時に臨床ナントカに見られる統計学的ナントカには限界があり、メンタル問題は個人個人違うものだ的な話もしてきていますが、かといってメンタル問題に類型性が無いという意味ではありません。
(何々系の問題を派生させる背景事情の個別具体論が個別なだけで、)
フロイトからしてエディプスコンプレックス論を持っているように、自我が強迫構造にさらされるケースというものはいくつかのパターンに類型されるのは事実です。
その理由は、メンタル問題は「基本反抗期関連事項である」ことと、
「対峙する権威は(もう権威となっている時点で)『共同幻想』であること」に由来します。
見方を変えれば「概念の強迫性(強制力)」なるものを発明したのは『共同幻想』であり、
(群れを構成し、命令系統含めて意思統一や共同行動を可能とする概念ですから当たり前の話でもある。)
この辺のネタが「個人の自我の中で対峙する権威が十分に”反抗期ネタバレ解体せず”に強迫性や抑圧の図式が恒常化してしまう状況」がメンタル問題という訳ですから。
時に関係障害や、社会適応の局面で問題が表面化しやすいのも「内蔵する権威性の概念の投影対象であるから(元ネタは『共同幻想』ですから)」で、表現としては正確性を欠くのかも知れませんが対人関係や社会適応それ自体がトラブっているのは”無い”とも言えます。
現実認知として状況判断なりを脳内に取り込む過程で”判断する自我内の雛形”がネタバレ崩壊していないため、認知や解釈のプロセスで違う事になってしまう訳です。
つまりその”自我内の雛形”の元ネタが『共同幻想』がらみの権威性認知になりますから、自ずとそのバリエーションは限られたものになってくるで、類型化傾向も見受けられるって話です。
(一部のフロイト非公認心理学で”自我内の原型”みたいな象徴化分析やらかしている事例ありますが、そこんところの誤解は”自我内の雛形”の判断を取り違えたと考えればわかりやすい。)
●実際にサンプルとなる「公開掲示板過去ログ」には「驚くほど似た相談(や類似する強迫性)」が散見されており、このブログでは「心理学は経済学によく似ている」と説明していますが「それこそ二重帳簿の損益隠しから過剰な店舗拡張による倒産まで、”問題は社会的状況などとして観測されてはじめて認識される”」ので、出現する状況としても(認識される概念からして「現存する社会的行為のジャンル数を超えない」ため)類型化傾向があるのは驚くポイントでは無い。
■いくつかのパターンを何気に並べてみると
両親への葛藤としてお馴染みの「エディプスコンプレックス」に始まり(立身出世関連で表面化しやすい)、
「性の嫌悪」であるとか(「自慰行為への罪悪感」や「お父さん汚い」みたいな思春期心理が温存され自身の性的発達に連動して反動化したり肥大化する的なもの→醜形恐怖や過食・拒食関連に派生しやすい)
「ナルチシズム認知関連」であるとか(モンスターなんとかやストーカーやクレーマー心理など)
「人格障害系(『被(こうむる)』の反動化)」であるとか(主語だけの認知世界的な)
「鬱関連」であるとか(ナルチシズム系に属すると思われる)
「児童期からのコミュニケーション問題関連(こちらは発達云々と考えるより潜在期における認知リハビリ的関与の問題ではないかと思う)」であるとか、
いずれにしても、その観測は(権威性認知との関係性で明らかとなるので)現実認知のスタンスが『被(こうむる)』形として共通した認知構造の特徴をもって現れるので、アバウトに類型するなら「上位フォルダ的には”一種類”」と見ることも可能。
■だとするなら「アバウト論」として、
メンタル問題対処に共通する原則論もあり得る事になる。
(「いい悪い論の禁止」などもこれ関連)
↑↓
な、部分を考える上で注目すべきポイントに「グレーゾーン」の存在があります
●ひとつの転換点事例は
「サブカル関連や倒錯関連」
この話に及ぶと(その強迫性から)清廉潔白的な方向にいっちゃっている人には強い抵抗も表れると思うんですが、「心理学テキスト」の話ですからままよで突っ込んでみましょう。
フロイト的には「そこまでいけばもう昇華としか言えない」なんて事になる代表例がスポーツ選手や芸術家です。
(決してアバンギャルドな芸術家にメンタル上の悩みが無いという意味ではありませんが、)
プロスポーツ選手や芸術家はその人物評的に「トンデモ級」な人物も多数含まれてきますが(てか一般的期待としてもそれスケールの人物がむしろ想定されているでしょう)、その轟々としたモチベーションにより動機形成のプロセスが阻害されない限りバリバリにいけてしまったりします。
そんなプロスポーツ選手や芸術家なる人物象も、
社会学的に言えば「予定調和的な社会適応を無視してもなんら問題無い階層」という分析になりますから(この点『歩留まり』選択とはまったく違う)、
●極論ですが’強迫的傾向も「個人的動機形成ネタに収まっていればかなりの幅で”個性だから”」でいけちゃう側面があるのです。
厳密に言えば、個人の趣味趣向として確信犯的に選択されていることになるので、論理的には「ナチュボーンの『歩留まり』選択と同じになるから」です。←この場合強迫傾向とは呼ばず「すっごいモチベーション」として考えてもいけちゃうんですよ。
↑
重要なポイントは「誇大性やデフォルメなどの要素がもうジャンルとして変態的にオーバーリアクションな世界であること(少々の現実との乖離もジャンル的に許容されてしまう)」、その動機形成などが共同幻想社会適応などの承認を”必要としない”ため(技術的判断を例外にいい悪い論も構造的に発生しにくい)、偏差的に思い悩む要素も少なくなります。スポーツや芸術は「正解の無い世界」ですから。●まったく心理的リスクが無いと意味ではなく→スポーツや芸術の場合”トンデモな個人的目標設定”が連発しますので(「シーズン200安打や芸術は爆発だ」など)、通常ではあり得ない個人的目標の世界で好き勝手に悩むというケースは多発し、好転していればそれが醍醐味だったりもします。
上記判断すら
■「メンタル問題はその各所において『共同幻想』とのカラミで問題が発生している」
と観測できるのであり、
メンタル問題対処に共通する原則論として
『共同幻想』との関係性は”最小限度”に
社会適応を”最小限度”に
可能であれば(休職や退職し)
『共同幻想』選択の無条件なサスペンド(いずれにしても回復過程に『反抗期の模倣』としての「仮想単独者状態」が求められますから)
社会適応の無期限一時停止
↑
ここも基本中の基本となるワケです。
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