『歩留り論』を考える上で重要な部分となるのは「アイデェンティティーを語る上で重要となる個性の問題」でもある。
そこは『共同幻想』論で考えるとわかりやすい。
自分という人格がオリジナルなものだと考える場合、たとえば自我の拠り所を「なんとか祭り」を中心にした地域保守伝統の『共同幻想』とした場合、そこは「人格の類似性」として観測できる。
いわば「○○人(地域名称)らしいね」と呼ばれる事は本人にとって大歓迎で自慢にもなるのであるが、その「○○人」に集約且つ共有されている人格はオリジナルというより「そもモデル人格との適合性」なのだから、同一『共同幻想』適応者間においては類似性となるため、この場合そこにどういうオリジナルを自分固有の部分として認識できるだろうかって話になるんです。
この場合もっぱらの拠り所は相対論では無く、自分を自分として自覚している「主体感覚論」的な今しゃべっている自我本人は(やれ発言内容が他者と多数の類似性があろうと)自分以外には存在しないのだし、その当人が「○○人」である自分を「誇るべき自分らしさ」と感じているのだから、本当の自分というような実存は合理的に担保されている、つー話になります。
しかし現象論だけで言えば、その人格のオリジナル性は個人の自由という枠組みの中で拡大していかないのだから相対論で考えた場合、その人格の実存性の希薄さというか実存率は「個として低いが合理的選択として社会単位の状況では濃く厚い」なる、別の意味の相対論で実存性が担保される。
(『共同幻想』特有の実存方法であり、個性的社会への帰属性・共通類似性が社会の実存性の高さと交換条件にして個としての実存は薄くてよい、みたいな形になる訳です。「君は典型的な(誰々個人のオリジナル性云々では無く)アメリカ人だね」←みたいな話。)
さて、この時メンタル問題や心理学的問題がある場合のやっかいなところは、
心理的問題の構造が同じタイプだと、『共同幻想』適応以上に「驚くほど発言内容が類似する」事が多数あることで(勿論これは主体性が後退しているため)、
勿論本人にはその自覚が無いのだけれど、臨床系が「なんとか病」みたいにそれを類型化分類したくなる気持ちもわからないでは無い部分が多々あるのです。
『共同幻想』適応以上に「驚くほど発言内容が類似する」状況に直面すると、流石に「随分そこのポイントを感情的に訴えたいという気持ちは察しますが(オリジナルどころかすっごく○○人格構造でおきる典型的な発言なので)」「うーんその発言はナントカ構造特有のものなのだから、おおよそあなた個人の気持ちなどと呼ぶことは非常にナントカなものなんですよ。」となってくるんです。
『歩留り論』をそれも個性だしアイデェンティティーとする事も可能だって話をあまりに容易に語ってはいけないのであり、
常にこの点説明してきたところですが、
「その自覚があり、それがどういうことか『自意識マター』で(自意識後退する事無く)選択された自己責任が担保された場合」となるんです。
前述の『共同幻想』論で言えば、本人が「アメリカ人らしさ」ってものを予めイメージしており、そこに選択としての自己責任が担保されるからこそ、合理性が発現するのであって「個としてのオリジナル性が後退しても所属社会の実存性が高ければ望むところだ」という”個性的選択”が結果として生じているって話になる。
なので、メンタル問題などにおける『歩留り論』は事実関係などの否定に基づくものであってはならない。
(所謂幻想を現実だと言い張るのでは無く、そのイメージを象徴的・或いは抽象的な現実として認識している自覚が無ければ、後退する事なく自意識マターを保持する事が’できない。)、
つまり理解の段階でこれを否定するような反動なり抵抗が発生している場合、
自我環境的に『歩留りの条件』を満たしているとは言い難く、
『歩留り論』の重要性は、何か殊更こういう状況なり人格にならなければならいだとかこういうスキルを身に着けなければならないなど、あたかもメンタル問題からの離脱に高いハードルがあるかのような設定を否定するところにある訳です。
「頭でわかっていても何にも意味が無い」←こういう発言を否定するため。
極論(そりゃもちろん自我問題なのだから)「話はロジックの問題なんだから、頭でわかっていりゃ全部解決なのだ」←こっちが心理学的狙いなのであり、
心理学はそもそも問題解消後の「そこから先の選択」を何ら明示も示唆もしないので(確認しているのは「自意識の抑圧や後退が発生していないか」「強迫では無く、自意識が好き勝手にそれを選択しているか」だけ)、心理学の関与そのものが『歩留り的だ』と考える事もできる。
この辺『歩留り論』の話は誤解される事も多いので、
慎重な説明が求めらるのは確かだろうと思う。
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