フロイド心理学唯一の勘違いとも言える「死の衝動」関連とも少し被るか、、な側面もあるので書き残しておこうと思う。
ネタ元は「刑事ドラマの構造」です。
ドラマが視聴者にとってひとつの完結性(これが不足する状態を不安性と定義してみる)を認識させているのは「不慮の死を遂げた被害者の物語性に”結”を与える乃至それによりサルベージされる”ある種”の完結性があるから」と見ることができる。
つまり「なにがかくかくしじかあってそれは”こういうことだった”」という結論というか”結”だよね。それは単純な完結性とは違い、この概念ってのは実のところ「宗教性権威主義的『共同幻想』が無意識的に暗示されている」と考える(そもそも往年の刑事ドラマの主人公は道徳家だったり哲学的に思慮深い人物設定だったりする)。
「最後の審判」は大袈裟だが「人生のの報告性(どのように語ればいいのか的な)」とでも言うのかな、或いは説明責任でもいいかもしんない(こちらも権威性を背景にするよね「説明責任と自己責任は場合によっちゃ相容れない概念だし」)。
話の発端を分析してみるとだ、「非業の死」が非業である部分を単純に「快感獲得の量的喪失を哀れに思う」だけだとした場合、刑事ドラマでその唐突に終わった人生の後を刑事が引きついで何かの解を得る構造を見ても視聴者はそれこそ単純な完結性を得られない。
仮に後者であれば、「喪失した快感量の弁済なり賠償なり」が中心にならなければ意味が無いからだ。
しかし刑事ドラマの構造は「こういうことだったのだ(その最大の要件が犯人の逮捕)、」とそこで解というか結が語られるところにある。←しかも「なんつーか被害者の人生が語られるのでは”無く”もっぱら犯人が誰でその動機が何か」が焦点になっている。
この”結”なるものは、前述までの説明にあるとおり”語られてナンボ”の構造となる以上「それを誰に語る想定になってんの?」と考えるわけだ。いきなりそこに神の定義が登場することは無いのだけれど、仮にそれが友人であろうとなんらかの評価や評論みたいなところに乗っかるから意味が成立するのであって、物言わぬ故人が個人的に使い道ってか用途の無いものだろう。
(●なんての?犯人が誰かの方に重要性が高いってのは「それがわからないと愚痴も言えんだろうが」のような「非業に対する完結性」になっているよね。←勿論死は受動的だから「普遍的にその構造は被っている」という側面もあるかもしんない。)
でー、この刑事ドラマにおいて(視聴者からがそうなんだが)非業だと騒いでいるのは当人では無く、その周辺なのね。つまり生存者にとって関心事項になっているとこがキモ、
ぐるーっと回ってその意味を考えるとだよ?
「どういう結があるのか?」これが現在進行中のモチベーションなり動機形成のコアになっていると言い換えられる(ある意味刑事ドラマの被害者の非業感は主人公の刑事と視聴者が感情移入により代弁していく形式になる)、関連性だけで言えば「結=死」なんだから、AIやロボットSFやら古くはブレードランナーでも語られた「人は死ぬからほにゃららな価値を得る」みたいな発想だよね。
(※意味わかり難いね、、刑事ドラマにおいて「普遍的とも言える死そのものを非合理だ」のように認識する視点は無いのさ。なんらかの結があれば死という非合理性は余裕で合理化されるぐらい「語られる形式」が重要になっている。これは逆説的に生の概念がその説明性というかなんらかの結により合理的に成立しとると→動機形成のコアになっとるよね。つー事。)
大雑把に言えば「死があるから生がなんとかだ」という発想。
(ここだけ引っ張るとよくあるチープななんとか論みたいで実につまらないのだが、故に『共同幻想』ドラマだよねを暗示もしている。)
ここで冒頭に戻るんだが、この発想には「宗教性権威主義的『共同幻想』が無意識的に暗示されている」のですよ(ぶっちゃけわかりやすい設定なら主人公の刑事は正義の味方なんだから)。←更にその元ネタは「死の不安(非合理性)」から逃れるための概念なんだろうねと(一種の反動形成込みで)、
つまり”ある種”の完結性によりそこが合理化され得るんだよと、
更に真っ逆さまにすると「死の不安が身近だとやたらに『共同幻想』的評価なり評論なり、自分の人生の意味なんてな空理空論が大いに盛り上がる」って事になる。
(※実際の話メンタル問題において「鬱ネタが欠乏した時に、唐突というかいきなり死について語りだしたり、それに類することをやたらと話だしたり」って現象があるし、自殺衝動も関連事項だろう。←前述の逆さまをもう一度逆にしたパターンだよね。)
これに対して「実存主義型の『単独者』」は”結”とかに全く無関心になります。
「『単独者』は刑事ドラマを全く楽しめない」ワケじゃないけどさ(笑
(ネタが知能犯の場合には少なからず犯人に感情移入することが多いかもしれない。←もう随分昔になるけれど古畑任三郎や更にその元ネタである刑事コロンボがこの形式をモチーフにしている。演出上主人公の刑事は滅多に正義感や道徳性を表に出さない。)
少なからず、勧善懲悪的水戸黄門のような世界を『単独者』が倦厭する傾向あるのは事実でしょう(水戸黄門は刑事ドラマじゃないけどさ)。
フランスにおけるフィルムノワールじゃないけれど、実存主義的なんとやらが盛んになると犯罪者視点のあれやこれやとなるのであって、これサブカル的風刺視点なんだろうね。
ご存知のとおり『単独者』は結果に依存せず選択過程それ自体が全てなので(今その自由意志で何を選択する者か?)、結論については「後日談」的意味でしかない。←物語構造としちゃその結論なんてスピンオフ程度の意味でしかないつー在り方。
(※話の落ちや複線の回収に失敗して困った時の最終回ネタ「俺たちの戦いはこれからだ」になっちゃうパターンは言い方変えると『単独者』的まとめ方とも言えるかもで、乗りとしてはロードムービーみたいな?落としかたとなる。)
■さて、ここでいきなり貴族の人生だとか文化伝統の永劫回帰みたいな話を持ち出します。
資産家のみなさんに自由があるかと聞かれれば、ガチの『共同幻想』当事者・継承者なので(少なくとも資産の相続受けなけりゃ資産家じゃないのだから)「結の不安」があたかも最大化しそうですが、実はその反対なのです。貴族の場合ですがその人生が「永遠に続く中間管理職」となりますから(子孫に資産を相続するのが最大業務なんで)、”結”が無限に先送りされているんですね。
その責任も中間・間接的なものになりますので、「お家断絶」さえ回避できれば当事者故人に過剰なストレスはかかりません。←逆に貴族社会ドラマは「お家断絶系・跡目争い・後継者がいないネタ」で設定されるワケです(貴族や資産家の場合その設定じゃなけりゃ「”結”・死の不安」の定義にならないため)。
(※あんまし突っ込まないけど、この貴族階級に教会権力がくっつくとフロイド先生じゃないけれど、特定の出方というか無理が出やすいなんとやらもあるのです。←後述と被せると、これが欧州宗教改革世俗化やフランス革命の発端と見ることもギリギリできるかな?)
つまり世界的にWWU後に台頭した「中産階級」にそのストレスは最大化しちゃうのね。
これがその後の先進国社会におけるかなり重要な『共同幻想』崩壊原因のひとつになっているのではなかろうかって考え方もアリなんじゃん?
(ぶっちゃけ社会学的な『単独者化論』はこれらの問題の回避策として社会的に代替されて行く構造の説明なんでしょう。経済学とか社会力学的にさ、)
中産階級にとって、無いところから中産階級の台頭するところまでは「わかりやすい立身出世の大バーゲン」みたいなエンタメ性や”結”性が高度成長により広範に保証されるのでそのストレスを吸収するが(この成れの果てがバブルでニーチェおじさんが嫌悪したものだよね)、新階級が成立しちゃった以降の世代は(具体的な権威性も正統性も文化伝統も無いときたもんだなので)デッチ上げ物語の興醒め状況になり、途端に「自分探しの旅(新・反抗期とでも呼べばいいのか)」が始まる。
(米国で言えば60年代つーか、)
中世から近代まで社会的に『共同幻想』が大安売りで全盛期となれば、あたかも「”結”にまつわるなんとやら」があたかも人間の自我にとって普遍的なテーマに見えてしまうのだけれど(完全懲悪刑事ドラマが視聴率50%越え)、
そこのバックグラウンドは産業革命に始まる文明化の大躍進なので(大規模な富の分配が可能になったから)、意図されたものというより現象としてそうなってくると見た方がいいと思うのね(勿論そこのトリガーに宗教改革的な世俗派の台頭が噛んでるんだけれどさ)。
とかんがえると、『単独者』なんて概念もナチュボーンってかさ(60年代的に言えば”転がる石”ですか)、それこそ「社会学的になるほどそういう事だったのかとしての”結”みたいに、この話に噛んでいるんだろうとな」考える。←なものだから、あたかも『単独者』論に正当性みたいな話をくっけるとズレた話になります。
(そもそもが文明化なんてのも「社会的死の不安を背景にした反動形成だ」とも言えるからね。)
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