何がそうさせるのか俺にもよくわからないのですが(笑
言うならば「抑圧されてきたリビドーの全開放を垣間見たような」そんな感じがするのですよ。
(ナントカ解放宣言その日の歓喜の声を聞いたかのような、)
なんとなく「あーこれが芸術による世界平和なのか」みたいなね、
なるほどナショナリズムであるとか贔屓のプロスポーツクラブの勝利であるとか様々な”媒体”に投影されそれが開放されることは珍しくなかったものですが、見ていて海外腐女子の『ユーリ!!! on ICE』に対する”利用法”は圧倒的放出力を持っている。
(注:この件に関してその反応の出方は特に海外腐女子にキャッチーなのだと思います。そこも後述しようと思います。そして明らかにLGBTな男子視聴動画にも腐女子ほどのレスポンスは無いのです。)
そりゃ警察沙汰であるとか、いかにも「これから騒ぐぞ(絶叫動画撮るぞ)」と構えて(酒瓶片手に)おっぱじめる動画も見受けられますから(家人がウルサイと注意しにくる動画も多数)、予め絶叫イベント・ネタ媒体として認識されてるケースも多いのでしょう。
加えて詳細語ってるお嬢さんのレビューでは「これをゲイ的なあれがどうこうやロマンスがあるからとか言う人がいるがそれは違う、スポーツを題材にした人の思いがあーでありこーである完全に金メダルを目指す最高のスポーツアニメである」と興奮気味に断言していたりします。
そこでいろいろ考えてみたのですが、
昨今ハリウッドや日本映画界で盛んな「実写化」これ絶対無理(抗議の声で潰されるでしょう)、
二次創作エロ化も思うほどあたらないのではないかと。
何故ならスポーツを舞台に登場人物達が(まさにフロイト的仮説昇華が存在するのだと言わんばかりに)狭義のエロに関連しない崇高な何かが『愛』をテーマに表現され(ているように海外腐女子には見えている筈)、だからこそ全てのリミッターが解除できちゃっているからです。
反応動画をいくつかチェックするとわかりますが、
登場人物の一人である、未成年の主要キャラクター登場シーンで海外腐女子は(おおよそ子供のいる年齢に思えない女子であっても)「my sun(や my boy)」と呼んで感情移入していたりするんですよ、これが、
(主人公に対しては「my husband」と呼んでいるケースもありこれも無意識の保守系リミッターなのかなと思ってみたり、タイの若い子に対して「my child(馬鹿息子的意味もある)」と言ってしまうのには差別的深層心理もあるのかなと思ってみたり、)
■思うにショタに対するなんとやらがもう欧米的にはかなりハイレベルのPC(ポリティカルコレクト)であり、かなり深いところで(年少者男子と行為に及び逮捕される事例も欧米少なくないですからね)性対象として応援する事に抵抗があるためではないのかと。
そんぐらい深いところでリミッターかかっている。
故に「主人公がこれはスポーツですよ」として表現される世界だからこそ全てのリミッターが解除されるのだと(この話の本意はロマンスではありませんという免罪符)。
ご覧になった方はわかると思いますが、
最終話の最後のシーンでこのリミッターは想定外なレベルで解除され、トンでも無い事になるのですが、構造的に(彼女達にとっては)「エロも超えてる」事になっていたのでしょう。
(同コンテンツは中国のコメントも翻訳されており、中国のファンが「製作者は同人のやることもう無いことにしようって話だね」などと述懐しており、それあたっていると思います)
このような表現の自由さは、旧来日本では特別珍しいものではなかったし(故に日本では腐女子が強烈にどうこうとかでは無くノンケの男子からして「これは観れちゃうんだよね」とコメントつくぐらい)、
海外含めて真正のゲイな方にも肩すかしになっていたのかも知れません。
(確か作家さんもBLものとしてはシナリオ書いてないよと発言していたような、)
■海外腐女子にとってそれがトンでも無い事になったのはきっと”偶然”なんでしょう。
結果として、社会学的意味における抑圧の深さや解放後の自由をそのまんま目撃することができたのだと、
などなど『ユーリ!!! on ICE』大変な反響となりまして、どうやらセカンドシーズンも製作されるようです。
まかり間違って保守派の目に入り、放映禁止などの動きが出たら違う水準の騒ぎになるでしょう(笑
(パルチザンのように、、「これは革命のための戦いだ」のように人生賭けた反対運動みたいなものに火がつくかもしれない。)
本来はそもそも自我にかかったリミッターなど全て解除され(自我統帥権は全て『自意識マター』に移管)、素で自由であればなんてことない話なのですが、女性の性別にまつわる社会的抑圧には長い歴史もあり全開放は容易なものでは無いでしょう。
心理学やっている者としては、いやいや全然ダメじゃないかと思ってしまうところもあるのですが、
世界の平和なんて空想に過ぎないけれど、
「抑圧から解放された自我の世界があるのだとすれば(その状況ではお話だろうが映画だろうが小説だろうがアニメだろうが漫画だろうが)」、
「そこに表現される世界があるのだとしたら脳で認知する生き物すべてにそれは”現実である”」という、(そもそも芸術は現実を”よりリアルに”表現しようとしているのだし)そんな世界ってものを、考えるのでした。
ネタがアニメだからついでに話を引っ張ると、
僕ら50代などのガンダム世代にとっては冨野氏が作中で定義した「ニュータイプ」じゃないけれど、
現実世界ってものを”現実的”なる枠内に拘り続ける事は、書道において楷書しか書かない人のように(美術で言えば写術しか認めないみたいな)「ひとつの保守系見解決ではあるがそれも選択肢のひとつに過ぎない」のも事実。
(故にVRの時代はトンでも無い事になると思っている。世界で初めて映画が上映された時に視聴者は迫りくる機関車の動画を前に逃げまどったのですから。)
そんな一元的な”現実主義”を是としていたら鈴木清順やタルコフスキーの映画なんてものはなんとやらって話になるし、、
舞踊においても創作舞踊全否定みたいな事になる。
音楽だってそうです(登場時にビートルズは大変な批判を受けましたから)、
アングラ演劇しかり、
自分の求める動機形成が何でもかんでも”現実的”なる枠内に留まらなければならない事情などありません。
諸般の事情で”偶然こういうことになるとトンでもになる”ってハマり方する媒体やら触媒となる芸術の存在を考えると、心理学的分析の方向性も本来はもっと自由気ままでいいのだろうと思います。
●やっかいなのは芸術的非現実でも現実だ世界みたいなのをメンタル問題離脱前の個人に個別に提案することは論理的に不可能であることで(その後どういう趣味になるのかなんて誰にもわかりませんから)、文脈的に「もっと自由でいい」って抽象概念を具体的に説明することからして論理的に不可能ですからね。→「頭堅過ぎ」じゃ分析にもならないですし(笑
気ままにってのはこのブログのテーマでもあるのだけれど、
その言葉の意味とは裏腹に、その分析と説明は容易ならざる命題です。
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