偶者の斡旋や保証」ってのは”インセンティブ(利益供与)”だったから成立したワケで、
自由恋愛なんてものの概念が、一般素人の手に負える代物である筈も無く(そもそも世の恋愛小説などの発端というかネタ元となる騒動は「当時の『共同幻想』社会においてキ印や変人扱いだった『単独者』がやらかすトンデモ世界」を『共同幻想』的解釈をしたそれこそ”丸めた話”であって『共同幻想』適応者が演じるような前提では無い)、
 ↓
結果どうなったか?
そもそも(社会的斡旋無しにとなれば)自主的に知り合える人間関係の範囲なんてのは「同級生や勤務先同僚」という極端なぐらい狭い社会に限定される枠内だけでしか不可能であり(見知らぬ会社に飛び込むという点では就職活動の方がよっぽど門戸が広い)、
そもそもが性欲ストレス下における「さてどうしたものか」の動機の中で(しかも自由に考えることが『共同幻想』適応者にはリミッターかかっており)、「この人でいいかな」みたいな(妥協的)判断抜きに相手を固定することは不可能ですから。
現実に展開する恋愛群像などというものが実像として”なんちゃってドラマ”であるのは避けようも無く、


■いえいえ、実際に結婚した『共同幻想』夫妻を揶揄しているのではありませんよ。
そんな”なんちゃってドラマ”であっても(よくわからない会社でも就職決まれば”我社”であるように)関係性を構築し「家族『共同幻想』を張る中で、運命共同体としての同志」になるのは事実ですから、そこでの各人の頑張りは(幻想では無く)真性なものです。
そ れ は
入口としての恋愛幻想の真性を証明する”ものでは無く”
(入口はなんちゃってでも)ともあれ、「入学(入社)おめでとう」みたいなですね、、
「(『共同幻想』構成員となったからには)腹くくって頑張っちゃうぞ」というか、、

また、強迫観念って言葉お使いですが、
「(相手もいないのに)結婚願望だけがある状態」←強迫観念そのものです。


真面目な事言えば、
概念として「結婚(体制恭順)」と「恋愛(自由と権威社会への反抗)」は対立概念であり
(故に恋愛はある意味『単独者』の専売特許で、勿論それは『共同幻想』社会が丸めて解釈しているような代物では”無く”、もっとグロテスクなっていうかですね、映画『ラストタンゴ・イン・パリ 』でもご覧いただけるとイメージ掴めると思います。)

ここ後半に出てくる「リア充」の理解や解釈(概念の発明元である2chとこの言葉が普及した一般社会の誤解に基づく認識のズレ)も似たものですが、
「『共同幻想』適応者同士の恋愛」なんてものは、本質的には言語として矛盾しているのです。
言い換えると、
「普通の優等生達が演じる酒池肉林の変態的倒錯行為」←みたいな意味になっている。

なんというか、深くその概念を考えも無しに「普通の人達がこういことだよねと言葉として使っていることだ」という範囲の理解における”恋愛”なる概念は、
「DQN(ドキュン)のBBQ(バーベキュー)」みたいな意味を超えないというか、、、。



>>自分の趣味に打ち込むって「ひとりでやるもの」ですから
>共同幻想適応者でも一人で自分の趣味に打ち込んだり、一人で美術館や旅行などに行っている人も多いです。
>それとは別に家族や夫(妻)、友人と旅行や食事に行ったり、一緒に過ごす時間を楽しんだりしているのです。
>コミュ障や人格的に問題があるために友達がほしくてもぼっちでいるしかなかったり、一人で出掛けるしかなく、つまらない生活を過ごしている人とは全く違いますよ。

いやいや、一人で趣味に打ち込んでいたら友人失うでしょう(『共同幻想』的付き合いを捨てるわけだから)、打ち込むって人生賭ける(他はクズに過ぎないので捨てる)ってことですから。
「一人で美術館や旅行などに行っている人」←御冗談を、、、
それらのどこが趣味に打ち込む人の様子なんですか?
スノッブな薄っぺらな理解の”お楽しみ”でしょうに、、、
「美術館に行くのでは無く、アトリエに籠って(周囲と音信不通で)現実世界に戻ってこない奴」
「海外旅行から帰ってこない奴(会社には辞表だけが送られてきた)」←打ち込むってそういうことです。

「一人で出掛けるしかなく、つまらない生活を過ごしている人」←もう意味がわからない。
「DQNのBBQ」をしていない人はいつの時代から「つまらない人」になったんです?



>>どこぞの誰だかわからない誘いは不快なわけです。
>普通は親しい人を誘ったり(誘われたり)、自分がやりたいと思うことを選んでやっています。女子中学生のトイレ友のようにどんな時でも一緒につるむなんてことはないです。

自分のやりたい事があるなら(個性化していればそれは他者と”共有されない個別のもの”なのだから)、やってる現場で遭遇(偶然に遇う)する腐れ縁みたいな世界は個別にありますが、その段階で『共同幻想』的関係における友人なぞとの関係は(やりたい事との対比において)クズに過ぎないので捨てる項目になりますから、
「オマエラと会っている時間が勿体ないんだ(俺には俺がやるべしと決めた事がる)」になるわけで、
その親しいってからして「深いレベルの顔見知り」的意味ですよね?
(個性化された現場における遭遇する関係性は、状況から見て仇敵ともいえるライバルであったり、競合者だったり、一概に親しいと言っていいのかって関係でしょうし)
ちょっと言わんとしている趣旨がよくわからないですね。



>>”リア充”って言葉は一種の皮肉で、
>現実でもネットでも、非リアな人がリア充を妬んで言っていることが多いですよ。
>友達や恋愛がしたくてもできない(相手から拒否される)非リアの人がリア充を皮肉っていても、無理矢理感が出ていて、惨めで可哀想で見ていられないです。
まず「リア充」って言葉が辞書系の紹介でどのようになっているかですが、
wikiなどいろいろある中でハテナキーワードがかなり詳細なので紹介します。
(またwikiなどにもその本質にさらっと触れている部分があります→リア充とは《PCとかに触れず携帯からネット社会に入ってきた情報弱者的意味があり》「ネット充」と対立する概念でもある的な記載が有ります。Weblio 辞書には「インターネットに詳しくないユーザーを揶揄する意味などを込めて用いる場合など、様々なニュアンスをこめて用いられる。」の記載もアリ。)

ハテナキーワードの説明はかなり詳細で
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%A2%BD%BC
(話の前提をひとつ、何年だったか女子高生の使用するキーワード1位みたいな背景があるんですよ。勿論この言葉の流行は2chで発祥した本質的意味を”包含している筈も無く”、言葉の意味が社会に拡散する時の意味の誤解の背景でもあるのだろうと。)

<前述URLから重要な部分を抜き出すと>
最近では「リア充」という言葉がネットスラングの域を超えて一般にまで浸透してきたためリア充自身が「リア充ウゼーwwwwww」などという本当にうざい発言をするようになった。また、リア充の中でもヒエラルキーが見られ、ピラミッドの最下層に位置するのが「キョロ充」である。さらに「非リア充」なるカテゴリも存在し、近年ではリア充の定義の複雑化が進んでいる。

リア充のホンネ(大学入学前篇)
高校のときの彼女とは結婚する気でもない限り別れておく
大学入学前から入学時に彼女持ちにアドバンテージがないことを悟っている。
この辺の空気を読む「巧さ」みたいなのが真のリア充のスキル。これは決してキョロ充や大学デビューには真似できない。

リア充のホンネ(大学講義篇)
授業は一人で出る。なおかつ友達と時間割を被せたりせず自分の興味のあるものを選択。
基本的にはリア充は単独行動を好む。
あいつらが常に集団でいるように見えるのは実はキョロ充が群がっているから。
内心は講義の邪魔だし周りの迷惑になるからダルいと思っているものの、キョロ充と会話するほうが余計にめんどくさいので適当に相手(ほぼ相づちだけのシカト)して授業に集中する。

リア充のホンネ(大学生活篇)
ここが一番のポイントだが、真のリア充はサークルに入っていない。
色んなサークルの新歓に参加し幅広く友達を作るものの、幾つものサークルに顔を出すうちにその実がキョロ充の巣窟であることを悟りフェードアウト。これが真のリア充。

東大法学部のリア充
東大法学部のある法文一号館には通称「リア充ラウンジ」と呼ばれる憩いの場がある。ここでは未来を嘱望されたエリート法学部生が、ホワイトボードに授業やゼミで出た学説や論点などを書きつつ議論したり、椅子に座りながら女の子達と楽しく真面目に日本の未来談義に花を咲かせているらしい。東大法学部における「リア充」とは、一般的なすスノボ合宿や海でバーベキューをするタイプではなく、龍馬伝の如く日本の将来を熱く語ることに充実感を覚える方々のことを指す。

リア充という概念誕生と広まりの歴史
2006年末頃、大学生活板において「リアル充実組」に対する屈折した羨望を表す概念として発祥し、その後学生以外にもネット造語として広まる。
2007年夏頃からブログやtwitterで流行した。
2010年現在〜一般に浸透する。

このような普及の過程において、会話中のネタとして使用する人が増えてきているため、当初のように椰揄の意味を含めた言葉として使っているかどうかは注意を要する。なお、これの逆の概念は「ネット生活が充実している=ネト充」であるが、これを口にするとなぜか哀れんだような視線を受けることになる。

名言
リア充とは特定の生き方を言うのではない
 心の状態を言うのだ




補完する意味で前述解説の重要なキーワードでもある「キョロ充」の説明(かいつまんで)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AD%A5%E7%A5%ED%BD%BC

大学生の生態の1つ。常に人の目を気にしながらも自分にはリア充グループの一員であるというアイデンティティに支えられ、大学生活が充実していると感じている人間。

特徴
キョロ充の特徴として、学校の教室や食堂などで、自分の知り合いや顔見知りがいないかどうか、キョロキョロと常にあたりを見回すような行動が見られる。1人で学食を食べることはこの上ない恥だと感じており、そんな自分を誰か知り合いに見られはしないかと、強い恐怖心や強迫観念を抱いている。
一応リア充グループに属してはいるが、そのポジションは最下層に位置する。

定義
一人になれないのがキョロ充
一人にもなれるのがリア充
一人にならざるをえないのがぼっち

リア充との違い
リア充→自由気ままにしている内に、いつしか同じような価値観を持った仲間が集う。
キョロ充→必死で周りに合わせているにもかかわらず、仮初めの仲間しかできない。
キョロ充→うはwww俺友達大杉wwこんだけ目立っているから女子も俺見てるよなwwww俺リア充杉wwwwww
リア充→休み時間いっつも俺んとこくんなよキョロめ、オタクの方がましだ、早く授業なれよ…

リア充から見た各キャラの位置づけ図
リア充>>ヲタ>>>>スイーツ(笑)>>>>DQN>>>[越えられない壁]>>>>キョロ充
意外なことに、リア充はヲタクのことを尊敬しているらしい。ベクトルこそ違えど、自分の軸があり、周りの顔色伺わずに自分の好きなことに夢中になる性質は実は極めてリア充に近いためとのこと。一方で、いつも周りに同調して自分を持たないキョロ充のことを「群れなければ何もできないクズ」と心底見下している。

そんなキョロ充に「キョロ充は生きるの疲れるだろうな」「無理しないで自分大事にしたらいいのにな」などと同情する声もきかれる。


●なんとなく意味わかりますよね
広く一般に理解された「リア充」には本物のの「リア充」から見れば「キョロ充」に相当する意味を多く踏んでおり、
同時に女子高生で流行した当時の意味(彼氏や彼女がいること)、
この辺も相まって、相当大幅に勘違いされており、

勿論私はそんな勘違いされている「一般用語のリア充」に対して(いやいやそれはなんか意味チゲーってか)「そんなリア充なら哀れだろ」とコメントしているんです(後述パートにこの認識がかかっている)。



>>「メンタル病んでいる人が暇を持て余すのは、『共同幻想』社会適応からはじかれているからだ」って事になってしまうじゃないですか、、、、。
>それが大きな原因でしょう。
仕事ができない、職場での人間関係が上手くいかないから無職で家に引きこもる。
友達や恋人もいないから外に出掛けることもなく、暇をもて余す。
社会ではじかれ続けてきたことで精神的に病んで引きこもってしまう。
その人たちは暇を持てあましていますよ。


なんで群れないと何もできずに暇持て余すんだよ!
「キョロ充」かよっ
『共同幻想』に依存してなけりゃ(キョロ充のように)そういう事にならんだろうが!

てか次の項で
「ここはそうですね」って、、、
(同じ趣旨の話なんだが)
 ↓
>>共同幻想に適応すべきだって、、、あなた逆効果どころか「強迫心理」を肯定しているのも同然じゃないですか。
>ここはそうですね。自分は被害者だとの発想から抜け出し、自分の現実と向き合う必要があると思います。
 ↑
いやいやいやいや、
「ここはそうですね」ってそれは無いでしょ
だとするなら全体通した話の前提がちゃぶ台返しになるんですから、
「ここはそうですが、他は違います」って話にならないから。
それはどんだけ都合のいい世界なんですか、、
(説明するまでも無く「強迫心理」にとって実に都合のいい設定です)




>>「有益な時間」って何ですか?
>家族や友人、周りの人に恵まれ、自分が困った時には助けてくれたり、支えてくれる存在があり(もちろんこちら側が人が大好きで、相手に関心があり、人に見返りなく接することが前提ですが)、仕事もプライベートでも充実した時間が過ごせることです。
>少なくとも友達がほしくてもできずにぼっちを余儀なくされる非リアの人にはそういったことがなく、彼ら自身が無駄な時間をすごし、つまらないな人生を送っていると言っているのです。端から見ていてもそう思います。


それはどこぞの宗教団体の話ですか?
(お花畑のユートピア妄想としか思えませんが)
一帯どんな背景事情でそんな夢物語みたいな(というかどこの演出家も速攻ダメ出しするシナリオのような)気持ちの悪い”恵まれる”(受動形『被(こうむる)』)世界が有益な時間になり得るんです?

「有益な(利”益”が”有”る)時間」の主語は何(誰)ですか?
それは上記の物語の登場人物の「誰にとって有益」なのでしょう?
はたまた全員が相互に有益だって事ですか?

たとえば、(軍隊の特殊部隊のプロ集団のような)”確信犯的再選択”により集ったメンバーには「時に自らの命を捨ててもカバー(援護)連携するあり様」ってのも想像できますが、
同じ家族だから個人的心情や哲学・政治志向まで同じなんて世界はこの世にありません。
(あったとしたらトンデモの洗脳や思想教育という名の強迫的組織運用です)
「利害が違うもの同士」であることが、このような話の”絶対条件”ですから(でなけりゃドラマや群像劇にならない)、
 ↓
そもそも論として、誰かのために助けるとか支えるって事は(利害が違うのですから)支えたり助けたりする側の”不利益”です。
自らの不利益を承知でしかできない事です。
自分の命の危険を無視しても仲間の援護に向かうからそれはドラマであり感動を呼びます。
(※この世に”愛用品”や”愛着”って言葉がありように、長年関係した過去ってのは自動的に自らのアイデェンティティーの一部にもなりますから”自他の区別が付け難く”、その積み上げた経験が自分の利害すら超える事があります。)


表面的に(最近の人は)”両思い”って呼ぶんですか?、、、まーそういう関係当事者が、相互に利益を共有(『共同幻想』)するのだから(集団的自衛権)、笑顔で頑張っちゃうみたいな?(何を頑張るんだか知りませんが)そんな世界が(全員にとって)有益な時間だと。
てか、その段階で「見返り求めている」事になりますよ?
相互に利益を共有しいぇいるんですから。
見返りを求めない行為ってのは、好きでもない(利害も共有してもいない)相手に対してもそれを行って初めて成立する。
 ↑
ちょっと待ってくださいよ。
それは敵対関係とまで言いませんが、あなたの話に登場しない「利害が違うその外郭の人物」にとっては明解な不利益ですよね(見返りが無いから適応外)。
そもそもが”有益”って言語として利”益”が”有”る(儲けになる)って意味ですし、
「仲のいいもの同士が困っている時にお金を貸して支えた」
しかし対してその登場人物が好きってことでは無いが(或は嫌いで)、十分に顔見知りで利害関係は違う外郭の他者がお金に困っていても、その人には貸さないワケですよね(見返りが無いから)。
外郭の人から見れば(或は社会的視点で言えば)、
それはちっとも有益な時間では無い。
 ↓
即ち、あなたの説くストーリーは「家族や知人などの近しい関係者帯が両思いなので自然に助け合っている様」ですが、「微妙にお前を好きとは言えんんな(根本的に考え方違うし)」と個性化している関係者は「有益でないので助けない」って事になります。
=「特定の濃密な集団だけの内定有益性」を論じている事になり、そこに普遍性はありません。


●そもそも『共同幻想』適応の”一部自我法規”無しに、そんな不特定多数の構成員の利害が一致することはあり得ない。
「DQNのBBQ」とどう違うんですか?

●それが有益かどうか知りませんが、私が考える「そこに踏み込む」「そこに関与する」って事は、明解に自分の”不利益”を承知で決断するからこそ(場合によっては命を捨てる覚悟で)、関わっていく”不条理”の選択(実存主義)です。
それが(生きる)”自らの現実に関わる(対峙する)”ってことなのだろうと(抗(あらがう))、
ランナーが「苦しくてもあと100m全力で」
(たかだかそこで100m全力でいくことにこれという目算も無いのに、そこに抗(あらがう)事自体に”不条理”を選択する実存がある。→それを”自由”と呼ぶ。)


「計算のできない事に賭ける」からこそ(短期的には確実に不利益の選択=リスクを取る)、
可能性って言葉あるのであって
(=不確定・未知数=それは一概に有益とも不利益とも言い切れないものだ=”不条理”)、
よくわからんのですよ、
”有益”利”益”が”有”る(儲けになる)って話にそもそも意味があるんですか?
商売人になりたいだとか?

言わずと知れたことですが、
説明された言葉の意図は、
「いかにも『共同幻想』がプロパガンダで洗脳に使いそうな当該組織の利益・人的資源の当該組織に対する”有益”な貢献」という線上のものなのでしょう。
しかしそれは当該する各個人の自我の一部を放棄すると言う、不利益(自己犠牲)によってはじめて成立するんですよ?
この場合もその本質は”不条理”の選択です。



>>むしろ哀れなのが、
>(『共同幻想』崩壊時代だってのに)今どき”普通の人”としてリア充になってちゃっている人
>共同幻想適応者でも仕事はお金のためだと我慢してやっている人や家庭の悩みを抱えたり、満たされない人はいるのかもしれませんが、仕事や家庭に恵まれ、幸せに暮らしている共同幻想適応者もいますよ。
>一番哀れなのは友達がほしくてもできず、ぼっちでつまらない人生を過ごしている非リアの人でしょう。

「仕事や家庭に恵まれ、幸せに暮らしている共同幻想適応者もいますよ」
だからそいつはどこの誰だよ?
知人の話を持ち出すと(何でも言えるので)切りが無いんだって、つまり論旨にならないの(事実の認定として何の根拠にもならない)。
所謂社会批評的に全体を通して語れる論旨や根拠の提示無しに、それが学術論文になる?

「何々はこうだ論→それは何故か?私の知り合いにこんな人が実際にいます。」←もう無理でしょ。
これ論文として通用しませんよね。
いったいどこの世界でこの論理が説得力を持つの?

「宇宙人はいると思います。私の知人に絶対にいると言ってる人がいます。」←どう違う?
(この手法で無限に論議の蒸し返し反論継続して何か得られると思う?)

前述の「リア充」解説引用部の一部を更に引用しておきますよ。
 ↓
基本的にはリア充は単独行動を好む。
あいつらが常に集団でいるように見えるのは実はキョロ充が群がっているから。
内心は講義の邪魔だし周りの迷惑になるからダルいと思っているものの、キョロ充と会話するほうが余計にめんどくさいので適当に相手(ほぼ相づちだけのシカト)して授業に集中する。

キョロ充の特徴として、学校の教室や食堂などで、自分の知り合いや顔見知りがいないかどうか、キョロキョロと常にあたりを見回すような行動が見られる。1人で学食を食べることはこの上ない恥だと感じており、そんな自分を誰か知り合いに見られはしないかと、強い恐怖心や強迫観念を抱いている。
一応リア充グループに属してはいるが、そのポジションは最下層に位置する。

意外なことに、リア充はヲタクのことを尊敬しているらしい。ベクトルこそ違えど、自分の軸があり、周りの顔色伺わずに自分の好きなことに夢中になる性質は実は極めてリア充に近いためとのこと。一方で、いつも周りに同調して自分を持たないキョロ充のことを「群れなければ何もできないクズ」と心底見下している。



前述の「リア充」解説引用部の一部を更に引用しておきますよ。
 ↓
基本的にはリア充は単独行動を好む。
あいつらが常に集団でいるように見えるのは実はキョロ充が群がっているから。
内心は講義の邪魔だし周りの迷惑になるからダルいと思っているものの、キョロ充と会話するほうが余計にめんどくさいので適当に相手(ほぼ相づちだけのシカト)して授業に集中する。

キョロ充の特徴として、学校の教室や食堂などで、自分の知り合いや顔見知りがいないかどうか、キョロキョロと常にあたりを見回すような行動が見られる。1人で学食を食べることはこの上ない恥だと感じており、そんな自分を誰か知り合いに見られはしないかと、強い恐怖心や強迫観念を抱いている。
一応リア充グループに属してはいるが、そのポジションは最下層に位置する。

意外なことに、リア充はヲタクのことを尊敬しているらしい。ベクトルこそ違えど、自分の軸があり、周りの顔色伺わずに自分の好きなことに夢中になる性質は実は極めてリア充に近いためとのこと。一方で、いつも周りに同調して自分を持たないキョロ充のことを「群れなければ何もできないクズ」と心底見下している。

名言
(本当の意味の)リア充とは「特定の生き方を言うのではない」
●心の状態を言うのだ



>またもともとコミュニケーション障害があっても一人が好きな人であればそれは幸せの形のひとつでしょうけど、友達がほしくてもできないコミュニケーション障害の人も多いので、そういう人は完全な「非リア」でつまらない人生を送っている可哀想な人であることには間違いないでしょう。

だ・か・ら
漠然と友達が欲しいと思うのは「オンザレールな『共同幻想』適応自我タイプ」だけの話なの。
基本(『単独者』も『共同幻想』再選択者も『歩留り』選択者も)
「さて、”俺は”どうすんのか?」から始まるワケ(他人がどうとか関係無い)

「リア充」説明引用にもありますが、
一人になれないのがキョロ充
一人にもなれるのがリア充
一人にならざるをえないのがぼっち

授業は一人で出る。なおかつ友達と時間割を被せたりせず自分の興味のあるものを選択。
基本的にはリア充は単独行動を好む。
意外なことに、リア充はヲタクのことを尊敬しているらしい。ベクトルこそ違えど、自分の軸があり、周りの顔色伺わずに自分の好きなことに夢中になる性質は実は極めてリア充に近いためとのこと。

(本当の意味の)リア充とは「特定の生き方を言うのではない」
●心の状態を言うのだ


他人がどうとか関係ネーから、
一人で自分が(自分の事を)今どうやろうかって(自立的・能動的)動機形成の話なワケ、

ああたの論じている話に登場している行動は、
あたかも「コミュニケーション能力に欠ける”キョロ充”が、(リア充からは最下層でクズだと見下されているのに)どうしたら”リア充”のグループに参加できるだろうかと、、、できないから可哀想だ」
みたいなですね、、、
 ↓
「立派な”キョロ充”になることこそが有益な人生だ」みたいな展開となっており、
(彼らから見たヒエラルキーで言えばDQN>>>[越えられない壁]>>>>キョロ充だってのに)
全然通用しない話に及んでいるワケで、、

なんでメンタル病んでいる人が”キョロ充”目指して絶賛努力するとか支援を受けるべきみたいな話になっとんの?
んな事が成功する方がメンタル病んでる当人にとって100万倍迷惑でしょうが、、。



非リア充』←ここはニコニコ大百科が詳しいのでそちらを引用しておきましょう。
http://dic.nicovideo.jp/a/非リア充
 ↓
非リア充(略称:非リア)とは、恋愛や仕事などの現実生活(リアル生活)が充実していない人間のこと。または、非リアル生活が充実している人間のこと。対義語はリア充。

概要
主に現実における対人活動が充実していない人々を指す。ネットやマルチメディア鑑賞、ゲームなどのオタク系趣味を好む傾向があり、リア充への嫉妬に似た嫌悪感を抱いていることが多い。コミュニケーション能力に乏しいなど何らかの理由で現実における対人活動を避けるが、一律に根暗や人嫌いというわけではなく、ネット上における対人活動(主に匿名)は通常にこなせるケースが殆どである。

非リアの生態
アウトドア系の趣味(対人活動を伴わないものに限る)を嗜む非リアも多く、飽くまでリアル生活が充実しているかどうかがポイントである。
ネットにおける執筆活動(ブログや掲示板等への書込み)を日々精力的に行い、画面越しではあるが社会に対する独自のメッセージを発信し積極的に社会参加を試みる。

社会における非リア
社会生活が充実していないということもあり、当然社会からの風当たりは良くない。リアルが充実していないという性質上、非リアにおけるニートや無職が占める割合が高いのも一つの原因である。
特質するほど仲が悪いという関係ではないが、リア充と非リア充が互いを尊重しあい理解を深める必要があるだろう。そこには非リアがリア充と「仲良くなる」というパラドックスに似た問題が発生するが、そこはどうにか煙に巻くなどして乗り越えて行って欲しいと思います。

(ある意味ここでの説明はハテナキーワードにおける「意外なことに、《本当の意味の》リア充はヲタクのことを尊敬しているらしい。ベクトルこそ違えど、自分の軸があり、周りの顔色伺わずに自分の好きなことに夢中になる性質は実は極めてリア充に近いためとのこと。」に、かかっていると思われる。)



えー私もですね、もう結構いい歳なんです、
(冗談じゃネーぞの気概は衰えていないつもりですが)
中高年真っ盛り、こういうタフな長文書くとかいつでもできると言えなくなってきたワケで、
是非この点もご理解賜りたい。




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