「やっぱりここがこうだからダメだ」
こう来るときには、だいたい論点がずれている事が少なくありません。
或いはこじ付けや無理のある言い訳っぽいとか。
事実認定の問題を言っているのではありません。
前提となる枠組みが無ければ発見できない些末なポイントだったりするからです。
何の話かと言えば、
「やっぱりここがこうだからダメだ」などという結論に至る場合、経緯として「それ以前にこれもありか」などの期待値である程度話というか現実の展開が進んでいなければなりません(ある程度大きな枠組みでは肯定される雰囲気の中で「話がいっちゃった先の後日談」として成立している)。
などのようにですね、あれこれするなかで後出しじゃんけんみたいに「やっぱりこうだ」という結論が導き出されるからです。
(本筋漠然とした大枠の肯定があるならば、その話全体の文脈には自分も当事者として参加しとるという事はいつの間にかすっ飛んでいる。)
仮にそのポイントが些末では無くって、大枠がらみの重要事項である場合どうでしょう。
だとするなら、事が進む前に「それはかくかくしかじかダメなので論外だ」となっていなければならないからです。
※「あれこれあったが”やっぱり”何々が」に至る以前に結論が出る筈という意味です。「いやいやいやいや”やっぱりそうか”じゃないだろうよ」とね。
典型的な鏡像論つーか、
(そもそも鏡像論とかよくわかっている訳じゃ無いんですけどねww)
端的に言うならば「”やっぱり”の言葉の後にその原因とされる事項ってのは(それが些末である事は前述で論証済み)」媒介だとか媒体に過ぎないんですよ。
何の?って根本的に挙げられた事象のほうでは無く、自分自身に起因する”何”が投影されたものだって事です。「或いはその事象が触媒となって呼び覚まされた」みたいな。
(そのストレス信号により)→「やっぱりなんとかだ」となる構造。
勿論明白な選択ミスや失敗の場合にも似た言葉になりますが、この場合は「やっぱりダメかあーあ失敗した」と殊更「ここがこうだから」などの説明を必要としません(ドジ踏んだ自分が主人公の語りになる)。
冒頭の説明同様に大前提に関わる”自分の”判断ミスに気が付いたとなる訳です。
「しょっぱなからこりゃ論外だったのか」などなど。
よく会話の流れの感想などで言うじゃないですが、
「細かい事をネチネチと」なんてね。
多分、同様の会話にも同じ構造が発生しているんだろうと思います。
一刀両断に大枠の決断はしておらず、総論賛成各論(些末)反対手法で総論をネガティブに否定する。
↑
なんか言語としておかしくないかのご意見あるかもしれませんが、
いえいえい上記でいいのです。
ワザとそういう風に書きました。
「否定はネガティブなんだから二重否定になってないか?」
ところが、
違うんですよ。
実は総論賛成各論反対の手法を使っている時点で「実は総論賛成には違いが無い」のです。あたかも残念だみたいな?ネガティブな印象付け?みたいな流れで「やむなくこれは否定せざるを得ない」形の流れになっている。
あたかも「大枠を否定しているつもは無い、私が否定されたのだ」みたいにね。
(注:この時点で構造論的に『被(こうむる)』になってしまうレトリックが成立している。)
■はてさて、この何言ってるのかよくわからないやんごとなき事態はどういう心理状態から派生するのか。
『自意識マター』として自己責任担保で大きな決定なり決断をしたくない・或いはそれが抑圧構造で否定されており、常に物事の結論は「やむを得なく」みたいなパッシブ構造(『被(こうむる)』)のスタンスになってしまっているのだろうと。
「やれネガティブシンキングだポジティブなんとかだ」なんてーのが眉唾なのは論じるまでも無い事なんですが、言わんとしている事は「ネガティブな印象付け?」みたいな話の流れには「まったく根拠も無ければ何の理由付けにもなっていない」という事です。
極端に言えば「その総論賛成の部分が一番怪しい、大問題であるかのように語られている事実関係こそ些末な論議である、事実関係を云々しているのでは無くそのポイントが些末な事項である事をもってその論議全体はあたかもいいがかりみなものをキッカケとした『被(こうむる)』構造発動のトリガーとなっている」。
(間違ってもポジティブなんとかにすればいいなんて話ではありませんww)
さてそうするとですよ?
形式上「総論賛成」となっている部分。これは『自意識マター』として自己責任担保で選択されたものでは”無い”可能性あがある。
そのまんまです、
「そっからして強迫心理なのでは?」って話ですよ。
つまり「やっぱりここがこうだからダメだ」なんて論議の先に「どうしてなんだ」とその各論があたかも些末な問題では無く「本質的原因なのか」のような応対をすると、そこはレトリックにひっかかってしまっているのであり話がややこやしくなるだけです。
(仮に強迫心理に意思があるのだとしたら「思う壺」でしょう。)
やっかいな事は、「総論賛成」の部分が明示されていなかったりする点で、
場合によっては逆論証によりその総論賛成の部分をひっぱってこなくちゃいけない。
だいたいのケースではその「総論賛成」の部分を説明すると(こういう部分が無意識に選択されているワケだがみたいに)「この結論に全く関係の無い事だ」なーんて展開になるんですね(笑
そりゃそうです、そうでなけりゃ自意識バレして強迫心理は生存できません。
(※基本的に強迫心理が無意識下で自我を追い込んだりできるのは「自意識にネタバレしていないから」であり、バレてしまえば無意識どころか自意識論議になるので効力を失う。)
これって強迫心理が構成されているのだろうか?などと自問自答する時、
逆説的に言うならば、
「そんな事を思いつけないようにしている構造そのもの」が抑圧を成功せしめているなんとやらだつー話なのであり、滅多な事では自分で思いつけません(心理学の知見が別途あれば例外ですが)。
無意識関係の話がめんどくさい事になる背景には、そう簡単には自分でそうなのかと気が付けないし、それを説明されても興奮して全面否定してしまうケースが多々あるって事です。
通常心理学の知見の無い人なら、この辺のやりとりで「投げ出したくなる」のが普通です。
そりゃそうです、ぶっちゃけ「日本語が通じない」ぐらいに感じますからね。
しかし、
ここを突破する事において「何か特別便利な方法」などありません。
心理学の知見などがあり「そのバックグラウンドがわかっている」のであれば、
「そこで投げたらあんたもレトリックに飲まれたも同じだろ」を念頭にですね(笑
暴言飛び交う中、そこはこうなってますよをひたすら説明し続けるって事です。
何より、説明の論証なりは鉄板で進められるのですから迷うところはどこにも無いのですからね。
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