日常と常識のそれは近い関係にあり、超自我(道徳や倫理)が普段無意識に似て認識されにくいところで同一線上にある。
つまり、「アンチプライバシー的それ」って事が言える。
何が何って、自我構造の中で「意識的自分」の増殖は「超自我」や「前意識的な記憶主義的無思考」を自我意識に取り込み『自分化』するプロセスなんだが、言い換えると「それは日常の減少」で、
例えばこの『非日常的日常』は「同じ事が繰り返さないかもしれない可能性」を示唆している、根拠は「人の考えはいつも同じではない」からってところ。
これは、悩みのテーゼである「記憶は変わらない」に対するアンチテーゼとなる。
プライベートな時間が日常を侵食するかのように見え、これを無防備にやると(保守対革新の構造と全く同じ)、「思いつきや、仕方なしなアイデア」に伝統的な知恵が無意識化している道徳や倫理が代替され、機能的問題が起きる(悩み)てな感じにも見えると思う。
もし、この「自分が表に出ている時間」が自意識的ではなく、なにかの因果関係で「仕方なく」だったら?
自我が思考して意識化しなければいけない問題・難題は山積みになり、本人も嫌気がさしてくるって可能性もあり、「仕方なく」なので、この人物の道徳・倫理性が健在だとすると「自分で考えるプロセス自体が不快」になる確立は高い。
まるで保守的な人物が、改革者を気取る若者を「なんか知らないがいかがわしい感じがして、判断以前にまずもって不快だ」と思うのと似ている。
俺が「確信犯的」という表現を使ったりするのは、この「あまり根拠のない嫌な予感的不快」を『ナシにするのに丁度いいから』だ、
ちょっと難解なのだけれど、哲学的にも「自分で考えて、なんかやる」事自体が「常識の破壊」であり、自分の時間の基礎的な増加を意味する。よって「我在り」的な実存感(レーゾンデートル意識の正体)は増加するのだけれど、そうそう簡単ではない。
ありえない仮定なのだけれど、やたらと何から何まで考えると「日常は消滅して、個人的であることが結果的(数学的反復で)に日常となる」、『日常の消滅は非日常的日常の再来である』という(何だこれ、、)一件意味不明の言葉に代わるんだなこれが、、
「自分で考えるコストを支払うと、日常特有のつまんなさや苦痛は消え、同時に日常維持のための非日常アピール満々のレジャーの必要性も消える」皮肉な事に、全くの第三者からは「いかにも日常を淡々と静かに暮らす事が、結論としての反道徳的日常の破壊であり、、、」この人物は「道徳的にも見える」かもしれない。
「何か目に見えて変わる事は何も無く、根本的な個人を動かす秩序は交代可能」というか、そうでないと「それは反動形成(つまらなさにバランスを取るためのエンターテイメント性)だ」って事。
俺は、ネコが毎日取り立てて変化の無い暮しをしているにも関わらず
そこに『寸分も退屈を見せない』在り様から、それを学んだ。
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