嫌な奴もその意図するところは様々です。
今回の論議でテーマにしようって嫌な奴談義は以下のようなケースのお話です。
・「あからさまに険悪な関係で、どう見ても原因となる行動はその人物に非がある」などな人
・「やたらと自慢げで、あからさまに周囲を見下す調子も無頓着に自分自慢が止まらない」人とか
↑
どこにでもいる感じの悪い人を基準としてみましょう。
■実は上記の説明に答えがあるのです。
おかしくないですか?お題は『嫌な奴』となってますが、前提となる人物評は「感じの悪い人」になっている。『嫌な奴』と「感じの悪い人」は同義語でしょうか?
さてここからが心理学です。
何かの都合で身近に「感じの悪い人」がいた場合どうなります?
「それだけ」ですよね。
できれば関わりあいたくないものだ(終わり)。
これじゃ『嫌な奴』と認識されません。
何かの都合で「感じの悪い人と半ば強制的に関係を継続しなければならない事情があった」、
その人物は「凄く『嫌な奴』だった」。
●はて、前述と後述の違いはどこにあるのでしょう。
後述の「何かの都合や関係を継続しなければならない事情」←これって自己都合なワケですよ。
ぶっちゃけ「感じの悪い人」には関係が無い(勤務先の雇用主とかになればアレかもだけれど)。
自分がその場面における因果というか、事情をなんとかしてとっとと関係を切ればただの「感じの悪い人」に変化するのです。
て、こ と は?
■『共同幻想』適応強迫心理などがあった場合どうなります?
自己都合の関係性から『嫌な奴』が相対的に大量発生したかの認知上の錯覚が発生することが証明されます。
いやいやいやいやいや「そもそも出先に「感じの悪い人」が少なければいいじゃないですか?」なご意見が聞こえてきますが、
さて困りました。「何をもって感じが悪いのか?」ってこれも自己都合なんですよ。
(あばたもえくぼの反対で、何が感じ悪いと感じるのかって100人いれば100とおりですからね。)
自分が個性的なので、相対的に(俺からみたら)感じ悪い人が多くなっちゃうんだよねな場合(別段だからどうってことはないのですが)、所謂「人間嫌い」ってスタンスが予測されますよね。
「そんな事例が一般的とは思えない」な方は以下を参考に考えてみてください。
JAZZの偉人にして帝王マイルスデイビスは裕福な家庭に生まれているのですが、とにかく「白人嫌い」で有名で、ピアノのギルエバンスを例外に白人をバンドに入れた事が無い。
(マイルスの人生的には全然これでオッケーなんです、)
更に、過去にも紹介したことありますが、
以下鶴田浩二先生の歌を参照ください。
(ご存知のとおり昭和歌謡の大ヒット曲ですから、この歌詞に当時『共同幻想』バリバリ時代の市井の人々とりわけ男性サラリーマン諸君が大共感していたことを証明してくれます。『共同幻想』適応人格の本音みたいなね。)
■な解説をはさみつつ話を戻します。
・自分にとって感じの悪い人の総数は(自分の個性にも強く関連するので)選べない。
・そこに『共同幻想』適応強迫がある場合、数学的には個性的度合いに比例して『嫌な奴』は増える
ところが、
当事者が(強迫心理部分などを)無意識で取り立てて自覚が無い場合、
数学的に自分以外の関係者は(『共同幻想』適応人格系などであれば)相対的に「感じの悪い人総数が少ない人格タイプ」になり、彼らはその『嫌な奴』とも(巧みな世渡り術で)表面的な関係性を維持できていたりする。
この状況だと、当該人物は(相対論で)「自分ばかりいつも嫌われている」と錯覚してしまうのです。
場合によっては「自分も好かれたいので、直すところは直したい」などとピントの外れたことを考えるに至り(全く解決の方向と関係無い発想ですが)、強迫的社会適応時のストレスが梃子の原理で倍増する。←場合によっちゃ〜鬱にもなりますよそりゃ。
(※上記パターンは説明するまでも無く「どこにいっても私はいじめの対称になる」と認知されてもちっともおかしくない。)
●自分の個性をどう問うのかって部分は別問題でありますが(そこはそれ自分の選択ですから)、
話の展開というか動かしているの自分マターだったりするので、極論自分の行動選択で全部解決しちゃう話でありまして、且つそれによって相手方の『嫌な奴軍団』も「単に自分と相性のよくない方々」に変化しますので、恨み事も何も「どうぞそちらの世界でご健勝をと思うばかりのあっしは、やっぱり古〜い人間なんでござんしょうか」となるんですよ。
↑
これが基本原則
(勿論『共同幻想』社会適応強迫があるのであれば、そこは強迫心理の問題ですから。)
■そして応用編
何かの因果でどうあってもその人間関係の継続が必要な場合(たとえば失業続きでよくやくみつけた仕事だとか)、
「ここから大転換しますから、よーく読んでください」
↓
・「あからさまに険悪な関係で、どう見ても原因となる行動はその人物に非がある」などな人
・「やたらと自慢げで、あからさまに周囲を見下す調子も無頓着に自分自慢が止まらない」人とか
前者は躊躇無く(所謂法治国家的『共同幻想』原則論的にも)敵対してもいい人物像です。
後者は”褒めてあげれば喜ぶ”事から逃れなれない人格であるのと同時に、他者に対して示威的に自慢話をするぐらいなので内面はキャリア関連の不安症を持っていることがわかります。
前者への対応は括弧書き記載の『共同幻想』原則論の適応性(当該人物が所属社会からも準法的問題人物視されているのか)、そこが判断基準となります(何気に当該社会に融和的に適応してれば当該社会がブラックだという判定になる←この場合当該社会のブラック度が上位概念でブラック認定されるだろうか否かって判定が必要になりますが)。
いずれにしても躊躇無く敵対してもいい事には違いがありません。
「間違っているのが自分だったら?」←これ人物像の定義から想定していないので、あり得ない。
その可能性を残すのであれば、嫌な奴論で想定する人物像を以下に修正しなければならない
・例外事項として「関係悪化の原因となる行動がその人物に非があるのか確実では”無い”が、とにかく険悪な関係である人物(原因となる行動には自分に非がある可能性を残す)」
↑
これじゃ「関係悪化」以外の事実認定ができません(嫌な奴論が成立しない)。
対象人物とどうしても関係したい事情が無ければ放置してもいい事項で(人間関係がうまくいかないって話だし)、自分関連で複数事例に及ぶなら(数学的に)自分の関係障害を疑うべき話になっちゃうので今回は省略します。
(●ヒントというかネタバレすれば、誰に非があるなどの話に及んでいる時点で、いい悪い論に傾斜する依存性=自立性の欠如てな問題となる。「強迫性を動機とする人間関係が円滑に行く事などあり得ない」のだから。)
<さて、話を戻します>
何かの因果でどうあってもその人間関係の継続が必要な場合(たとえば失業続きでよくやくみつけた仕事だとか)、
想定される人物像の定義について、
前者は「躊躇無く敵対してもいい」
後者は「自慢の原因は権威性キャリア不安症の可能性大」
ということが確認されます。
ぶっちゃけどうやって攻撃するか?って話です。
説明するまでも無く、答えは出ています。
問題は特定人物への攻撃であり、嫌な奴問題では無くなったからです。
(たとえば、前者は実力行使を伴うことも躊躇せず正面から対峙すればよいのだし、後者は「僕のような落ちこぼれと違って、聡明なあなたならもっと上を狙えますよ」的な褒め殺しによってジワジワ延々と嫌がらせが可能。)
「攻撃について真剣に考えを馳せていれば何も困ることは無い」
その反対のド・ナンセンスは何?
●前段説明に登場する(状況判断を考えもせずに)「自分も好かれたいので、直すところは直したい」などとピントの外れたことを考える事です(仮に関係性の動機が強迫性である場合その動機は抑圧されている『自意識』の本音と正反対である可能性さえあり得るのですから)。
結局話をややこやしくするのは「強迫心理」であり、外部環境では無いって話です(外部環境が相当アレでも問題は「攻撃方法の検討」となり”嫌な奴”問題とはならない)。
●更にネタバレすると、言語として『嫌な奴』ってのは冒頭記載の「嫌な奴もその意図するところは様々」とあるように、本質的には「仲のいい毒舌仲間の話」なのでしょう。
強迫性がなければ、実体は「感じの悪い誰かさん」になるのだから。
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