言ってみればそこはサイドストーリーだからね(表現に慎重さ必要だと思うけれど”事後”の部分に注目するあまり全体としてそれが何だったのかってところを見落としてはいけない)、
(文化人類学的に言えばさ、未開な首狩り族とかどうすりゃいいのさ、←ここに鍵がある。)
■大前提として私個人が「刑法39条に反対である」事を明言しておく。
「刑法39条は憲法違反」だと思っています。
犯罪の行為の当事者能力や責任を認めずに減刑や無罪にする事は、当事者に対する人権侵害となるからです(よくも悪くも刑法は結果責任に応じて適応されることで公平性が保たれると考える)。
権利保護のためそのまんま重罪を課していいんです(所謂情状酌量とポイントが全然違うから)。
論議はいろいろあるだろうけれどこの国は法治国家なんだから。
法治国家の合意が民主主義として選択されてんだから、法治が適応される”権利”というのは憲法により何人にも公平に付与されていると考えるのが筋論です。
犯罪や(戦時で言えば国際法やジュネーブ協定違反)エキセントリックな行動選択のボーダーというのは「確実に選択局面で何らかの自覚がある」のであり(エキセントリックな行動が日常化していればそれ以前に周囲の対処やこれに応じた当事者自覚の機会がある)、事件の詳細はここに書かないが過去の某残虐事件においても「このままではそういう事が起きる危機感」を当人が自覚していた証言が残っていたりする。
当人にとってそのストーリーがどういうものであるのかと、外形的事実には何ら関係が無いのであってだね「そのボーダーを超える局面はメンタル問題と関係が無い」って事。
(ストーリーの部分は動機説明の附則的扱いで記載すれば十分だと考える←某有名な死刑判決めぐって最高裁までいった事例もそうだったでしょう。)
必ず(判断された内容の軽重はともかく)その局面に自意識は何らかの関与してます。
逆に言えば「当事者責任の問えない(行為の著作権を主張できない)行動など無い」。
あれですか?
人権派の法曹界ってところは、仮にメンタル問題のある個人が目を見張る善行を行って社会に賞賛されても、当事者能力を欠くので賞賛するのは間違いだとでも言うのでしょうか?
(それこそ『平均への回帰の錯誤』だろうに、)
http://kagewari.seesaa.net/article/402882982.html
結果がどのような行為であっても、当事者責任能力(行為の著作権)が無いなど発言すべきじゃない。それは人権侵害だと言っておく。
困った事に、ここにも前回エントリーで触れた『平均への回帰の錯誤』が観察者の側に発生しており、結果からどうにもこうにも動機を特定したいと拘るあまり、結果に依存する形の症例があたかも実存伴って固有に存在するかのような錯覚を観察者に引き起こしている。←これさ間違いだからね。
■難しく考える必要はどこにも無いんですよ。
残額行為に相当する殺人は日本の場合死刑です。そこに(果たしてどれだけ精度があるのかわからない)精神鑑定やら意味不明の介入をするからワケがらからなくなるのですよ。
(心理学やっている人間から言わせてもらうけれど、この精神鑑定なる代物に精度というかさっぱり意味があると思えない。)
わかりやすく言えば、一般人においても特定の状況において残虐行為が発現する場合があるのと同様にメンタル問題のある個人においてもそれは同じ確率で発生するのであり、同時に自意識が抑圧される傾向にあるメンタル問題のある個人の方が犯罪発生確率は”概念上低い”と考えられる。
(今回の事件も犯人は表面上社会的エリート階層の世界に優等生的に適応しているんだから。精神科への通院も親権者がって考えるのが確率高いし、この状況をもってメンタル問題云々な人物と判断する事自体どうかと思う。←そんぐらい『共同幻想』適応人格ってのは怪しいものであって、、、まーねマスコミは殊更の異常者扱いして自分は安全なところにいる事を確認したい気持ちはわかるけどさ。言っとくけど、この狂気はむしろ「社会適応人格」にとって背中合わせのものだから。『共同幻想』そのものがとても危うい”幻想”である事を忘れてもらっちゃ困る。『共同幻想』は「強迫心理」の元ネタだぜ?)
さて、各報道でトンチンカンな分析が随分と出ているけれど、
(勿論こういう問題はサツ回りの記者に対するリーク情報に限られるので、裁判になってからじゃないと全体像がわからない。←裁判になると膨大な情報が出てくるんです。)
■ネコ飼いの立場から言わせてもらうけどね、
「ネコを平然と殺すような奴は誰であろうともう危ない」んだから。
この時どこの機関でもいいけどさ、状況と関係無くボッコボコにしてやらないと世の均衡というか現実を獲得できんのだよ。
それほど現実ってのは希薄な人には希薄なもので、重く感じる人でも勘違いしている人が大変多くて、皆さん感じているほどそのまんまに現実は強固じゃないんです(それこそ『唯幻論』ってぐらいなもので)。
法治国家ってシステムはその周知なりの基準を法令によって(ある意味有無を言わさず的に)定めてしまうって事なんだから、憲法に従って刑法を修正しなさい。
(それから先進国においては軽犯罪を例外に少年法も不要です。何故に戦後の焼け野原の飢餓からくる食い逃げのための情状酌量条項を残しているんだか、、)
■たとえばさ、こしゃまっくれた子供が時々大人をからかう時に使う代表的なパラドックスがあるけれど、
「人間は何故人を殺してはいけないんですか?」
このパラドックスの答えは簡単で(パラドックに対して答えもクソも無いけどさ)、
「仮にお前がそういう人間なのであれば、殺される前に正当防衛として俺が今ここでお前を殺す」
つまり、その人間は生存できないのだから(多数決的にあなたが生きてこの場に参加しているとするならば生物普遍の法則として生存を肯定していることになるので)「正当防衛で殺される事は(自らの生存を肯定しているあなたにとって)悪い事」になるんだろう。
(※大きな声で子供に対して言うべき事じゃないが、倫理的に人殺しがいけないのか?と聞かれれば戦争について語らざるを得ないのであり、そっちにのまれると答えに窮するワケで、この問いの回答として適当なのは→殺しがいけないののは「そういう事を平気で言う危険分子は真っ先に正当防衛で殺されるからだ」という話に帰結する。仮にさこの時問いを投げかけた子供が「さてどうかな君に僕が容易に倒されると思うのかな?」などと切り返してきたら「そりゃ大物だ」って事になり、この時の解決方法は?「決闘」ですわね?=それは自然界における究極の法則に戻るって事です。←この話は「直接対決で設定として子供より強い大人が対峙している」から成立しているのであり、この場の権威性認知をご存じ無いのかよ?って話に収斂されない限りオチに繋がらない。「そこに錯誤があったら?」収拾つかなくなるよね。)
話は戻るけれど、
ある意味この辺は司直にとって「動機の立証」が困難であるためワケわからない事になってきたんでしょう。
フロイド心理学ぐらい読んどけよ、、
前述のとおり裁判における水準の情報が無いので詳しいことは書けないけれどさ、
■(戦争犯罪の場合もそうだけれど)「権威性認知の錯誤」
これを公平を前提とする法治国家市民社会の中で発現させたら、もう何らかの犯罪なんだってば(わかりやすい事例がパワハラ)、
そうなると、いかような事も起きるワケ(そのトンデモスケールはランダムで計測不能だから結果に対して何か意味があるのだろうと計量しようとすればするほど間違える)。
(伝統的には嫁姑間の争議がトンデモにエスカレートする場合がある原因もそう←関係してんのは「権威性認知の錯誤」)
容易に現実の均衡感というかバランスというもを人間の自我は(自我タイプと関係無く誰でも)喪失する訳よ(『単独者』にとってはバランスも何も「全部公平」だけなんだけれど)。
※勿論説明するまでもなくデフォルトは現実認知に権威性(上下関係性)なんてものが設定される事自体眉唾モノなんだが、『共同幻想』に代表されるようにそれは現実世界に氾濫しているのであり、そこに後戻りできない勘違いが発生する場合もあるって話、そしてそういう倒錯や錯誤ってのは『共同幻想』適応世界なんかでも身近に起きてるワケ。
検察なり警察なりは、結果に拘るあまり「特段の動機の立証が必要だと思い込み」(特定事例に固有名詞を付与しようとしたりさ)考え過ぎなんだよ。
冒頭の説明に戻るけど、それじゃ未開民族における首狩りとかどう説明すんですかっての。まさか部族全員が精神ナントカ状態で当事者能力が無いって話にならんだろうし、そんな事言えば彼らに対する侮辱になるところに気が付いていない。
(だから刑法39条は人権侵害なのさ、)
法令ってのは不条理込みの合理性で選択されているもので、元から不条理な側面あるんだから。刑法は宗教の戒律じゃないんだからね。結果に対する整合性を取ろうとするあまり弄り回すのも大概にしないとさ、上位概念の憲法に照らして考えてくれよ。
(※厳密な事言えばどっから考えても先進国に死刑があるのは不条理な事だが、民主的にそれが選択されたのであれば、日本がその代表だけれど法治国家としてその選択も合法なわけさ。民主主義ってのはそれを選択可能とする制度なんだから。)
などなどですね、
報道などで「何か聞いてきたかのような解説する人の話」はすっ飛ばして理解すべしです。
■事実上現行犯逮捕なのだから(冤罪などの論議は必要無いので)、今回のケースで論議すべきは少年法の兼ね合いと「法律技術的に極刑適応はできないのか?」であるべきでしょう。
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