てかそうなっていないと「自我統合」が説明できない。
(多重人格がマジで存在するかのようなオカルトチックな話になるんで、)
『入れ子構造』ってのはご存じ「マトリューシカ人形」や「HTMLタグ」などで知られる「箱の中にまた箱があってそのまた中に箱がある」みたいな構造の事。
自我論的にフロイド先生時代から言えば、
『<自我<超自我<自意識<前意識<各種記憶モジュール<無意識カオス(エス)>/各種記憶モジュール>/前意識>/自意識>/超自我>/自我>』
(「無視式カオス」ってのは計量できないので内部にありながら同時に全体の外部でもあるみたいな話ね。住所は自我内部だが自我では無い。という、ちょっとアレな代物。現実に自我の外に広がっているのは現実空間なんで、無意識が外部にあると言い切るのは間違い。)
退行化の流れも、単純化すると「超自我(建前)→自意識(本音)→前意識(過去用例)→無意識(カオス的内面閉鎖空間の海)」みたいなね。
まあ対抗保守化ってのは厳密に言えば違うっていやあ違うんで話をそこまで単純化するのもどうかと思うけど。簡単に言ってしまえばそんな感じの理解でもそれほど間違いでは無い。
そうなると「強迫心理ってのは前意識の事かい」みたいな事にもなると思うんだが、
厳密に言うと「強迫性」だとか「強迫構造」というのが成立するのであって、そのまんま(あたかも元凶のような)『強迫心理』って名前の”モノ”が固有にあるのでは無い。
↑
イマイチそこピンとこない人に補足するなら、
「教訓的記憶(一歩間違うとトラウマ論)」←こういう現象はみなさん体験あると思います。
「昔カキ毒にあたって酷い目にあって、もうそれ以来生ガキは食べられないんですよ」とか。
(これでピンとくる人はもうわかっていると思いますが、)
「このカキは大丈夫ですよ」って(それなりにこの話に根拠ある設定で)いくら説明しても、
「いやあそういう過去の経緯があってダメなんですよホントに」大変よくある話で(一歩間違わなくてもほとんどトラウマ論でもあるんだが)、これをもって「強迫心理」だなんだとメンタル問題性を意識する人はいないと思います。
(大丈夫なカキでもNGという論理的現実乖離の発生)
更に、
「カキが苦手なナントカ君」と代名詞化するとこれは『歩留り論』になるんだよね。
■この話に強迫性が無いのは経緯の流れを全て自覚認識しているから。
(わかっているから→仁義切る時に名乗れるから→歩留り個性論が成立する。)
仮に「なんか知らないけど、もう凄くダメ、耐えられない」的な反応が起きているのだとしたら、それは「トラウマ論的反応の因果関係なり流れを自我がトレースできていないので強迫性認知」となるワケだ。
(故に「強迫性」解決の方法は「ネタバレ手法」となる。)
さてさて、そうなると、
■「過去用例」として半ば入れ子でフォルダ管理されている『認知と反応モジュールみたいな奴』(前意識なんてカテゴリーが必要なんかはともかく置いておいて)、この内容経緯を中間管理職の『自意識』が知らないってのはなんだいって疑問になると思うんだが、
一般的に心理学で言う潜在意識だの無意識領域だのってのは、「何々が何々故に何何である」みたいな論理化されない全ての過去と欲求がないまぜになったカオスと考えていんだだけれど、
更に重要な話がエディプスコンプレックスの発見というか論理的説明で明らかになった、「未体験でも生成される記憶」って話です。
「その時の心象風景も記憶モジュールとして生成される」ため。
典型例が、
「ついにF1チャンピオンになった、この時から私はそれを追う人間から追われる存在になったのか。」
まだ追われる展開は始まっていないんですがww
自分がその前に追う人だった事もありつつも、追われる展開が勝者になった事実により自動生成されてるところがポイントで、
脳内で言うところの「”もう(まだ何も起きていないのに)”何々かもしれない」的杞憂や不安は自動生成されるんですよ。
逆パターンもあって、
「俺には失うものなど何もないので怖いもの知らずだ」←なんて台詞もありますわね。
(成功体験が無いのでその反動も無いみたいな。→しかし象徴的失敗体験や象徴的不可能体験は印象性高いのでその反動的ロジックが自動生成されるので、大成功と大失敗は図式として相似ってそういう話でもある。→象徴性ってのは権威がらみのフラグがある場合。)
現象としちゃ反動形成とかもそういった自動生成記憶に含まれます。
この機能のベーシックなモデルあげてみると、
「お母さんこのプラモ買って」
「ダメよ、だってうちはと〜っても貧乏なんですもの」
「お金持ちだったら買えちゃうだね」
「そう、お金があればどんなプラモもお望み次第よ○○ちゃん。」
「金だ、金、金、金、金、金さえあればなんとかかんとかが全て・・・」←まあね、これほど極端な話はそうそうありませんが、
ともあれこんな台詞あるじゃないですか。
「あの時から、俺は金が全てなんだと思った」←現実に大金使った経験無しにこういう”記憶”が生成されちゃうんですよ。ある種の連想によって。
(連想というか、これ言語学的やるともっとうまく説明できるんでしょうね。心理学では連想とかって言葉使っているけど表現として適正では無いと思います。メタファー(暗韻)的な概念の比喩的自動展開みたいな?ベタに言うと「俺の中ではそういう話になっちゃったのだ」て奴。)
そして、
「強迫現象」を語る上でもういっこ説明必要な部分があります。
「歴史のタブー」です。
これに類する現象が起きる背景は「勿論権威性」ですね。
(モスリム教徒にとってアッラーやムハンマドの事を軽率に語る事ができないですとか、戦中の日本で天皇陛下の私生活なんかを語るなど罰当たりだとか。)
■ここで冒頭の「入れ子構造」に戻ります。
自我成立の過程から言って、
3歳のガキが偉そうにベラベラ話し出す(自意識の台頭)前から、もう外部的な「なんていうか粘土を外から押して形にするような彫刻的な」人格形成プロセスがあります。言うまでも無く躾など親側のアプローチです。
後に専ら道徳的なロジックが住人になる場所がこの『超自我』って奴です。
領域的に『自意識』の上司にあたるので、『自意識』はなかなかこれに逆らえない。
しかし、『超自我』も所謂各段階の反抗期大規模アップデートの時に「憲法改正動議」的に修正や上書きが行われるので、絶対の聖域ではないのですが(現世利益的だとか世俗派自我の場合この『超自我』自体かなり軽量化ってか『自意識』が常に民主的に介入できるみたいな「憲法改正条文」みたいなんがビルドインされると考えればわかりやすい)、
↑
しかし事「メンタル問題」のバックグラウンドにあるのが『反抗期アップデートの不全』になります。(これも卵が先かニワトリが先か論議のようにどっちがどうとか言っても始まらないのですが)
『権威性のブラフが強すぎてタブー化したのか』
『何らかのタブーがあって誇大権威性が温存されてしまうのか』
勿論両者見解が微妙にないまぜの中タブー化している場合もあるでしょう。
ともかく、「硬い憲法」を前に『自意識』が民主主義的プロセスを発動してもそれが『聖域』となる場合、←こっちがらみの「反動形成」ってどんどん無意識下するんですよ。
■なんとなくわかりませんか?
『入れ子構造の最外殻の反動だから><反動も入れ子構造の最深部になる』
ちょっとやそっとじゃ「前意識的フラグやフォルダ名で『自意識』もアルアルそれ知ってる子供時のカキにあたった事件だよね」と思い出せないというか、思い出す的行為がもうNGみたいな場合って話。
でー、
岸田心理学的には、この『超自我』って領域は反抗期を経て『共同幻想』と定義した方が説明としていいだろうって事になるのであって、
俺が展開している『単独者論』ってのは、『共同幻想』の対象だと想定されている側が社会学気に外部崩壊する中で、『憲法によるナントカ法』のような法体系から『個別各論の完全な現実即応型(憲法と過去用例による管理では無く自己選択による哲学による主義や美意識などの上位概念型の自意識の重層構造化)』への以降であって、「従属的帰属性アイデンティティー」から「単独での自立的活動可能な選択的アイデンティファイ」への移行なワケで、
タグ的に言えば「<超自我>タグはあるが記号だけで中身の記載が無し」になるのが『単独者』って事になります(定義の中身は”ネタバレ認識”される事で自動的に『自意識』タグの中に移行し選択的に編集され書き込まれる)。
『共同幻想』の場合は「<超自我=『共同幻想』></超自我>」となってますよと。
更に、
メンタル問題状況の自我を考える場合『反抗期不全』があるのだから、「<超自我=>」が、『共同幻想』にも「認識されて『自意識』以下へ」も進んでおらず、「<超自我:○×△>」と幼児や子供の自我同等に「強い権威性により記載内容への『自意識』の干渉がアンタッチャブルなまま(タブー)」となっていて(『反抗期』ってのは『自意識』が管理者権限をめぐり一種のクーデターを企てるような行為)、なんつーか「パスワードでロックがかかって閲覧禁止みたいな?或いはリードオンリーになっているだとか?」な話なんですよ。
すると?
「入れ子構造のすっごく外側にある閲覧禁止と、これに対象性を成す深層の自動生成概念記憶」
↑
この双方が当該『自意識』に全く見えないかのような図式になります。
「無意識度合がすっごくステルスモードみたいに無意識だ」、
こいつがメンタル問題の真相みたいな構造分析です。
(つまり精神分析によるネタバレの意味ってのも「しかしこの図式には大きな弱点があり、部外者には全くステルス化の効果が無い」って落ちにもならない落ちになるって事ですね。)
■但しHPやブログ注意書きにあるとおりで「いきなりアンタッチャブルに切り込むような話」でもあるんで、「暴かれる的な」興奮なりのリスクはありますよと。
同時に、
「メンタル問題当事者本人のその図式はある意味鉄壁の自己保全・保守ロジックなのだから、メンタル問題の解決方向となる「反抗的アンチテーゼ」に当事者自ら「道徳的(ビルドインされている超自我による規制)反発」などが発生して、拒絶される場合も十分起こり得る」、
そもそもその管理者権限的な保全構図により「当人の『自意識』が抑圧されている」のですからね。
■加えてミクロ分析では無くマクロ分析でいくと、
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトじゃありませんけども、
近代化・現代文明化のベクトルってのは、その入れ子外郭のタブー領域を”認識”により取り込む事で世俗化してきたと言えるわけで(その反対派原理主義派:ファンダメンタリストって事になります)、
その方式も「神話としてアンタッチャブル・タブーであった禁忌の領域を”迷信”として反抗的に批判し、「こういうことなんだろ」的に認識により(この瞬間認識された概念は自意識テーブルに乗るワケで)解体され、『自意識』が取り扱える概念(政治だとか)に取り込まれる」って話です。
ある意味文明論としての社会学的『共同幻想』崩壊も(強烈な社会的反抗期がフランス革命)、反抗的なんとやらで解体されてきてるって流れです。
↑↓
ここにはもうひとつヒントがあります。
「迷信」って言葉ですよ。
それ、そのまんま「盲信でもある」。個人の自我で言えば「妄想」。
でー「自我の入れ子構造の位置関係が=権威主義的上下関係の格差と同じ」って見方できますから。
■幼児にとって両親などの存在は神に匹敵し(目の見えない乳幼児にはさらに想像の世界で神格化もされる)→権威的格差が最も大きい=外側。
これが、大人になるに従って外部の権威との関係は近づき→「ほとんど『自意識』にも内容認識され併行的位置関係になる(認識して取り込もうと思えばいつでもそれを選択できる)」。
↑↓
つまり、この力学で言えば?
その時期が幼児期で無くても、権威性格差が力関係的にデカかった場合、
年齢に関係無く「タブー領域の大外と、深層的よっぽど無意識」とかの話があり得る事になる。
(そもそも論で言えばさ権威なんてものからして幻想なんだしさ、)
■なんとか防止の「誰にでもできるなんとやら」とかの意味で以前心理学テキストのどっかに書いているんだけど、
「親御さんね、心配だったら帝王学なんて自立性を求められていた時代の”いいとこ”の真似して、お子さんを”さん付け”で呼ぶといいよ」って話。
同じ階級だよって、定義が自立性を促しますよって話。
(勿論それって形だけの入り口に過ぎないから、単に象徴的意味でそう説明しているだけなんだけども。)
或いは、米国が「タテマエだけだどしても上司が相手でもラストネームで呼んじゃうアレ」とかもいちおう先方には主義主張あっての話だろうねって事がわかる。
■同時に「自己責任担保(人生掛け金のレイズ権)の量的差異」ってのもだ、
「自我構造全体における『自意識』下剋上領域的に派生している」から、同じ動機形成していても『共同幻想』適応自我より『単独者』の掛け金(自己責任)がデカいよって話に通じるんだわね。
◎随分「心理学概論的な話」になってしまってますが、
冒頭説明のとおりで、全然これ詰めた話じゃ無くて試案・仮説程度の話なんでよろしくです。
(心理学の全体像がイマイチ見えない人には参考になるとこあるかも程度だから。)
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