■「共依存関係を考える」
厳密な概念は”ありません”。
そのつもりなく依存性ネタに巻かれて(ミイラ取りがの図式で)”共依存の禍”みたいな状態になってしまう場合もあれば、そもそも関係の動機が最初から共依存な場合もあるでしょう。
いずれにしても「”なんとかじゃないと大変”」みたいにブチ挙げられたテーマに対して相互補完で(現実から乖離している筈のお題を)追認し、あたかもそれが現実であるかのような演出に手を貸してしまう共犯関係・凶暴関係の図を指すものです。
(そしてそんな強迫系幻想世界から抜け出せなくなってしまう。)
「これこれなになにで大変。もう耐えられない。」
「本当に大変ね、どうしたらいいのだろう。」
↑
このような関係を継続・反復してしまう二人以上の図です。
(共依存ではありませんが、リアクション的に切れて「うるさい、もう知らない」と激高してしまっても”弱共依存”となります。この場合「やっぱり誰にもわかってもらえない」などの『被(こうむる)』心理が大いに盛り上がるため。)
■ここ、本来は「大変だ」ってお題が既に現実から乖離していたり、エスカレートしている状態なので、「馬鹿か俺(君は)」で水かけないといかんところですから、
「は、そんなワケ無いでしょう(ま〜説明を聞きたまえ)」であるとか、
「見当違いも甚だしい(経済統計はそんな事になってませんよ)」であるとか、
「何をちんぷんかんぷんな話をしてんですか(代わりに意味の通じる話に翻訳してみるとですね)」のような返しをしなければ”現実に着陸できない”場面です。
(そりゃ勿論このような対処をすると「強迫心理は大変面白くなくお怒りで」別の意味で大変な事にもなるのですが、「それだけ意気軒昂に反論できるんだから元気一杯じゃないですか」な話にもなるのでありまして。少なくとも当該ネタによる鬱ブーストみたいな仕掛けをストップできるってところが鍵。)
そこをですね、そのまんま受けて「そうなの、大変なのね」と返しちゃうのは「火に油をそそぐ行為」です(『共同幻想』の”だよね〜追従技”がこの目的に利用される場合もある)。
『強迫的幻想禍』のような演目が轟々とおっぱじまってしまいます。
■■■<ここで実にやっかいな消極的共依存を説明しておきます>■■■
ある意味「最強に無責任な関与」の話なのですが、
時に福祉関係なぞを職業として選択しようってな自我は、潜在的に「”漠然と”人の役にたちたい」だとか「人に感謝される仕事に就きたい」などの困った動機を持っている人が少なくありません。
ざっくり言えばヒューマニストへの羨望というか、志向。
(マジに哲学などやっている方には「それはヒューマニストじゃネーよ、思い切りナルチシズムだろうが」などのご意見あると思いますが、、、言葉は怖いもんで、十分前述の流れで当人はそれをヒューマニズムみたいに考えるのであります。)
するって〜と、この職員や関係者の方ってのは非常に高い確率で、
「本当に大変、辛いわね」みたいな『共同幻想』ご自慢の”そうだね・だよね〜追従技”を連発します。
↑
俯瞰で見れば誰にでもわかる事ですが、この行為ってのは、
冤罪の可能性もある事件があった時、(現行犯逮捕では無い)容疑者逮捕のTV報道を見て、速攻「あら〜この人が悪いのね〜」だとかやっちゃうアレと同じです。
「実は全っく話を聞いてない時の典型的な対応」なんですよ。
(「本当に大変、辛いわね」なんて言葉を反射的に使う人はほぼ100%「何がどう大変で、結果どのように辛いのか」などさっぱりわかっていないしマトモに考えてもいない。限りなく無意識的な対応だったりする。)
それこそプロに求められる対応は
「まず事実関係を」ってな具合で、事実関係の確認は十分に行う必要ありますが、ストーリー仕立て全体をとうとうと安易に語らせてしまってもいけないのです。
(メールカウンセリングの場合でも文字制限かけないと大変な事になる場合もあります。過去「私小説として出版可能な分量」が送付される過去事例もアリ。)
↑
なかなかここ意味わからないと思いますので、解説しますが、
「こんな酷い目にあっている」という話の中で、未確定事実をあたかも既成事実としてすら〜っと語られ、そこを前提に「だからこうなのだ」まで話が及ぶと、そのストーリー仕立ての心象風景が出ちゃう(その場で追体験される)訳でありまして(既にそこんところの興奮が症状を助長している場合も少なく無いのですから)、結論まで一気に話しきるみたいなのは得策では無いのです。
話の前提に様々な「現実との乖離」や「深刻さ設定」などの”落とし穴”というか「鬱などに至る仕掛け」があるのですから、
話の腰を折り過ぎるのもアレですが、
「ちょっ、ちょっと待って、今すら〜っと何々が何々だからと話したけれど、まずそこ事実認定違いますから、ちょっと説明しましょうか」的な進行が必要になります。
結果として「まったく話が先に進まない」←これでいんです(時間は沢山あるんですから)。
てかですね、少し話それまずが、
所謂教師を志望する人格の傾向じゃないけれども、福祉関係に従事する人格の傾向として「志望動機からぶっちゃけ適正が心配」な側面があるのですよ。
(※本来はビジネスライクに「定時に帰れるから」だとか「高給だから」や「年金が充実している」「心理学知見・スキルの生かしどころがある」みたいな正攻法経済的インセンティブが効く結果であるのが望ましい。)
話を戻して
■個人的な人間関係に置き換えると
「まったく話が先に進まない奴」←素で見れば嫌な奴ですよね。
(いくら心理学的に効果的な対応だとしても)嫌な奴として長期間人間関係が成立する事は難しい。
通常そこは(本来そこもどうかと思う部分もあるのですが)権威性の移転や投影ってな部分を利用して「心理学の専門やそれ関係の専門職」のような属性により「会話が面白くはずまない状態」が是認されるとこが期待されているのです。
(ぶっちゃけそこも「しかたがなく」期待される必要悪みたいな捉えで、、)
↑
ところが、個人的人間関係、とりわけ「友人や恋人関係」となればどうですか。
なかなか嫌な奴であり続けるのは難しい。
関係維持を優先するか?関係の破綻やむなしで心理学的対応を優先するか?
(そもそも市井の知人友人恋人に心理学的知見がある方が珍しいと思うけれど。)
そりゃ、自然現象として人間関係ってのはストレス回避のため「なるべく円満に」ってフラグで運営されます。必然的に「関係維持を優先」が選択される場合が多い。
=少なくとも自動的な消極的依存関係が成立してしまう。
勿論、その中に「積極的共依存の可能性」も含まれてきます。
■積極的共依存
「強迫が強迫を呼ぶ」じゃありませんが、比較的多数その事例があるのだろうと思います。
ここまでの話で延々やってきてますが、現代社会はひろくあまたに「誰にでもメンタル問題の潜在性はある」のありまして、
(なんでしょうか「夏の夜のなんとか100話」みたいに、ホラー話でもりあがると本気でみんなが怖くなるみたいな現象にもちょっと似ている。)
「自分だってそうかもしれないと思う時がある」
(注:「そこに内心興奮が伴っている」)
人間のすることですから。
メンタル問題における「現実との乖離」や「深刻さ設定」などの”落とし穴”というか「鬱などに至る仕掛け」などの”説話”がですね、双方「面白いぐらいに会話が弾む」ってな事になりますと、依存される側にも触発されるものがあるのです(積極的依存性の場合はそれが無意識的に暗黙の動機形成となっている)。
「鬱の相談を続けるうちに自分も鬱に」なんてよく聞く話です。
(注:無意識にそれを自分から志向しているところに気が付かないとかね。)
それだけでなく、その共依存関係は発端となってる鬱症状を悪化させます。
メンタル問題において構造的悪循環に至る人間関係ってのが『共依存』なんです。
さっきの経済学の話じゃないけれども、
強迫心理のなんとやらが自我の中で盛り上がるのも「インセンティブがあるから」なのであり(快不快原則)、「大変です、辛い」って話を聞く時、聞き手には「そうだね大変だね辛かったね」と言いたくなる心理が(いい人幻想だけで無くナルチシズム的快感原則も伴って)勿論のこと”ある”のであって(ここは個人自我内で強迫心理がその領土を拡大していく仕組みと同じ)、
「無意識な追随により自己の潜在的強迫心理の覚醒」みたいな可能性もあり得る。
こうなるとズルズルと共依存関係にって話(心中戯曲の模倣のような)です。
強いインセンティブでもなけりゃ誰が好き好んでメンタル問題なんぞになるのかって話でして、
『強迫心理の誘因性』ってのかな(コアは快不快原則だけれど)、
あえて刺激的に言えば「表面的に仲がいい人間関係」なんてものはクソの役にも立ちません。
それは「本来『共同幻想』を維持運営する時の方便」ですから。
(※逆に言うと『単独者』的には人間関係において仲がいいとか悪いとかは瑣末な問題で、何か用があるのかってところのが重要。←個々人の実存性と関係があるのかって意味です。そもそも「親友」と「表面的に仲がいい」には関連が”無い”。→ネタバレすると「親友なら(個別の信頼関係があるので)表面的に仲がいい必要も無い」からです。)
●依存性の問題ってのは何も難しい話では無くって
自分の自我関連であれこれどうしたなっているのだから、周囲がどうこう他人がどうしたとか言っている余裕無いでしょ(営業でゴリゴリに苦しい状態の時に事務所の掃除が気になるとか、、そんな事やっとる場合では無いワケでさ)。
どうしたもんかって考えることや、考える時間をもつことや、静かに考える場所の確保とかってのが優先されるのが自然で(ちょっとシリアスに考えていることあるのでひとりにしてくれないか)、
「そつの無い社交性」とか考えてる場面じゃないだろうと、単純な話です。
補足
■消極的共依存における別の意味の心理的リスク
いったいどんな世界なのか実体験が不可能なのでよくわからないものに「ママ友社会」ってのがありますが、偶然中央線車両内で「極ママ友軍団」に遭遇したことがありまして、
「なるほどこれが噂のママ友か」と驚いた事があります。
<つづく>
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