むしろ「ナチュボーン」ってのはオンザレール的予定調和な世界でもあるので、個性的という意味とは言い難く、後天的に発現するなんとやらみたいな話の方が実存系になります。
はてさて、この後天的なる部分は何を指すかって話ですが、
生きた時代やら生活上の制限(生まれた土地や国)、自身固有の特徴(障害や才能を含む)などなどが偶然どうなったのかって展開によるのでありまして、ローリングストーンそのものです。
「何かしらないけどこうなった」つー方向性ですよね。
「何だかしらないが旅をしていたらここに来ちゃった」でもいいかもしれません。
勿論この場合、常に右か左かなどの場面場面で「どうでもいい選択」を自立的・主体的に決定してきたことが条件になります。
ですから、
上記の反対は、
「誰かが言うようにこうでなければならない」だったり、
「ここに集うべきと理解し馳せ参じました」になる。
いやいやいやいや、個性的な方向性が「何かしらないけど」じゃまずいだろうってご意見あるかもですが、言葉のあやでありまして(笑
本当に知らないって事ではありません。その都度の選択は勿論『自意識マター』なんですが、『単独者』の場合(いい意味で)馬鹿ですから「さて、どうすっか(まーどうでもいいことだけれど)」な世界で生きておりますからその都度の便宜的選択も(自己責任を担保しているのに)けっこうアバウトなんですよね(どちらでもいいから誰かが決めてもいいの意では無い)右か左か信念や美意識事項でなければ、「どっちでもいいか」的ノリであるとなります、
(その選択の自由は”絶対譲れない”が、選択の結果や事の成否はどうでもいい事と認知される。)
この自分の有様を俯瞰で見たときに「石が転がってあっちにいったみたいな」感触で認知されるって次第であります。
それから「それこそどうでもいいこと」ですが、『個性的』なる言葉は『共同幻想』適応系の人達が『単独者』系人格を発見した時のある意味差別表現(『共同幻想』サイドの差別的表現なので『単独者』サイドから見れば肯定表現)「変わり者」をなにげに肯定的解釈に持っていった時の(彼らの)業界用語のようなもので、『共同幻想』適応系人格その人は『個性的』なる現象がどういうものなのか理解していません。
さて、話は戻りますが、
『単独者』は殊更「何が何かするからこうなる」とか思っていないので(関心事項でも無い)、アホみたいに生きてきたらこの体たらくみたいなのが個性なんですわ。
勿論人格なんてものは狙って持って行くこともできるので狙った方向性も含まれますが、世の中そんな設定みたいに筋書き全部を書けませんので”無数の分岐点”が含まれてきます。
特に想定や狙って重視していない”瑣末な””どうでもいい”分岐点(その時信号が青か赤かのような類の)、そういうところが案外デカイんですよ。
書店で手に取った本が「右が先か左が先か?」←確かに「何系書籍の書棚」までは狙って意識的に進みますが、手に取る本まで決まっていない場合がある。そりゃamazonで指名買いもありますが、この場合も書籍選択をネットでやっている時にどのURLを踏むのかって「上のリンクか下のリンクか」のような「既に狙ったカテゴリーに到着しており、後はどれでもお好きにどうぞ」な場面、こういう局面はどこにでもあります。
↑
ある意味この場面も心理学の「結果論には全く意味が無い」原則と被るんですが、
(同時にこの法則は「賭け理論」でもある。←「賭けの選択には正解が無い」。)
さて、最後の最後、
「蕎麦屋に行こうと決めて到着したが、この店で何を頼もうか」のような「どうでもいい局面(戦術目標である蕎麦屋にはもう到着しており後は”自由に”好きに選べばよい)」、
しかし、
蕎麦屋メニューの制限はあるにせよ、結局最後には何を食べるのかって部分が「どうでもよい」事になってます。
(馴染み店や日常生活事項で、既に「蕎麦屋Xではおろし蕎麦に決めている」のような行動様式は『共同幻想』系になります。「蕎麦屋Xと言えばおろし蕎麦」という権威性(順位性のある)概念が成立しているため。逆に店を決めずに「どこかで今カレーうどんが食べたい」な場合も過去食事例の中から選択されているのですから(自動的にそれ以外の過去食事は下位になるので無意識に順位性が成立する)この行為も『共同幻想』系になります。)
ちょっとわかり難い話になってきましたかね(笑
こう考えた方がわかりやすいかも、
『単独者』になればなるほど「結果や成果に意味が無い度が高まる」ため、
より『単独者』な人ほど(何系ぐらいの狙いはあっても)、最後の最後どうするのかって部分が常に「どうでもいいこと」になるため、「蕎麦屋Xと言えばおろし蕎麦」や「どこかで今カレーうどんが食べたい」のような発想をしません(てかそういう事を思いつかない)。
末尾である結果論に拘りが無いから。
(むしろその場その場の(正解の無い)賭け的選択に”自由”を体感している。)
すると変な事に遭遇する頻度が幾何級数的に高まります。
この辺の選択と分岐の数と確率は数学やっている人のが詳しいでしょう。
ほんの少しの組み合わせでもどえらい数の分岐と選択結果が生まれます。
つまり、誰とも共有しない結果に至る可能性が数学的に証明される。
(私はそっち方面さっぱりですが、ロールプレイングゲームなどのプログラムにおける結果総数がどれだけ派生するのか数学的になんとやらみたいな話です。「そこの分岐がね」みたいな。)
これが個性化って奴の正体です。
注:そもそも末尾の選択肢数が数学的に増殖する根拠が成立していなければ個性化を論理的に証明できない。
俺の記憶に勘違いがなければ、岸田秀の名言に
「この世にどうでもよくないものなどない」があったと思いますが、
(岸田氏の言葉じゃなかったらゴメンなさい→この場合は某人物の名言ってことでお許しください。)
それは『単独者』の極意を表したものなんだろうと思います。
岸田氏は『単独者』の概念云々に触れて説明した事ありませんけどね。
(彼は『共同幻想』社会は容易に変わらないだろうから、いかにその面倒なものと折り合いをつけるのかみたいな方向の論説が多く、そこはそれ彼の生きた時代を考えれば不思議な事でもありません。文明論的長期的視野における崩壊論はともかく、目先の『共同幻想』崩壊社会現象がわかりやすく認知されるようになったのはここ20年ほどの出来事ですから。)
<オマケ>
某アニメの名言に
「あるとしか言えない」というのがあります。
正式には、
「あるとしか言えない」
「あるとしか言えない以上、無いとは言い切れない。」
笑っちゃいけないけど、みごとです。
(このレトリックだと「根拠すら必要ない」って話ですからね。)
「パスカルの賭け」も真っ青かと、、。
馬鹿みたいな事にも無限の可能性を感じさせてくれます。
まだまだ人類には更なる分岐があるのかも知れません。
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