2016年10月09日

オーディオ(原理主義では無く)現実主義

かく言う私も若かりし頃は重厚長大系「故長岡派」でありまして(ミニマル派である江川氏も参考にしてましたけど)、ややもするとオーディオ原理主義みたいな方向性だったように思います。
憧れのNECプリメインアンプA10には最後まで手が出なかったですけどね。

オーディオと趣味の世界の話かと思う方圧倒的多数と思いますが、ま〜聞いてやってください、最後には心理学の話でまとまりますから(笑

そんなオーディオ原理主義とはどういうものか?
昔を思い出して列挙してみましょう。
・ケーブルは太ければ太いほどよく、且つ最短距離で、
・機材は重ければ重いほどよい
・音は高低フラット、ダイナミックレンジ重視で
・アンプのトーンコントロールはご法度(回路的にも最短距離・接点最小化)
・音速は早く(振動板は軽量高能率なほどよい)
・最も重要なのは電源である(お金持ちはマイ電柱を目指せ)
・アナログレコードはデジタル音源より音がいい(実際ここは一理あったみたい)
この方向性で詰めていくと、異論反論ご意見多数覚悟で言い切りますが「ストレートだが躍動感的にどうだろう?聞きやすいかな…」というか、マニアの耳とマニア音源でしか良さがわからないなんて〜な事になるのでした(笑

長らくそんなオーディオへの拘りもどこへやら、あたふたしていると生活の忙しさに追われうっかり20年ばかし過ぎ去りました。
諸般の事情で自宅でも喫茶的な空間が必要になる事情があり、現在はすっかり「おおよそオーディオファンなどと自称できなくなった」今日この頃でしたが、ちょいと自慢のセットを鳴らしてみようと思い立ちました。
30年選手のマランツCD60のスイッチ入れますと「う〜ん、とスン」しか言わないワケです。
しかし(コンデンサーが完全放電とかしてたのでしょうか)しばらくONOFF繰り返していると復活するんですね〜さすがCD1メカ搭載「安いながらもギリギリ名機」、無事に復活してCDトレイもひゅーつと出てきてくれました。

ちなみに現在のシステム構成上「まったく必要無い存在である」某英国製真空管プリアンプなどかれこれ20年一度もスイッチ切っていないなど、アレな世界もあるのですが(笑
パワーアンプに見立てている、バジェットハイファイとして知られるド・チープな中華デジタルアンプで、60年選手か70年選手のアルテックを鳴らしますと(もうユニットはツィーターにフォステクスとエレクトロボイスのアルテック後継機種フルレンジに換装されている)、
聞くに耐えないハイあがりじゃないですかww
帰省時には実家のオンボロステレオの調整などもしていたため、耳がそっちに慣れたからかなと思うのですが、迷わず「トーンコントロールをON」しましてバランス取った次第です。

この歳になるとオーディオも現実主義と申しましょうか、
・機材はダイナミックに鳴れば軽量でも無問題(高能率重視はこの場合も正解)
・ケーブルごときで音は変わらない
・リスニングルーム大音量でも、小音量ニアフィールドでもトーンコントロールは積極的に使え
・サンプリング周波数によってはひょっとするとPC(ハードにデジタルな)のが音がいい
・電源はタコ足に注意するぐらい(間違っても高価なテーブルタップなど拘らない)
・録音がどうこうより好みの”音楽”を鳴らせてナンボ(リファレンスはありますけどね)
・それっぽい事したければツィーターのコンデンサー交換ぐらいで
・ウーファーは小口径でも十分使える(大音量再生の渇望は消えました)
なんてことに”躊躇なく”宗旨替えしているのです。
(喫茶でこの辺の下書き書いていると絶妙のタイミングでドナルド・フェイゲンが流れてきたりするのであります。)

現在の自分から見れば、若かりし頃は(間違いだって言うんじゃありませんけど)「バランスより構造」だったかなと思います。
心理学で『歩留り』論を展開したもの40代越してからだったかな〜と思ったりもします。
確かに融通無碍にバランス重視するのは(根拠となるものが不足してしまうので)「それもまた際限がない」という矛盾に突き当たるので(妥協論には終わりが無いですから)、どこいら辺までアリなのか考える上で根拠となる構造論なり原理原則ってもが重要でありまして、

ああなるほど、原理原則や構造論ってのは「そういうことを考えるためにあったのか」と安いオーディオ鳴らしながら思うのでした。
心理学的に考えるなら「ワイドレンジからダイナミックレンジまでフルスペックでリニアな特性」なんてな、あたかもノーリミットな『自意識』の完全勝利のような概念もあくまでも概念であって、
本物の無重力空間は自由なのか?に疑問があるように「それじゃアイデンティティーの置き所もネーよ」って話になるのであります。

■今から思えば長岡氏や江川氏などの存在は「権威主義丸出しのブランド至上主義への挑戦」でしたから(古くは大藪春彦がブランド外車志向に対してブルーバードのSSSを押し出したのにも通じているかな)、極めて個人的趣味性世界である『単独者』的オーディオ趣味の世界ではちょっとしたブレークスルーな旗振り役だったワケで、
バブル真っ盛りの時代の中で江川氏が「安物に突然変異で音がいいのあるよ」なんてな話は(代表例がADプレーヤーのアイワA800だったかな?)、随分と歓迎されたのです。

良くも悪くもそれはサブカル系文化を根底に持つ挑戦者日本の姿だったのだし、
とても『単独者』的でもあった(超重厚長大電源主義な長岡氏とミニマルで低ノイズに徹した江川氏の両巨頭は『単独者』における自由に際限が無い様を表してもいた)。
勿論戦後日本の『共同幻想』社会にはおおよそ趣味性の感じられない『ミニ・コンポ』なるがっかり感しか無い代物が大規模に流通しており、好対照なその姿は”あり方”というか”あり様”ってものを目で見てわかるものとして表してもいたのかな。

俺はリーモーガンのラッパがいかにも金管に”パリーン”と鳴ってくれるか否かが最重要課題だったのだけれど、安物PA用のフォステクスのホーンツィーターあれば十分です(笑
(北海道なので無駄に広い実家の場合など腰抜かすほど安物の小口径コーン型ツィーターでも結構聞ける鳴り方してます。ある意味「何がしたいのか論」ってのはこの辺の話かな。)
実現性の容易さって点から見れば『単独者』型のがよっぽど簡単で安価でも可能なのです(それが正解というものでは無くて、可能性としての話)。

思うにいかにも『共同幻想』な人が思うオーディオ趣味の世界はきっと「マッキントッシュやらラックスだとかアキュフューズのアンプでデカいオートグラフあたりを鳴らし、トーレンスのADプレーヤーにオルトフォンのカートリッジ、CDプレーヤーはルボックスとかソニーの高級機種」合計でうん百万もする金満な姿だったりするのでしょう。
(今頃気が付きました、、。だとすると絶滅してしまったJAZZ喫茶で音楽を聴くって世界はコーヒー代500円でも安かったんだな〜)

一枚のレコードやCD鳴らす時の単価と申しましょうか「そう考えちゃうとどれだけ大成功しなくちゃいけないの?」って「『共同幻想』はつらいよ」な世界に笑ってしまいますが、
絵的にはそんな感じになっているのでしょう。
『単独者』の趣味性なんて実像は「そんなめんどくさいものじゃありませんぜ」なんだと思いますけどね。


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タグ:『単独者』
posted by kagewari at 18:05 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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