認知のエスカレートを引き起こしかね無い自我リスクとして「深刻な事象が連続するような蓋然性の設定」というところまで話を進めてきました。
そして、それが起きる事例の分析として、ある種の「トラウマ論」としして前回以下説明まで進みました。
↓
当該人物に何らかの事情で「凄く強いストレスとなる不快であった場合」、大事どころかその再現は悪夢でしかないので”非常に強い不安要因”となります。
そこで「不安原則」を考えると→人は耐えられないほどの不安がある場合「対象が確定的な恐怖の方がよりマシ(具体的対処を考えられる)」となりますから、発端となった事象や事件を無理やりにでもストーリー仕立てで解釈してしまう事があります。
その代表例が「私が悪かったから(或いは誰かが極端に悪い人だったから)」のようなものです。
「その原因が何々が何々だったから」というような筋立てです。
■悪循環の解決策を考える場合の鍵は上記の発端箇所における「トラウマ論」です。
さて、唐突ですが原始『共同幻想』のお話をします。
何故って、前述の「その原因が何々が何々だったから」というような筋立て代表例が原始『共同幻想』に見られるからです。
「それは神がお怒りになったからだ」ですよ。
神話における奇跡ネタや大災厄ネタなどが元祖”深刻設定”です。
勿論実際に起きたのは災害や飢饉などの自然現象です。しかしトラウマ論的にその災厄ストレスがおおよそ耐えられない不安となった場合(原始時代には自然科学の概念も無ければ気象庁なんかありませんから)、「対象が確定的な恐怖の方がよりマシ(具体的対処を考えられる)」となり、神話などのストーリー仕立てで無理やり解釈してしまうんだと。←人類の自我固有の特徴のひとつ。
原始時代にはそんな迷信から生贄を捧げてしまうなどトンデモも多数発生しているのでありまして、原始時代のシャーマニズム信仰の「現実との乖離や認知のエスカレート」が現代カルト宗教も真っ青だってのも不思議ではありません。心理学的には論理的に証明な可能な話です。
この原始『共同幻想』の話が個人で言う場合の問題解決の答えを示唆してます。
「当時、自然科学の概念や気象庁があれば(同じスケールの災害があっても)そんなトンデモは起きていない」
トラウマ論そのものに考えるべきポイントがあるんです。
●重要なポイントは実際の災害の水準では”無い”ところです。
極論すると「具体的事実関係や被害実体のスケールには”関係が無い”」。
(ここ心理学の原則「この世にどうでもよくないことなど無い」に被っているところに注目。)
■あえて話を動物行動学に振ります。
自然界の動物と本能による活動に対して、ローレンツ辺りの動物行動学では人類を指して「狂ったサル」などと恣意的に表現する場合がありますが、
ここで問題です、
自然界の動物は前段説明の自然災害などに強い耐性があるでしょうか。
(本能的に避難できるとかそういう話じゃありません。)
ズバリ、自然界の動物にはそんなストレス耐性が「ありません」。自然界の動物がメンタル的なストレスに激しく脆弱である事は、動物園や自然動物保護の逸話でご存知のとおりです。
●「仮にノアの箱舟の伝承が本当であったら?その作戦は失敗したでしょう。何故なら移送時のストレスで保護された動物が全滅するからです。」
(絶滅危惧種動物保護のため麻酔で眠らせて保護地に移送なんて手法ありますが、このような保護活動ではバタバタと失敗例として保護した動物が死亡するのは有名な話。)
大災害があれば、避難時のパニックやその後の環境変化により多数の動植物が死滅していると考えられます。
「神がお怒りだ。」←この設定により人類が当時の自然災害に対してメンタル上の耐性を獲得したと考えると、「人類ヒト科は生き延びるために狂ったのだ」とも言えるかもしれません。
(なんて話をすると、信仰心のある方から神を信じると狂人という意味か?なんてお批判あるかもですが、そういうこと言ってませんから。エジプトの太陽神にあるように古代文明などで発案された自然信仰的な着想は動物行動学上の本能となんの関係も無く、本能という自然界の原理原則から乖離していった事を極論で「狂ったサル」的に表現した話です。アブラハムの宗教伝説にたとえるなら「知恵の味を食べた罪」みたいな部分の話です。)
■そして文明化と『共同幻想』崩壊とは何か?
古代から伝わる様々の『深刻さ設定』の解体に他なりません。
「いやいや、そういうこっちゃなくて、それは自然現象の地震だから。」
「宗教的戒律を守らなくても、各国の保険医療行政の情報を知っている方が公衆衛生としても合理的ですから。」
「現代国家は法治国家であり、推定無罪ですからね。」
(これも極論ですが『共同幻想』の崩壊と社会の『単独者化』変遷は、人類ヒト科が生き延びるために打った大博打社会から、自然界水準の人類ヒト科個別の動機形成に還元していくような話でありまして。)
壮大な『深刻さ設定』の解体に他なりません。
ここまでを踏まえて、個人心理学としての自我の『深刻さ設定』回避を考えると、
鍵となるのはやはり「トラウマ論」なんですよ。
人類の耐性として、現代人であれば「ここも極論ですが、怖いもの無し」の筈なのです。
どっかこっかに必ず「いやいや、それはこうだからで、そうだから(深刻さ設定)じゃないんだよ」の答えはある。
しかし、誰にでも起こりえることですが、
「諸般の事情で、その時凄く切羽詰っていた」「関係他者から強烈な圧力があった」「トラウマ論の事象とは別個に個人的なコンプレックス事項があった」「トラウマ論の事象とは別の背景で当時興奮状態にあった」「快感原則的に欲求不満状態にありトラウマ論の事象が興奮代謝に関連付けられてしまった」などなど、、、。
(その時の諸般の事情を解決するとかの話じゃありません。その時に諸般の事情で無理やり筋立てした『深刻さ設定』みたいなものがあることを発見する事が解決の鍵なのです。)
●結論「その時には無理だった(深刻さ設定もやむを得なかった)」
心理学の有用性ってのは、諸般の事象の発端となるところへ遡る分析が可能ってところに尽きます。
(よく似た学問の経済学が、経済の破綻事例などを遡って発端となった政策やらに辿り着くのと同じような話です。「バブル破綻がえらいことになってしまった原因の発端は”総量規制”だった」みたいな分析です。)
重要なポイントですが、「目先の現在トラブっている個別事例を解決しても何も意味は無い」←この状況を派生させている心理構造が別にあるのであって、そこの始まりに戻って「最初の『深刻さ設定』のネタバレ解体」に至らないと、単なるもぐら叩きに終わるからです。
(これは現在進行系ですが、中国がバブル崩壊で株価暴落の対処として、公的資金でとにかく現在の相場を買い支えたとしても付け焼刃に過ぎないってのは同じ構図。)
認知症で「私の財布を盗んだのね事件」の時に、財布を見つければ解決だろうって話じゃ無いよって事です。
■どこかに、トンチンカンな「きっとこれが大事なことに違いないストーリー」が隠れている。
極論すれば「でっち上げの『深刻さ設定』神話がある」。
そこをやっつけないと、人類が生き延びるための大博打じゃないけれども(この時の本当の狙いは種が滅びるほどの心理的ストレスとなる不安から逃れるためであって)、話の本旨を離れ「(生き延びるための)手段が目的に摩り替わってしまうトンデモ」に至るワケです。
大災害のストレスから逃れ人類が生き延びるためのシャーマニズム信仰がエスカレートして「生贄を捧げる目的のため隣りの種族相手に大虐殺を繰り広げた」みたいな本末転倒の事です。
『深刻さ設定』の定型を守るために奔走してしまい(その典型が『醜形恐怖』などのメンタル問題)、人生の意味が「緊急避難で設定した『深刻さ設定』=迷信解釈的ストーリーの正当性を証明するために生きる」みたいなよれ方をしてしまう。
↑
※この辺の説明はまだまだピントこない方もいそうなので、少し掲載間隔明けますが「更にもう一回補足記事を書く予定」です。
※困った事に、一部の『深刻さ設定』は偶然(宝くじ真っ青の確率で)表現の場が存在し(芸術家やプロスポーツ)、「手段と目的の摩り替わり」が天才の成功物語や大出世物語や偉人伝説みたいな事になっちゃいます。この現象をフロイト心理学では「説明に困って『昇華』なんて呼んじゃって」いますけれど(フロイトはそのまんまの解釈しちゃってますが)、私はここを「昇華論は言うに困ってそういうことにした」程度の話で、内容的には決して褒められた心理状態では無いと考えてます。
(現実との乖離が”世界新記録”っつーことに無理やり合理化されているだけですから。)
スポーツを否定はしませんけれど(笑
「そんなに無理してやらなくても誰も困らないから」ってのは事実ですからね。
『昇華』ネタは割り引いて冷静に捉えておくべきでしょう。
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