『共同幻想』の崩壊ってのは「それが幻想であることに気が付く」って意味です。
何が幻想?って、
そもそも『共同幻想』の定義からして「その典型でもある”スローガン”のように、組織を現す”合言葉”のように、組織を組織と認識させている構成員に内容が共有・共通化されている概念(その代表例が国家や民族や貨幣など)」の事ですが、
更に岸田『唯幻論』的心理学的意味を付け加えると「その情報共有化は当該社会適応強迫と同義であり・同時に無意識的であり、そこからまた更に社会適応系人格はその帰属性認知により当該社会においてヒエラルキー構造(階級社会的上下関係)を形成するので、頂点に立つ権力者以外は(いわば末端は)”その概念”を疑う事も無いため(”その正統性”に関わる部分が無意識的であるが故に)、構造論としてそれがあたかも”普遍的現実”であったり”神聖化・聖域化”されている現象の事」となるのです。
つまり、『共同幻想』”現象”を派生させる「情報共有化により意味を成す概念(典型的なものに”流行”など)」という原理や仕組みが崩壊するのではありません、
貨幣も「所詮紙である」だとか「信用想像の事だよね」的に(その幻想部分が)ネタバレ’していれば「単に概念が共通認識されたもの」であって(貨幣としての使用に何の変化もなくても)、『共同幻想』における幻想性は消滅しています。
それがあたかも”普遍的現実”であったり”神聖化・聖域化”されているのだとしたら(そんな現実は元から存在しない=”幻想である”って話なのだから)、「所謂銭ゲバ信仰」みたいな要素は先進国化の中で絶賛崩壊していく(貨幣経済を学ぶことによる”ネタバレ”)つー流れの話です。
(貨幣『共同幻想』の極端な幻想系事例は某原始宗教系国家の一部に存在した「大金持ちになることは神の祝福の証で天国が近くなる」→要約すれば「所得の高い事が人格評価として個人が偉い証明である」みたいな発想のこと)。
しかし、言語的に「保守系の文化伝統歴史共有による政治思想や地域コミュニティー」の存在は(内部の人がネタバレ崩壊で”普遍性””神聖化”マジックから醒めていても)現象論としては「『共同幻想』社会」となるので(なものだから話がややこやしくなる部分もあるのだが)、
『共同幻想』の概念というか”仕組み”が消滅するとか、そういう意味じゃありません。
うーんと、「流行歌」という言語は『共同幻想』”現象”なのだけれど、「昭和の大歌手が年末歌番組で視聴率60%」みたいな構造は崩壊するって事。
(※ましてや『単独者』が貨幣を使用しなくなるとか、そういう話じゃまったく無いのでありまして、、、。「金持ち」って言葉の語彙として社会生活上のキャリアやタイトル的意味がその属性から外れ「お金を多く持っている人」だけの意味になるって事です。)
実際の話(『共同幻想』論では重要ランクの概念である)「偏差値」なる概念が消え去るとか、そりゃ数学的にもあり得ないことだし、
政治の場において「多数決の概念」が消えてなくなったら大変な事です。
結果として多数決的に担保される「便宜上の正統性」は消えません(それを普遍的権威などのように認知する部分が崩壊するワケ)。
「その政策は多数の票を取った」は今後もアリアリだが
極端に言えば「国民はこの崇高な目標に邁進します」みたいな「勘違いしたノリ」が昭和時代後期から自然崩壊してきたわけです(古くは識字率の向上に始まり、後に文明化・高学歴化といった流れに応じて順次比例崩壊してきた)。
※革命では”無く”、社会的ネタバレ崩壊(反抗)が自然現象として継続する。
※権威性認知の典型は個人としての思考停止ですから=『共同幻想』の崩壊は→個々が主体的にあーでもないこーでもないと考えるようになる姿を意味する(民主主義の深化としてもここからが本番)。
ある意味『共同幻想』”現象”が「あーこりゃ幻想だわ」と自覚される中でその「便宜上の正統性」が担保され(通常性能の)効力を身の丈サイズで発揮しますよって話です。
(普遍性の反対語的意味の”便宜的正統性”)
『共同幻想』は崩壊しますが身の丈サイズの有効性はより確かとなり、ここが「保守系政治思想再選択などによる確信犯的『共同幻想』社会適応の選択」つー形で”残っていく”ワケです(左翼運動から後に保守派に転じた団塊世代なんかの一波もこの流れです)。
故に再選択者は「幻想部分を幻想であると理解しつつ、神話性や神聖視部分も文化として(その趣旨を理解しつつ)受け入れることを再選択時の条件」として認識しているので、自らの意思として進んで適応するワケだが「いかにも『共同幻想』系の強迫性」みたいなものはその崩壊度に応じて落ちていく。
そんな話をすると『共同幻想』再選択とは随分と古代に比べて幸福(『興奮』)のスケールダウンが起きているのではなかろうかと思われるかもですが、
■ここに心理学全体に関わる重要なテーマも関係してくるのであります。
生物学的にも「強烈な動機形成と能動性は生存競争のため」必要なのであって、先進国化の中で少なくとも生存に関して完全に保障される社会の場合→”習慣スケールの進化”として「頭の血管切れるみたいな代興奮は必要なくなるのが自然」ですから、「幸福を脳が感じる快感(興奮)で認識する」みたいな世界観は徐々に後退するのが自然なのです。
そこに呼応して→文化を理解する趣味人的な幸福論が増えていくってなワケです。
↑↓
更にここが「あたかも意識高い系みたいな人間になるってことか?」と誤解をされそうなので補足しますが、
社会学的に『共同幻想』真っ盛りの頃は=自我が共有化され個人の部分はとても少なくなります(つまりその興奮を私物化できるわけでは無い)。
『共同幻想』崩壊より”その強迫性が後退=神話や迷信をマジに事実だと思っていたなども崩壊”って流れにより(「戒律の概念」が「法律の理解」にシフトするように)、個人の自由が拡大(人生における所有地の拡大)しますから、興奮のスケールダウンが起きても相対的に自我が獲得する快感や幸福度ってものはむしろ拡大するのです。
(拡大って部分は寿命も延びるなど総量的な部分。その時その時って意味だと”等価”程度でしょう。)
わかりやすい表現にすると、
「集落の祭りで年に一度だけ酒池肉林の祭典が行われる」が崩壊するが、
「毎日好き勝手に飲み歩く生活が可能となった」みたいな方向にシフトされていくって事です。
●『単独者』選択と『共同幻想』再選択の差異としては、
『単独者』選択者は→おひとりさま生活の満足度>共同体の一員であること
(自営業として自立>正社員として就職)
『共同幻想』再選択者は→共同体の一員であること>気楽なおひとり様生活
(自分で選んだ”何々業”を法人格の中で正社員として参画>自営業としてのしのぎ)
みたいな形で、各個人で自由に選択されるっちゅうワケです。
勿論、現代社会の『共同幻想』再選択者は幻想部分がネタバレしているので「『共同幻想』社会適応している人生が殊更立派だとか偉いだとか全く思っていない」人たちとなります。
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