「幼児期の自我に原型があると言うが、そんな事なら子供の自我は全員大変なメンタル問題になっているのでは無いか?」などいう疑問を持たれる方いらっしゃるでしょう。
そのまんまです(笑
■泣き叫んでいる子供相手に途方に暮れている親の姿なんて日常の風景です。
地下鉄で絶叫している幼児を姿形だけ大人にして職場に出勤させたらどうなります?
「ちょっと大丈夫ですか(2chならお薬足しておきますね)」になりますわね。
子供の自我は「親権という特権と幼児の権利の法的制限」の枠である意味『共同幻想』的に(端的に言えば通学の除きひとりでは表に出せない人物と)管理されているのであり、仮にその状態で大人の姿なら「全員が明快なメンタル問題自我です」。ええ、そのまんまで。
逆に言えば親の特権や相対的権威性を付与するために「恣意的に問題のある自我に据え置かている」一面もあります。
理由は簡単です。
近代以降設定された「親権」なんてものは特別な教育を受けた訳でも無い親世代にとって「かなりの無茶振り」であり(親は全員保育師や教職資格だとか無いので権威者として振舞う知見も教育も無いのですから)、権威者として振舞う能力の無い親世代に半ば無理やり”偉っぽい権威付け”を行う必要があります(盲目的に子供が従うような)。
つまりR15指定じゃありませんが、子供は情報取得にも制限がかけられ「どうでんぐり返ししても親に劣る姿」を法的に強制されます(なので保守派は様々な媒体を成人指定したりやっきになる)。
●今回のシリーズ初回に触れた「高齢者の収容型介護の問題」とまったく同じ。
上記の制度は子供の心理状態を依存性に追いやる事を”意図”しており、子供自我は『被(こうむる)』スタイルを半ば国の制度により強要されるんです。
(覚醒が早く勘の鋭いませた子供は「自分で意識的に”子供っぽい”振る舞い」を演技でやりますから。)
※また『原始共産的な共同幻想』においては、必ずしも子供の養育権が親権というものに集約されてないし、そもそも家族などの家制度の概念からして存在しない(勿論子供の自立年齢も早い)。封建時代は「階級制度的な枠組みの中」人権の概念しら存在しないが、こちらも子供の自立年齢は早い(長男以外は子供年齢のまま売り飛ばされたり丁稚奉公などもあったので「とても早く親の手を離れた」側面もある)。
■子供特有の泣き叫ぶアレなんて「認知の過剰化、現実の乖離そのまんま」です。
主人公主観も子供全般に言える傾向でしょう。
ある意味、そんな不当な状況から「60年代の権利獲得闘争」のように子供自我には『反抗期』が発現し(応じた年齢で法的制限も外れていく)、冗談じゃないと大人になるのが『近代から現代の子供の成育環境』です(その際親世代の言動に無理があったりする事も反抗期を促すから丁度いいだろう的理解だったりする)。
果たして近代以降の子供に対する権利意識がいかがなものかって論議はひとまず置いておくとして、
いずれにしても乳幼児には自活する力ありませんし、宇宙のどこかでは子供を親が育てたりしないよって惑星があるかも知れませんが、慣習的にもいきなり親の親権剥奪が国の政策で行われるとは思えません(実のところ保育園・幼稚園の充実は「間接的な過剰な親権の制限狙い」なんですけどね)。
子供自我を半ば狙って(大人であれば)メンタル問題のある自我に追いやる育児がそう簡単に変化することは無く、生物学的にも「生殖能力獲得以前に完全な権利付与を行えば”性的能力欠如の問題”を織り込まなければならない」ためそれはそれで無茶な話なんです。
●ここでは子供の育児環境をどうするとかの場では無いのでこの話はここまでとして、
というワケで、自我にとって「(宗教)革命」に相当するような『反抗期』を予定する事で人間の自我は大人化する事に”なってます”。
近代以前の伝統保守世界では「何かとわかりやすい通過儀礼」みたいな制度もありましたが、現代社会では「これから幼稚園だから」「明日から小学生だから」「もう中学生なんだから」「高校生にもなって」などなどが代用品となっています(権威性階級主義)。
昭和であれば(親には殊更権威者としての特段の知識無いのですから)『共同幻想』の中身を習熟する点も「先生の言うことちゃんと聞いて」なんて形で、補完されてきた。
相当アバウトなやり方なんですよ。
心理学的にみても「かなり危ない橋渡っている手法」に違い無い。
親子関係の権威性上下関係だとか、親世代の無茶振りだとか、それぞれの人間関係やら、反抗期が不全となったり、不発だったり(早すぎたりも含む)、スムースにいかない事が「むしろ当たり前」であり、
「当たり前」だったので、すっごく昔から「三十代になってなんとかせず」←とかの格言があったわけです。
30歳ぐらいまでは(誰でも)当人反抗期の問題解決で悪戦苦闘するものだって意味です。
それでなんだかんだと人類はやれてきている。
(※そもそも『共同幻想』権威性認知って自我形成からして「かなりアバウト」な代物ですから、原理主義的になるよりか、世俗主義的に「まーそんなものだ」程度のが無難な線でしょう。)
メンタル問題関連に至る事情の本質は「無意識・無自覚の構造」があるからです。
(事の始まりが古代の皇帝病みたいなのから中世貴族のメンタル問題へ、そしてこれが大衆化と考えれば「社会の文明化により拡大した」と考える事ができる。)
ぶっちゃけ自我の背景事情が自覚されていれば、問題が大きかろうが小さかろうが自力でどっかに落としどころを考える事もできるんです。
しかし、当人が『被(こうむる)』スタンス固定化などにより「無意識・無自覚となる構造があったら?」これかなり大変ですよね。
↑
それをフロイトが発見したらから心理学ってのは「ネタバレ学」みたいな存在となったんです。
「無意識や無自覚となる構造の発見」こそが鍵。
逆に言えば、心理学が「こうあるべき」みたいな話を始めちゃうと(前述読めばわかるとおりで)「人類全体に物申す」みたいな事になるのであり得ないし、心理学として殊更見解ありません(好きにしてくださいだけです)。
■但し『共同幻想論』的に大人自我の社会化みたいなプロセスは特定思想の神話なので(自然界の動物にはそういう縛りがありませんから)、現代社会における『単独者化』のプロセスの中、社会適応全般に対しても「好きにしてください」となる(本人の選択であれば一般的な意味の社会不適応状態でも何ら心理学的な問題は無い)。←「文明的に生存環境も安定している家猫を無理やり外出させるとか無いから」みたいな意味。
<若干『歩留り論』の補足ですが>
以下の報道にあるように
東大生の4人に1人は「アスペルガー症候群」 元東大院生のツイートに現役も「マジだと思う」
http://www.j-cast.com/2016/02/04257610.html?p=all
(一部引用)
東大は「東京アスペ大学」と呼ばれても仕方がない――。東京大学の大学院に在籍していたという男性が寄せたこんな趣旨のツイートが、ネットで波紋を広げている。彼によれば、東大生の25%に「発達障害の疑いがある」というのだ。
アスペルガー症候群(アスペ)は自閉症の一種で、他人とのコミュニケーションや周りの空気を読むことを苦手とする一方で、高い集中力や優れた記憶力を持つ例も多いといわれる。
これと似た話を現場ネタで知っています(ソースは伝聞情報ですけどね)。
「某行政機関のキャリア採用人材について、人事の話では25%ぐらいは最初から使えないと織り込んでおり、当たり障りの無い左遷先とかを予め確保してなくちゃいけない。」
東大生の話と数字的にも結構似てますよね。
(いやいや東大だからキャリアだから何がどうしたなどの意味は無く、代表例で出しているだけです。)
更に上記の数値は新卒入社3年以内に3割辞職にも符合するものですね。
果たして現代社会において「社会適応」なんてな『共同幻想』に都合のいい話はもう圧倒的多数派を形成する事は”無い”っちゅうことです。
社会適応なんてないかにも予定調和な『共同幻想』的在り様ってのは(『単独者』予備軍も多数控えているので)時代的にもう無理なのであって、
そこは経済ってものにフリーエコノミーが占める内容の拡大と同様に変遷しているのであって、
仮にですよ?有権者の25%〜30%っ言えば「ひょっとしたら小選挙区で勝つかもしれない母数」ですよ。自ずとそこは政治含めて社会の在り様ってものが変わろうとしている図式そのものです。
(『歩留り論』的に本人がこれが俺の個性かなと思えば、社会不適応だろうが構やしないのです。だからといって生物学的な能動性が欠損することは”同じ人類ですから”ストレス式的にあり得ないのであり、個々人はメンタル問題でも無い限り「必ず何らかの活動をする」のですから。)
■さて、現代社会でメンタル問題(『反抗期』の不全)が噴出した背景には、
『共同幻想』崩壊過程で、世代間の『共同幻想』共有がはなはだ難しいって側面があるからで(若い世代において親世代の『共同幻想』が不適合となるなど)、『共同幻想』的な制度として付与された親権者がおしなべて旧世代化してしまう(不適格)などを背景とします。
注:歌舞伎のような世代間ギャップが発生しない「伝統文化の継承世界」との対比で考えるとわかりやすいかと。
勿論「そもそも親世代にメンタル問題がある」という問題も増えてきます(祖母世代と親世代にも『共同幻想』非共有ギャップがあるのですから)。
世代間でその『共同幻想』に共有が無い場合(仮に親世代の行動に現実認知上の齟齬が無くても)子供世代にとって親世代は、なにがしか「意味不明な暴論を吐く強権パワハラ野朗」に映ってしまうからです。
結果として先進国化の中、『共同幻想』崩壊過程の社会にはメンタル問題が多数発現することになります。
まだ昭和世代ぐらいまでは「所謂リベラル派の社会運動」のような次世代の『共同幻想』旗振り役みたいなのが健在でしたから、子供世代も「反抗の方向性」を確認しやすかった。
(変遷って言っても大きなトレンドは次の『共同幻想』への変遷でしたから。)
しかし、時代が『単独者化』のプロセスに入って以降は(所謂個性化の時代)各人バラバラに方向性を自らの知見でゲットしなければなりません(それに応じて莫大な情報発信時代になっている)。
いわば自己責任時代の到来です。
そこに「心理学の知見に触れる機会」も含まれているのですから、
必要に応じて心理学的見解を求めるとか自分で考えるって流れも「先進国では織り込み済み」って話です(よってスクールカウンセラーや職場にカウンセラーみたいな話になった)。
いいも悪いも無く、そういう事に(社会学的変遷が)なっとるのです。
●メンタル問題についての補足としては
前回の説明に以下のくだりがありますよね。
>メンタル問題でやっかいなのは、その目付けが無自覚(無意識)的で、「認識速度的にそっち方面に偏るアレが起動中」を当事者がまったく自覚できない場合にあれこれするんです。
「何故回りの人は気が付いてくれない」「何故わかってくれない」とかね。
↑
ここは『被(こうむる)』の特徴である依存性が出ている様子でもありますが、
つまるところ「私の保護者はどこにいますか」という意味ですよ。
>泣き叫んでいる子供相手に途方に暮れている親の姿なんて日常の風景です。
地下鉄で絶叫している幼児を姿形だけ大人にして職場に出勤させたらどうなります?
>子供の自我は「親権という特権と幼児の権利の法的制限」の枠である意味『共同幻想』的に(端的に言えば通学の除きひとりでは表に出せない人物と)管理されているのであり、
「ひとりじゃダメなんです(依存対象の保護者はどこですか?)」
ところがさ、
メンタル問題に至る原因は主に「親子関係などの幼児期の反抗期の不全」ですよね。
何らかの問題なりが介在している可能性を示唆していて(勿論当人にとって不快な)、
依存性が追体験として過去の不快感をも呼び覚ましてしまう。
人間関係が不快な結果となる関係性を(DV被害者の次の配偶者もDVだったパターンのように)再現し続ける不毛な情動(なんせ当人は無自覚・無意識だから)みたいな事にもなってしまう。
依存性の高い人物ほど「なんだか問題のある人物」にあられもない期待興奮を感じてなんとやらとかね(それがフェチシズム程度のものならなんてことないけども)。
話を『歩留り論』の方に戻しますが、
■先進国化の果てには「所謂給与をもらう仕事をしなくてもいい社会」が標榜されていきますから、前述の「一般的な意味の社会不適応状態でも何ら心理学的な問題は無い」についても社会は織り込み済みの案件となる。→少子高齢化などで労働者人口が少なくなる問題のがもっとスケールの大きな課題ですからね(ぶっちゃけ無理やり社会適応を促す人権侵害まがいの訓練なんとかやらの制度を運営する方が予算も行政コストも大きいんだから)。
更に言えば高度先進国はフリーエコノミーセクターが経済活動全体の中で大変重要になるので(事実上マスメディア機能などを補完・代替していくだけでなく新しい需要や文化の基点にもなる)、旧来の社会適応などを指針にされては現代における経済成長の足を引っ張ることにもなります。
(中段説明に出てくる25%や3割な人も、自信満々に「異端の道」を謳歌する”変人”であればその後の展開は全く別のものになるって話です。この時に「やれ”みんな”と同じに『共同幻想』社会適応しなければ」などとアホみたいな事を考えるのは社会的にも逆効果でしかない場合もアリアリだって事。←確信犯的『共同幻想』再選択なら別だけど。)
すっごく長いシリーズになりましたが、ひとまずここまで。
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