『共同幻想的音楽』=流行歌だよね。
貴族的『正統派保守系共同幻想音楽』=クラシックだよね。
60年代の反動として派生したロックやポップミュージックは「実験的試行錯誤」であり、
単独者の着想を織り込むまで進化していたのはJAZZです。
しかしJAZZはあまりにも単独者系で(当時母数少ないんだから)食えずに衰退(笑
社会学的背景として事実JAZZは実存主義的思想などが自由だったフランスと日本で流行する事になる(米国はメッカに見えるけれど、ディキシー保守回帰やらホワイトJAZZ的ななんとやらに流れて実存主義的モダンJAZZがメインストリームとは言えなかった。)
ロックやポップミュージックが当時「不良の音楽」と呼ばれたのは正しくてww、所謂民族音楽やクラッシックを頂点とする文化伝統に対し反動的である事がその特徴で、ロック的に実存主義意識したのって言えばサイケデリックだプログレだとなるのだけれど(プログレはまだまだ進化した反動かも)、サイケはJAZZの影響大だったりしたんだな。
構造的にだね、
『共同幻想』系の音楽は起承転結がハッキリしている。
流行歌の構造から言えば、サビはリフレインで連呼されるメインテーマのフレーズでさ、極端に言うと歌の2番と3番の間の間奏は”オマケ”なんだわね。
(※更に日本の流行歌のすっごいところはサビのフレーズが英語でリスナー全員意味わからなかったりしても全然OKだった。←しかも英語的に間違っている歌詞多数もアリアリ。この当時は元が米国モータウンとかのパクリだったからね。)
(※演歌などの場合は「誰でも作曲できる」ぐらいメロディは単純で、コード進行的にも単純であるべき構造にあり、ブルースとかに似ている。←ピーターバラカン氏によると”ブルーズ”が正しいらしいけど。)
(※勿論ロックの世界は、反動だとは言え表向き反抗的音楽だったのでJAZZ同様に間奏におけるギターソロなどに強いエンタメ性を置いている。)
でー、この時モダンJAZZが何と格闘していたかと言うと、、
そもそもモダンJAZZは即興演奏となる「ソロパートの間奏こそが音楽のメイン」であり、テーマはネタ振りに過ぎないので、ビッグバンドのメンバーが夜クラブに集まって「今日はナントカの譜面のコード進行使おうか」なんてノリで、メインのフレーズにはたいした意味が無かった。
ぶっちゃけ曲名などどうでもよかった。即興部分がメインなのでレコード出すにしても同じ楽曲が複数のアルバムで何回やってもまーいい訳だ(ソロパートが違うんだから)。
事の始まりはビッグバンドの演奏構造で、これクラシックを模倣して「ソリスト」がいるわけよね。しかしメインフレーズをリードするソリストというより、”合いの手上手な役割”みたいな存在だったので(ビックバンドは基本ダンスミュージックだから)、ソリストではあるけどソロとして完全な即興演奏が可能だったワケじゃない。←なんチャラバンドなんて名前の当人が指揮者なんだし、
白人相手のバンドマン達が、演奏終わってストレス解消に自由な演奏を求めてっててな調子でモダンJAZZに発展しいき、、
そして挙句の果てに「コード進行からの開放」を目指した。
ぶっちゃけテーマとなっているフレーズすら邪魔になり「なんとかならんのか」と試行錯誤を続け、フリーJAZZに至ってやりすぎて誰にも理解できない音楽になり(笑、いまや伝統回帰的皮肉な状況にあるとも言える。
それはともかく。
JAZZの醍醐味のひとつは「無理ありすぎな即興演奏のソロパートの後、絶妙にテーマのコード進行に戻ってくる」というものがありまして。
前述のとおり、そのテーマとなるフレーズは「ぶっちゃけネタ振りなのでなんでもいい」のですが(流行歌にような意味のサビでは無い)、「あたかも平易でどうでもいい日常に戻る」ところが妙味のひとつでもあります。ある意味「大暴れしたフリーパートの自己責任選択の連発の後」ある意味その結論は投げっぱなしで戻ってくるとね(笑
「リスクのある選択の連続そのものに意味があり、音楽としての結果などどーでもいいことだ」を実践し且つ反動形成を由とせず元の日常に戻るわけですよ。極論実験的選択をあっさり捨ててしまうのです。結果などに全く意味が無いのだよと笑うように。
いかんせんワケのわからない音楽スレスレなので(ここは「わかりやすい言葉の罠・難解な表現論」に通じるものかと)、この音楽が余裕で食えるほど繁栄することも無く、衰退の一歩をたどるわけです。
ようやく時代が追いついて『単独者』が増加傾向にあるとは言え、
勝手な解釈や意味不明な趣味性の人に個性化・分散化しますので、だからと言ってモダンJAZZの時代が再来することもありません(笑
60年代からそこそこ食えた時にも流行したのは「皮肉にも軽妙なメインテーマ部分のつまみ食い」であり、演奏の本番たる即興ソロパートではありませんでした(ここは音大系の人じゃないと鼻歌などで再現できない=テーマ部分じゃないとCM音楽にも乗らない)。意味はとにもかくにも(もっぱらロック的ウッドストックというか)その時代には社会が反動的に実存主義的思想の流行があったからで、その趣旨を理解していたとは言い難い時代だったのです。
考えてみればJAZZにおける無茶なソロパートも「昇華を賭けた反動形成ギャンブル」であるからこそ芸術だったのですが、論理的には「所詮反動形成」でもあるので(そんな事言うと芸術論的に身も蓋もないのですが、、)現代音楽がなんだかんだとミニマルになっていったり、逆にジャンルとして確定し様々な保守的回帰が模索されたり、事実流通単価は恐ろしく低下傾向にあり現代ではミュージシャン=本当の一部しか食えないって時代に突入しつつあります(マルチに芸能人として食いつなシノギが無いと生活できない)。
ですから現代社会の経済学は「ベーシックインカム」がキャッチーなんですよ。
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