2015年07月21日

イジメ問題の構造

昨今痛ましい事件も続いているようなので、何度か書いているテーマではあるのですがまとめておこうと思います。←大きくイジメ問題なるものを勘違いしている方が多いためです。
(その意思も無いのに悪循環化しても不毛ですからね。)

言っときますが、凄く長文です。悪しからず。

この話にも私が「刑法39条反対」である事関係してきますので、ご存知無い方は以下リンクを事前に参照ください。
「刑法39条が問われる犯罪」について補足”犯罪心理のボーダーライン”
http://kagewari.seesaa.net/article/420975511.html

(趣旨は「イジメ加害者」に免責などを与えないためです。)

■まず大枠から
仮に自殺事件や登校不能、乃至鬱病の発症などが合った場合「それが職場で起きていたらガチに労災適応事案」であり、「パワハラ・セクハラ・過労死などの事案同様に刑事責任問題の可能性が高い」という事です。
支援NPOや支援弁護士の着想と立証にはもう一段の工夫あり得ると思います。
ともすれば話が情緒的にあっちの方に流れ、興味本位な報道が拡散するばかりです。
少なくとも、文部省は「イジメ実行犯」に対し「内申書備考欄へへ致命的内容の記載が可能」ですから即時実行するべきです。そしてブラフとしてネットなどに情報流すべき。
(同時に「オフレコだがイジメ傍観者にも過去アンケートなどに虚偽記載があれば内申書ブラックリストの可能性」もブラフで流すと更に効果的でしょう。)
警察庁は学校側の協力など確認無く、躊躇無くガサ入れすべきだし、
パワハラ・セクハラとイジメ・ストーカー犯罪を同じ部署にまとめて「通報義務」の告知をする。
イジメ実行犯の保護者に対しても「参考人として任意同行」求めるべきでしょう。
今回一部報道されている岩手事件のように教師側に隠蔽の動きがあれば、即効警察は「共同正犯」として指導教諭に任意同行求めるべきです。
(警察権力の介入でもなんでもありません、任意で引っ張るったって嫌疑の有無について話を聞くだけなんだから。)
被害者支援の弁護士は「空振りでも何でもいいので即時裁判所に加害者親の資産差し押さえ請求」に動くべき(ブラフ目的で)。

「暴力団は滅多に事件を犯さない」割と有名な話です。
いきなり現行犯で逮捕されるようなヘマをしない(言うならばグレーゾーンでしのぎを得る)。
威圧はするが実はカタギに対して容易に手は出しません。
その方針が原因となって暴力団が無秩序な素人系犯罪グループに手を焼いているぐらいなんですから。
ちゃんと情報取得した組織は、暴力団ですら「馬鹿か俺」を発動して無茶な事をしません。
そこまで大人の判断できる期待値は無くても、広報で抑止できるものが何件かでもあるなら即時やるべきです。

(※既に事案が発生ないし現在進行形の場合、当事者となるイジメ被害者が特にする事は”無し”です。←詳しくは後述。)

さて、イジメ問題の原則論となりますが
●「事実関係の認識がまるでトンチンカン」なんですよ。
多分それは『共同幻想』への認識がまるでなってないからなのでしょう。
原始時代より『共同幻想』発生最大の合理性は「集落などの安全保障」です。
基本的にその性格は「武力装置」であり、そのモデルとなるのは『自警団』です。
特に「義務教育」は事実上法的に拘束されますから(状況に応じて回避も可能ですが「その法的根拠の事前説明の研修など無しに思いつかない場合」もあるでしょう)、「労災認定される職場環境のパワハラ・セクハラより当事者が追い込まれる背景」は強い。
学校の場合『共同幻想』の負う当事者責任は通常の大人社会より重い(てか現状の義務教育学校制度がもう人権侵害の可能性すらある)。
勿論「義務教育」のモデルは「徴兵制」です。
(と言っても義務教育の運営意図はまるで違うのですから、運営当事者は特に「徴兵制と受け取られないよう留意」必要なんですが、「いきなり司令官(校長)の訓示やら、右向け右前へ進めとかバリバリにやってますからね」しかも軍服を模した制服を”謎の法的根拠による校則”で着用命令出すは、、違反者をどういう法的根拠あるのか罰しようとしたり、、校則は一般の法体系から離れる軍法会議法制なんですか?学校は日教組の人民開放軍少年兵学校じゃありませんよ?朝日新聞も帝国陸軍テイストの高校野球運営主体でその本音が垣間見えてるけど、軍旗みたいな朝日新聞の旗立てて「選手は丸坊主マスト」ってどういう趣味なんですかね。)


流れを見れば明白で、
■「イジメ問題が散見されるのは?」→「小・中・高校に多く」→「職場・ママトモグループなど大人社会にも多い」傾向があり、最もイジメ問題が目立たないのが「大学です」。
ご存知のとおり、大学には事実上クラス(階級)社会運営が”無く”、特定集団の形成が行われません。「限りなく自由参加のイメージ」で運営されてます。
端的に言えば『共同幻想』密度・濃度が低い。
『共同幻想』の原則論で説明しましたけれど、大学は基礎的プライバシーの共有すら行われませんので、講義に参加している他生徒の名前も不明のままです。ある程度なんとなくクラス運営に近い講義に必須科目の語学とかがあったりなかったりする程度(語学は教授や講師が生徒を指名する機会もあるので「名前バレ」することだけでも『共同幻想』発生フラグになる)。
大人社会より大学社会の方がイジメ問題発生確率は低い。
特に注目すべきところは「就職先の会社・組織実態の無いママトモグループ」のようなところでさえイジメ問題が(大人社会になると呼称がパワハラ・セクハラなどになりますが)発生しているところです。←この背景は『家族社会』志向が自動的に『共同幻想』適応志向を呼び込んでしまうため。

その法則性ですが
■当該『共同幻想』社会に何らかのストレスがかかっている場合(主要メンバーの個人的コンプレックスや内部的競争や外部からの圧力や煽りなど)、『共同幻想』の母体は「自警団」ですから、即座に「防衛体制=攻撃態勢」に入ります。
個人心理学にたとえると『共同幻想』社会側の何らかのストレスは当該組織にとって事実上の欲求不満状態や不安と認知されますから、快不快原則により「『興奮』を伴う代謝」があればしのげます。
その『興奮』が再現可能であれば(アル中心理じゃありませんが)「現状の維持が可能」だと認知されます(ポイントは発端となったストレス要因が手付かずである事)。
そして行為が組織化された時点で完全に現実から乖離します。
この組織は解体されない限り、永久に迷惑な存在で在り続ける事になります。
発端となったストレス要因が「組織的なもの」ならまだ可能性ありますが、内的なもので有力メンバー個人の問題が共有化されたものだとしたら、労組じゃあるまいし団体交渉で解決する事案じゃないでしょ。組織の解体無しにストレス要因の原点にも戻れないワケです。
 ↑
つまり、この集団は『興奮』と認識される”トンデモ”な事を「そこにいるだけで常に希求している」組織ですから「集団で違法行為をしてみたり」、イジメ事案のように「誰か何かに攻撃開始する」なり、予め「何かやらかす」事が織り込まれ。組織が解体されるまでやらかし続けます。
それは限りなく「暴力団と同じ、下手したら(抑制もきかず)暴力団以下」の犯罪者予備軍だし、
中高の教育関係者に問いたいのは、更正だの教育だの以前に「確実に卒業生から将来大人になって立派な犯罪者も輩出してるんだから」、、実績として違う方向にも育んでるじゃん。
大人社会で言えばさ、同じマンションや職場に「日本の犯罪発生率と同じ分布で制度的に刑務所に入るべき人材も(少年法により)同居と同僚となることを強要されている社会」が学校なんですぜ?
(イジメ問題統計以前に学校別のOB全員の犯罪発生件数統計でも出してみたら←教育の場がどうしたとあれこれ人権派ぶるのであれば、OBの犯罪についても学校は責任取るって事ですか?)
教師の抵抗もあってそこでは安易に警察も呼べないとか、どんな罰ゲームなんだよ。


話し戻りますが、
■組織的『興奮』追体験にGOが出ている所属メンバーは「誰を・何を攻撃すべきか?権威上位者の命令や当該社会のコンセンサスを求める」状態が恒常化します(「強迫心理が『自意識』にネタバレしない法則」同様に当事者には「なんか面白いことない?」程度にしか認知されない)。
つこく繰り返しますが、その組織を解体しない限り『興奮』を求めるエキセントリックな組織行動は永久にストップしません。戦争がなかなかとめられないのも同じです。
不安やストレスが共有化され『興奮』を求める行動が組織化された時点で、本質的ストレス要因の解決と構造的に乖離しちゃうんだから。
休戦派や終戦派が「裏切り者や弱腰だと」粛清されたりするのと同じです。
勿論の事、現代社会では国際紛争や経済の過当競争を例外に「あからさまな外部的脅威」が『共同幻想』ストレス要因となるケースは少ないと推定されます。
(少年に限って言えば「隣町の不良グループと全面抗争」なんてもう昭和の昔話です。)
現代社会のイジメ事案などにおける『共同幻想』社会のストレスの相当数は”内部的問題”が共有化されたものだと考えられます(発端は内部構成員の個人的問題かもしれない)。
●最近学校内社会の分析などで「上位カースト」なんて呼称が使われ始めてますが、
「学校内の有力グループ(上位カースト)当事者にコンプレックス持ちがいて、個人的にストレス下にある」だとか「進学不安」やらあれこれ、
大人社会であれば「出世競争における上司がコンプレックス持ちだっただとか」「会社他部門との権力闘争」であるとか「ママトモグループで言えば激しい階級闘争意識やら、、」、
時代を反映した「特定個人の内部的事情が共有化される偏向社会」←いかにもありがちな話です。
現代は『共同幻想』崩壊時代ですから、反動で「それっぽい社会を捏造しちゃっているケース」も多々ありですね、、はじまりから無理のある『共同幻想』だと、創立時からいきなりストレスかかってるとかあり得ます。
●私はこういうタイプの社会を『共同幻想崩れ』などと呼んでます。

少年法も含めて、学校などのイジメ事件の場合前述括弧の加害者側の家庭環境などが云々などの話が出てくる場合もありますが「それは普通の刑事裁判における情状酌量部分の話」であって(ここは私が『刑法39条』に反対してる論旨)、立派に被害者を自殺に追い込めるぐらいの成果をあげてるんですから、間違っても免罪などの対応は間違いであり、大人と同様の刑事裁判のが適当でしょう。
(※ちなみに私は殺人事件などの重犯罪は少年法も例外措置で成人同様に裁くべきだと思っています。上記と同様に、そもそも少年法は「戦後の食えない時代の窃盗や不良行為」などに制度的に留意したもので、先進国社会で立派に大人顔負けの殺人犯すような人物は少年なんでしょうか?仮に少年だから更正をって論議も、「大人同様の刑期でお務めして出る方が本人の心理を安定させる」と思います。「裁判を受ける権利」も人権だと思うけど。)


●現代社会の在りようは『共同幻想』崩壊過程にあるので、ベーシックには「気ままに緩めに自由参加の方向で」にありますから、現在の「学校制度は在り方をそのものが間違い」なんですが、改革の速度が下がっている原因のひとつは、イデオロギー的にガチの『共同幻想』志向となる左翼日教組ではあるまいかとすら思います。
(「塾においてイジメ事件」とかあまり聞いた事ありませんよね?)

■被害者側の最も簡単な解決法は「辞める、退会する、絶交する」ことですが、しかし、行動の自由がある大人社会ですら一度『共同幻想』適応の姿勢を見せてしまうと心理的に脱退は難しい(ケジメ取られるじゃないけど)。
しかし、そこはあくまで心理的要因なので「『共同幻想』とは何か?」の理解が先にあれば躊躇無く脱会作戦立案に切り替えて、解決の可能性は高くなります。
(注:新卒入社3年以内に3割退社とか、このあたりに被っているのではないかと、)
メディアや政府は先進国においては『共同幻想』が社会的に崩壊した方が好ましい方向性・法則性にあることを積極的に明示するべきじゃないかと。
残り続ける「確信犯的『共同幻想』には伝統文化など根拠の明快さが求めらる」とかもね、


さて、ここまで読んでも「事実関係の理解を取り違えている人」いらゅしゃるかと思います。
「イジメ問題の解決って「被害者の脱会」だけ?」のような勘違いの事です。
●原則論で考えれば答えは簡単です。
前述のとおりで、イジメ事案などを発現させた『共同幻想』社会の発端となる問題も(彼らにとっての解決も)、まずその『共同幻想』の解体から進めないと始まらないのですから。
・既に事案がエスカレートし”事件化に至った場合”、加害者の刑事訴追や民事訴追は”別問題”です。
そこに至ると刑事・民事事件であって、イジメ問題と呼ぶと加害者の責任を矮小化させるだけです。
「殺人未遂が疑われる事案・事件」ですから警察・検察の仕事です(パワハラ・セクハラが発端なら社会の理解はそうなるでしょ)。
その『共同幻想』社会をどうするのって話は、
学校の仕事でも、加害者の仕事でも、ましてや被害者の仕事ではありません。
後は警察に任せればいいという体制を整えるのが重要(当該『共同幻想』の措置は解体が前提)。
脱出が被害者にとって最も優先される解決案です。

・そこまでの事件化に至らず、現在進行形でイジメが問題化している場合。
被害者サイドの解決は「とっととその場から離脱」できれば即解決です。
当該『共同幻想』社会が内部的にどういう事情だとか被害者には関係ありません。
何が面白くて被害者側が「より善き『共同幻想』の在り方」みたいな事に関わらないといかんの?
被害者側は自動的に教育委員会のメンバーとなる罰ゲームでもあるんでしょうか。

・被害者側が個人的に報復したいと訴える、無いし報復できないことも被害だと訴える場合。
それは論理が破綻してます。人に訴えるような動機では無いからです。
(この場合警察などの対応では不満だとなるので、超法規的、或いは違法性もいとわない報復を主張することになります。)
勿論自主的判断で報復を誓うのは自由ですが(実力行使をしたいなら好きにやればいいのであり)、人に訴えるって事は前述括弧書きの判断では無く正義の主張だと当人思っている事になります。
しかし社会正義などの発明者は『共同幻想』であって、仮に個人でそう思うなら『単独者』の仁義を切るか、自分は更に上位階層の『共同幻想』適応者を自称していることになります。
(大前提として勿論の事、社会正義の概念発明者である『共同幻想』はそこに担保する合理性は組織に共有されているか否かであり、個別具体論的合理性など求めていない。←国や民族が変われば常識や正義の内容も変化する。)
繰り返しますが、自主的判断で報復を誓うのは自由ですが(或いは当該『共同幻想』の解体を主張するのも合理性あります)、警察の対応に任せるような法治国家の段取りに不満があるとか、自分の主張が更に上位の正義であり思うようにならないなら自分は更に被害者だという主張には合理性が無い。

(少年法の観点からそこに不満がある場合、怒りの対象は「そんな法律運営をしている社会なり国家なり」の話に及んでいなければならないし、仮にそこに理解がある場合なら個人的に報復しても自分も少年法で保護されるのだから、少年法自体に批判的な自分がそれを利用して個人的に実力行使することに躊躇があったのなら論理矛盾です。←つまりこの場合も思うような報復ができない事まで自分の被害であると訴える根拠にはならない。)
※この点は後段記載の「ルサンチマン」ケースを参照。

●解決が困難なケースは、
「イジメ被害者が『共同幻想』社会適応を強迫的に志向してしまっている」ケースです。
前述の『共同幻想』内部(イジメる側の)ストレス問題じゃないですが、
こちらのケースは「イジメ被害者当事者が、コンプレックスなどの個人的事情から『共同幻想』適応を強迫的に志向してしまい脱退などの解決策を構造的に”思いつけない”ケース」になります。
これは解決が難しい。
被害者がイジメ問題を隠してしまう可能性も高い。
 ↑↓
更に悪循環化となる鍵は、
イジメ問題を発生させる『共同幻想崩れ』社会は、言うならば「現在の被害者がいなければ、別の被害者を探すだけ」なので(組織解体しなければ止まらない)当該被害者サイドが個別にどうこうしても何も変化しません(極論自分もイジメる側に回るしかない)。
被害者には当該『共同幻想』そのものにダメ出しできる視点が求められるんです。
上記視点があれば、イジメ被害者になったことを恥じるなどの心理状態になりませんから。
ガチンコで対峙すべき相手が明白になるからです。

■力関係の問題、
相対的にイジメ問題は(ここも誤解連発されますが)、
社会分析的に見れば「イジメられる側が、イジメる側社会より相対的に強者である」。
どういうことかって言うと、
「既に攻撃モードにある組織が、敵と認める」ワケだから、相対的に当該『共同幻想』はイジメ被害者を「組織防衛上の脅威」と認定している事になります。「その個人が組織全体の安全を脅かす」と認定しているって事です。
も ち ろ ん 物理的にそんな事は あ り え な い のですが、
社会分析上「イジメられる側が、イジメる側社会より相対的に強者である」のは鉄板の確定事項です。●その確定事項が「イジメる側が『興奮』する心理」を解き明かします。
た と え ば
子供社会においても「最近この服ってこういう風にするワケ?」など無数に無限に情報の刷り合わせ行われおり「普通こうだよね?」などの日常会話で、「この『共同幻想(部隊)』の方向性(なんとか強襲騎兵隊らしさとか)」が決まっており、秘密の共有ネットワークにより『共同幻想』化されます。
この時に、事情を知らない誰かが「(秘密裏に合意形成が進んでいる)打ち合わせと違うアクセサリーをつけてきた」←これ一発で「部隊のイメージにとって大問題」になるんです。
外から見れば些細なポイント、瑣末な問題ですが、
暗黙の了解的世界により、事実上一糸乱れぬ部隊イメージの立案を積極的に進めてきた組織にとっては大問題になります。
(オーケストラ演奏中にひとりが意味不明の「ピー!」ってやるだけで演奏が全て台無しになる法則も同じ。その行為は「努力も技能も必要無いですし、些細な行為レベルでも演奏全体の価値を木っ端微塵に破壊可能」です。)


どういう事か?

「あるグループが新築一戸建ての屋根仕上げの作業を非公式に細部詰めながら進めているとします(非公式なのでグループの存在は”秘密結社”的『共同幻想』)」。
(狙いは「完成後、見事な”なんとか様式”瓦葺完成しましたね」。)
この時に、全く事情を知らない職人さんがヘルプで参加した時に「裏でコンセンサスのある仕様と全然違う瓦を置いたら?」
これ大問題ってか、凄い破壊力なんですよ。
仕事運営しててきた秘密結社は「何年もかけて延々守ってきた伝統のなんとか式瓦葺屋根が台無しじゃないか!」となるでしょ。
 ↓
■「イジメられる側の存在は、確実に組織全体に対して比較強者である」
「今組織は脅威にさらされている、裏切り者は誰だ、スパイは誰だ、私達のやってきた事を台無しにしてしてしまうのは誰か?」
『共同幻想』の側が脆弱でイジメられる側こそ比較強者であるからこそ→上記設定を誰も否定できないのです(誰かのホラ話でも本気で”脅威だ””危機だ”と信じる=風評被害の構造)。
それだけ『共同幻想』ってのは脆弱で、些細な振る舞いだけで容易に大損害を与える事が可能です。
つまり「誰にでも(たいした根拠無しに)イジメ被害者のレッテルを貼れる」って事。

しかし『共同幻想』に対して全く興味も無く、ひたすら帰宅部であるなど個性派や変わり者の方が「イジメ対象に選ばれる確率は下がります」。
理由は実に簡単です。
「イジメとは『共同幻想』内部だけで起きる現象」だからです。
さっきのオーケストラの演奏にたとえると?
演奏会場から遥かに離れた駅前でトンチキな演奏をしても、オーケストラには何一つ脅威となりません。=その人物をイジメ対象に選んでも組織は恐ろしい敵だと認識できないし攻撃しても『興奮』できないのです。

■少し戻って『共同幻想』の脆弱性について考えます。
 ↑↓
勿論事件が起きた学校やら、友人同士のサークルみたいなものに「瓦屋根みたいな実作業はありません」。もっと漠然とした曖昧なイメージ”みたいなもの”がその組織の成果品です。
それが更に”なんとなく共有化されている”程度である。
「曖昧なイメージ程度じゃなんとか様式の瓦屋根と比較にならないのでは?」←いえいえそうならないのが『共同幻想』です(前述の女子のファッションチェックの熱意だってそうでしょう)。
『共同幻想』ってものは超自我が共有化されて成立してますから(道徳など自意識の更に上位概念)、どんな結社であろうと『共同幻想』が成立してるのであれば「それによって当該社会を束ねる権威が成立し、その存在は当該社会にとって正義を体現するんです」、そこを脅かされると『共同幻想』はどんな漠然と曖昧なものでも「道徳などの上位概念を毀損された危機感・被害感」を所属メンバーに感じさせるのです。
(そもそも『共同幻想』なるものが”不快選択”の自己犠牲的要素で成り立っている事を忘れちゃいかん。前記事「『共同幻想』の論理」参照。)

■更に細部の勘違い
これはイジメられる側によくある勘違いですが、
本来は「『共同幻想』とか馬鹿じゃなかろか」の視点が基本知識だというのに、解決困難となるケースは”何らかの事情”で、イジメ被害者側からして『共同幻想』を志向してしまう場合」と前項で説明しましたが、
まず『共同幻想』社会の属性として(イジメと関係無く)極自然にどんな状況があり得るのかって言えばですな。素朴な『共同幻想』ですら少々無理のある典型的な”習性”を持っています。
 ↓
勿論彼らの社会の中で以下はほとんど”正義”であり、民俗学的に言えば伝統や習俗って類のもの。
・「年功序列法の周知徹底のため、新人は雑巾がけから(喜んで)」
・「年功序列法により、上位者既得権保護のため、上位者はあれこれ技法を新人に教えない(教わるのは10年目から)」
・「履歴書や願書を出すなど表向き『共同幻想』選択意思表明(所属の志望)しているのだから、新人は「使い走り」のような命令を「名誉であります!」と喜ぶ姿勢を示さなければならない。(志望動機の意思確認)」
・「組織の実態は秘密結社のようなものなのだから、オフレコで語られる情報の一切を聞き漏らしてはいけない(情報取得のため嘘でも対人関係を構築すること)。」
・「組織の命令は(オフレコであっても)絶対であり、極論すると新人は「YES」以外口を利いてはいけない。」
・「間違っても新人は”付き合い”を断ってはいけない。」
・「時に組織は、組織への忠誠を確認するため”意図的に変なことやおかしなふるまい”を構成人に命じる場合がある。勿論構成員はこれを”祭り”と理解し笑顔で積極的に応じなければならない(あまりにもバカらしい行為の場合飲酒を許可する)。」
 ↑
更にそこが仮に「ダメダメの『共同幻想』社会や、殊更『共同幻想崩れ』なんて社会」だと上記はエスカレートしもっと過剰化された無理のある”掟”が横行します(それでも組織内では”正義”と認知されるのが『共同幻想』の怖いところです)。
しかし、この辺の日常風景は「流石にそれはもうダメだろ」と多数の方々に認知されており、
総じてこれらの社会を「ブラック企業(他ブラック”なんとか”)」などと呼んだりしているんです。
「近寄るな危険、避けましょう」とね。
●社会的にこの辺の問題から完全決別しようって動きが「スローワーク」や「ノマド」などの社会現象だし、音楽業界では昔っから「インディレーベル」として存在してた着想です(演劇界なら「アングラ」)。
一般職業選択論としては、昭和から「とにかく大都会へ(進歩的・リベラル系の期待値が強いため)」と知られていた部分です。


■メンタル問題などが関係し更に解決が困難になるケース
中段でも説明しましたけど、
そもそもメンタル問題の発生原因に「強迫心理」が強く関係するため、
ご存知「強迫心理」とは『共同幻想』適応心理が(幼児期の権威者との問題などで反抗期プルーフを得ていないなど)偏向したまま『自意識』を抑圧しており(自由意志の自己認識も困難)、
『共同幻想』適応を選択しなければならないかの如く強迫的に思っている場合も少なく無い。
(ここまでの説明読めば、この状況がいかに悪循環であるかご理解いただけるかと。)
そもそも目の前の『共同幻想』に対して「反抗的着想」があれば、「ブラックなところはご勘弁」と即座に自分で思いつけますが、メンタル問題発生事情に「反抗期不全」があるように、元から『自意識』抑圧傾向があるのですから、「自分こそ『共同幻想』適応希望者だ」と疑わないだけでなく強硬に主張する場合もあるワケで、
様々な『共同幻想』原則論含むバックグラウンドの説明をしても「ふらふらと『共同幻想』社会に履歴書出してしまう」などの悪循環を繰り返してしまうケースも少なく無いのです。
 ↑↓
●ここの対応策は、地味ですが「バックグラウンドの説明を徹底する事と意思確認を繰り返す」になります。
「その参加意思は本気ですか?目的は何?『共同幻想』の論理は理解していますか?」
何分心理学は「極度の第三者中立機関」でもありますから、
やれこうすべきだなど支持命令的な助言を行いません。あくまでも行動選択は個人の自由意志尊重になります(それも「強迫心理」の切り分けと『自意識』覚醒化作業の一環ですから)。
対応としてはいかに地味でも「バックグラウンドの説明を徹底する事と意思確認を繰り返す」という形になります。
(勿論その後の顛末を分析報告する事はいつでも可能ですから。)

■■■しつこく注記しておきますが、■■■
上記事例は
「強迫心理的動きをなかなか自覚できない(自意識は下位概念として抑圧されている)」
「なんとなくそれが普通だと思うんです(のように一見素朴な動機だと思っている)」
この辺の傾向は「メンタル問題があるからそうなっちゃっている」のであり、
決してそれは『自意識マター』覚醒時の”自分の本音などでは決してありません”。
日常ストレスなどで『自意識』がへたっていたりすると(前述の仕組み全体を頭でわかっていても)、「強迫心理」によって(腕利き営業マンの呼び込みのように)ふらふらついていっちゃう形で、気がついたら悪循環動機形成していたなんて”実によくある事”なので、メンタル問題の可能性意識している方はですね、ここ本当に注意してください。
「不快反復による依存」になると更にやっかいなので、ダメが出た時には必ず「一拍置く式の第三者視点の検証」も忘れちゃいけません。←悪化すると本気で習慣性のある不快(興奮)依存症になります。
構造がわかっていれば、後の顛末時に「やらかした」と自分でもわかる事ですが、未然に防げるものならそっちのがベターに違いないのですから。
 ↓↑
■■またメンタル問題には至っておらず、「むしろ『共同幻想』適応系の中高生」と推定される被害者が自殺に至る事件などの場合(理論的に重大事件に発展するのは同ケースが多い)■■
強迫心理ではありませんが被害者が『共同幻想』適応系であるが故に、
「適応選択するのが普通(クラスの友人関係など誘われたら普通断ってはいけない)」
「先生や親はクラスの上位階層なので(身分違い)、むやみに学生階層同士のイジメ問題などを告白できない(教師や親がいかにも『共同幻想』適応系一般人であるほど言いずらい)」
「全体として社会がヒエラルキー構造である事を共有しており(『共同幻想』適応)、学生クラス(階級)の末端で、社会適応上(人間関係)のトラブル(イジメなど)を抱えると、人生全体に絶望する事にもなり兼ねない」のですよ。
「『共同幻想』適応のあまり、警察を呼ぶことを思いつけない」→身分として市民以前に学生の意識が強い←学校組織が警察権力介入を忌避したり、法律を離れる校則の存在などあたかも生徒には市民の法律が適応されないかのような心理的誤解を与えているし、少年法もあって(逮捕されても即効出てくる)仮に警察に通報しても身の安全が保証されません(自分の正当防衛行動選択には凄くリミッターかかっているのだし)。

報道情報などから推定を超えるものではありませんが、共通する傾向として、
●「それほど確信犯的な『共同幻想』再選択までには至っていない」(推定するに保護者にもその傾向あるかと思います→「所謂大人しい人物の風評」)、もし『共同幻想』が確信犯的選択に近いものなら「それでも○○中学の生徒と言えるのか!」のような責任感から激怒し反抗できるからです(親や教師への連絡だけでなく、正当防衛としての暴力の行使や警察への通報も躊躇しない)。
しかしオンザレールな恭順的(言うならばナチュボーンな)『共同幻想』適応系人格の場合、内面に確たる選択意思決定されたものが無いので、その行動基準も常に「共有化された常識の範囲」を容易に超える事ができません。
イジメ問題などに至っても尚「対応可能な行動の選択肢が常識リミッターかかった状態のまま」になってしまうんです。
(イジメ被害者の背景事情からもイジメ問題が『共同幻想』崩壊時における過渡期の問題である点が見えてきます。)
上記ケース、オンザレールな恭順的(言うならばナチュボーンな)『共同幻想』適応系人格の場合もメンタル問題が介在する場合同様の注意が必要です。
前述の解説見れば、同タイプの人格は「ブラック企業やブラックバイト、セクハラやパワハラに対してもそれに抵抗できる選択肢を制限され続け被害が増大する傾向」があります(ストーカ被害もあり得ます)。
『共同幻想』に社会適応するってことが、行動選択にリミッターがかかり「選択意思決定が曖昧なほど行動に強い制約がかかるんだ」って事は一般生活においても留意しておくべきです。
(この傾向は緊急時の対応も同じです。)
 ↑↓
●何も学生だけの話じゃありません。いい歳した大人でも容易に追い込まれます。
時々報道される販売店や飲食店店員がクレーマー客に土下座させられる事件、
オンザレールな恭順的『共同幻想』社会適応系自我がどれほど抵抗できないのか?
よくわかる事例でしょう。←このような構図が毎日密室で継続するのが「学校におけるイジメ事件」なんです。
「大人社会は刑法違反に至るようなクレーマーは普通に警察が対処し法治国家の名の下に逮捕を含む対処も行われますが」→学校の場合はこれが対処されず同級生となる法的義務があるんですぜ?
しかも加害者側がよっぽどヘマをして仮に逮捕されても少年法で速攻もどってくる可能性すらある。
(被害者心理からしたら「即日釈放されるだろう」と思うでしょう。)
何ですかこれ、中高生は法によって守られない治外法権空間で、死にたくなければ体鍛えて自ら身を守らなければならない戦場だって意味?
(少なからず『共同幻想』と対峙する時には同様の覚悟を必要としますが。)
日教組は「バトルロワイヤル」主催を夢見る組織なのでしょうか。

大人社会の場合でも、仮に伝統500年老舗店舗で同様の土下座事件は起きないでしょう。
仮にそういう顧客がいた場合、末端の店員といえども(老舗ほど確信犯的選択者が多くなるので)安易な土下座対応をしないからです(重い店の看板の一部だとしても自らの確信犯的選択で背負う覚悟がありますから)。その土下座は自分の問題では無く「選択した『共同幻想』の名誉に関わること」なので、老舗店超自我の発動(=超法規発動)対応も選択肢に入ってきます。
ある意味クレーマーはそこも見ていて、所謂確信犯的選択者の少なそうな(従業員もアルバイトかって場合もあり得る)廉価な量販店やファミリーレストランなどで問題を起す場合が目立っている。
そういうところ見てますからね。
(※最近報道が目立っている「ママトモ社会」なんて典型的な「誰も確信犯的選択成しの中途半端な『共同幻想』の典型」であり、創立時から『共同幻想崩れ』であると言い切ってもいいでしょう。ハイリスク社会の典型です。)


■そこから更にこじれるケースが「ルサンチマン」です
「ルサンチマン」とは哲学用語です(wikiなど参照)。
「適わない相手に対し、自らが被害者であると主張することで、常に相手を悪、自分を善だと正当化できる」一種のレトリックです。
これ心理学的にどういう状態かと言えば「論理の固着(なんとかに決まっている)」ですね。
本来的に自我ってものは「宗教信者か、研究された学問上の法則や、自ら選択した信念」でも無い限り、常に概念は新たな情報獲得や新知識によって入れ替え可能でなければなりません(強制される事情は無いし人間は神では無いからです)。
固着があるってのは『共同幻想』の掟に宣誓している場合か(それでも『共同幻想』は場面において多重人格のように使い分けられる。前記事「『共同幻想』の論理」参照)、メンタル問題における「強迫心理」無しに説明ができません。
この状態は事実上の「不快依存」であり(固定化しているのがその証明)、自意識がその都度自ら考えた結論ではありません(入れ替え可能性が担保されていない)。
それは「強迫観念」以外の何者でも無い。

●「ルサンチマン」状況にある時「半ば完全な不快代謝再生産に成功してしまいます」
イジメられる側に回ることも容易です。
さしたる選択意思無く『共同幻想』社会に近づけばいいだけです。
即効前述の「共同幻想の正義に類する事案(使いっぱ扱いだの教えてくれないだの)」による”歓迎”が待っています(これ『共同幻想』サイドから言うとその群れにとって完全な正義で本気で好意の場合すらある)。非常に高い確率で何らかの事案が起きます。
その『共同幻想』への参加意思に特段思うところが無い場合「そりゃ決まって自分にとって不快なことだらけ」ですから100%の確率で「自分の被害」を主張継続が可能です。
この場合「そこにあったのは本当にイジメなのか?」などの確認は難しいのではないかと思われるかもですが、そこの判断は全く重要では”ありません”。
(前半部分の「被害者にとっての解決策」を参照)
どちらが首謀者なのか確認するまでも無く、優先すべきは被害を訴えるサイドを『共同幻想』社会からの脱出・避難させることであり、『共同幻想』の理解や意思確認を徹底することです。
この聞き取りでかなりの確率で問題の切り分けができる。
(また、原則論として現代社会の場合『共同幻想』からの離脱に何ら不利益も無い。←ここにすら被害意識を訴えるのであれば、メンタル問題やルサンチマン状態を想定して確認作業が必要と考えていい。)
 ↓
●筋論から言うと「そんなに苦も無く被害実例に至るような場所に何故行くんですか?」の問いでその矛盾は一発で崩せそうに思われるかもですが、
強迫心理とはそんな簡単なものでは無いのです。
「強迫観念(論議の余地無し、内容入れ替え不可)」が成立しているのですから、
何故自分がそこに参加するべきなのか、立て板に水で次から次、雄弁にその理由が語られる事になります。
地味な対応ですが「バックグラウンドの説明と繰り返しの意思確認」が重要です。
流石に階数を重ねるほどに統計DATAが無理筋を具体的に証明しますから、
その都度「意思確認をしていたか?」が動機の強迫性立証にとって重要になってくるんです。

困った事に、「ルサンチマン」のレトリックにより自分自身に対し揺ぎ無い正当性感情が継続するため(被害者である限り必ず自分が善である)、快不快原則から言うところのえば不快による興奮代謝も継続します(反復フラグ)。
これに対し『共同幻想』参加条件が「極論滅私奉公な自己利益の犠牲的精神」であり、『共同幻想』とはその構造上「道徳を原動力とする”超自我”が共有化されたもの」なのですから当事者にとってそれは疑う余地の無い”正義”です。
両者がガチンコでぶつかる事になります。
結果、「ルサンチマン」状態に対する『共同幻想』側からの嫌悪感は大変大きなものになる(参考「嫌韓」)。

●まず関係悪化の事実関係がどうこう以前に、レフェリー的な第三者が分け入って「ストップ」かけないと悪循環は止まりません。
勿論個人心理学の場合その役割は「『自意識』自分自身です」
技術的には「一拍置く」であり、
技法的には「ノリ突っ込み」であり、
言語的には「(その動機は本当なのか?)馬鹿か俺」によって、ルサンチマン状態すらストップさせる力を持ちます。
(『共同幻想』側はある意味利用されている形になるので、妙に理解を示すようなポーズを取るなって事ですね。さしたる考えも無しに「そうだよね」みたいな無責任な共感ポーズはルサンチマンを悪化させるだけで、ありがた迷惑もいいところです。)


■話を大元に戻しますが、
イジメ問題が事件に及ぶような事案は「もうイジメ問題などと呼ぶべきでは無く」、
自殺に追い込むまでの脅迫・パワハラとして刑事事件として報道するべきで、学校が調査の主体となるのは大間違いですから、即時警察が立件を前提に”捜査”を行うべきです。
実際に自殺被害者が出ている事案であれば、加害者側にどのような家庭環境の問題があろうが(少年法や刑法39条的視点を抜きに)大人の刑事事件同様に扱うべきだし、
しつこいようですが「死者が出ているような事件は(悪質な飲酒運転事案のように)」新たに厳罰化の法整備もするべきでしょう。
警察の捜査無しに真実の究明も難しいと思います。
間違っても学校には捜査権は無いのだから(能力も経験も無い)、調査を学校に任せるなどの判断は救いようの無い大間違い(最も不適任)。
保護者に対する説明も「警察主催の会見」として行うのが筋ってもんだと思いますよ。
(私は「加害者の今後のためにもそれがベターである」と、本気で思ってます。←大人の暴力団的『歩留り』を引き出す可能性もあります。建設的なよりマシ選択じゃないですか?)


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