「とにかくいい悪い論をこの間停止してください」ってのがあります。
(強迫心理の原動力である道徳的権威性概念を抑えるのが主たる目的なのですが)
この話ってのは、上記のような心理学的要素の他に根源的な問題点もあるのです。
某宗教哲学にも出てくる話、
(神でも無い)人間ごときに事象のいい悪いが何故判断できんの?って話
ちょっと乱暴に聞こえるかも知れませんが、以下のような考え方なら異論挟む人いないでしょう。
↓
19○○年、この年にナントカ条約が締結され、後にこの条約は、、、
↑
これよかったのか悪かったのか?歴史にいいも悪いも無いだけでは無く、
それが誰にとっていいの悪いのって、
敵対関係国家で想定するならまだしも、主語が”人類にとって”となれば、どちらがよかったのかなんて普遍的結論をスラスラと答える事が出来る人はいないでしょう。
(それこそ神様にでもなったつもりのお花畑な夢想家でも無い限り)
もうちょっと補足しましょうか
「欧州にとってクリミア半島に対するロシアの介入の意味は?」
「いいと思います」「悪いと覆います」←小学生かよ!
答えになっていませんよね。
(いいとか悪いなんて事の分類は分類そのものが”その程度”なのです=どちらでもよい=どうでもいいことだ=感想に過ぎず取り立てて意味は無い)
■ここんところを掘り下げると、再び心理学に繋がります。
脳にとって快感とは何か?『快・不快原則』ですよ。
(※脳にとっての快感とは、興奮を伴う動機形成や明らかに仕事量を担保するような動機形成が行われ、これが実行やカタルシスなどで代謝されたことが確認される工程の事)
ぶっちゃけ、脳は人類ヒト科の脳としてその性能を発揮しているのであって、
映画評論家ではありません。
自意識の関与無しに(所謂神経系としての条件反射などの局面において)、
「ホラー映画」というエンタメが、当該人物にとっていいのか悪いのか(快なのか不快なのか)判断する根拠も無ければ、そこを判断する機関でもありません。
”そのエンタメが興奮ネタ?”←脳にとってはこれが全てです。
いうまでも無く、興奮ネタであれば、脳はこれを”快感ジャンル”として認識する。
(人類ヒト科にとって欲求不満によるストレスの恒常化は致命傷だからです。)
↓
ジェットコースターもそう、悲劇のドラマを見て泣いている自身が(優れたエンタメに)喜んでいるのか悲しくて不愉快なのか?なんて無意識稼働中の脳には判断しようがありません。
ぶっちゃけ『快・不快原則』なるものは「退屈か否かしか判定していない」のです。
(故に、倒錯性行為であるSMなども心理学なら整然と説明できるのであって、)
無意識稼働中の脳にとってそれが「いいのか悪いのかなど関係が無い」。
つまり、
何か重大でユニークな案件が発生したとして、
その機会を「運がいいと言葉にするのか、運が悪かったと言葉にするのか?」←これは当該人物の自意識が”その時の判断”として述べる感想に過ぎない。
たとえばですよ?
ある名作映画を観た後の感想、10代の頃と中高年になって以降と別ものだなんて事例は腐るほどあるワケです。
こんだけ判断にブレがあるものをですぜ?今即自的な無意識モードで稼働中の脳に何をどう判断しろって話で(妙な判断できちゃうほうがよっぽど恐ろしい)。
それを20年後自分はどう考えるだろうかなんてね、誰にもわからんのです。
ある意味脳の無意識的判定の方が正しい、
「スゲー事があった、これは”事実”。それが俺にとっていいことなのか悪い事なのか、果たして死ぬまでに結論でるのかだってわかりゃしない。」
↑
この事象に対してですよ、
その都度「おー運がいいいね」「あーなんて運が悪いんだ」なんて口から出ている”感想”にはクソの意味も無いんですよ。
「さて、どちらだってことなのか(自分の人生の物語展開において)結論はわからんな」
(言えるのはだいたいここまで)
■逆に言えば
「それがいい筈です、実際にいいと言ってます」
「凄く悪いんです、悪いにきまってます」
みたいな”感嘆”ってのは、もうこの段階で現実から乖離しとんのです。
あれですぜ?ジョークだとか軽口で調子よく
「あっ、(なんてことだ)ついてネーww」←これは”いい”のよ。
何故って、実際にいいとか悪いの分類に関して(ジョークなのか軽口なのか)今適当に(音感重視で)言ってるだけだからです。
■■■ここに【重大な】心理学的要素がある■■■
印象深い事象(エピソード記憶)に対し、
「10年後、20年後の見解はわからない」←この意味って何?
精神分析による、過去に対するネタバレ再構築(現実アップデート)が、不断に行われ続けるという意味です。
↑↓
これに対して「強迫心理」とは?
印象深い事象(エピソード記憶)に対し、
(幼児の誤解を発端とする越えられない権威性認知などが壁となり)「なになにと”決まっている”んだ」と、年齢を経るごとに自然に派生する筈のネタバレ再構築(現実アップデート)が停止している。
その姿が「いい悪いにやたら拘る姿」として観測されるんです。
■更に言えば
「いいのか悪いのか」ってものは(あばたもえくぼじゃないが)容易に逆転する事ができます。
(どちらに転んでも”自分の肖像”や、人物像に影響しません。)
↓
「あー、また宝くじハズレた、ついてネー」
「またハズレだよ、そんなうまい事あるわけ無いって話だよなww」
↑
宝くじがハズレだった件についての”感嘆”は、論旨がポジでもネガでも本質的意味は同じです。
●メンタル問題に関わる様なコンプレックスがらみのネタならどうなる?
「僕は八重歯が凄くって、まるでドラキュラのようだ」
歯並び強制を正しいとする『共同幻想』権威性概念に影響されていれば
「それが凄く嫌でコンプレックスなんです」となりますが、
歯並び強制熱心なのは米韓ぐらいだろうぜって一顧だにしない独立独歩な人なら(個性に上も下もありませんから)
「八重歯がちょっとチャームポイントってか自慢ですらある」
或は
「この”悪い”歯並びのおけげで随分な目にもあったが、僕の個性の一部であることも事実なので、この歯並び抜きの人生も語れんなぁ」
↑
「八重歯が個別にいい事だったり悪い事になったりしてるのじゃありません。」
自意識が自我運営上、何がどうこうって認識(概念)をどういう流れで導入しているかによって(全く同じ人物のまま)いいとか悪いとか、その時の”自我都合”でどっちにでも変化します。
(ここも精神分析からめるとわかりやすい。現実アップデートによって大きな事象判断が仮に逆転しても本自我のなんたるかが変化する訳ではないって事。)
■なーんて話をすると、
「癌にとかの病気になったら、それでもいいことだとか言えるんですか!」
みたいな反論が出てくるのでしょうけれど…。
違うでしょと、、
「いつか必ず、生き物は死にます。それが病気なのか事故なのか事件なのか老衰なのか、死のシーンの設定において、いいも悪いも無い」のであって、
(”死にたくないって件”と”死期が訪れている事”に直接の関係は”無い”←前提に関わり無くどんな生物にも死は訪れるからです。)
「こんなに痛みがあるのに、これがいいことだなんて言えるんですか!」
(それは更に別の話で、、)
「それは不快なストレスである」←どっから考えてもこっちのが正確
それだけでなく、
痛みは何かが起きている事やその重大性を教えてくれているワケで、
「王様が、俺に悪い話はあげてくるな、聞きたくも無い。いい話だけ聞かせろ」←これで政治ができますか?
王に苦言も言う臣下こそ忠臣でしょうよ。
「痛みを必死に伝える神経が悪いんですか?はたまた何かひどい事になっているのに神経が忖度して何も伝えない事がいいことなんですか?」
どっから考えても
「それは不快なストレスである」それ以上でもそれ以下でもありません。
(少なくともいいとか悪いとかの話じゃない)
■”いい感情”や”悪感情”なんてものは、
バックグラウンドの自我の構えによって左右されるものであって、事象そのものがよかったり悪かったりしているのではありません。
そこに表現するべき”感嘆”があるのだとすれば
「トンデモナイ事だ、重大事案だ」って事です。
(その体験はエピソード記憶になるワケですが)
本質的に「果たして、よかったのやら悪かったのやら、それは誰にもわからないのです。」
(もし答えがあるのだとしたら「わからないから不断の思考が続くのだ」みたいな話になるんでしょう。)
●ここでトンデモない大きな勘違いをしている方いるかもなので補足しますが
アホみたいな「なんちゃらシンキング」なる自己啓発ネタみたいなのありますが、
そういう意味で言っとるのではありません。
(「何事もいい方に考えましょう」←全然そういう話じゃ無いから…。)
人間ですから、その時その時の感想はそりゃありますぜ、
「あー運が悪い」
しかし上記の言葉には(それ”今の感想”だからと)予め解釈の幅が残されてるんです。
(将来それを自分がどう捉えるのか誰にもわからんからです。)
あらゆる事象には現実アップデートの”余地”が残される。
■仮にそれが「決まっている」として普遍的概念になっていたら?
それは「強迫心理」以外の何物でもない。
その事象の善し悪しが決まっているのでは”ありません”。
”あるべき”「解釈の余地」が残されていないために(強迫心理の防衛反応)、
あたかも事象に善し悪しが「決まっているように思えてしまう」んです。
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